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秋の山行〜佐々連尾山〜

雨続きの秋。週末には気温が一気に下がる予報なので、冬支度を急ぎました。裏山で薪を補充し、草を刈り、来年の種にする生姜を囲ってとりあえず小休止。

11月3日(日)〜4日(月)の一泊二日、昼前に家を出て小一時間で登山口に着く気楽な山行です。日帰りだと、早朝出発で日暮前の下山を急がなければならないので、一泊の方がかえって楽な気がします。地域では運動会があり、花火が上がっていました。

 この山には水場がないこともあってか日帰の人がほとんどで、「いいですね〜、テン泊ですか」と、しばしば声を掛けられました。

私のテント泊はここ数年夫婦で山登りをするようになるまでは過去にも数えるほど。登山に精通する人の多くが経験を積んだであろう年頃は、連休を取れるのが盆か暮れぐらいだったこともあり、憧れはあったものの、意気揚々、テントを積んで旅に出る!ということにはなりませんでした。なので、今この歳になって山に行けるとなれば、数日前から夜も眠れぬほどです。

前回の山行で、いつか霧氷を見たい、雪山とまではいかなくとも、できることなら三嶺の雪景色を見たいという新たな夢を描いてしまったいく農園。防寒と食事の充実、そして新たな装備を考えれば、遅かれ早かれザックの容量は足りなくなるので、55リットルのザック(65リットルまで拡張可)を新調し、それまで私が使っていた47リットルのザック(ユニセックスのもの)を嫁が担ぐことにしました。したがって、これまで二人で80リットルに満たなかったものが100リットルオーバーに。何年かかるかわかりませんし、まだ想像もできませんが、山登りをこれからも続け更なる夢を持つことは自分たちの暮らしにとても良い影響を与えるだろうと思います。

麓で始まったばかりの紅葉が山頂付近ではほとんど終わりかけでした。それでも、僅かな中に鮮やかなものがあり、楽しませてもらいました。今回も暮れゆく中を歩きます。

 一番星。私において初めてそれと認めたのは小学生の頃、学校のグランドで一人壁当てをしている時でした。以来、一番星を見ればあの時を思い出します。10歳ともなれば自我は芽生え、将来のことを取り留めも無く考えていました。あの時の自分への問いかけ。思えば遠くへ来たものです。

予定地に着く前にだいぶん暗くなってしまったので、もう一箇所目星をつけていたところに張りました。風当たりが強そうですが、今日は穏やかかなと期待して。星空を楽しむにはこちらの方が良さそうです。

贅沢なことですが、今この山域には多分私たちしかいません。遠くに豊浜や観音寺の灯りが見えます。

無事に張り終えたならまず横になりたい。(次回からはもう少し早く予定地に着くようにしないと)煮炊するなら一眠りしてからでもいいだろうということで、晩酌タイムにしました。前回の三嶺ではワインがとても美味しかったので、今回もワインです。嫁がインゲンを茹でたものと味噌を用意してくれました。それにチーズとポテチで乾杯です。山で淹れるコーヒーも格別ですが、お酒も格別ですね。野菜を食べられることがありがたい。味噌も美味しい。嫁が上機嫌で何よりです。

気がつけば風が強くなってきました。何度か外に出て状態を見ましたが、しっかりペグが効いており、テントはしなやかに風をいなしているようで安心感がありました。夜どうし吹き荒れましたがそれなりに眠れました。

朝日に染まるこの時間が好きです。風が強い中ではありましたが、コーヒーを淹れ、もみじ饅頭でひと心地。テントの撤収は風に飛ばされないことを第一に、ざっとまとめてパッキング。とにかく出発して風を避けられるところで朝ごはんにします。道々パンを齧りつつ歩みを進めればもうお昼近く。大森山を過ぎたところで腰を下ろし、ペンネを茹でてミートソースのパスタを食べました。

陽が傾き美しく映える木々の中、ゆっくり下山。この時間も穏やかで好きです。途中、コーヒーを淹れ、16時ごろに下山。沢で顔を洗い、帰路につきました。

秋の山行〜三嶺へ〜

10月10日〜12日、この秋初めての山行を楽しんで来ました。高知側の光石登山口は手前の林道が通行止めになっているらしく、徳島の名頃登山口から三嶺へ。山頂から西熊山への稜線歩きを楽しみ、初日はお亀岩付近にテント泊。二日目、余裕があれば天狗塚へ登り日暮までに三嶺へ戻ってヒュッテ付近でテント泊。三日目はのんびり名頃へ下山という予定です。

三嶺は徳島側から登る方がメジャーなようで、より気軽なハイキングや軽装なトレランを楽しむ人も多いようです。登山口へ向かうルートは主に2つ。国道32号線から大歩危で祖谷の郷へ入り国道439号で向かうルートと、美馬ICで高速を降り、貞光川に沿って国道438号で向かうルートです。

我が家からは祖谷を通る方が近く、2時間と少しで着きました。道も整っており、3時間かかった光石登山口よりもはるかに楽でした。ただ、主要街道から更に厳しい峠を越えた先の深い渓谷。祖谷トンネルが開通していなかったら果たしてこのルートを選んだかどうか。かつてはまさに秘境だったろうと思いました。一度自転車でちゃんと峠を越えてみたいものです。

先日まで続いた雨でキノコが沢山。

山に持っていく食料をどうするか。当初はカロリーメイトやソイジョイのような補給食を色々揃えもしましたが、今では嫁がパウンドケーキを焼き、私は弁当を作るスタイルが定着。日帰りでもテント泊でもそれをベースにして、あとは米を炊くかパスタを茹でるか。今回は新たに餅とフリーズドライのアルファ米を持って行きました。

餅は昔から携行する食料として重宝されてきたそうで、思ったより早く火が通り食べ応えもあって満足でした。(インスタント味噌汁で雑煮に)一方、多くの登山者が利用するフリーズドライは、お湯を注いで15分、水でも1時間で食べられるようになるということで、確かに手軽で非常時には助かりますが、何食もそれだと私は無理だなと思いました。市販の調味料を多用した食品はやはり味覚が疲れます。カロリーの補給としてだけではなく、食事をいかに充実させるか。野菜不足も気になります。準備や下拵えがあまり大変になるといけませんが、連泊となれば尚のこと大事です。やはり、自家製肉味噌を持っていくべきでした。

そして、少なくとも一日一食は米を炊いて食べたい。時と場所を選び、ハードルは高いですが、今回はクリーン精米にしたことで、洗わなくても(米とぎをしなくても)糠臭さは気にならず、特殊な焼き網を使って火のあたりを和らげることで焦げつきはマシになりました。

頂上に近づくにつれ、その急峻な山容が明らかに。下を覗けば肝が冷えます。ハンググライダーで飛べたならさぞ気持ち良いことでしょう。

お馴染みの三嶺ヒュッテ

 二泊三日の山行となれば嫁のザック(30リットル)はパンク状態。雨が降ったらどうする?私のザックが50リットル弱で二人合わせて80リットル弱。充分な防寒着をとなればいよいよ容量が足りない感じになってきました。

笹が照葉樹の葉のように輝きます。陽が傾くに従いその輝きを増し、黄金色に辺りを染める。一昨年の三嶺山行は大変でしたが、またいつかあのアーベントロートに巡り合いたいものです。

刻一刻と変化する山。風が強くなり雲が峰々を越えてゆきます。

あっという間に雲の中。(この場合霧というのかガスというのかわかりませんが)そしてまた太陽が顔を出しました。

日が暮れる前にテントを張らないと。指定のテント場はあまり利用者がいないのか看板も取れてしまってわかりにくかったのですが、風が防げて水もたまらない場所はここぐらいかなということで設営。大分もたつかずに張れるようになってきました。

そして二日目の朝。あたりは霧に包まれておりました。日の出の頃にはきっと晴れるはず。

 お亀岩に登って時を待ちます。

ブロッケン現象を初体験

一杯のコーヒーが身体に染み渡ります。

 今回は天狗塚へは向かわず、辺りの散策を楽しみテントを充分乾かして出発。あれこれ予定を詰め込まず山での時間をゆっくり楽しむのが私たちには合っているようです。

 三嶺ヒュッテ付近から三日目の朝

山に来れるのは春と秋の数回に限られていますが、少しずつでも親しんでいけたらと思います。今シーズンは特に暑く厳しかったこともあり、季節が巡るありがたさを感じます。

今年も蜂に刺されてしまいました

昨年に比べて少ないと油断していたら大きいのが2つできていました。8月になっていたので敏感になっているかもと思ったら案の定、二箇所、おでこと手を刺されてしまいました。アシナガバチなので大したことはないはずだったのですが、連日の暑さでバテていたこともあり、回復に時間がかかりました。丸一日仕事を控えても腫れは引かず、翌日も頭痛がしたので休みました。去年も刺されましたが、これ以上増えられても困るので、巣は見つけ次第落とすようにしています。我が家では毎年当たり前のように繰り返していますが、他の家もそうなのでしょうか。今度聞いてみようと思います。

(一発で落せずもたついている間に刺されてしまいました)

放棄林の手入れ

猛暑が続きます。以前は麦わら帽に濡らしタオルで炎天下も仕事をしていましたが、最早とてもではありません。熱は身体に蓄積されるのか、頑張るとかえって弱くなるようです。作物にとっても限界はあり、今後、病虫害が増えることはあっても減ることはないのだろうと思います。生育に必要な日照量を確保しつつ如何にして木陰を作り気温上昇を抑えるか。また、土砂災害が各地で起こっているのを見ると周りの放棄林に不安が募ります。これまで山仕事は主に冬だけでしたが、それでは間に合わないように思うので暇を見つけては手入れを続けています。

自分が管理すべき山には未だ一度も手を付けられていないところがあり、ある程度伐り倒して日常的な手入れをするための下地作りを少なくともここ数年で終えたいと考えています。日々の手入れができて初めて現状が見えてくるので、全くの手付かずが最も怖いのです。農園としては何より畑仕事を優先したいのですが、立地的な制約はあり、また、年齢的にいよいよこうしたハードな仕事を先延ばしにはできないという危機感もあり、急務だと考えています。

 この春片づけたところ。竹は小切らずそのままを積み上げた方が嵩張らず安定する。こういう仕事は一人でごとごとやる方が、大変ではあるけれど安全。自分が還暦を迎える頃にはこれら積み上げたものが片付き、必要な分だけを伐り出して暮らしていけることが理想。腰と相談しながらなので少しずつ時間がかかります。

次はこの一帯。 ここも今年中に手をつける予定。下を整えて枝打ちから。

 (7月7日)我が家の川涼みは7月中下旬まで。

はじめての筒上山

春の作付けはまだ続きますが、ここで一息、山へ行ってきました。吉野川の上流、旧本川村名野川へ。我が家から登山口まで車で2時間弱、山の奥へ奥へ分け入って行きます。

連日の草刈りで体が固まっているので今回は無理をしないことに。川がとても綺麗。沢も水が豊富です。渡渉が二箇所。濡れ石に滑らないよう気をつけます。飛び移るしかないところもあってヒヤヒヤしましたが無事渡り終えました。そして急な登りに入ります。

 

登りはじめたのは9時半過ぎ。2時間歩いてもまだまだ急登が続きそうなので、正午前に早めのお弁当タイムにしました。穫れはじめの絹さやと今が美味しい蕗。さっと出汁で炊きました。今回の卵焼きは基本のだし巻きに砂糖を少しプラス。

14時近くなってもまだ森を抜けません。藪漕ぎとまではいかないまでも、笹に覆われた中をピンクテープを頼りに進みます。本来はつづら折れに続く道。方角見当で直登したであろう踏み跡がササを薙ぎ倒し道に被さっている箇所が結構あって、こうなると滑りやすくなるし本来の道も余計に判りにくくなるしで困りました。

さて、手箱山と筒上山はまだはるか先。今回は途中で引き返すしかなさそうです。土小屋ルートと合流するあたりまで来てタイムアップ。とにかく疲れました。このところ自転車をサボっていたので足が弱っています。嫁は尚更でしょう。コーヒーを淹れて帰りに備えます。山々を見渡すことは叶いませんでしたが、新緑を十分楽しめました。15時下山開始

  パウンドケーキはクランベリーとレーズン、チョコチップ、胡桃とひまわりの種。嫁のパウンドケーキはハイカロリーで美味しい。木漏れ日の中贅沢なカフェ。 休みながらごとごと下りました。

緊張と弛緩。心地よい疲れに浸っています。

新しいギフトボックス作りました

シンプルな箱にシルクスクリーンで印刷しました。

プリントゴッコが大人気だったという嫁一家。かく言う私の実家でも家族総出で年賀状を作っていました。こういうものづくり、手仕事にテンションの上がる二人。私もここ最近では鋸の鞘や斧の刃沓を作りました。食べるのも忘れて熱中する時間がとても大事でリフレッシュになります。

今年も滝へ

細い山道をゴトゴト小一時間。のり弁とロールパンとアルファベットチョコを買ってアメガエリの滝へピクニックしてきました。昨晩は結構雨が降ったので、凄まじい水量。マイナスイオンで満ちてます。 久しぶりに来ると道の細さやガードレールの抜けた路肩にヒヤっとします。大型トラックと行き合い、カーブミラーを確認しつつ延々バック。深い山奥です。

豊かさとは。ここに来ると自分たちが大事にしたいことを再確認できます。透き通った水、新鮮な空気。まさに空気には鮮度があるんですね。

道上がひと段落しました

樹上作業をするきっかけとなった道上の二本もようやく片付きました。枝を打ったり、今までだと届かなかった高所にロープをかけたり、 山仕事に幅ができました。

玉切りして割って、斜面上の平たい所に放り上げて。ロープで確保しつつ一日で一本を片付けます。キツイので二年に分けました。4シーズンかかったこの道上一帯がこれでひと段落。かつては得られなかったこの陽当たり。清々しい達成感。

同じ中山間地でも、植林や藪に囲まれることなく農地が広がるところもあると思いますが、これから描けるプライベートな空間を思うと、ここが良かったのです。

一輪車を乗り付けることができないので、家まで抱えての搬出。できる限り乾いて軽くしてからごとごと運びます。

ロードバイクでリハビリ

神経伝達を回復させるためには積極的に動かすことが大事。とはいえ、痺れや痛みを庇う動きは新たな故障を生むのではと心配です。ペダリング動作には比較的そういったことがなかったので、整体の先生に「ロードバイクに乗るのは構わないか」訊けば、しかし、逆効果になることもあると言われました。

具体的に何が良くないのか聞いたわけではありませんが、整体を通して認識を改めた背骨のしかるべきラインに従えば、骨盤が後傾し腰の曲がった乗り方が良くないのだろうと考えられます。私としては、とにかく足腰を萎えさせるわけにもいかないし、何より自転車を諦めたくない。そんな訳で、3ヶ月間週1ペースの集中的施術の間もローラーを回すことを日課としました。果たして、3ヶ月ほど経って痺れがとれた時、「正解だったということですね」と言っていただけました。

他のスポーツでもよくあることかもしれませんが、スタンダードというのかトレンドというのか、こう乗るものだという固定観念ほど厄介なものはありません。有り体に言えば、誰を理想とするかなので変遷するものだと思いますし、そもそもが完全ではないであろうにもかかわらず、そうすべきではないと言われれば、どうしても影響を受けますし、払拭するにはよほど自己の積み重ねが必要です。学生時代に少し齧(かじ)った程度で、30代は全く乗らず、40手前になって再びはじめたロードバイク。身体のメンテナンスとして手応えを感じる一方、時に膝や腰が痛くなることもあり、セッティングと併せて試行錯誤を繰り返しました。

腰痛は二足歩行をするようになった故の宿命と言われているそうです。ロードバイクによる前傾姿勢は、前脚である手が短く弱くなったなりの四足歩行の形であり、それを突き詰めてゆけば腰痛改善になるはずなのです。

余談ですが、学生時代に国体が地元高知であり、自転車競技のボランティアスタッフとして、ロードレースの集団後方に付くジープから選手たちの乗る姿を見る機会がありました。百聞は一見に如かず。たくさんいる中に目を惹く選手がいて、そのリラックスした乗り方がとても綺麗で格好良く、今も鮮明に理想としてあります。そして、トラック競技ではスタートの支持もさせていただきました。実際は選手本人がバランスを取っているので、サドルに手を添える程度なのですが、それを知れただけでも貴重な体験ですし、選手の立派な身体、自分とは規格違いの量感に感動したものです。

さて、話を戻します。身体を痛めず鍛えるには、競技志向はなくとも、楽に、速く、遠く、長時間乗れるかどうかは共通の指標であり、椅子に座るように上体を起せた方が楽かというとそうでもありません。農作業の中腰にも通じることですが、腰は曲げるのではなく折るもの。つまり、背筋を伸ばして股関節から折り、骨盤を前傾させる姿勢が基本で、相撲の四股がまさにそれです。私の場合は、農作業に耐えうる身体づくりのためというスタンスで模索してきたのですが、坐骨神経痛というセンサーを得て確信を深めることができました。(間違いであればすぐに痛くなります。)また、整体によって個人で行うストレッチでは限界があるところ、以前よりも背筋が伸びて力の伝達もスムーズになり、今ではただ楽しく気持ちよく乗ることができています。

 

山の暮らしと山仕事

燃料を自給できることの有り難さをしみじみ感じるこの頃。寒い夜も雨の日も不安なく過ごせます。裏山がある程度片付いたので、次は一昨年伐った大径木に取り掛かります。急斜面に水平な足場を作り、道具を新たに揃え、挙動を予想してそこに寝かせる。自分なりに段取ったわけですが、結果は奇跡的だったと思います。自画自賛などありえません。安堵と感謝、そして自己の確認です。

玉切りして割ってから搬出。直径80センチを越える株元は、両側から刃を入れても届かないため、矢で割ってバラしながら切り進めます。中腰で横方向に槌を振るこれがかなりきつい。日々のストレッチとトレーニングを続けて身体を強く保つことはもはや必須です。とにかく重量物は若いうちに片付けて、良質な薪のとれる山にしていきます。

刃が届くところまで来ればだいぶん楽。谷側に寝かせたもう一本のおかげで転げ落ちる心配はありません。

週末はもっぱら山仕事。視界が開け本当に居心地良くなってきました。これを片付けたらようやく次が伐れます。一箇所を一度に伐り剥ぐのではなく、裏山や畑の東や西など何年もかけて満遍なく手入れすることで、次なる木を育てながら進めます。

高村光太郎の詩『道程』の一節、

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」

二十数年前に北海道の恩師から頂いた言葉ですが、積み重ねてきたことの成果を今こうして眼前に見渡せた時、自らを勇気づけ奮い立たせてくれるようで、なんとも有難い心持ちになりました。自信はその都度塗り重ねなければ脆く見失うほどに儚い。現場に立ち続け、此処ぞで踏ん張れる自分であるかどうか。これからも事故なく山の暮らしを続けていけたらと思います。

「お山の宿みちつじ」のプリン。きめが細かく滑らかで本当に美味しかったです。カラメルも美味しかったー!