畑のようす〜四月下旬〜

生姜、里芋の植え付けがおわり、雨をみてキャベツやサニーレタス、ズッキーニなどの苗の定植を進めています。また、乾燥続きのこの時期、雨が降ると一気に草も伸びて気付けば作物を呑み込んでしまうので、草取りのタイミングも重なります。

ズッキーニとキュウリの予定地。ここは3月に入って猪に荒らされ、手前半分が畝の跡形もないひどい有様となってしまいました。ほとぼりが冷めるまで待ち、畝を立て直しました。山に近く獣が多いこの畑は、苗を植えれば抜かれ、ネットを掛けても穴をあけられ、白ネギは植えたばかりを踏まれ収量は半減しました。散々なことが続きますが土質はよく、周りの木々は立派で落ち葉も手に入り、とても居心地がいいので気に入っています。獣害対策として農地を集約するために

一昨日は草を刈っているとウサギの子供が飛び出してきました。どうしたものか、見逃すわけにも行かず、とにかく追いかけて捕まえました。おそるおそる摑んでみても噛もうとはしません。温かくふわふわと可愛いいのです。家には野良ですがビー助と呼ぶ猫がおり、鼠やモグラに限らず、時にウサギや鳥までも捕まえてくる野生児なので、それに遭わせるわけにもいかず、車に乗せて遠くに離しました。

昨日はズッキーニの植え付けが遅くまでかかり、ヘッドライトを付けての作業になりました。ふとライトに反射する目線に気づき、近づいてみると丸々と肥えたたぬき。近づいても逃げません。声を上げて追い立てようとするものの、もうぶつかる程に間合いが詰まっても逃げてくれず、かえってこちらが冷や汗をかきました。

ことあるごとにおろおろ、どうしていいかわからない。人は弱くなったものです。

新聞掲載のお知らせ〜家のこと〜

農業共済新聞(2019,3,20)に寄稿させて頂きました。

今回は、新規就農から10年という節目から「新規就農者と地域の関わり方」「就農者の計画の立て方」「今必要な就農者支援」などのテーマを頂きました。

これまでIKU FARM journal に連載してきました「家のこと」のまとめとなります。「不動産相続における名義変更の義務を法的に定めること」は現実的に無理と一笑に付されると思いますが、敢えて書きました。

解決したわけではありませんが、これでようやく気持ちに区切りが付けます。

 

春がまた巡ってきました

エンドウに支柱を立て、ニンニクやタマネギの草を取り、苗立て中の作物も芽を出し始めました。

年明けより身体を鍛えると決め、日課になってきたランニング、時々自転車、週一の水泳。3ヶ月経った辺りから身体に少しずつ変化が見えてきました。何を目指しているのかと聞かれることもありますが、もちろん農業のためです。これから作付けの時期は連日の力仕事になり、日程の詰まった作業をこなせるかどうかは体力にかかっています。腰痛や肩こりは劇的に改善されました。草刈り機やチェーンソー作業による手の痺れは血行を良くするしかありません。膝の違和感はまだまだ改善されませんが、関節周りを鍛えてサポートする方向です。衰えていく一方であったのが、鍛えることによって身体が良くなることを実感できるのは励みになりますし気持ちが前向きになれます。

 

弟のこと

暮れにバイクレースの事故で弟を亡くしました。

愛する弟の死をどう受け止めたらいいのか。時速250キロ近いスピードでガードレールに激突する、それを避けられないとわかったときの弟の無念をどうしても想像してしまいます。もう会えないことが未だ信じられず、朝起きる度、ふとした瞬間、もう弟はいないということを思い出し、それが現実であることを言い聞かせる日々です。きっとはじめの衝撃で首の骨も折れ、一瞬の出来事で苦しまなくて済んだに違いないとは思うものの、両親が確認したという最期の瞬間を物語るような目を見開いた死顔、損傷の激しい遺体、その過酷な苦しみをあの年のはなれた可愛い弟が受けなければならなかったと思うと胸が締め付けられます。

これまで一度もレースを見に行ってやることができず、時既に遅しですが、弟が目標としていた鈴鹿8耐やお世話になっていたレーシングチームの動画、そして偶然見つけた今シーズンのレース、本人がトップを競って走っている映像を見たりすると、素直にかっこいいと思いますし、場の高揚感を想像すると夢中になるのもわかる気がします。まだまだ駆け出しであったと思いますが、バイクメーカーに勤め、技術職としてテストドライバーとしてバイクに携わり、ライダーとしてレースに出るなかで人生を掛けるべき仕事をこれと定め、そして頻繁に通っていたであろう鈴鹿サーキットを弟は自分の居場所として愛着を持っていたのだろうと思います。人生を切開くためには、危険や無理を承知でもやらなければならないことは往々にしてあると思います。弟がこうと決めてやってきたことの結果をただ受け入れるしかありません。事故は仕方のないことですし、弟が熱中していたバイク、そしてレースというものを私も大切にしたいと考えています。

告別式を終えた翌日、遺品を整理するため、両親と兄と共に、初めて弟の暮らしていた街に行きました。家の前にある公園のベンチ、その向こうにある河川敷、、、どんな思いでこの景色の中で暮らしていたのだろう。その日家を出たまま、飲んだビールの缶がテーブルに置かれたままの部屋に入り、何を処分して何を持って帰るのか迷いだせば辛く途方に暮れてしまうので、レーシングチームの方や弟の友人達の助けを借り、勢いでもって取捨選択していきました。父は色んな手続きをしなければならないので、一番大変な書類の整理をし、母が台所等を片付け掃除し、兄がバイク用品やその他部屋の中を片付けていきました。私はものを外へ運び出しました。何を持ち帰るか、レーシングスーツ等、折角のものでもただ飾るしかないものは重く悲しみを増すばかりに思うので断り、私は自分が日常で使えそうな物だけを貰い受けてきました。一回では終わらず、後日レンタカーを借りて家電や家具等を運び出し、部屋を明け渡しました。そして最後に、弟が時にぼんやり時間を過ごしていたという公園を歩きました。河川敷に上がり、もう来ることはないその街に別れを告げました。

 

弟が遺したものを思うとき、至らぬ自分が情けなくなります。何か決められずにいたことを決めることで、弟の死をただ悲しみに浸って風化させるのではなく、今後の自分を常に奮い立たせるものとして息づかせたいと考えるようになりました。そうでなければ、大事な弟を失った、このどう仕様もない喪失感とどう付き合えばいいのか、これまでとは見える景色が違ってしまいました。

弟は32歳でこの世を去り、私は40歳になりました。農業という仕事柄、数十年という長いスパンで物事を考えてきましたが、それ故、要となる身体を温存するためになるべく余計なことをしないよう意識が働いてきました。それは言ってみれば、好きなことをも諦める消極的なものでした。それでも今では首や手の痺れ、腰や膝の痛みを抱えるようになりました。この先いつまでもつのか、改めて自分の身体を顧みると、20代に鍛えた体力を30代で使い果たした感があり、気づけば膝周りの筋肉も首の筋肉も腰回りの筋肉も衰えていて、サポーター的役割を充分に果たさなくなっているのではと感じます。身体の柔軟性は失われていました。

sport という言葉の意味には「楽しみ、遊び」という意味の他に「もてあそばれるもの」という意味があります。何を目的とするのか見失いやすく、ともすれば人生を翻弄される。私はスポーツが好きでこれまでなんだかんだ続けてきましたが、厄介な負の側面があることを意識せずにはおれませんでした。行き過ぎた価値観が占めるところ、欲を掻き立てられ優越感に浸り卑屈にもなる。いずれにしても、ただ楽しいから好きだからで続けられるものではなく、そこには時間もお金もかかり、そして犠牲を生むこともあります。弟はモータースポーツで命を落としました。しかし、弟のことを「もてあそばれたもの」とは思いません。バイクに魅入られ、それを仕事にすると決めた弟にとってレーサーであることは大事であり、覚悟をもって弟が決めた事だからです。生半可なことでは続けられないからこそ本来の意味はどうであれ、続けるなかで自分なりの意味を見出すことこそが大事なのだと思います。

自分の心身と向き合うためだけの時間を持つことは必要です。肉体労働をこなすにはやはりベースとして一定以上の筋力を維持する必要があり、それは日々の作業だけで充分に備わることはありませんし、バランスはどうしても崩れます。私の場合は痛めた身体を直すために整体に通うのではなく、やはり習慣として身体を鍛えることのほうが理に適っているのではないか。動きの中で偏りを取り、柔軟性を保ち、いつでも使える状態にする。これまでは後先を考えるあまり身動きが取れず、現を抜かしてしまうという漠然とした不安によって中途半端に終わっていましたが、今を生き、若くして逝った弟を思い、先ず一つ、決めることにしました。悲しみが大きい分、動きの中で静かに向き合う時間をもつ必要があったとも思います。

 

訃報を告げる父の声が今も耳に刻まれています。事故で入院したとか重体とか、そうではなく、もう死んでしまって既にこの世にいないということが信じられませんでした。何も考えられず呆然とする中、とにかくその日の内に弟に会いに行かなければと、供えるものをと思い、畑に向かいました。冬の静かな畑、人参や蕪、大根を引き抜いたときの瑞々しさに少し自分を取り戻せそうな気がしました。自分がすべき事は何か、弟のためにしてやれる事は何か、いつ結婚式に呼んでもらえるか楽しみにしていたのに、、、なぜ葬式なのか。

冷蔵カプセルに眠る弟は、その衝撃によって顔中内出血し傷だらけでしたが、整えられ、目も閉じられていました。戦いを終えたような精悍な、そして全ての力みから開放された安らかな顔をして眠っていました。緊急ヘリの上で既に死亡が確認されたという話で、凄惨なところをいろんな方々に支えていただき、あとから駆けつけた家族は静かに対面することができました。

その日は安置室に泊まり、一晩中弟のそばにいました。母のすすり泣く声、冷蔵カプセルの唸る音、弟の遺体も皆との別れをするまで必死に持ちこたえようとしてるようでした。通夜は二日後となりました。母は三日三晩殆ど寝ずにそこに留まり、告別式が終わってからも、殆ど寝られないようでした。父は式の段取りや手配だけでなく、死後の手続きなど、いろいろやらなければならない事、決めなければならない事があるので寝なければなりませんでした。

式には驚くほど沢山の方々が参列して下さいました。生前、弟がいかに多大なお世話になったことか。改めましてお礼申し上げます。そして、色んな方が弟の話を沢山聞かせて下さいました。甘えたな弟が迷惑をかけながらも多くの方に愛されていたことを知り、とても慰められました。

後日、父が弟の退社手続きを行い、鈴鹿サーキットではシーズン三位の表彰を代わりに受けました。それからコースを案内してもらい、事故のあったガードレールに献花させてもらいました。関係者の皆様、いろいろとお心遣い下さりありがとうございました。

2月の上旬に納骨することとなりました。

 

 

温海かぶのピクルス

年の暮れに一枚一枚詰めていく、静かな大切な時間。

なので、これからもずっと作り続けると思います。

84さん、いつもありがとうございます。

 

東京のお客様へ

ネットショップ立ち上げ当初から長年ご愛顧頂いているお得意様へ。

無事出荷の準備が整いクロネコさんに受け渡し完了しました。いつもありがとうございます。

丸信商店さんへ

本日の生鮮出荷は千葉県木更津の丸信商店さんへ。

家業の八百屋を継がれた丸信さん。未だお会いしたことはないのですが、その細やかなお心遣いとお便りのやり取りを通して私たち夫婦は精神的にも助けられてきました。生鮮野菜の需要に確信が持てずにいた時も、変わらずご注文くださり、励まされてきました。

よく聞く話として、生鮮野菜といった農産物が消費者の元に届くまでにはいろんな業者が入り、農家の身入りはそのために低いということがありました。今も尚そういう状況はあると思います。しかし、いく農園が取引させていただいている個人商店さんにはありがたいことに、こちらが決めた直売価格で卸させていただいております。そして、個人のお客様と何ら変わらないお付き合いをさせていただいており、一方向の偏った関係性はありません。それは、丸信商店さんやまなべ商店さんのご理解とお心遣いによってはじまりました。

いく農園から直接お買い求め頂く場合、送料のご負担をお客様にお願いしており、丸信商店さんやまなべ商店さんでお買い求め頂く場合でも相応の価格に収まっていると思います。どうぞ、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

 

出張まなべ商店 @高知蔦屋書店

本日、いく農園も店先に立たせていただいた出張まなべ商店。沢山のお客様に来ていただきました。ありがとうございました。5年以上も前から知って下さっていたお客様が声をかけて下さり、感動しました。まなべ商店の店主くみちゃんには日頃から本当にお世話になっています。生産者にとって、ほんの一時の気まぐれではないお付き合いほどありがたいものはありません。

 

高知蔦屋書店にて

今月3日にオープンしたばかりの高知蔦屋書店にて、出張まなべ商店がPOP UP ブースに1/9 までの期間限定で出店します。そして、明日9日は私達夫婦もお店に立つことになりました。少しばかり、生鮮野菜も持って行きます。当日の朝は霜がおりる恐れがあるので、先ほど日暮れ間近に収穫したばかりの野菜達です。是非お越し下さい。