月別アーカイブ: 2020年12月

日常に戻ります

術後の病理検査の結果、嫁は浸潤性乳管癌という診断になりました。ステージは1。浸潤性とはつまり転移の可能性があるということ。但し、浸潤は摘出した腫瘍内に収まっており、周囲1センチの正常な組織にガン細胞は検出されなかったということでした。今後の治療としては再発を抑えるべく、週5日×5週(つまり25回)の放射線照射と5年間のホルモン療法(女性ホルモンを抑える薬の服用)が標準とのこと。

非浸潤という結果であったなら、放射線治療もホルモン療法もやらないと伝えていたのですが、「転移の可能性がないとは言えない」というとても微妙な診断であったため、改めて癌について、そして放射線治療とホルモン療法について私たちなりに理解してから決めたいと思いました。そして、1週間ほど猶予をいただいたのち、いずれの治療も受けないことにしました。幸いだったのは、その方針はありだと思いますよと担当のお医者さんが肯定してくれたことでした。突き放されるのではなく、そう決めたことについて後ろめたく思う必要はないですよと言ってもらえた時は、何だかほっとしました。これからは3ヶ月ごとの血液検査で引き続き様子を見ていただけるとのこと。

改めてこれまでの経緯を覚え書き程度に説明しますと、9月に入った頃、胸にしこりがあるのではと違和感を覚えたことから始まります。

まずは最寄りの病院へ。受診する診療科は週一回しか診察日がないので見つけてから何日も経ってしまいました。焦れた想いを抱えつつ診察を受ける。しこりというよりも元々乳腺が硬いそれなのだろうけど、気になるのであればどこか乳腺外科を探したらいいとのこと。地域のかかりつけ病院という位置付けであるからまず受診したのだけれど、何も手がかりを得ず唖然としてしまう。

9月中旬、改めて高知市内の乳腺外科へ。確かにしこりはあるとのこと。マンモグラフィー、超音波検査、細胞診。結果は2週間後。

9月下旬、検査結果。より詳しく調べなければ判らないとのこと。大したことないだろうとタカを括っていた私は少なからぬショックを受ける。にしても、わからないとはどういうことなのか、私にはそれさえわからない。

10月上旬、3日に渡って、MRI検査、組織診、消毒。検査それ自体が身体に負担を与える。造影剤を注入の上30分から1時間近く高い磁場にさらされるMRI検査。吐き気に苦しむ。組織診は細胞診と違い、部分麻酔の上、3ミリ皮膚を切って太い針でもって組織を採取する。出血もそれなりに。1週間後に結果が出るとのこと。

10月中旬、告知は午後に行っているというので行けば私たちのような夫婦連れと、いつもより静かな院内。それぞれが深刻な面持ちで距離をとっている。あぁ、何ということだろう。嫌が応にも緊張が高まります。そして、私たちは乳がんであると告知されました。血液検査による数値のいろいろ、手術は部分摘出か全摘か、そして、術後には週5日を5週の放射線治療と5年間のホルモン療法をすることが標準であると伝えられました。淡々と話が進むなか、呆然としそうになるのを切り替えて説明を聞こうとするのですが、言葉がなかなか頭に入ってきません。嫁は十分に覚悟していたようで、しっかりと聞いて質問もしています。大したものだなあ。看護師さんが別室で(カウンセリング?)今後のことで何か聞きたいことがあればというので、大まかに費用はどれくらいになるのか聞く。しかし、想定外の質問だったようでかえって困らせてしまった模様。あまり要領を得ない。費用はいくらかかっても構わない、なんて言えないから多少なりの心算として訊いているのだけれど、、、(高額医療費制度があることを他で知る。)

手術の日取り等相談。手術は約1月後。

10月下旬、CT検査。造影剤の副作用で吐き気と目まい。数日続く。しんどそう。

手術前カウンセリング

11月中旬、手術。(入院から退院まで5日)術中検査の結果、リンパへの転移はなし。摘出したがん腫瘍とその周囲1センチを病理検査へ。結果は4週間後。

経過診察。消毒。

12月上旬、診断結果。「非浸潤性、ステージ0」であったこれまでの診断が、「浸潤性、ステージ1」に変わる。

1週間後、改めて放射線治療とホルモン療法を受けない旨伝える。

 

ここまで約3ヶ月間、通院等に18日、市内に通うことになりました。その間、畑の方は9月上旬の種まき後、穂紫蘇の収穫と仕込み、ネギやニラの手入れ、生姜の土寄せ、ニンニクの植え付け、里芋の土寄せ、人参の草取り土寄せ、玉ねぎの定植など、取るもの手に付かずとなりながらも畑に向かいました。そうして10月も中頃になり順調に発芽していた葉物や大根、カブなどの草取りと間引きをしに行くと不織布の中で虫が繁殖しすでに致命的な状態。もう、嫁のことに専念した方がいいと思いました。これからのためにとはいってもこれからがいつまであるのかそれもわからない、そんなふうに考えてしまっては自分で足下を崩すことになりますが、とにかく今は貴重な二人の時間を第一にしたい。一緒に山登りしたこと、ビバークした晩のことは手術に向かう嫁を大いに力づけたようですし、私としても前向きな気持ちになるいいきっかけとなりました。

何事もそうだと思いますが、治療についてもどこまでを自分はよしとするのかとても判断の難しいところです。図書館で借りてきた数冊の限られた本。そこに書かれている言葉をどう理解するか、これまでの知識や経験、そして自分の拠り所である農業に置き換えて考えてみる。安全だというその根拠に納得できるのかできないのか。副作用については大丈夫という理由がそれを抑えるための薬があるからだなんて、、、どこまでが病気による苦しみで、どこからが薬の副作用による苦しみなのかわからなくなってしまうのではないか。予防すること。再発の可能性を数%でも下げること。その数パーセントの違いは決定的な違いなのか。わからないことばかりです。本を読み進めるうち気づけば、自分ならこうしたくないという選択の後押しとなる言葉を探す作業になっていました。

明確な外的要因がなくともがん細胞は一定の年齢を越えると誰の身体にも発現している。その真偽はさておき、体の免疫力を高めること、健全な生活を習慣づけること以上に自分達ができることはないというところに落ち着く。やはり、単純な答えなんてない。だから考えようによっては、今回の結果にもっと喜んでいいのではないか、早期発見できたことで悪性ではあったもののギリギリ間に合った、手術も成功した、それで十分と言えるのではないか。再発という重苦しい不安は放射線治療をしてもホルモン療法をしても完全には消えないし、そればかりか私達は新たな不安を抱えることになる。どういう心構えで生きたいか。いかに前向きに生きるか。置かれた状況は人それぞれ、誰においても当てはまる正解なんてないのだし。

思いが定まり、また一つ大きな壁を乗り越えたという嫁の晴々とした顔が何よりです。よかった、これでよかった。

里芋、生姜、人参は無事収穫を迎えました。

 

ちぃ坊は少年から青年へ。いたずらっ子ですが食が細く、Q太郎兄いの野太さには敵わない様子。