今年も数量限定ですが仕込みました。
投稿者「ikufarm」のアーカイブ
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渾身の新作できました
休み
市内への出荷の帰り、海に寄ってきました。
ちゃぷんと浸かり、仰向けになって広い空をぼんやり見遣る。自分の息遣いと耳に当たる水の音しか聞こえない。人が本当に脱力出来る瞬間は水に浮かんでいるときくらいかもしれない。寝ているときでさえ常にどこか局部で支えなければならず、草取りでしゃがむときはなお更、なんて体は重たいんだと思う。ふと我に返り、沖に流されてないか居ない筈のサメが現れないか不安になってばしゃばしゃ浜に向かって逃げ泳ぐ。嫁が不安な目でこちらを見ている。そんなアホな一人遊びが僕にとっての休みです。
休日といった休日はほとんどないけれど、日常の中に時々ほっとできる瞬間や何か他のことに熱中する時間を持つこと、休むことも仕事のうちだと改めて感じています。
畑のようす 8月下旬
背丈を超える紫蘇。今年も期待できそうです。(仕込は九月中旬の予定)
キュウリが終わり、冬野菜の種蒔きに気持ちを切り替える季節になりました。その一方で最盛期を迎えるナスや万願寺とうがらしの仕込みを進めていきます。
生姜は日照り続きで水不足ですが何とか芽を増やしています。
ここで、残念な報告をしなければなりません。
期待していたトマトが、相次いでカラスに食べられ、青枯れ病にかかり、もはや一定数量の秀品を見込めなくなったため仕切り直しすることにしました。しかし、カラスとは思ってもみませんでした。色づいた実だけでなく青いものまで食べられ、そこらへんに転がされている姿は何ともやるせないものです。仕立て方を今一度見直す必要があります。いくら敷き草を厚く敷いて、実が土に触れていなくても、トマトは虫に食べられることもわかりました。来年、やり方を変えて、また挑戦します。
それにしても、鳥獣害が毎年ひどくなってきているように思います。耕作放棄地が増え、猟をする人が減ってきたからでしょうか。辺りの田んぼでは穂が付き始めています。充実する前の甘い乳液をイノシシは好んでしがむらしく、田んぼに隣接する休耕地が藪の状態ではその温床となるので草刈りを急がなければなりません。
畑のようす8月上旬
旧別子銅山へ
立松和平氏の「恩寵の谷」という足尾銅山を舞台にした小説を読んで以来、念願だった旧別子銅山に行ってきました。
大川村から越える峠も本山町の汗見川を上っていく峠も通行止めになっていました。地図で位置関係を見れば別子は土佐町の隣の隣になるのですが、やはり深い山を越えるのは相当困難のようです。
自分たちが暮らしている四国山地がどんなところなのか、そして、かつてこの谷にあった人の営みは、、、
10年、20年で世の中は大きく変わる一方、記憶はいいかげんで、ともすれば都合のいいように書き換わってしまう。世間とはどういうものなのか、過去に学ばなければと強く思います。私が学生の頃はまだ、「自分探し」のためにフリーターをする話をよく聞きました。運送会社で働き、仕事を掛け持ちすればそれなりにまとまったお金が入るとか、機器メーカーの工場アルバイトの時給は結構いいから稼げるとか、いざとなればマグロ漁船に乗ればいいとか、資格を取って派遣社員というフリーランスになる、それがいけてるとか、そんな、バブルの余韻と就職氷河期の深刻さとが混濁し、現実を見えなくさせていました。本当にやりたい仕事を見つけて、身につけるべきを身につけ、積むべき経験を積めなければ、いつ路頭に迷うか分からないという不安と焦りが「自分探し」を過熱させていた部分はあったと思います。
しかし、ひとつひとつの選択のその結果がまだ出ておらずとてもふわふわしていました。後に派遣労働や貧困が社会問題となり、その実態を映したドキュメントを見て、とても他人事とは思えませんでした。就農資金を稼ぐために、工場の派遣バイトをしようかと思ったこともあったのです。
旧別子銅山は江戸時代の元禄の世に開坑されたそうです。何世代にも渡って鉱山で生きてきた人たちもいたでしょうし、路頭に迷い流れた果てに鉱夫にならざるをえなかった人もいたことでしょう。入口を少し登ったところに無縁仏のお墓がたくさんありました。
気の遠くなるほど積まれた石積みを見ていると、使う人と使われる人がいた残酷な事実に、なんとも言えない気持ちになります。しかし、それは形は変われど、今も確かにあるのではないでしょうか。
だからこそ、自分の意志で決められる事があるなら、どちらか選択する余地が残されているなら、与えられた価値観を見直し、信念を持って自分の人生を切り開きたい。私は選挙にはもちろん行きますが、選挙活動やデモに参加することだけが唯一の政治参加とは思っていません。むしろ、何を仕事にして生きるのか、日々の消費行動において何を選択するのか、徹底できなくてもひとりひとりが譲れないところをもつことだと考えています。
どことなく硫黄の匂いがし、岩肌が酸化鉄らしい色をしています。この谷沿いに多くの人が暮らしていたんですね。
畑のようす6月下旬 梅雨まっただ中
ズッキーニは終盤に入りました。晴れた日は数えるくらいでしたが、しっかり収穫できました。
こちらは試験的に育てているトマトです。日照時間は長いものの、雨の多い高知県では基本的にハウスで栽培されています。それを露地で育てるため、梅雨にも台風にもなんとか耐えられる方法はないか模索中です。普通は脇芽を取って一本仕立てにするのですが、梅雨の最中にそれをすると明らかに良くないのがわかります。なので、実のつきは悪くなるでしょうが、途中から脇芽を取らないようにしています。そのぶん、茎から出る根も活かすために、支柱を立てて上に伸ばす事もしていません。
そうすると、ただの伸ばし放題となり、陽当たりや風通しを確保することも、どこに実がなっているか、木がどのように伸びているか、把握し続ける事も難しくなります。気がつけば草に呑まれ、足の踏み場もないという状態にならないようにしなければなりません。
それでも、トマトこそ、露地にこだわりたい。梅雨を乗りきった時、陽射しを存分に受けて自由にのびのびと育ったトマトを食べてみたい。トマトを使ったピクルスもある程度レシピは固まっているので、ぜひお届けできるようになりたいと思っています。
キュウリは収穫が始まりました。
3メートル弱の竹を組んで支柱にしています。これだと台風が来ても大丈夫ですし、キュウリが成長しても、その重みをしっかり支えてくれます。
こちらはコリンキー。直播です。草に埋もれないよう、また、実が土に直接触れて肌が荒れないよう、刈草を厚く敷いています。これから伸びる先にも近々刈り集めてこなくてはなりません。
万願寺とうがらしと鷹の爪も順調です。
他にも、オクラの種蒔きやナス、ピーマンの植え付けも順次進め、残すところは白ネギの植え付けとなりました。
梅雨時期は日照不足となりますが、そのぶん、一旦気温が下がり、高温に弱い大根やキャベツも成長できるようですし、植え付けたばかりの苗や、生育初期の作物も楽に根を伸ばすことができて助かっているようです。