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三嶺テント泊、そして小屋泊

11月8日はこの秋最後のチャンス、再び三嶺を目指すことにした。一泊二日の予定。

話し合いを重ねた結果、殆どの登山者がしているように朝6時には登山口に着いて早く登り始める、それが必須だろうという結論に至った。となれば、2時半ごろには起きて3時には家を出なければならないし、前夜のうちに弁当を作りパッキングまで済ませておかなければならない。なんと気合のいる休日であろうか。21時には就寝、何とか起きて3時半には出発することができた。

西熊渓谷に着く頃には夜が明け始め、無事光石登山口に到着。6時半、朝露の中登り始める。風は穏やか、空は青い、最高の登山日和。前回引き返したポイントを通過、ついに三嶺を間近に望んだ。弁当がうまい。

最後は急登。鎖場と整備されてはいるものの躓いたり転けたりしたら落ちそうな道が続く。大きな浮石もあり、落石も起こりうる。人が怖がるのを見ているとこちらまで不安になるものだが、平常心であれば注意力も発揮できる。そう、自分に言い聞かす。ただ、荷物が重いとやはりバランスを崩しやすい。泥土のついた靴底で岩の上を歩くと滑る。

14時、何とか無事頂上へ到達した。家を出てから10時間半、コースタイムは7時間半と言うことになる。(地図などに載っている参考タイムは5時間半ほど)

なんと素晴らしい天気であろうか。静かで、見渡す限り山々が連なり、遠くに海が見える。間違いなくここは四国で最も美しいと言われる山であった。コーヒーを淹れ、パウンドケーキで一服。嫁のパウンドケーキはクラシックなレシピで、卵、砂糖、粉、バター、全て同量。シンプルに1パウンドずつという意味でパウンドケーキというらしい。山仕様はそれにチョコやローストした胡桃を加えてパワーアップしてある。

山登りでカロリーを思った以上に消費するのは、重い荷物を背負って長時間歩くからだけではない。はじめての道に迷いつつ地図を見て必死に答えを探したり、思った通りに行かなくて不安になったり、緊張したり、そして、風に当たり続けて冷えたり。頭を使うこと、感情をコントロールすること、変動する天候下で身体を正常に保つこと、一つ一つにかなりのカロリーを要するのだろう。慣れないうちは尚更だ。そんなことに改めて思い至る。

十分休憩したのち、ヒュッテのあるところまで下ってテントを張る。笹原の中に張ってはいけないとなるとごく限られる。道沿いに1カ所空いていた。誰かが張り綱を止めるのに使ったであろう頃合いの石が置いてある。風を避けられるような地形ではないので、風向きが心配。しかし、北西からと思えば北東に変わりまた北西。前回の尾根筋は夜通し北東の風であった。先客のテントが一つ北西向きに張ってあるが、どうしたものか。天気予報を確認する術がなかったので、結局、ヒュッテが建つ向きに倣い、北東の風にあわせて張ることにした。入念にペグダウン。思っていたより刺さりやすかった。日が暮れ始めると一気に冷え込み、まだ暗くなりきってもないうちからフライシートに降った夜露が凍る。

晩御飯はクスクス。手軽な市販のペペロンチーノの素に加えて、挽肉にたっぷりの生姜とカブ菜を醤油と味醂で甘辛く煮詰めた常備菜を和えて食べる。少しでも野菜が有難い。身体を冷やしてしまうと寝れなくなるので、皆既月食についてはほどほどに、タイミングが合えばで寝袋にくるまった。

有難いことに風は穏やかだったものの、気温はさらに下がっていった。冷気が寝袋を通過して身体に降ってくる。カイロをお腹と腰に貼って、カッパも着込んで何とか過ごせるように。嫁もシュラフカバーを新調したが、それでも冷えるようだ。眠れない。ならばと星空を楽しんだ。一旦影となった月が復活し始めるタイミング、天の川も美しかった。足踏みしたり、体操したり、凝った身体をほぐす。同日、白髪山はマイナス五度であったらしい。更に100メートル以上標高のある三嶺は尚下がっていたことだろう。ちなみに、嫁が持っていたキーホルダーのような気温計は0℃からテコでも動こうとしなかった。

少しは寝ただろうか、月明かりの中、朝焼けがはじまった。

二日目は、三嶺から稜線を西へ、大タオ、西熊山、お亀岩で水を汲んで、綱附森方面の稜線伝いに下山する予定であった。お亀岩まで無事に到着。地図で先を確認する。お亀岩から西へ一つ目のピークより稜線を伝って南下し、途中尾根分岐を一つやり過ごしてから谷へ下ってゆく。お亀岩から見える稜線を目指して進んだ。その先にある天狗塚や天狗峠は多分、あれとあれだろう。

向かう先にはツツジの群生があり、迂回する笹原には無秩序に道ができている。ショートカットしようとして道なき道を思い思いに歩き回った結果だろうか、既にどれが正規のルートかわからない。それに、ここに至るまで、登山道の印がわかりにくかったり分岐に看板があったりなかったり、今回もどこが分岐かは分かりにくいだろうという心づもりでいた。地図を確認する。分岐ポイントに名前は書かれていないし、きっと看板もないのだろう。写真下の手前の稜線へ向かった。テープや紐といった印は全く見当たらなかった。ただ、幾重にも踏み固められた道がその尾根へと向かっていた。

小ピークあたりまで来たところで、その切り立った様に緊張が走る。巻道というのだろうか、笹の急斜面を横切る道が続いていた。中々スリリングであるが何とか行けると踏んで歩き出す。が、振り返れば後ろで嫁が動けないでいる。足の運び方を教えて、大丈夫、何ということはないと落ち着かせる。実際に危ない道だった。幅も僅か片足分、笹の根が露出して滑りやすいし、踏み抜けてしまっているところもある。いざという時には笹の株を持って何とかなるのかどうか、必要以上に力んで僅かに滑り、一瞬、谷側の足に力が入らなくなって冷や汗が出る。何とか持ち直し後ろを振り返る。思っていたより嫁は良いペースで付いて来ていた。何とか頑張ってほしい。

一先ずその巻道を渡り終えた。沢山の踏み跡はさらに先へ迷いながら、何かあっても取付けるツツジの間を縫う様に続いている。ここさえ越えれば後はより木々が生い茂って安全な緩斜面へ抜けて南下するはず。嫁を安全なところに残し、先を見に行く。が、行き着いたのは断崖であった。写真下、手前、稜線の真ん中あたりまで進んだと思う。

岩が露出した崖。鎖もロープも何もない。南下するはずの稜線も全く見えない。ただ、幾重にも彷徨う踏み跡が右往左往しながら谷へ吸い込まれる様に続いている。これはまずいと思った。かつて矢筈山で道に迷いビバークした時の比ではないくらい滑落の危険を感じた。時間は14時近く。引き返すことにした。あの笹の巻道は二度と通りたくない。ツツジの間を縫って何とかお亀岩まで戻った。無事に戻ってこれた鞍部の何と平和な景色であることか。

水を汲んで遅い昼飯をとったら15時、下山は翌日へ持ち越しとなった。来たルートを引き返すしかない。既に行動を終えるべき時間帯であるが、三嶺までは戻っておくことにした。自分達のペースでは、ここからだと1日で下山できるとは思えない。夕日を背に稜線を歩く。暗いのに明るい。夕陽に照らされた笹の海原。何と幻想的で美しい。これをアーベントロートと言うのだろうか。

振り返れば、嫁の息の上がり方がおかしい。そして、再々水を飲む。食欲はないと言うが、シャリバテになってはまずい。羊羹を食べるよう少しキツく言った。とにかく自分ではどうにもならないほどバテてしまっているのだろう。無理もない。二日続きの寝不足の上、緊張につぐ緊張。足も痛むという。何とか気持ちだけでも回復してもらわなければ。この美しい景色は心細いながらも目的地へ向かう道中だからこその美しさではないか。少し元気を取り戻した嫁も、この景色を忘れないであろうと言ってる。何よりである。

18時前、無事、三嶺に到着。風が強く冷え込む中、テント泊をもう一晩して寝不足を重ねるのは翌日に不安が残る。ヒュッテに避難させてもらうことにした。先客が思っていたより大勢、夕食の最中であった。親世代であろうか、三嶺から剣へ縦走するとのこと。20時には早々に就寝していた。

我々も米を炊き、ようやくあったかい飯にありつく。しかし、嫁の状態が思わしくない。食べ物が喉を通らないという。どうしたものか。普段は私と同じくらい食べることもあるのに、この山行では端から食べる量が少なすぎる。2泊までの食料と燃料には十分余裕あるが、3日目に寝込んで動けないとなってしまって4日目を迎えるにはあまりにも心許ない。どうするか、最悪の場合、嫁をヒュッテに残し明日は自分だけ下山して食料を補充して戻ってくるしかないか。外は風が吹き荒んでいる。前回の冷え切った稜線歩きを思い出した。三嶺はかつてないほど厳しい山であった。

夜中も度々ゴソゴソ動く嫁。寝つけないのだろう。寒いようなので使っていない自分の上着を渡す。少し寝ただろうか、嫁が寝袋から出ようとしている。気分転換に一度外に出るようだ。帰ってきて聞くと、だいぶんマシになったとのこと。やれやれ。少しホッとする。

夜が明けた。嫁はそこそこ回復したようだ。飯も食べられると言う。外はまだ風が吹いている。どんな天気になるのか。休み休みゆっくり歩いて下山するのに8時間はかかるだろうか。

不安だった山頂直下の鎖場は思いのほか順調に降りることができた。帰る道々、自分達が迷い込んだ稜線と地図を何度も照らし合わせる。が、どうしても納得がいかない。どれが天狗塚でどれが天狗峠か、分岐点はどこで、どの稜線を行くべきだったのか。何度見ても頭が混乱して読み解けなかったのだが、嫁の一言により、天狗塚がどれであるかをそもそも間違えていたことに気付かされる。となれば、もう一つ奥の稜線が下山ルートだったことになる。思い込みとは恐ろしい。手前に見えるピークが分岐だと思い込んだことで後の情報がうまく整理されなくなったのだろう。何故か、地図には目指すべきピークのさらに手前にもう一つ別のピークがあるなんて示していない、眼前に見えるピークの存在がないものとされるなど考えられないのだから。抑えるべき幾つかのポイントの一つでも欠けてしまうと全体像が崩れてしまう。思い返せば、あの巻道を行く局面においてでさえ、地図をどう読むか擦り合わせようとするも上手く噛み合わなかった。改めて私が持っていた地図と嫁が持っていた地図を見比べてみる。

余談であるが、いずれもかつて私が買い求めたもの。改めて何年版か見て笑ってしまった。2002年版と2004年版。いつか三嶺に登りたいと思ってから実現するまで20年経ったらしい。20代、30代はとても遊ぶ余裕などなかった。農業で食べていきたいならば他は諦めるしかない、人生を切り拓くことが自分にとっての旅と思ってやってきたし、この先も余暇や趣味など持てるとは思ってもみなかった。それでも興味を持ち続けてきたことが今となっては、もはや、ただの遊びと言ってしまうには勿体無い、仕事と暮らし、延いては自分の一部になっている。諦めたものを取り戻す思いだ。

さて、話を戻す。どう目を凝らしても見えなかった小ピークが嫁のものには明確に描かれていた。いやはや、これが道迷いの原因か。とはいえ、地図のせいにするのは余りに都合がよすぎるし、流石にそれはないだろう。帰宅後に改めてモニター上に拡大して見る。と、私の地図にも辛うじて描かれているではないか。お亀岩を表す点の中でピークを表す円がとじられている。いやはや。しかし、何ともわかりにくい。それに、やはりこの描かれ方では地形的にも実際と照らし合わせるのは難しい。だからあれだけ沢山の足跡が彷徨っていたのだろう。さて、もう一方の分岐点について。嫁のものには「地蔵ノ頭」と明記されているのに、私のものにはない。名前がついていない分岐ならば大した地形的特徴を持っていないのだろうと思っても仕方がないと思うのだが。地図というものが出版年の違いでこうも変わるとは思ってもみなかった。

しかし、いずれにせよ、絶対的な情報である天狗峠と天狗塚がどれなのか明確にあって全体像をイメージできていれば、位置関係や距離感からポイントを見誤ることはなかったであろう。登るつもりがなかったので、それらの情報を事前に確認することもなかった。それに、最新版の地図を用意していなかったのは大失敗であった。

 私が持っていた地図(2002年版 山と高原地図 四国剣山)

 嫁が持っていた地図(2004年版 山と高原地図 石鎚・四国剣山)

行きにとった写真であるが、真ん中にとんがった三角が天狗塚でその右手前が地蔵ノ頭、その右奥が天狗峠であった。地蔵ノ頭から斜め左方向へ続く稜線と並行する稜線が手前に見えるはずだが、そこが迷い込んだところ。分かりにくいが、途中、二股に分かれているように見えるその谷側が断崖となっていた。とにかく無事に帰ってこれてよかった。

いろんな条件が揃ってしまうと、道迷いはどうしても起こるのかもしれない。迷った時は来た道を引き返す。地図読みについてまた一つ勉強になった。百聞は一見に如かずである。色々あったが、兎にも角にも美しい景色を満喫し存分にリフレッシュできた。下山は想定していたより順調に5時間で済み、13時過ぎには光石登山口に着いた。何かと大変だった嫁も、これまでで一番楽しかったし三嶺は最高と言ってる。何よりである。

秋の山行

10月28日、かねてより憧れていた三嶺へ向かった。徳島と高知の間に連なる剣山系の一つで、思い入れを持ったファンが多いことで知られており、「みうね」が正式なようだが、高知では「さんれい」と親しみをもって呼ばれている。

一泊二日の行程。初めての今回は一日目、途中のさおりが原でテント泊して、二日目は様子を見つつ行けるところまで行って引き返す予定だ。昨年大変な目に遭った石鎚の裏参道のことがある。人によっては10時間ほどかけて日帰りするようだが、まあ、自分達には無理だろう。

高知県、旧物部村の最奥、久保の影という集落の先、西熊林道に登山口がある。さおりが原は、20年前の修行時代、研修先の農園へ援農に来られていたご夫婦に連れて来てもらった思い出の場所だ。当初は住み込みで働かせてもらっており、息抜きにとの心遣いであった。5月、静かな沢が流れ入る園地にバイケイソウの群落、立派な栃木。帰りには笹温泉に浸かって夢見心地であった。

我が家から登山口まで約100キロ、3時間弱。前日まで何の用意もできなかったので、朝起きてから、弁当を作り、荷造りを済ませて家を出たのが9時半。登り始めたのが12時半。さおりが原までは印に混乱して迷いやすいらしい。なるほど、どこでも通れそうな開けたところは足跡が道を作っておらずトレースすることができない。枝や幹に巻かれたテープもラインを描かず、こっちからもあっちからも行けるというように散在しており、分岐のポイントがわかりにくい。地図とコンパスを頼りに地形を確認しながら北の少し東寄りの方角を登ってゆく。

昼前に道中でパンを食べていたので、遅めの弁当タイムをとった。山仕様の卵焼きは、だし巻きではなく砂糖と薄口醤油で。太白ごま油を贅沢に使い、2人前を卵6個で作る。今回は海苔弁に。忍ばせた昆布と卵焼きとの相性が抜群であった。他は、芹と鰹節をソーセージを焼いた残り油でさっと火を通して醤油を和えたもの。

尾根に出た。どうやらさおりが原への分岐を過ぎてしまったようだ。尾根伝いに北東へ進路を変える。そのまま進むことにした。眼前、北に西熊山らしき頂と大タオらしき見事な笹原の稜線が見えた。あれがカンカケ谷でこれがフスベヨリ谷だろう。そして私たちの立つ尾根。いずれ本来予定していた道と合流するはずだ。

今思えば、散在しているように見えた印はつまり、九十九折りを細かすぎるくらいに案内していたのかもしれない。それで肝心の分岐も同様のそれと思い込んでしまったらしい。

15時が過ぎ、16時が過ぎ、まだ合流すべき尾根が見えない。気温が下がってきた。そろそろ、さおりが原は諦めるべきか、どこでテントを張るか探しながら進む。16時半、いよいよ今日はここまで。強さを増してきた風を避けられる場所を探す。窪地は平らでも湿気ているし、鹿のフンもそこここにある。そして枯れた立ち木の下を避けるとなると、なかなか見当たらない。風上でなければいいか。気温はぐんぐん下がってきた。山の様相は急激に変わるから恐ろしい。

ビバークではないが、当初の予定を外れて一泊することに。強い風が夜通し続いたが、幸いテントを張ったところは穏やかだった。ここは熊が棲む山域らしい。鹿の鳴き声も時折聞こえてくる。猪も間違いなくいるだろう。テント周りに細引きで境界をこしらえ、そこに熊鈴をぶら下げて呼子にする。効果があるかないかわからないけど、、、弱いなぁ、自分。かつての山に入る人ならば当然、我が身を守る術を持っていたであろうに。身についてないことのなんと深刻で痛恨なことか。40歳も過ぎて慌てて取り戻そうとしている。

熊の話を持ち出すと嫁が思った以上に嫌がった。すまん、すまん。すまんでは、すまん。

一晩中強風が尾根向こうで吹き荒び、嫁はほとんど寝られなかった様子。私は気づけは2時間とか1時間とか経っていたのが幸いだった。3シーズン用の寝袋だが防水透湿性のあるカバーを新調したことで暖かく寝ることができた。嫁は冬仕様のものだがそれだけでは寒かったようだ。

夜が明けてコーヒーを淹れ、お手製のパウンドケーキでひと心地。

「コーヒー入ったよー」嫁を呼ぼうとしたところ、転かして半減させてしまった。貴重な水、貴重な燃料、、、疲れてるな、自分。呆れて文句を言うでもなく、美味しいと慰めてくれた嫁に感謝。

テントを撤収し、パッキングしていざ出発。8時。三嶺までは無理でもカヤハゲの分岐を確認するところまでは行きたい。じきに陽が出るだろうと、防寒着をザックに仕舞い込み薄手の行動着になったものの、風が一向にやまない。テントを張った南側とは違い、進む尾根の北側は風がもろに当たる。これはキツいと思う間にも体温がどんどん奪われてゆく。嫁がもう引き返そうと言う。尚も先を進もうとする私に、この先風が止む保証はないのだからと更に訴える。ひとまずザックを降ろし、とにかく仕舞い込んだ防寒着を着直すことに。ニット帽を被りさらにフードで覆う。これでなんとかなりそうだが、その間、少し余裕を取り戻すことができた。テントの撤収作業で待たせていた間、私と嫁の保持している温みには幾分の差がすでに生まれていたことに思い至る。気づけば私自身だいぶん冷静な思考をを失うほど冷えは緊迫していた。吹き付ける風の強さはとてつもなかった。以前友人が、どこでそう思ったのか知らないけれど、手綱を握っているのは嫁、と言っていたのを思い出して苦笑いする。言い得て妙である。

初の三嶺は遠く叶わなかったが、かつてないほど広く美しい豊かな森を十分満喫することができた。

また来ると、嫁の背中が言ってる。

来た道を戻り、さおりが原への分岐を確認。20年ぶりの園は鹿避けの防護ネットが至る所に施され物々しい様相となっていた。倒木、立ち枯れ。よほどの嵐だったのか、砂礫が剥き出しとなっているところがそこ此処に。美しくも荒々しいかけがえのない山。コーヒーを淹れ直した。

また転かすなよー

再び嶺北の山へ

山登りについては、嫁の方が俄然モチベーションが高い。私は運転が好きではなく、叶うものなら自転車で登山口まで来たいくらい。なので、小一時間で行ける近場にお気にいりの山が増えたのは嬉しい。石鎚山にもまた行きたいし、三嶺にも行きたいけれど3時間近くかかってしまうのが億劫だ。

芽吹き始めた山の上。この日は風が強くて体温調節に何度も着たり脱いだりを繰り返した。

チョコレートにクランベリーとレーズン、くるみとひまわりの種がたっぷり入ったパウンドケーキはハイカロリーな山仕様。弁当は、かつて少年野球をしていた頃のチーム飯。お母さん達が毎度の献立に悩まないように考えられた、卵焼きとソーセージがあればオッケーというのを踏襲している。今回はそれにプラス、三つ葉とおジャコの炒め物。

 

 

嶺北の山々

畑のシーズンを迎えるに当たり、山へ行くことにした。代掻き前の綺麗な汗見川を上へ上へと県境の峠まで。1時間ほどで登山口に着いた。

花も新緑もまだだったが、静かで久しぶりに心が休まった。昼過ぎから登り始めたので、時間的に無理をせず、大森山で引き返すことに。前日まで丸太を運んだり割ったりしていたこともあって物足りないことはなく、心地よい疲労感に充分満足できた。

長閑なところですねと言われるような中山間地で暮らしているのに、更に奥へまた登る。ただ歩くことに専念できるということ、ただ景色を楽しめることって、仕事や責任に追われる日常では中々叶わないものだ。とはいうものの、最近の私といえば、土地の手入れが大変でも面白くなってきており、それは藪がだいぶん片付いて光と風が通り、残した木々がいよいよ立派に栄え、木漏れ日や新緑を十分楽しめるようになってきたからだろうと思う。手を入れた後の清々しさや、その仕上がりを眺めるのも山登りでは味わえない良さがあるのだ。

嶺北に移り住んで20年が経った。周りは生まれも育ちも此処といったお歴々ばかりだし、当時と今とで街並みはほとんど変わらず、側から見ればどうということもない年月かもしれないけれど、自分にとってはやり直しの利かない歳月であり、家族も歳を重ねた状況の変化を思うと、中々に重い20年なのであった。仕事を定め、土地に根をおろし、一先ず落ち着いて暮らせる状態にするため、気付けば経ってしまった年月。もちろん、過程にいろんな喜怒哀楽はあるが、これから還暦までの深刻で差し迫った20年を思うといっぱいになる。如何に沈まず前向きに、どんな景色を思い描けるだろうか。

同じ集落の還暦を過ぎた農家さんが花のなる木をたくさん植えているのを見て、ああ、子や孫のことを想って桃源郷を作ろうとしているのかなあとしみじみしたりもする。幸せのかたち。子を授からなかった私たちは、この土地において一代で終いをつけることになるけれど、それもまた人生ということで、私たちは私たちなりに此処に楽しみを見出していきたいと思っている。

装備はいつもの一泊分。弁当作って非常食は手軽なクスクス。

道中、山の至る所に植林の大規模な皆伐が進んでいた。大胆過ぎやしないだろうかと心配になる。

石鎚参り

改めて今後の予定を考えると、この秋、私たちの山行チャンスはとても限られていることが判明。天気予報を見れば週末から当分天気は下り坂ということで、いよいよ悠長に構えてはいられない。石鎚へ。

裏参道と呼ばれている面河ルートは登山口から山頂まで1100メートルほど標高を一気に上がるので以前登った土小屋ルートよりも難易度は高いらしい。しかしその分、人が少なく、渓谷美や植生の豊かさで人気のようだ。怖がりな私たちとしても少しずつ山行を重ねるたび欲が出てきて、もっとボリュームがあって楽しめるルートに挑戦したい気運が高まっていた。切り立った断崖を何の確保技術もなく登りたいとは思わないけれど、なぜ自分達がこれほどまで山登りに引き込まれていくのか、日帰りからテント泊、初級とされるルートから中級、少しずつその先へハマる理由がわかる気がするのだ。

里山は、いかに暮らしに役立てるか、いかにお金に換えるか。だから、手付かずのというのはただ遊ばせている状態にしか映らない。そこもここも誰かの山であって、普段は自分が借りているごく限られた範囲にしか入らない。そこは手入れすべきところであって散歩するところではないのだ。支障木を伐り木漏れ日が差し込むようになったことを喜びはするが、頭は常に課題に占められている。

立派な木々に囲まれるとホッとする。しばし浮世を離れ、お山参りに来たということなのだろう。

とても手の行き届いた、目の行き届いた参道が続く。石段が積まれ所々木道が拵えてあり、朽ちた箇所には補修が施され補強され、危険なところにはロープが渡され安全を確保されている。人の善意を感じるからホッとするのかも。

今回の装備は下記の通り。

 

私(35ℓのザックに10ℓ外付けで約15キロ);二人用テント、グラウンドシート、銀マット、スリーピングマット、寝袋、衣類、水2.5ℓ、弁当1食分、生米6合、棒ラーメン4食分、缶詰1缶、他補給食、ビール500ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

嫁(30ℓザックの限界?キロ);ツェルト、スリーピングマット、寝袋、衣類、水1.5リットル、弁当1食分、パスタ2食分、肉味噌、棒ラーメン2食分、他補給食、ビール350ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

食料は何かあった時のために6食分。(一日目;昼と晩、二日目;朝と昼と晩、三日目;朝)他補給食。

重いので一歩一歩ゆっくり登る。道標に記されている所要時間はあまり参考にならない。

頂きが見えてきた。今回は手前で一泊し、翌日に目指す。今朝は3時に起きて弁当を作り、畑に水をやり準備万端7時まえに家を出た。池川から松山街道を経て面河に入る予定であったが、途中全面通行止めにあって引き返し、国道33号仁淀川町を経由して1時間ほどのロス。結局3時間かかった。今日は早めに休みたい。

16時前に本日の目的地、愛大石鎚小屋に到着。綺麗なテン場が拵えてあってとても助かった。草も刈られていた。

まだまだ慣れないテント張り。張りを調節する自在鉤のような部品をどう使ったらいいのか、あーでもなこーでもないと言いながら正解を探す。今更人に聞けないし、自分なりに工夫するのがアウトドアの醍醐味なのだから。胡瓜の支柱張りやトラックに荷を積む時に使っている紐やロープの締め方を簡略化するための部品なのだろうかと思い至ったところで解にたどり着く。これが楽しい。整えられたテン場のおかげでしっかり張ることができた。

もう一つあるテン場には星を撮りにきたというベテラン登山者の男性。必要最小限の荷物、手際良い設営。食事はそこそこにカメラ。野営という感じが楽しそう。気づけば石鎚の山が赤く染まる。

我が家は昨晩仕込んでおいたスモークチキン(鳥もも肉の塊を薪火で燻しながら焼いたもの)とショートパスタに嫁の肉味噌(茄子たっぷりを煮詰めたカレー風味)。そしてビール。一本でもあると嬉しい。

星空を楽しむ。メガネだとそもそもあまり見えないから、せっかくだけどそれなりにしか見えない。きっと満天。月は出ていないのに明るい。星で明るいのか西条や新居浜の灯りで明るいのか。

四時ごろに目が覚めて夜明けを待つ。コーヒーを淹れる。美味しい。これが楽しい。

明けるにつれ気温が下がるのを感じる。これもまた楽しい。

朝は昼の分も用意するため米を4合炊く。しかし、焦付きを恐れるあまり芯が残ってしまった。これを昼も食わんならんのか。

あまりにも美味しくないので水を加えてお粥にする。そうなると食べた後の飯盒も食器もえらいことに。ここに水場はないので、ザックに外付け。これも勉強と言い聞かせる。

撤収作業がもたつき出発は8時。しかしコンパクトなパッキングをベテランさんに褒められた。嬉しい。

15分ほど歩いて水場に到着。時間はかかってもしっかり洗う。アクリルタワシを持ってきて正解。汚れたままが一つでもあるとあれもこれも全てが汚れてしまう。水場はありがたい。使い果たしていた飲水も補給。と、そこで嫁が気付く。ほぼ垂直な岩肌を流れる少なめの水。わたしが洗っているところだけ具合よく岩肌から離れて落ちているのだが、それが岩の形によるものではなくて、引っかかった落ち葉によって、偶然蛇口から流れる水のように落ちていたのだ。なるほど、道具とはかくなる物。岩肌を舐める水もそうやって何か適当なものを据えれば洗いやすく汲みやすくなるのか。これぞ山登りの醍醐味。

ああ、晴天。我、秋晴れを満喫す。

人で混み合っていた山頂はお参りだけを済ませて早々に退散。

11時前に出発。ここからひたすら下る。

何かあった時のためとはいえ、水2リットルを余計に担ぎ続けたのがいけない、足にきてしまった。水場での昼ごはんを終えてさて出発、担ごうとしたときにバランスを崩し谷に向かってつまづいた。その拍子にあろうことか、近くにいた嫁の足を踏み蹴ってしまったのだ。うずくまる嫁。

足首を捻挫させてしまったのか。なんということだ。持ち上げようとした15キロの荷物、重い登山靴。自分はバランスを取るために必死で、踏ん張りがきかないとはこういうことか、ザックを支えに数歩、谷へ頭から落ちずに済んだものの嫁を巻き込んでしまった。登山口までまだ半分以上、4時間以上ある。

押さえている箇所に表立った傷は見当たらない、嫁は少しづつ落ち着きを取り戻し痛みはマシになってきたという。しかし、すごい重みだったようだ。腫れはない。歩けそうという。うむむ。すまない。

しばらく歩いて、テント泊した場所へ到着。どうやら大丈夫のようだ。よかった。しかし、二人とも確実に疲れている。

焦らずゆっくり、いざというときはもう一泊すればいいとはいうものの、ふとした瞬間足が思うように上がっていなかったり、踵が下手に着地したり、たびたびバランスを崩しそうになる。最後の水場に来た。15時。あと2時間ほどの地点。今一度集中できるように、コーヒーを淹れて気持ちを切り替えよう。コーヒーが、カフェインが、体に染み渡る。最高に美味しい。塩羊羹がうまい。

ここから段差のある石段の下りが始まる。

そして、また、転けそうになってしまった。2本のストックでなんとか支えられたもののひやっとした。もういかん。水を捨てよう。のこりはあと少しだし迷うような道ではないからここまできてビバークはないだろう。肩が圧迫されてか、寝不足からか少々頭が痛い。心なしフラフラする。2リットルを捨てる。担ぐと驚くほどに軽い。血流が通った感じがする。馬鹿らしいくらい軽い。どら焼きを食べた。そして、トレッキングポールをしまうことにした。まだまだ使いこなせていないというのもあってつい力んでしまうし、石段とは相性が悪いように感じたのだ。段差のきついところは手をついて体全体を使い局所への負荷をできるだけ分散させるように、そして自分のペースでリズムを作り少し速めることにした。大分楽だ。

嫁が作ってくれたクルミとひまわりの種を炒ってドライフルーツと合わせた特製補給食を食べた。塩が効いていて美味しい。なんとかいけそうだ。すまんが嫁のペースに合わせる余裕がもうない。とにかく自分のペースを取り戻して転けないことが大事。先を行っては追いつくまで待つのを繰り返す。嫁も余裕がない。黙々と歩く。

17時半無事、揃って鳥居をくぐり下山。ありがとうございました。

あとは駐車場まで川沿いを歩く。

18時過ぎ、駐車場着。ヘっちんを着ければいいのにもはやそれを取り出す余裕もなかった嫁。そういう時こそ危ないと思うのだが、、、ちゃんと見えているか私もへっちんを消して歩いた。まあ、なんとか見えた。

18時半出発。ここから家まで3時間か。遠い。普段のスピードに反応がついていかない状態なので、ゆっくり走った。

21時半、帰宅。ヘトヘトだ。

また来たいと思う。しかしスケジュールを見直す必要があるし、米をはじめとして水と燃料をたくさん消費する食材については考え直す必要がある。(朝米を炊くのは3合で十分)

我ながら危なっかしい山行であった。改めて行程を振り返ってみる。行動時間と休憩時間を合わせた時間と、地図に記載されている参考タイム(休憩時間は含まれない)を比較すると、

1日目:家から登山口まで3時間30分、登山口からテント場まで5時間15分。行動時間3時間25分(参考タイム3時間40分)

2日目:テント場から山頂まで2時間35分。行動時間1時間55分(参考タイム:1時間20分)、山頂から登山口まで6時間45分。行動時間5時間(参考タイム:3時間10分)、登山口から家まで3時間半

2日目については全ての行程を合わせると12時間45分。無茶なスケジューリングだ。食料は米2合、棒ラーメン6食分、缶詰1缶、他補給食ちょっとが残った。水場は2箇所あり、行動時は500mlの水筒分で十分足りた。

では次回、二泊三日のスケジュールにするのか。前日入りして登山口近くのキャンプ場で一泊。1日目に山頂まで行って折り返し、愛大小屋泊。二日目にそこから出発すれば15時には下山できるし、帰りは温泉に浸かれる。

工石山へ

春から続く緊張でいよいよ息切れしてきたころ、金木犀の香り、朝のひんやりと澄んだ空気が山行を誘う。気づけば4月の終わりから一度も行ってない。登山口まで家から10分なのが嬉しい。

晴れ渡る空

リンドウの花が迎えてくれる。

白鷲岩とはよく名付けたもので、鳥の背に乗っているような気分。眼下一面に景色が広がる。高くて怖い。私たちの間ではネバーエンディングストーリーのファルコン。

正面に見えるのが石鎚山かな。今日はその石鎚山へ登るための脚慣らしで、ザックの重量は15キロ弱。いい運動になった。嫁は初トレッキングポールに手応えを感じた様子。弁当も美味しかったし、木漏れ日の中、とても清々しい山行であった。

 

ふたたび矢筈山へ

前回いろんな思いを抱えて登った矢筈山。

またこうして来られたこと。かけがえのない時間。

適度な運動と良質な睡眠が健康の秘訣ならば、そのために時間を惜しむことがあろうか、いやない。

年齢を重ね、身体と相談しながら仕事を進める日々。以前なら一気にできたことができない。もどかしくもあるが、落ち着くべきところに落ち着いた感があって、悪い気はしない。「ごとごと、休みもってやりよ。」とお年寄りからはよく言われたものだけれど、ただ、そう言われるままに、下手な怠け癖をつけなくてよかったとは思う。

前触れもなく攣りそうになる脇腹、足の裏。自分なりに気を遣っていても疲労が溜まれば痛みだす腰と膝。身体が正直に反応することは悪いことではない。幸運なことにヘルニアだったり膝に水が溜まったりというところまでは行っていない。

10時に登り始めて17時すぎ、無事に下山できました。かつてうどんを啜った茶屋がここにありました。残った基礎がなんとも小さくて、狭くて、たしか座敷まであったはずだけれど、、、なんだか狐につまされた気分。何年前の話と聞かれれば、15年ほど前?

鬼の棲む山と云われた稲叢山へ

作付けに追われる中そろそろ息抜きもしないと、というわけで春の息吹を感じる山へ。平家の落人伝説が残る稲叢山。かつては人を寄せ付けない深山だったところが、ダムの建設によって身近に。学生時分に自転車できたことも昨日のようです。が、それももう20年前のこと。

(2000年版ツーリングマップル)

住んでいた高知市朝倉から鏡村を越えて瀬戸の集落へ。帰りはどの道を通ったのか忘れてしまったほど、何気ない日常のことであまり遠いとも思ってなかったのが今では信じられない。昨日、地図を広げたとき、老眼のはじまったことを知る。こないだ知らない男の子に満面の笑みでおじちゃんと呼び掛けられたけれど、もはや否定する余地のない程に自分はおじちゃんになったのである。

思わず深呼吸したくなるような水辺。

どこまでも続く山々の連なり。個人がそこで暮らそうと思えば今も依然として深く険しい。

無事に下山できました。

氷点下の工石山へ

また山登りがしたい。そんでテント泊したい。すっかりその楽しさを知ってしまったいく農園。我らの裏山、工石山へ。

寒風吹き荒ぶ一夜。外へ出ればたちまち歯が噛み合わなくなるほど寒い。風邪引きそう、、、

寝袋にくるまり足はザックの中へ。私のシュラフは冬用ではないのでしっかり着込みますがそれでも寒い。上半身あたりのダウンがペタンコ。嫁がシュラフカバーよろしくツェルトをかけてくれました。が、これが大変、しばらくして気づくと結露でシュラフはベチョベチョに。それほどまでに断熱性を失っていた私のシュラフ。とにかく寒い、体の発する熱と失われる熱がギリギリ均衡を保っている感じ。嫁はほとんど寝られなかった模様。

しかしそうまでしてでも、美しい朝焼けを拝めれば、なんとも幸せな気持ちに。

一六タルトと淹れたてのコーヒー。嵩張るドリップポットはやめて、手持ちの保温ボトルでドリップ。湯は飯盒で沸かす。必要最小限をぴったりパッキングできるのが嬉しい。ベンチにはキラキラ氷の粒。

一泊できる装備を今のところ私35リットルと嫁30リットルのザックにまとめてますが、この気温までが限界かも。

土佐の海岸線が光ります。

小一時間歩いて河原に到着。仕込んできた肉味噌を和えてパスタの朝ごはん。水場があるところでは米を炊きたいけれど、限られているところでは少ない水で済むパスタが便利。「ソロキャンにオススメ!」と書かれたポップに踊らされ、水量豊富な川原で米を炊かないことに。まあ、今後知らない山へ行くための予行練習です。

土佐矢筈山へ〜初のビバーク〜

9月の中旬に嫁の身体に異変が見つかり、1ヶ月にわたる段階的な検査の結果、近く手術を受けることになりました。年頃とはいえ次から次へと色んなことが起こるものです。今後のことは術後検査の結果次第なのですが、冬の作付けは中断し、治療を最優先することに。

手術まで3週間と少し、思い切って山登りに行きました。紅葉彩るブナの原生林へ。

 

山で食べるご飯は毎度驚きの美味しさ。おにぎりの具は11年前に漬けた梅干し。

とにかく、細胞が喜ぶことを

 

往復6時間ほどの行程を休みながら存分に楽しみ、予定よりも1時間ほど過ぎてしまいました。秋、陽は傾いてからが早く、あれよあれよという間に山の様相は一変。遠くで鹿の鳴き声がと思えば前方にその姿を現わし、後ろ山側に猪の子がと思えばその親でしょうか、けたたましい足音と共にすぐ前を通り過ぎてゆきます。その量感たるや。いよいよ自分たちがいるべき時間ではなくなってきたようで気が急きます。もはや薄暗くヘッドライトを点けなければ先が見えない状況。道順は所々木に巻かれた印を頼りしていたのですがあと少しの地点でなかなか見つからず、しばらく探し回ったところ、思っていたのと違う方向に見つけました。おかしいとは思いながらも兎に角印を見失わないように、次が見つかるまで嫁には動かないようにしてもらい先を探すということを繰り返しました。しかし、行きにはなかったはずの谷に出くわし、所々水が染み出し滑りやすく危ない斜面になりました。そして、次の印がどうしても見つからない。いよいよおかしい。これはつまりよく耳にする道迷いの末の遭難、に足を踏み入れているのではなかろうか。雨で流された後のようなガレとぼそぼその軟弱な地盤、不安定な岩石は転がり出せばあっという間に見えなくなるような斜面。これ以上動き回ってどちらか一方でも怪我をすれば本当の遭難になってしまう。ここでビバークするしかないという決論に。不安とワクワクが入り混じる不思議な感覚。どうやって一夜を明かすか。出発前に得ていた情報では夜の気温は1℃もしくはそれ以下。

日帰りでも必要最低限の荷物として一泊分の装備をしてきたのが心に余裕を与えてくれます。木の根元に二人が座れるほどの窪みがありました。フライシートを被りザックを抱えて一夜を明かす。予想される気温は1℃以下。無理。朝になれば間違いのない地点まで戻って仕切り直す体力を残しておかなければならない。果たしてテントを張るだけのスペースを確保できるか。

ガレを除けてならし、わずかな窪みと木の根っこによって何とか滑り落ちないように出来そうです。二人用の小振りなものであったのが幸いしました。斜面が急なのでザックを一旦置いて荷物を出すにも気を使います。二人が下手に動けばポールを折ってしまったり、何かを無くしたり、どじを踏みかねないので一人で張ることにしました。嫁がこちらを信頼してじっと待ってくれるのがありがたい。

無事に張り終えてテント内に腰を落ち着けたのが18時過ぎ。外気を遮断する部屋ができたことで大分ほっとすることが出来ました。残る水は1リットル弱。食糧はカロリーメイト1箱、キャラメル6つ、マカロニ2食分(250gほど)、自家製肉味噌100g強。ひとまず、口を湿らす程度に水を摂り、キャラメルを一つずつ食べて寝袋にくるまることにしました。夜はこれから長い。

山登り道具は懐事情により一度に揃えるというわけにはいきません。私のスリーピングマットは学生時代からのもの。嵩張るので今回は持ってきませんでした。とはいえ、テントの中に敷く銀マットとアンダーシートは新調しておいたので湿気と冷気は上がって来ず、突き当たる岩を何とか避けて横になることが出来ました。嫁にはエアーマットがあるので快適そう。私も欲しい、、、まあ、前回はブルーシートを使っていたくらいですから、随分良くなったものです。

さて、夜も更けてまいりました。テントの外が気になります。ちょっとした物音が何の音なのか。葉の落ちる音が何かの動く音に聞こえます。登山口には熊出没注意の看板が。一度出て用を足すことにしました。足元のザックが頼みの木の根を超え宙ぶらりんになっているようで大丈夫かも気になります。

自分たちのおかれている状況を俯瞰してみる。一応獣の気配はないようです。空は曇っていて時折見せる月も木々に隠れ、あたりは薄暗い。大丈夫、嵐にはならない模様。暖を取る熱源がないのであまり外に居続けることはできません。時折吹く風、山の中で火を起こしても大丈夫そうな時と場所というのはかなり限られているのでしょう。温存に努め、ただじっと夜明けを待つしかないようです。とはいえ、一度外に出て気も落ち着きました。

うつらうつら、少しは寝たでしょうか。身体に当たる岩を避けられる姿勢は限られているので頻繁にもぞもぞ。ちょうど姿勢を変えようとしたその時、鹿の鳴き声が、、、と思う間もなくごく近くではっきりと足音が。かなり近い。嫁を振り返ることもできません。ここで下手に驚かして踏み倒され後ろ足で蹴られでもしてテントごと谷に転げ落ちるのは御免被りたい。腰を浮かした状態で固まってしまいました。これから一体どれだけの訪問に冷や汗を流さなければならないのか。しばらく無言の二人。兎に角、猪じゃなくてよかった。熊じゃなくてよかった。

 

訪問者は一頭で済み、無事、朝を迎えました。さて、これから速やかに撤収して道を戻り、下山できるか。寝汗をかいたのでしっかり水分を補給したいところですが残りはわずか、口を湿らす程度に留め、チーズ味のカロリーメイト一本ずつと自家製肉味噌を舐めました。おいしい。

問題となった地点に戻ってみると何とも、これが見つからなかったのか、確かに薄汚れて少し木の影になっているけれど、これさえ見つけていたらその次もまたその次もたやすく見つかるところにあるではないか。まあ、これであとは一時間もかからず下山出来るだろうということで、改めて朝食を作ることに。パスタを茹でて肉味噌を絡めていただきました。お腹いっぱい。幸せ。

一応キャラメル2つとカロリーメイト2本、水500ml弱を残していざ再出発。方向を確かめながら。思ったより時間はかかりましたが無事下山。となると昨晩そのまま順当に進んでいてもそれはそれで真っ暗な中を歩かなければならなかったので、かえって危なかったかもしれません。結果よし。早い段階でビバークを経験できて次なる課題も見えてきました。

緊張と弛緩。手術までの日々を淡々と過ごしていたら叶わなかったであろうくらい、リフレッシュできました。そして何より、初めはCT検査に使った造影剤の副作用からか時折吐気を催し唇が乾き顔色も優れなかった嫁が血色よく、一歩一歩、生きる気力に満ちて歩く姿を見て、悲観に暮れそうだった私自身、心配ない大丈夫と思えるようになりました。