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火事にあって思うこと

10月10日未明、隣の家が火事になった。

何時かは覚えていない。とにかく二人とも寝ていて夢うつつだった。大雨がトタン屋根を打つような激しい音に目を覚ました。何かの粒が当たる音もする。雹が降る季節でもないだろうに。まだ寝ぼけていた。次の瞬間、けたたましい足音とともに嫁が火事だと叫んだ。悲壮な声とはこのことだ。胸にビリビリ裂けるような痛みが走る。あたりは真っ赤になっていた。激しい音を立てて炎が上がっていたのだ。火の中に建物の骨組みだけが見えた。もはや自分でどうこうできるものではない。消防の番号を押そうにも緊張で目が霞む。ワンコールで繋がった。家々へ知らせに回った。皆寝静まっていた。喉が枯れて声が思うように出ない。指笛を使った。戻ると庭に火の粉が降っていた。粉ではない。熾の塊だ。芝生の方々で火が上がる。足で踏んで消して回った。とにかく少しでも火の勢いを弱めないと。火元へバケツで消しに行った。我が家とはほんの小道を挟んだ隣の納屋だ。水場とを2、3回行ったり来たりしただけで、息が切れて喉がカラカラになった。腰が抜けそうだ。隣接する工房のプロパンガスのことを思い出してコックを閉めに行った。爆発したらうちはおしまいだ。タンクが驚くほど熱くなっている。壁板も熱い。もう近づいたらいかんと声がした。

消防が来た。あと少し遅かったら工房も我が家も全て燃えていた。壁が燃え始めていること気づいた地元消防団の知人がこちら側に放水するよう指示してくれたのだ。じわじわ煙が上がっている板壁の一部からその時ポッと一瞬火が吹いたそうだ。それは、全面が燃え上がる前兆だった。

まめに草を刈っていてよかった。裏山の植林を伐っておかなければ山火事になっていただろう。隣家は納屋も母屋も全焼した。

数日経って、疲れがどっと出てきた。寝れないのだ。

新聞の報道に呆れた。火事の原因と考えられる籾殻燻炭の不始末。隣家は空き家だった、燻炭を作りその納屋においた当人は家の人に無断でそこを使っていた。事情聴取を受け、現場検証にも立ち合っていたし、警察にも消防にも、そして周りにも誰かは伝わっていることなのに、新聞は何を勘違いしたのか、家の人が燻炭作りをしていたと書いたのだ。しかし、翌日の朝刊に詫びも訂正という形も取られてはいなかった。誤解を解く内容ではあったが、前日の報道を詳しくしたという体であった。

社会とはそうしたものだ。と思うとやりきれない。今回の火事についても、責任を追求したいわけではないが、過失なところとそうでないところがある。うやむやのままでこれからどうなるのか、不安を覚えることもある。しかし、自分に何ができるというのか。追及することが必ずしもいい結果を生むとは限らないのだ。顧みれば、自分だって無茶をしてきた。人にどうこう言えたものではない。悪く考え出せばキリがないし、悪様に言えばそれは自分に返ってくる。自問自答を続けるうち、戦うべきは己のみというところに落ち着く。健全でありたいと思う。

 

 

 

 

 

石鎚参り

改めて今後の予定を考えると、この秋、私たちの山行チャンスはとても限られていることが判明。天気予報を見れば週末から当分天気は下り坂ということで、いよいよ悠長に構えてはいられない。石鎚へ。

裏参道と呼ばれている面河ルートは登山口から山頂まで1100メートルほど標高を一気に上がるので以前登った土小屋ルートよりも難易度は高いらしい。しかしその分、人が少なく、渓谷美や植生の豊かさで人気のようだ。怖がりな私たちとしても少しずつ山行を重ねるたび欲が出てきて、もっとボリュームがあって楽しめるルートに挑戦したい気運が高まっていた。切り立った断崖を何の確保技術もなく登りたいとは思わないけれど、なぜ自分達がこれほどまで山登りに引き込まれていくのか、日帰りからテント泊、初級とされるルートから中級、少しずつその先へハマる理由がわかる気がするのだ。

里山は、いかに暮らしに役立てるか、いかにお金に換えるか。だから、手付かずのというのはただ遊ばせている状態にしか映らない。そこもここも誰かの山であって、普段は自分が借りているごく限られた範囲にしか入らない。そこは手入れすべきところであって散歩するところではないのだ。支障木を伐り木漏れ日が差し込むようになったことを喜びはするが、頭は常に課題に占められている。

立派な木々に囲まれるとホッとする。しばし浮世を離れ、お山参りに来たということなのだろう。

とても手の行き届いた、目の行き届いた参道が続く。石段が積まれ所々木道が拵えてあり、朽ちた箇所には補修が施され補強され、危険なところにはロープが渡され安全を確保されている。人の善意を感じるからホッとするのかも。

今回の装備は下記の通り。

 

私(35ℓのザックに10ℓ外付けで約15キロ);二人用テント、グラウンドシート、銀マット、スリーピングマット、寝袋、衣類、水2.5ℓ、弁当1食分、生米6合、棒ラーメン4食分、缶詰1缶、他補給食、ビール500ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

嫁(30ℓザックの限界?キロ);ツェルト、スリーピングマット、寝袋、衣類、水1.5リットル、弁当1食分、パスタ2食分、肉味噌、棒ラーメン2食分、他補給食、ビール350ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

食料は何かあった時のために6食分。(一日目;昼と晩、二日目;朝と昼と晩、三日目;朝)他補給食。

重いので一歩一歩ゆっくり登る。道標に記されている所要時間はあまり参考にならない。

頂きが見えてきた。今回は手前で一泊し、翌日に目指す。今朝は3時に起きて弁当を作り、畑に水をやり準備万端7時まえに家を出た。池川から松山街道を経て面河に入る予定であったが、途中全面通行止めにあって引き返し、国道33号仁淀川町を経由して1時間ほどのロス。結局3時間かかった。今日は早めに休みたい。

16時前に本日の目的地、愛大石鎚小屋に到着。綺麗なテン場が拵えてあってとても助かった。草も刈られていた。

まだまだ慣れないテント張り。張りを調節する自在鉤のような部品をどう使ったらいいのか、あーでもなこーでもないと言いながら正解を探す。今更人に聞けないし、自分なりに工夫するのがアウトドアの醍醐味なのだから。胡瓜の支柱張りやトラックに荷を積む時に使っている紐やロープの締め方を簡略化するための部品なのだろうかと思い至ったところで解にたどり着く。これが楽しい。整えられたテン場のおかげでしっかり張ることができた。

もう一つあるテン場には星を撮りにきたというベテラン登山者の男性。必要最小限の荷物、手際良い設営。食事はそこそこにカメラ。野営という感じが楽しそう。気づけば石鎚の山が赤く染まる。

我が家は昨晩仕込んでおいたスモークチキン(鳥もも肉の塊を薪火で燻しながら焼いたもの)とショートパスタに嫁の肉味噌(茄子たっぷりを煮詰めたカレー風味)。そしてビール。一本でもあると嬉しい。

星空を楽しむ。メガネだとそもそもあまり見えないから、せっかくだけどそれなりにしか見えない。きっと満天。月は出ていないのに明るい。星で明るいのか西条や新居浜の灯りで明るいのか。

四時ごろに目が覚めて夜明けを待つ。コーヒーを淹れる。美味しい。これが楽しい。

明けるにつれ気温が下がるのを感じる。これもまた楽しい。

朝は昼の分も用意するため米を4合炊く。しかし、焦付きを恐れるあまり芯が残ってしまった。それとも時間を間違ったか。美味しくない。これは残念。これを昼も食わんならんのか。苦痛。

あまりにも美味しくないので水を加えてお粥にする。そうなると食べた後の飯盒も食器もえらいことに。ここに水場はないので、ザックに外付け。スマートじゃない。これも勉強と言い聞かせる。

撤収作業がもたつき出発は8時。しかしコンパクトなパッキングをベテランさんに褒められた。嬉しい。

15分ほど歩いて水場に到着。時間はかかってもしっかり洗う。アクリルタワシを持ってきて正解。汚れたままがあると他のものまで連鎖的に汚れてしまう。水場はありがたい。使い果たしていた飲水も補給。と、そこで嫁が気付く。ほぼ垂直な岩肌を流れる少なめの水。わたしが洗っているところだけ具合よく岩肌から離れて落ちているのだが、それが岩の形によるものではなくて、引っかかった落ち葉によって、偶然蛇口から流れる水のように落ちていたのだ。なるほど、道具とはかくなる物。岩肌を舐める水もそうやって何か適当なものを据えれば洗いやすく汲みやすくなるのか。これぞ山登りの醍醐味。

ああ、晴天。我、秋晴れを満喫す。

人で混み合っていた山頂はお参りだけを済ませて早々に退散。

11時前に出発。ここからひたすら下る。

何かあった時のためとはいえ、水2リットルを余計に担ぎ続けたのがいけない、足にきてしまった。水場での昼ごはんを終えてさて出発、担ごうとしたときにバランスを崩し谷に向かってつまづいた。その拍子にあろうことか、近くにいた嫁の足を踏み蹴ってしまったのだ。うずくまる嫁。

足首を捻挫させてしまったのか。なんということだ。持ち上げようとした15キロの荷物、重い登山靴。自分はバランスを取るために必死で、踏ん張りがきかないとはこういうことか、ザックを支えに数歩、谷へ頭から落ちずに済んだものの嫁を巻き込んでしまった。登山口までまだ半分以上、4時間以上ある。

押さえている箇所に表立った傷は見当たらない、嫁は少しづつ落ち着きを取り戻し痛みはマシになってきたという。しかし、すごい重みだったようだ。腫れはない。歩けそうという。うむむ。すまない。

しばらく歩いて、テント泊した場所へ到着。どうやら大丈夫のようだ。よかった。しかし、二人とも確実に疲れている。

焦らずゆっくり、いざというときはもう一泊すればいいとはいうものの、ふとした瞬間足が思うように上がっていなかったり、踵が下手に着地したり、たびたびバランスを崩しそうになる。最後の水場に来た。15時。あと2時間ほどの地点。今一度集中できるように、コーヒーを淹れて気持ちを切り替えよう。コーヒーが、カフェインが、体に染み渡る。最高に美味しい。塩羊羹がうまい。

ここから段差のある石段の下りが始まる。

そして、また、転けそうになってしまった。2本のストックでなんとか支えられたもののひやっとした。もういかん。水を捨てよう。のこりはあと少しだし迷うような道ではないからここまできてビバークはないだろう。肩が圧迫されてか、寝不足からか少々頭が痛い。心なしフラフラする。2リットルを捨てる。担ぐと驚くほどに軽い。血流が通った感じがする。馬鹿らしいくらい軽い。どら焼きを食べた。そして、トレッキングポールをしまうことにした。まだまだ使いこなせていないというのもあってつい力んでしまうし、石段とは相性が悪いように感じたのだ。段差のきついところは手をついて体全体を使い局所への負荷をできるだけ分散させるように、そして自分のペースでリズムを作り少し速めることにした。大分楽だ。

嫁が作ってくれたクルミとひまわりの種を炒ってドライフルーツと合わせた特製補給食を食べた。塩が効いていて美味しい。なんとかいけそうだ。すまんが嫁のペースに合わせる余裕がもうない。とにかく自分のペースを取り戻して転けないことが大事。先を行っては追いつくまで待つのを繰り返す。嫁も余裕がない。黙々と歩く。

17時半無事、揃って鳥居をくぐり下山。ありがとうございました。

あとは駐車場まで川沿いを歩く。

18時過ぎ、駐車場着。ヘっちんを着ければいいのにもはやそれを取り出す余裕もなかった嫁。そういう時こそ危ないと思うのだが、、、ちゃんと見えているか私もへっちんを消して歩いた。まあ、なんとか見えた。

18時半出発。ここから家まで3時間か。遠い。普段のスピードに反応がついていかない状態なので、ゆっくり走った。

21時半、帰宅。ヘトヘトだ。

また来たいと思う。しかしスケジュールを見直す必要があるし、米をはじめとして水と燃料をたくさん消費する食材については考え直す必要がある。(朝米を炊くのは3合で十分)

我ながら危なっかしい山行であった。改めて行程を振り返ってみる。行動時間と休憩時間を合わせた時間と、地図に記載されている参考タイム(休憩時間は含まれない)を比較すると、

1日目:家から登山口まで3時間30分、登山口からテント場まで5時間15分。行動時間3時間25分(参考タイム3時間40分)

2日目:テント場から山頂まで2時間35分。行動時間1時間55分(参考タイム:1時間20分)、山頂から登山口まで6時間45分。行動時間5時間(参考タイム:3時間10分)、登山口から家まで3時間半

2日目については全ての行程を合わせると12時間45分。無茶なスケジューリングだ。食料は米2合、棒ラーメン6食分、缶詰1缶、他補給食ちょっとが残った。水場は2箇所あり、行動時は500mlの水筒分で十分足りた。

では次回、二泊三日のスケジュールにするのか。前日入りして登山口近くのキャンプ場で一泊。1日目に山頂まで行って折り返し、愛大小屋泊。二日目にそこから出発すれば15時には下山できるし、帰りは温泉に浸かれる。

工石山へ

春から続く緊張でいよいよ息切れしてきたころ、金木犀の香り、朝のひんやりと澄んだ空気が山行を誘う。気づけば4月の終わりから一度も行ってない。登山口まで家から10分なのが嬉しい。

晴れ渡る空

リンドウの花が迎えてくれる。

白鷲岩とはよく名付けたもので、鳥の背に乗っているような気分。眼下一面に景色が広がる。高くて怖い。私たちの間ではネバーエンディングストーリーのファルコン。

正面に見えるのが石鎚山かな。今日はその石鎚山へ登るための脚慣らしで、ザックの重量は15キロ弱。いい運動になった。嫁は初トレッキングポールに手応えを感じた様子。弁当も美味しかったし、木漏れ日の中、とても清々しい山行であった。

 

#40歳を過ぎたら体力づくり

大雨になると湧き水も濁って仕込みができません。というわけで身体のメンテナンス。休むのも仕事のうちです。

日々、草刈り機を使ういく農園。土を作るためにも、畑を管理するためにも、家の周りから裏山まで暮らしを維持するためにも、とにかく刈らなければ何も始まらない。農機屋さんのそれなりに値のはる草刈り機を4、5年で一台使い潰す負荷と使用量です。刈り草の細断に使うようになってからより消耗が激しくなり、今使っているものは3年目でガタが出始め、あとどれくらい持つのか分からない状態。同じように負荷を受けている自分の身体は大丈夫なのかしら。

振動を受ける手はまるで遠心分離器にかけられているよう。そして繰り返される捻れ運動、その負荷がどうしても膝に集中してしまいます。深刻な血行障害にならないためにも、膝周りを強化するためにも、また骨盤の歪みといった身体の偏りを整える上でも自転車はとても有効だと感じています。

19歳の夏、北海道の酪農アルバイトで体力のなさを痛感した私。一輪車いっぱいの餌運び、牛舎の掃除、大きなフォークで重いサイレージをトラックに積み込んだり、乾草をやったり、憧れの仕事を嬉々としてやっていたのに1週間で熱が出て身体の節々が痛くなりミルカーさえ持てなくなったのでした。将来農業で食べていきたいならこれではいかんということで始めたのがロードバイク。後から気づいたのですが、前傾して乗る姿勢が農作業における中腰に通じていて、痛めない姿勢を身につける上でもとてもいいのです。

とはいうものの、ロードバイク自体、乗りこなすのが難しい。力みのないバランスの取れた動作や姿勢を身に付けるのはなかなかです。10年以上のブランク、再開した当初はかえって膝が痛くなり腫れることも度々だったので、果たしてこのまま続けていいのか不安になりました。かつてはどう乗っていたのだっけ?100キロ、200キロ、なんの不安も故障もなく乗れたのに。一年以上かかったでしょうか、改めてセッティングやフォームなど見直すうち、筋力もついてきたようで、時には痛むものの大丈夫かなと思えるようになってきました。そして気づけば草刈り機による膝の違和感も随分改善されました。知らぬうちに随分と落ちていたものです。

できるだけ脱力して重心を意識し、股関節周りから骨盤、肩甲骨がスムーズに連動するようペダルを回転させる。調子が出てくると、より前傾しても動きの中でバランスが取れるようになる。サドルにもハンドルにも体重をかけず、頭の重みもペダルに乗せて回転数を上げてゆく。ふくらはぎは第二の心臓と言われるそうで、血液が全身を巡りとても心地よい。汗が大量に出ます。

いわゆる筋トレはほとんどしません。筋肉のどこを使っているか意識してやるそれは、いかに力まず楽に量をこなせるかという実際の仕事においてはかえって厄介な癖をつけてしまうからです。

 

カブトムシ

積んでおいた刈り草の中からカブトムシのサナギがたくさん。図鑑でしか見たことなかったけど、本来はこれくらい身近なものなのだろう。

ふたたび矢筈山へ

前回いろんな思いを抱えて登った矢筈山。

またこうして来られたこと。かけがえのない時間。

適度な運動と良質な睡眠が健康の秘訣ならば、そのために時間を惜しむことがあろうか、いやない。

年齢を重ね、身体と相談しながら仕事を進める日々。以前なら一気にできたことができない。もどかしくもあるが、落ち着くべきところに落ち着いた感があって、悪い気はしない。「ごとごと、休みもってやりよ。」とお年寄りからはよく言われたものだけれど、ただ、そう言われるままに、下手な怠け癖をつけなくてよかったとは思う。

前触れもなく攣りそうになる脇腹、足の裏。自分なりに気を遣っていても疲労が溜まれば痛みだす腰や膝。身体が正直に反応することは悪いことではない。幸運なことにヘルニアだったり水が溜まったりというところまでは行っていない。

10時に登り始めて17時すぎ、無事に下山できました。かつてうどんを啜った茶屋がここにありました。残った基礎がなんとも小さくて、狭くて、たしか座敷まであったはずだけれど、、、なんだか狐につまされた気分。何年前の話と聞かれれば、15年ほど前?

鬼の棲む山と云われた稲叢山へ

作付けに追われる中そろそろ息抜きもしないと、というわけで春の息吹を感じる山へ。平家の落人伝説が残る稲叢山。かつては人を寄せ付けない深山だったところが、ダムの建設によって身近に。学生時分に自転車できたことも昨日のようです。が、それももう20年前のこと。

(2000年版ツーリングマップル)

住んでいた高知市朝倉から鏡村を越えて瀬戸の集落へ。帰りはどの道を通ったのか忘れてしまったほど、何気ない日常のことであまり遠いとも思ってなかったのが今では信じられない。昨日、地図を広げたとき、老眼のはじまったことを知る。こないだ知らない男の子に満面の笑みでおじちゃんと呼び掛けられたけれど、もはや否定する余地のない程に自分はおじちゃんになったのである。

思わず深呼吸したくなるような水辺。

どこまでも続く山々の連なり。個人がそこで暮らそうと思えば今も依然として深く険しい。

無事に下山できました。

明けましておめでとうございます

 

(工石山、北の頂から)

お陰さまで今年も年を越せました。

久しぶりに会いたいなと思っても会えない自粛する日々。マイナス7度それ以下の寒波が来るというので急いで里芋に刈り草をたっぷりかぶせ、薪や焚き付けを補充し水道の元を整えたものの、穏やかに晴れた正月三ヶ日でした。Q太郎もちぃ坊も方々でご馳走にありついたようで余裕があります。

当分、天気は安定する模様。嫁の方は手術の痕が時々痛むものの、だいぶん動かせるようになり、いよいよザックを担いでみようということになりました。市民の憩いの場である工石山には親子連れも。いいですよね、そういう正月の過ごし方。

今回の装備もいつものように、たとえ日帰りでも一泊分を用意しました。35リットルのザックにテント一式と寝袋。飯盒とバーナー一式。3食分の食糧はおにぎり、棒ラーメン、缶詰、生米、その他携帯食。水は1.5リットル。寝袋は相変わらずのペラペラなので、服を着込んで対応することに。

トレッキングポール は膝を痛めないためには必須だと思うようになりました。これからたくさん登りたいし、縦走やもっと重い装備になった時にはいずれにしても欠かせない。使い始めるとその理にかなっていることに感動します。四つ足動物になった感じ。足の歩みにどう連動させるか探っていくと自転車にも通じているところがあって面白い。上りも下りも自然と爪先荷重になるので膝がブレない。疲れにくい太腿の後ろ側と臀部を意識して使うことさえなくなった。歩くという概念が変わり、歩ける距離が飛躍的に伸びる予感がします。

山頂で食べるごはんはやっぱり美味しい。しかしおにぎりが冷たくて食べると身体が中から冷えてきて、たまらずお酒が欲しくなる。実は御神酒用にワンカップのさらに小さいものを忍ばせておいたのです。イワシの缶詰を開けてちびっとやる。これもまた山の楽しみ。5年後になるか10年後になるか、いつか雪山に登れるようになりたいなぁ。

南の頂からは土佐湾と広い太平洋、そして馴れ親しんだ高知の街が望めます。ここで淹れるコーヒーは格別。かつては羨ましいとさえ思っていなかったこういった一つ一つが、こんなにも楽しくありがたいと感じるようになったこと。はまる人がいるわけだと思う。

 

日常に戻ります

術後の病理検査の結果、嫁は浸潤性乳管癌という診断になりました。ステージは1。浸潤性とはつまり転移の可能性があるということ。但し、浸潤は摘出した腫瘍内に収まっており、周囲1センチの正常な組織にガン細胞は検出されなかったということでした。今後の治療としては再発を抑えるべく、週5日×5週(つまり25回)の放射線照射と5年間のホルモン療法(女性ホルモンを抑える薬の服用)が標準とのこと。

非浸潤という結果であったなら、放射線治療もホルモン療法もやらないと伝えていたのですが、「転移の可能性がないとは言えない」というとても微妙な診断であったため、改めて癌について、そして放射線治療とホルモン療法について私たちなりに理解してから決めたいと思いました。そして、1週間ほど猶予をいただいたのち、いずれの治療も受けないことにしました。幸いだったのは、その方針はありだと思いますよと担当のお医者さんが肯定してくれたことでした。突き放されるのではなく、そう決めたことについて後ろめたく思う必要はないですよと言ってもらえた時は、何だかほっとしました。これからは3ヶ月ごとの血液検査で引き続き様子を見ていただけるとのこと。

改めてこれまでの経緯を覚え書き程度に説明しますと、9月に入った頃、何の気なしに触った嫁の胸にしこりを見つけたことから始まります。

まずは最寄りの病院へ。受診する診療科は週一回しか診察日がないので見つけてから何日も経ってしまいました。焦れた想いを抱えつつ診察を受ける。しこりというよりも元々乳腺が硬いそれなのだろうけど、気になるのであればどこか乳腺外科を探したらいいとのこと。唖然。

9月中旬、改めて高知市内の乳腺外科へ。確かにしこりはあるとのこと。マンモグラフィー、超音波検査、細胞診。結果は2週間後。

9月下旬、検査結果。より詳しく調べなければ判らないとのこと。大したことないだろうとタカを括っていた私は少なからぬショックを受ける。にしても、わからないとはどういうことなのか、私にはそれさえわからない。

10月上旬、3日に渡って、MRI検査、組織診、消毒。検査それ自体が身体に負担を与える。造影剤を注入の上30分から1時間近く高い磁場にさらされるMRI検査。吐き気に苦しむ。組織診は細胞診と違い、部分麻酔の上、3ミリ皮膚を切って太い針でもって組織を採取する。出血もそれなりに。1週間後に結果が出るとのこと。

10月中旬、告知は午後に行っているというので行けば私たちのような夫婦連れと、いつもより静かな院内。それぞれが深刻な面持ちで距離をとっている。あぁ、何ということだろう。嫌が応にも緊張が高まります。そして、私たちは乳がんであると告知されました。血液検査による数値のいろいろ、手術は部分摘出か全摘か、そして、術後には週5日を5週の放射線治療と5年間のホルモン療法をすることが標準であると伝えられました。淡々と話が進むなか、呆然としそうになるのを切り替えて説明を聞こうとするのですが、言葉がなかなか頭に入ってきません。嫁は十分に覚悟していたようで、しっかりと聞いて質問もしています。大したものだなあ。看護師さんが別室で(カウンセリング?)今後のことで何か聞きたいことがあればというので、大まかに費用はどれくらいになるのか聞く。しかし、想定外の質問だったようでかえって困らせてしまった模様。あまり要領を得ない。費用はいくらかかっても構わない、なんて言えないから多少なりの心算として訊いているのだけれど、、、(高額医療費制度があることを他で知る。)

手術の日取り等相談。手術は約1月後。

10月下旬、CT検査。造影剤の副作用で吐き気と目まい。数日続く。しんどそう。

手術前カウンセリング

11月中旬、手術。(入院から退院まで5日)術中検査の結果、リンパへの転移はなし。摘出したがん腫瘍とその周囲1センチを病理検査へ。結果は4週間後。

経過診察。消毒。

12月上旬、診断結果。「非浸潤性、ステージ0」であったこれまでの診断が、「浸潤性、ステージ1」に変わる。

1週間後、改めて放射線治療とホルモン療法を受けない旨伝える。

 

ここまで約3ヶ月間、通院等に18日、市内に通うことになりました。その間、畑の方は9月上旬の種まき後、穂紫蘇の収穫と仕込み、ネギやニラの手入れ、生姜の土寄せ、ニンニクの植え付け、里芋の土寄せ、人参の草取り土寄せ、玉ねぎの定植など、取るもの手に付かずとなりながらも畑に向かいました。そうして10月も中頃になり順調に発芽していた葉物や大根、カブなどの草取りと間引きをしに行くと不織布の中で虫が繁殖しすでに致命的な状態。もう、嫁のことに専念した方がいいと思いました。これからのためにとはいってもこれからがいつまであるのかそれもわからない、そんなふうに考えてしまっては自分で足下を崩すことになりますが、とにかく今は貴重な二人の時間を第一にしたい。一緒に山登りしたこと、ビバークした晩のことは手術に向かう嫁を大いに力づけたようですし、私としても前向きな気持ちになるいいきっかけとなりました。

何事もそうだと思いますが、治療についてもどこまでを自分はよしとするのかとても判断の難しいところです。図書館で借りてきた数冊の限られた本。そこに書かれている言葉をどう理解するか、これまでの知識や経験、そして自分の拠り所である農業に置き換えて考えてみる。安全だというその根拠に納得できるのかできないのか。副作用については大丈夫という理由がそれを抑えるための薬があるからだなんて、、、どこまでが病気による苦しみで、どこからが薬の副作用による苦しみなのかわからなくなってしまうのではないか。予防すること。再発の可能性を数%でも下げること。その数パーセントの違いは決定的な違いなのか。わからないことばかりです。本を読み進めるうち気づけば、自分ならこうしたくないという選択の後押しとなる言葉を探す作業になっていました。

明確な外的要因がなくともがん細胞は一定の年齢を越えると誰の身体にも発現している。その真偽はさておき、体の免疫力を高めること、健全な生活を習慣づけること以上に自分達ができることはないというところに落ち着く。やはり、単純な答えなんてない。だから考えようによっては、今回の結果にもっと喜んでいいのではないか、早期発見できたことで悪性ではあったもののギリギリ間に合った、手術も成功した、それで十分と言えるのではないか。再発という重苦しい不安は放射線治療をしてもホルモン療法をしても完全には消えないし、そればかりか私達は新たな不安を抱えることになる。どういう心構えで生きたいか。いかに前向きに生きるか。置かれた状況は人それぞれ、誰においても当てはまる正解なんてないのだし。

思いが定まり、また一つ大きな壁を乗り越えたという嫁の晴々とした顔が何よりです。よかった、これでよかった。

里芋、生姜、人参は無事収穫を迎えました。

 

ちぃ坊は少年から青年へ。いたずらっ子ですが食が細く、Q太郎兄いの野太さには敵わない様子。

氷点下の工石山へ

また山登りがしたい。そんでテント泊したい。すっかりその楽しさを知ってしまったいく農園。我らの裏山、工石山へ。

寒風吹き荒ぶ一夜。外へ出ればたちまち歯が噛み合わなくなるほど寒い。風邪引きそう、、、

寝袋にくるまり足はザックの中へ。私のシュラフは冬用ではないのでしっかり着込みますがそれでも寒い。上半身あたりのダウンがペタンコ。嫁がシュラフカバーよろしくツェルトをかけてくれました。が、これが大変、しばらくして気づくと結露でシュラフはベチョベチョに。それほどまでに断熱性を失っていた私のシュラフ。とにかく寒い、体の発する熱と失われる熱がギリギリ均衡を保っている感じ。嫁はほとんど寝られなかった模様。

しかしそうまでしてでも、美しい朝焼けを拝めれば、なんとも幸せな気持ちに。

一六タルトと淹れたてのコーヒー。嵩張るドリップポットはやめて、手持ちの保温ボトルでドリップ。湯は飯盒で沸かす。必要最小限をぴったりパッキングできるのが嬉しい。ベンチにはキラキラ氷の粒。

一泊できる装備を今のところ私35リットルと嫁30リットルのザックにまとめてますが、この気温までが限界かも。

土佐の海岸線が光ります。

小一時間歩いて河原に到着。仕込んできた肉味噌を和えてパスタの朝ごはん。水場があるところでは米を炊きたいけれど、限られているところでは少ない水で済むパスタが便利。「ソロキャンにオススメ!」と書かれたポップに踊らされ、水量豊富な川原で米を炊かないことに。まあ、今後知らない山へ行くための予行練習です。