苗立てが始まりました。今年は床にたっぷり落ち葉を敷き詰めました。
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にんにくの手入れ
新しい畑
農地の集約〜10年目の畑を手放す〜
年が明けて、決めたことを順次進めています。
先ずはじめは、隣町にある畑、約2反を返すこと。不耕起栽培においては年を重ねることでしか、肝心となる効果を期待することはできません。そして、かける年月をより効果あるものするには尚更、畑作りを入念にする必要があります。10年間そこに注いできた労力も思い入れも軽いものではなかったのですが、しかし一方で、先行きを考えれば条件的に問題があり、できるだけ早く手放さなければならないという矛盾を抱えてきました。畑の実力が作物の品質を決めるので、作付けする以上、全精力をかけるしかないわけです。今ではほんとうに穏やかないい畑になり、いよいよこれからというところでした。将来のことを考えて決めたことではありますが、その出来具合を見ると、やはり割り切れない思いは残ります。
独立当初は雨漏りのする町営住宅に住み、条件が悪くても声をかけてもらった土地から借り受けていきました。空き家も農地も限られていて贅沢を言える立場でもなかったからです。人家の庭のような土地を借りたこともありましたし、地代と維持費用を賄えなくなって返したビニールハウスもありました。経営の方向が定まっていなかった頃の話です。
土佐町に土地つきの家がようやく見つかり、町営住宅のあった街から農村部へ。畑には片道20分かけて通うことになりました。永い年月空き家になり放棄された後の片付けや薮の伐採からはじまる新たな畑作り、消防団や地域の用事に手を取られるようになり、管理すべき土地を持て余すようになった頃から、断るべきを断り、いずれかを手放さなければ身が持たないと感じるようになりました。
そうして、依然、主軸とする畑を隣町の二つの集落に分かれてそれぞれ2反、隔年で栽培してきたところ、作年の春に一方の大半を猪に荒らされ、作付けをとりやめざるを得なくなったのです。暮らす集落以外に農地の担い手として複数の集落に属することの難しさ、今後の獣害対策を考えるにしても、農地を集約しなければ目処が立たないこともわかりました。急遽、家周りの畑を主軸に替えるため、刈り場から草を運ぶ軽トラを借金して買い、かねてより隔年から通年栽培へ試験を続けてきた結果にもある一定の自信を持てたので、ようやく手放す決心がついたのでした。この10年間にいろんな出来事があり、あらためて仕事について、進むべき方向について考えさせられました。家も土地も儘ならないものですが、住んで都と成すべく、今後も全力を傾けるでしょう。その上で満足な仕事ができるよう、経営規模をよりコンパクトにする方向に定まりました。
先日、地主さんにお伝えしたところ、快く了承して下さいました。これから順次草を刈って土地をならし、終いをつけて返します。何かを得るためには何かを捨 てなければならない。しみじみしますが、とても晴れ晴れした気持ちでもあります。これからは、管理すべき土地に追われることなく、じっくり畑仕事を楽しめ るようになるのですから。それに、振り出しに戻ったわけでもありません。家周りの畑もまた、じき10年を迎えるのです。
思えば新規就農してこのかた、いかに本業に専念できる状況を作るかを考えてきました。日々の暮らしに追われ、ともすれば本業から逸れそうになるところ、時には立ち止まって考える時間を持てるようにするには、やはりそうなるよう、ひとつひとつよく考え決めておかなければならない思います。借りている家や土地のこと、地域との関係性において解決すべき問題は思いのほか多く、一朝一夕で片付くものではありませんでした。本業においても、岐路にあるとき、必要ならば幾度でも断り、進む道を明確にしていなければ、今頃望まないところへ流され身動きが取れなくなっていたと思います。世間が言うように、拘らず流れに身を任せれば思いもよらない運が開けるというようなことは、数々の出来事を経て、少なくとも私たちにとっては違うとはっきり言えます。そもそも、その流れに実態はあるのか。確固たる意志もなく、誰も彼もが乗っかろうとして、本来そこに見出された核心を既に失なってはいないか。もしくは、お互いの足を引っ張る澱みになっていないか。用意された言い訳に便乗し、考えることをやめてしまってはならないと思います。やはり、続けるという事は大変で、いろんな問題を乗り越えなければならないわけですが、だからこそ、確かな積み重ねを感じられたとき、また進もうと思えるのかもしれません。
それからもう一つ、地域の寄合の席でお酒を飲むのをやめることにしました。返杯が果てしなく続く高知独特の慣習に呑まれ、これまで幾度も後悔してきましたが、身体が資本、40歳手前となってはこ れ以上、無為に擦り減らすわけにはいきません。日本酒を断ってビールで最後まで通したり、途中で抜けたり、お茶を挟んだり、いろいろ試行錯誤してきたのですが、 会計という役が付いて途中で抜ける事ができなくなったり、こちらから酌をして受けて廻らなければならなかったり、中途半端なことでは断れなくなったのです。年が 明け、小部落の人にまず伝えて協力をお願いしてきました。それでも、より大きい括りとなる部落の集まりや祭りとなれば、定着するまでその度に断り続けなけ ればならないとは思いますが、通すつもりです。これもまた結論を出すまで9年近くかかりました。しかし、晴れて結論が出たこと自体がよかったのです。
畑のようす〜11月上旬〜
畑のようす~7月下旬~9月上旬
圧倒されるほどの獣害から始まった今シーズン。作付け予定地を大幅に変更することになり日程的にも体力的にもギリギリな中、向こう4年間受けることになった部落会計の仕事や伐り倒した支障木の後始末などがあり、ピクルスの仕込みと畑仕事のリズムを作るのがなかなか大変でした。地域と向き合うことのむずかしさを実感することはしばしばです。自分たちの暮らしをより良くするために何か事を動かせば、波風はどうしても立つものなのかもしれません。しかし、いずれにしても乗り越えなければならなかったことであり、今後を見直し前進させる節目の年となりました。
結果的に、ものによっては例年よりも仕込数を減らす、もしくは仕込めないものもありますが、なにとぞご了承ください。
キュウリや生姜は例年通りです。冬作はペースを持ち直すよう、人参や大根、蕪などの種蒔きを順次進めています。
軽トラ効果で敷き草をたっぷり、調子よさそうです。
畑のようす~6月上中旬~
6月に入りいよいよ春の作付けが大詰めです。キュウリの支柱建てが急がれる中、その前にオクラの種蒔き、梅の収穫前の手入れを進めています。
ズッキーニについては植え付け後、はじめて虫除けの不織布を掛けずに通しました。瓜バエが執拗について初期生育が伸び悩み、株によっては消えそうなものも出ましたが、大方は何とか乗り切れたようです。近在の農家さんは肥料袋で囲って防ぐのですが、うちは肥料を買わないので適当な囲い資材がなく、高くはつきますが不織布をトンネルがけしてきました。しかし、不織布は獣や虫の影響もあって劣化しやすく、また、竹を割ったトンネルとの相性が悪い(引っ掛かって破れやすい)こともあって、使わなくていいのなら使わないようにしたいと考えていたのです。キュウリも同様に掛けなかったのですが、畑と苗の状態がよく、植え付け後スムーズに活着したこともあって殆ど停滞せず、瓜バエに葉を食べられるよりも生長する勢いが勝った感じでした。
白ネギの苗はセルトレイに蒔いて発芽を安定させ、葉が二枚目に代るころ苗床に移植しました。ここでもう少し大きくしてから本圃に植えつけます。このやり方が今までで一番理にかなっている感じがします。手入れもやりやすく、苗ものびのびと育っています。
植え付けのやり方も変える予定で、当初は管理機で畝の真ん中を割り、一条で植えていましたが、不耕起の利点を生かせていないと感じていました。そこで、昨年は平スコップで2条、畝を切るように溝を掘りました。その作業は草の根や株を切るのがなかなかハードで、土が堅かった事もあり、苗の定着もよくありませんでした。今回は苗を必要ならば更にもう一度、段階を分けて大きく育て、本圃には何か適当な物で穴をあけて一本一本植えていくつもりです。
鷹の爪は既に植えましたが、その他の果菜類、ナス、ピーマン、万願寺とうがらしの苗は順調に育っています。ナスは一番果が付き始めているので、今週が定植適期になります。
にんにくの収穫は無事に終わりました。しばらく雨は降らないようなので、しっかり乾かせそうです。
こちらは生姜と紫蘇の畑です。生姜はもうじき芽が出てくるので草刈りと敷き草を急がなければなりません。
春キャベツも順調に育っています。
畑のようす〜四月下旬〜
ズッキーニを植えました。ここは昨年紫蘇を植えたところ。奥の藪が片付いて居心地がほんとに変わりました。
その下の段に今年は生姜と紫蘇を植えます。ここに管理機を入れるのは初めてです。5年前に一度オクラを育ててみましたが、まだ奥の藪を伐り払う前で日照量が足りず、実が思うように着いてくれませんでした。いずれ手前の藪も片付けていかなければなりませんが、生姜や紫蘇なら大丈夫のはずです。
草の根や竹の地下茎が強く、また、大きな石がゴロゴロ出てくるため、管理機では殆ど上がらず結局は鍬仕事になりました。例にもれずかつては田で、トラクターによって土が縁に偏りすり鉢状になっているので、それを直すために手箕で何度も運ぶのは骨の折れる仕事です。しかし、こうして歩いて通える畑が整っていくのはなんともうれしいものです。
畑のようす〜四月中旬〜
春の作付けを前にいろいろありますが、それはそれとして、種を蒔き、畑の準備をし、植え付けも始まっています。
昨シーズンの新作、「Hot Dog stuff」をいよいよ本格始動する為にキャベツを植えました。苗は本葉3枚でベストな状態、畑は人参後です。植え付け後一週間は目が離せません。雨の日以外は毎日、20リットルタンクを6つ分、ジョウロで水を遣ります。防虫の為にこれまでは不織布を使っていましたが、獣に穴をあけられ劣化も激しく2年そこそこしか持たないので、ネットに切り替えました。値段は倍しますが、通気性も透光性も俄然よさそうです。
キャベツの上段にはにんにくです。これまでは購入した種芋を使っていたのですが、今回からは自家採種です。はやくそうすれば良かったというくらい、出来が違いそうです。
太い物はこのサイズ。今年は生鮮で新物をお届けする予定です。キツくはないので、是非、生や素揚げで食べて頂きたいにんにくです。
転機
報告が遅くなりましたが、三月に入った頃、今年作付けする畑に行くと、この畑もその畑も、なんということでしょう、予定していた畑のほぼ半分が全面踏み荒らされ掘り起こされていたのです。更に2か所、排水の為に切っていた溝が踏み込まれヌタ場になっていました。
いく農園が借りている土地は三地区に分かれていて、それぞれに解決すべき問題はあるのですが、この一つは猪が年々その範囲を広げ、ついには鹿に遭遇する処になっていました。年末まではまだ穏やかに充実した畝が並んでいたのですが、、、
一昨年はきゅうりと人参を作付けしたこの畑も辺り一面荒らされました。(下の2枚はその時の写真)
さて、さて、どうしたものか。ショックでしばし呆然としました。掘り起こされ踏み込まれたことで、不耕起栽培で手入れをしてきた年月が無駄になったとは思いません。骨の折れる仕事にはなりますが、修復することは可能です。しかし、修復し作付けしたとしても、また繰り返し荒らされることも十分に考えられることで、何か対策を取らなければいたずらに消耗するだけです。この地区は特に高齢化が進んでいるようで、何か具体的な獣害対策を取っている話も聞きません。
いく農園では、土作りのために二年一作、休ませる間は草を極力生やしてきましたが、その茂みが獣との境界を近づけ害を広げることになるならば、やり方を変えざるをえません。今回やられたところ一帯は山に隣接し、高齢化によってあまり手入れがされず茂りがちな土地が分布しています。刈敷きで土が肥えてミミズが増えること、水が浸みだすところがヌタ場になることが、イノシシを呼ぶ直接の原因でしょうから、私の畑は格好の場所です。柵で囲うのは地形的にも労力的にも経営的にも現実的ではありません。聞けば電柵は、その際に生える草を処理するとき、草刈り機を使えないので結局は除草剤を使うことになるのだそうです。
声の掛かった土地から借りるしかなく、結果的に耕作地が複数の地区に分かれたのですが、リスク分散という意味でそれをよしとしてきました。かつてショウガを荒らされた地域では里と山の境に柵が張り巡らされ、その内側に残っていた個体は猟で仕留められたのでしょう、その年以降は出なくなりました。そのおかげで、今回のハプニングにも被害の及ばない代わりの土地があるからこそ冷静に対処できたのです。しかし、一方でそこに住んでいないが故に地域との関わり方が難しく、イノシシの被害情報が事前に入ってこなかったり、高齢化が進み担い手が不足し、集落営農として求められる負担が重かったり、複数の地区に所属する難しさを感じる事も出てきました。リスク分散はできるかもしれないけれど、それぞれのリスクについて充分な予防や対処ができなくなると感じるようになりました。
結論としては、今回被害を受けたところは残念ではありますが作付けをやめて刈り場とし、これまでよりも頻繁に刈る、そして、いずれ自分で猟ができるようになる方向を模索することにしました。まだ何も知りませんが、木を伐ることを覚えるように、獣害を自分で防ぐ手立てを見つけなければ、やはり農業で食べていくことはできないのだと思います。
刈り場についてはこれまで足りていなかったこともあり、また農地を集約することも課題でした。いずれにしても、今のやり方は体力勝負で若いうちだからできることなので、やり方を変えるしかなかったのです。多少無理をしてでも軽トラを買って、よりたくさんの刈り草を運び土を充実させる方向です。40歳を手前にしてこれからの20年を考えるとき、強烈なイノシシの害が思わぬきっかけとなりました。作付けできなくなったのは耕作地全体の約3分の1にわたります。それだけの面積を刈り場にするなどもったいなくて、こんなことがなければ割り切って考えられませんでした。結果的にはとてもよかったのです。
刈場から運び積んでおいた草を細断する作業。今後、いく農園における土作りの基本となります。