月別アーカイブ: 2020年11月

氷点下の工石山へ

また山登りがしたい。そんでテント泊したい。すっかりその楽しさを知ってしまったいく農園。我らの裏山、工石山へ。

寒風吹き荒ぶ一夜。外へ出ればたちまち歯が噛み合わなくなるほど寒い。風邪引きそう、、、

寝袋にくるまり足はザックの中へ。私のシュラフは冬用ではないのでしっかり着込みますがそれでも寒い。上半身あたりのダウンがペタンコ。嫁がシュラフカバーよろしくツェルトをかけてくれました。が、これが大変、しばらくして気づくと結露でシュラフはベチョベチョに。それほどまでに断熱性を失っていた私のシュラフ。とにかく寒い、体の発する熱と失われる熱がギリギリ均衡を保っている感じ。嫁はほとんど寝られなかった模様。

しかしそうまでしてでも、美しい朝焼けを拝めれば、なんとも幸せな気持ちに。

一六タルトと淹れたてのコーヒー。嵩張るドリップポットはやめて、手持ちの保温ボトルでドリップ。湯は飯盒で沸かす。必要最小限をぴったりパッキングできるのが嬉しい。ベンチにはキラキラ氷の粒。

一泊できる装備を今のところ私35リットルと嫁30リットルのザックにまとめてますが、この気温までが限界かも。

土佐の海岸線が光ります。

小一時間歩いて河原に到着。仕込んできた肉味噌を和えてパスタの朝ごはん。水場があるところでは米を炊きたいけれど、限られているところでは少ない水で済むパスタが便利。「ソロキャンにオススメ!」と書かれたポップに踊らされ、水量豊富な川原で米を炊かないことに。まあ、今後知らない山へ行くための予行練習です。

土佐矢筈山へ〜初のビバーク〜

9月の中旬に嫁の身体に異変が見つかり、1ヶ月にわたる段階的な検査の結果、近く手術を受けることになりました。年頃とはいえ次から次へと色んなことが起こるものです。今後のことは術後検査の結果次第なのですが、冬の作付けは中断し、治療を最優先することに。

手術まで3週間と少し、思い切って山登りに行きました。紅葉彩るブナの原生林へ。

 

山で食べるご飯は毎度驚きの美味しさ。おにぎりの具は11年前に漬けた梅干し。

とにかく、細胞が喜ぶことを

 

往復6時間ほどの行程を休みながら存分に楽しみ、予定よりも1時間ほど過ぎてしまいました。秋、陽は傾いてからが早く、あれよあれよという間に山の様相は一変。遠くで鹿の鳴き声がと思えば前方にその姿を現わし、後ろ山側に猪の子がと思えばその親でしょうか、けたたましい足音と共にすぐ前を通り過ぎてゆきます。その量感たるや。いよいよ自分たちがいるべき時間ではなくなってきたようで気が急きます。もはや薄暗くヘッドライトを点けなければ先が見えない状況。道順は所々木に巻かれた印を頼りしていたのですがあと少しの地点でなかなか見つからず、しばらく探し回ったところ、思っていたのと違う方向に見つけました。おかしいとは思いながらも兎に角印を見失わないように、次が見つかるまで嫁には動かないようにしてもらい先を探すということを繰り返しました。しかし、行きにはなかったはずの谷に出くわし、所々水が染み出し滑りやすく危ない斜面になりました。そして、次の印がどうしても見つからない。いよいよおかしい。これはつまりよく耳にする道迷いの末の遭難、に足を踏み入れているのではなかろうか。雨で流された後のようなガレとぼそぼその軟弱な地盤、不安定な岩石は転がり出せばあっという間に見えなくなるような斜面。これ以上動き回ってどちらか一方でも怪我をすれば本当の遭難になってしまう。ここでビバークするしかないという決論に。不安とワクワクが入り混じる不思議な感覚。どうやって一夜を明かすか。出発前に得ていた情報では夜の気温は1℃もしくはそれ以下。

日帰りでも必要最低限の荷物として一泊分の装備をしてきたのが心に余裕を与えてくれます。木の根元に二人が座れるほどの窪みがありました。フライシートを被りザックを抱えて一夜を明かす。予想される気温は1℃以下。無理。朝になれば間違いのない地点まで戻って仕切り直す体力を残しておかなければならない。果たしてテントを張るだけのスペースを確保できるか。

ガレを除けてならし、わずかな窪みと木の根っこによって何とか滑り落ちないように出来そうです。二人用の小振りなものであったのが幸いしました。斜面が急なのでザックを一旦置いて荷物を出すにも気を使います。二人が下手に動けばポールを折ってしまったり、何かを無くしたり、どじを踏みかねないので一人で張ることにしました。嫁がこちらを信頼してじっと待ってくれるのがありがたい。

無事に張り終えてテント内に腰を落ち着けたのが18時過ぎ。外気を遮断する部屋ができたことで大分ほっとすることが出来ました。残る水は1リットル弱。食糧はカロリーメイト1箱、キャラメル6つ、マカロニ2食分(250gほど)、自家製肉味噌100g強。ひとまず、口を湿らす程度に水を摂り、キャラメルを一つずつ食べて寝袋にくるまることにしました。夜はこれから長い。

山登り道具は懐事情により一度に揃えるというわけにはいきません。私のスリーピングマットは学生時代からのもの。嵩張るので今回は持ってきませんでした。とはいえ、テントの中に敷く銀マットとアンダーシートは新調しておいたので湿気と冷気は上がって来ず、突き当たる岩を何とか避けて横になることが出来ました。嫁にはエアーマットがあるので快適そう。私も欲しい、、、まあ、前回はブルーシートを使っていたくらいですから、随分良くなったものです。

さて、夜も更けてまいりました。テントの外が気になります。ちょっとした物音が何の音なのか。葉の落ちる音が何かの動く音に聞こえます。登山口には熊出没注意の看板が。一度出て用を足すことにしました。足元のザックが頼みの木の根を超え宙ぶらりんになっているようで大丈夫かも気になります。

自分たちのおかれている状況を俯瞰してみる。一応獣の気配はないようです。空は曇っていて時折見せる月も木々に隠れ、あたりは薄暗い。大丈夫、嵐にはならない模様。暖を取る熱源がないのであまり外に居続けることはできません。時折吹く風、山の中で火を起こしても大丈夫そうな時と場所というのはかなり限られているのでしょう。温存に努め、ただじっと夜明けを待つしかないようです。とはいえ、一度外に出て気も落ち着きました。

うつらうつら、少しは寝たでしょうか。身体に当たる岩を避けられる姿勢は限られているので頻繁にもぞもぞ。ちょうど姿勢を変えようとしたその時、鹿の鳴き声が、、、と思う間もなくごく近くではっきりと足音が。かなり近い。嫁を振り返ることもできません。ここで下手に驚かして踏み倒され後ろ足で蹴られでもしてテントごと谷に転げ落ちるのは御免被りたい。腰を浮かした状態で固まってしまいました。これから一体どれだけの訪問に冷や汗を流さなければならないのか。しばらく無言の二人。兎に角、猪じゃなくてよかった。熊じゃなくてよかった。

 

訪問者は一頭で済み、無事、朝を迎えました。さて、これから速やかに撤収して道を戻り、下山できるか。寝汗をかいたのでしっかり水分を補給したいところですが残りはわずか、口を湿らす程度に留め、チーズ味のカロリーメイト一本ずつと自家製肉味噌を舐めました。おいしい。

問題となった地点に戻ってみると何とも、これが見つからなかったのか、確かに薄汚れて少し木の影になっているけれど、これさえ見つけていたらその次もまたその次もたやすく見つかるところにあるではないか。まあ、これであとは一時間もかからず下山出来るだろうということで、改めて朝食を作ることに。パスタを茹でて肉味噌を絡めていただきました。お腹いっぱい。幸せ。

一応キャラメル2つとカロリーメイト2本、水500ml弱を残していざ再出発。方向を確かめながら。思ったより時間はかかりましたが無事下山。となると昨晩そのまま順当に進んでいてもそれはそれで真っ暗な中を歩かなければならなかったので、かえって危なかったかもしれません。結果よし。早い段階でビバークを経験できて次なる課題も見えてきました。

緊張と弛緩。手術までの日々を淡々と過ごしていたら叶わなかったであろうくらい、リフレッシュできました。そして何より、初めはCT検査に使った造影剤の副作用からか時折吐気を催し唇が乾き顔色も優れなかった嫁が血色よく、一歩一歩、生きる気力に満ちて歩く姿を見て、悲観に暮れそうだった私自身、心配ない大丈夫と思えるようになりました。