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山仕事がはじまりました

秋も深まり、ストーブに火を入れると薪の消費が加速します。

我が家では風呂を薪で沸かすので年中薪暮らし。外出していて帰りが遅くなった日など、シャワーで済ますこともありますが、あまりサボっていると、虫が増えたり家が湿気ってカビが生えたり、冬は寒すぎてシャワーを浴びるにも気合がいるという切実さもあって、多分350日は焚いてます。なので、山仕事は欠かせません。

腰の具合は信じられないほど良くなりました。臀部のひきつりもほとんど無くなり、もはや腰痛持ちであることを忘れるくらいです。かつてに比べれば疲れやすくなりましたが、それについては、身体の感度が良くなったと前向きに捉えていいそうで、思い返せば、自分で言うのもなんですが、ねじ伏せるが如く酷使してきたと思います。今では毎日入念にストレッチをすることで下手な力みも取れて呼吸がしやすくなり、かえって調子が上がってきたくらい。

枝を払って片付けるのも、玉切りした丸太を運び出すのも、久しぶりにやればハードな仕事ですが、この暮らしが自分達の軸なので、心身が充足します。

 

藪の伐採〜つづきその4〜

数日雨が続いた。いよいよ4月が近づいているので、暫時もう一方を伐る。手前二つの切り株の間を狙うが、ライン上に前回伐った株が大きくかぶっていたため、3分の1ほど、地際まで切り欠いておいた。

受け口を入れ、追い口を入れ始める。

いつも通り、打ち込む重さを確かめつつ追い口を切り進めてゆく。谷側正面に立ったとき目線より高く設定してしまったのが、仕事を難しくした。ライン前方が若干突き出ているため、また、道上の桑の木を伐ったあとはこの株元へ寄せて安定させたいのもあって、ある程度高く残す必要はあった。とはいえ、何を優先させるか考えが定まっていない。たとえ、元口が跳ね上がっても、前回のように山側へ大きく振れることはないし、株元から千切れ落ちても問題はない。それよりも、木が山側に反っているため、谷側のつるを切りすぎないよう、気をつけなければならない。その大事な作業がやりにくかった。チェーンソーの調子も思わしくない、妙に歯が滑る感じがする。後から思えば、去年チェーンが破断してしまった時の感覚に近かった。やはり刃当たりの調整不足であった。

シビアな木を伐る場合は特に、気力体力ともに万全な状態で臨みたいのであるけれど、立て続けとなればそうも言ってられない。そもそも今シーズン、当の二本を伐るつもりはなかった。しかし、4月1日から木を伐るには許可がいるという話が俄かに出て、指定された山域に限定されるのか、事業者として伐る場合に限られるのか、憶測が飛び交い、役場に問い合わせれば済むことかもしれないが、いずれにせよややこしい話になるのであればその前に片付けておかなければと急いだ。難しい木を伐るためには、事前にある程度難しい木を伐って、感覚なり、手順なり、抑えるべきポイントを思い出す必要がある。身体のコンディションとしては前回で終わりにしたいところだったが、来シーズンはじめに伐るべき一本が容易ならざるそれという間抜けな状況を作りたくはないので、多少の無理をしてでも、方を付ける必要があった。とにかく、調子が出ない時でも如何に失敗しないかである。最も避けるべきは山側へ逸れないこと。

弱気な分、ツルを厚く残そうとするので、楔がなかなか入ってゆかない。楔の尺をほとんど使い切ったところでようやく角度が付いてきた。思っていた以上に難儀し、集中が切れそうになる。呼吸を整え、後ろ正面に立って幹の曲がりと手前山側の切り株との位置関係を確認する。初めに設定した受け口の角度で問題ないはずだったのだが、思っていた以上に反っていたようで、まともに当たりそうだ。受け口を谷側へ調整する。当初の目標を変えることになるが、たとえ逸れても谷側ならば今回は問題ない。安定するよう、他にも株は残してある。

前方で道を止めてもらっている嫁にそろそろであることを伝える。4つ目の楔を入れ、一つを浮かして手製の太い楔に替える。とにかく山側へ逸らさないことが大事だ。さらに楔を追加。山側のつるが裂け始める。しかしまだまだ楔が重い。厚く残していた谷側のつるを切り込む。弾けるように裂ける音が鳴った。一瞬、冷や汗が出る。山側へ逸らさないためには谷側のツルを最後まで効かせ、あくまで山側への一手、それも楔を打つことによって倒さなければならない。今一度、深呼吸。満遍なく楔を打ち込む。少しずつ入りやすくなってゆく。いよいよである。

後ろ正面に立って方向に問題がないことを確認する。目標とする株と株の間に収まるはずだ。最後に楔を打つ。ゆっくりであるが、とてつもない量感で、軋み裂け、ちぎれ抜ける音と共に動きはじめる。じっくり挙動を確かめようとするものの、怖さが先立って思うようにいかない。より斜め下方への伐倒ということもあり、着地の衝撃凄まじく、空気が揺れた。

緊張冷めやらぬ中、とにかく無事に済んだことを確かめる。狙ったラインより谷側へ逸れたが問題はないようだ。全て現場に収まっているし、不意に動く要素は見当たらない。しっかり安定している。(現場は道と他人の土地に囲まれた三角州のような狭地なので、勢い余って滑落すればはみ出す恐れもあった)

渾身の力で何度も何度も楔を打ち込んだ。よく身体が持ち堪えてくれたものだ。虚脱感の中、いよいよ自分の年齢に不安を覚える。

直径は65センチ強、山側のつる幅10センチ、谷側のつる幅10センチ強。厚く残した谷側はより裂け上がっており、残し過ぎたことを意味している。楔を打ち込む余地が十分過ぎるほど残っている点を見ると、受け口を必要以上に浅く設定していたことがわかる。その分、楔の効きは甘くなるし、打ち込むのも大変になる。

結果的にはベストなところへ落ち着いたようだ。とはいえ、狙った通りではなかった。何故そうなったのか。倒れたのは最終的に設定した受け口正面であった。

数日を経て、ひとまず出した答えは、木の真下からよりも俯瞰できる前方正面からの目測を信じるべきであるということ。前回も、カーブミラーの柱に当たるかどうかという判断において、遠く前方から見ている嫁の方が、調整の早い段階で当たらないと見えていた。つまり、嫁がもう大丈夫と見た時点で私はまだ当たるように見えており、さらに谷側へ受け口を調整したのである。結果、谷側へ逸れてしまった。とにかく、厳密な精度を求められる場合は、充分離れた前方から再度確認するべきなのだろう。

実際の軌道をイメージしてみる。例えば、半球の空を描く月の軌道。全く反りのない真っ直ぐな木の描く軌道が真上を通る季節のそれであるなら、反った木は冬に向かって角度がついた月の軌道を描くのではないか。三角定規を使ってみるとどうだろう。短辺を受け口、斜辺を木の反りとして、パタンと倒してみる。そうすると、先に述べた月の軌道のようにはいかないようだ。角度のついた月の軌道。それをもたらすのは受け口が水平ではない場合、例えば、斜めに立つ幹に対して直角に受け口を設定した場合は容易に想像できる。模型で実験できればはっきりするのだが、、、頭の中だけでは限界がある。

ただ、見え方について言及すれば、近くの対象が遠ざかるにつれて視角は浅くなってゆくわけで、錯覚してしまう可能性は考えられる。自分の腕と指を使って実験してみる。前腕を木に見立て、人差し指で幹の反りを表現する。肘を支点として倒れる動きを再現し、前方の柱か畳の縁か、適当なラインに向かって倒していった時、見え方において、指先とそのラインとの間は一定ではなく、手前から遠ざかるに連れて狭まってゆく。つまり今回に照らし合わせれば、反った幹が山側にある対象物に当たりそうだと、近くからは余計に見えるということだろうか。恐怖心がさらにそうさせるのかもしれないが。

見え方と実際の軌道とその誤差。今シーズンの2本に共通するのは、前方正面からの目測によって予め定めた目標よりも後方直下からの見え方を優先させて受け口の向きを途中で変えた結果、それに応じて逸れたということだ。

一日休息を取り、次なる桑の木に向かう。連日の負荷が蓄積され、指が一本腫れ上がってしまったが、何とかやれる。今回は道に倒すことになるので、地域の方にも手伝ってもらった。軽トラも使って三方の道を止める。

初めて追いづる切りを使う。斜め下方へ強く重心が寄っているので通常の追い口の入れ方では、途中、幹が捩れて刃を噛み込むかもしれない。それは去年の台風の後始末でも経験済みだ。直径は40センチ前後。下には避けたい岩と小さな欅があった。受け口を水平に作るのではなく、傾いた幹に対して直角に、倒れる際、素直にお辞儀をすればそれらを避けることができる。軌道をここで再検証する。

受け口を作ったら、刃を幹に突っ込んで貫通させる。つるを作り、そこから反対へ切り進み、端を残す。最後はそのストッパーである端を切り離して倒す。上手くお辞儀してくれた。

枝を落とし、2メートルほどに玉切りして元側の太いものは軽トラで牽引。梃子を使って転がし道脇に据える。先輩の知恵に触れられる貴重な機会。もう一方も同様に。

これで今シーズンの伐採作業は終わりだ。また一段と明るくなったし、また一つ不安を解消できた。次はこれまでに倒したものを片付けてからになる。この現場については出来るだけ早く、50歳までには終わらせたい。そして、木漏れ日の美しい小道になるよう、次なる植生を豊かにしたい。既に、そこ此処に紅葉や欅が顔を出している。山の手入れは自分にとって将来を楽しみにするための大事な仕事なのだ。

藪の伐採〜つづきその3〜

この2年続けて道上の手入れをしてきた春の道作り。今年は依頼を受けて、空き家に付随する支障木を伐ることになった。すでに石垣は崩れ始めており、隣接する家の人たちは台風のたびに怖い思いをしてきたそうだ。根返りして倒れてくることが傍目にも充分想像できる。大径木というほどではないが直径40センチ以上はあって、太い枝が乱れ途中から二股に分かれた曲者。そして、重心が寄った谷側に足場はない。樹高20メートルはないにしても、間違えば電線を巻き込んで家に激突させてしまうことになる。予感はしていたものの、当日、俄かに決まったので、どう倒すか、段取りも何も勝手がちがう。

こういう時こそ事故を起こしてしまうのではないか。不安を覚えたが、自分が進めている山仕事を今後も地域に納得してもらい、時に協力をお願いするには、ここは受けるしかないと腹を括った。それに、人の役に立てるのは素直に嬉しい。

時間はかかっても、枝を打って樹形をはっきりさせる。ロープに至るまで自前の道具に改め、チルホールで牽引する。受け口側に立って追い口を入れるのは難しいが、これまでの経験が役にたった。楔を打ちこんでは引っ張るを繰り返し、反応を確かめつつ確実に傾けてゆく。つるの残し具合を心配する声が上がる。段階を踏む作業を手間取っていると勘違いする人もいる。やりづらいものだが、こういう時こそマイペースな性格が味方をしてくれる。集中を切らさず終えることができた。

さて、ここ数年伐り進めてきた暗くカーブする丁字路周辺の手入れもいよいよ大詰め。カーブミラー脇とその奥に大径木が二本、そして道上から被さる桑の木が二本残っている。

カーブミラー脇の一本は、この藪の手入れをしなければと思ったきっかけの木でもある。樹皮が黒ずみ樹脂が滲み出ていることから傷んでいるのは明らかで、中が腐っているとなればできるだけ早く片付けなければならない。当時は竹が浸食した藪だったわけで、この木さえ倒せばいいものではなかったし、実際に倒す余地もないほど乱れていた。

腐れがどういう具合に入っているかによるが、つるの強度、楔の効きに問題が生じるかもしれず、牽引できるよう、アンカーにする株を残しておかなかったのは反省すべきところだ。が、ここへ至るまで念頭にあった伐倒ラインは、手前へ道に沿わせるのではなく奥に向けていた。その読みもまだまだ甘かったということだが、ラインというのはそれまでに積み上げたそこ此処のラインや搬出の段取りとの兼ね合いもあって最後まで決まるものではないとも言える。

昨シーズン、畑仕事をしていて視線を移した時、たまたま、手前へ向けて倒すライン正面から枝ぶりや幹の曲がり、そしてカーブミラーとガードレールの位置関係が俯瞰して見えた。倒した際、梢がどこまで達するか、おおよそを測れば、残したい楓にギリギリ触れるかどうかということもわかった。そうしてラインが決まり、ガードレールに当たりそうな枝を落としておいた。その夏は台風が激しく、手前の徒長木も大きく揺れた。後日見るとそれもまた至るところから樹液を垂らしていた。出来るだけ早く伐らなければならない。

(2022,3)

そして、今シーズン、具体的にどう寝かせるか。伐倒ラインそのままに落ち着くよう手前の株を高めに残し、杭にすることが肝となる。困ったことに、その株が若干ラインにかぶっている。なので、倒す際は伐り株の肩に樹幹を当てて斜面上側へ転かす形になる。誤って下へ転かしてしまうと不安定になり新たな危険を生む。残す高さが難しい。高過ぎると激突させて元が跳ね上がることになるし、低過ぎると杭にならず下へ転けてしまうかもしれない。

 手前を伐り、受け口を作る。牽引できないので、いかに楔を効かせ、いかにつるを最後まで残すかという、より精度が求められる仕事になる。手持ちのチェーンソーは刃渡り40センチしかないので谷側まで届かない。手鋸と斧で最終調整する。芯切りを始めると、10センチも切り込まないうち腐れに行き当たり刃が一気に奥の方へ抜けた。予想はしていたものの冷や汗が出る。気休めかもしれないが、手鋸でその程度を探る。幸いなことに、山側と谷側のつるは通常芯切りする程度に残っているようだ。問題は追い口。

 谷側は残しておいた竹の伐り株に乗って作業する。材として伐るわけではないので、根張りや腐れによる不確定要素が増える地際ギリギリよりも作業性と確実性を優先させる。足場の強度を考えれば、来年、再来年と、ぐずぐず先延ばしにはできない。プロは番線と丸太でしっかり足場を組むようだが、素人覚えではかえって危ないだろう。

追い口を入れ、楔を打ち込んでゆく。半分以上打ち込んではじめて傾きが出てくる。後ろ正面へ立ち、カーブミラーに当たらないか段階的に何度も確認する。向きが悪いようなら受け口を直す必要がある。そのためにも、追い口を額面通りつる幅が直径の10分の1になるよう、はじめに切ってしまうのではなく再調整できる余裕をとっておき、反応を見ながら詰めていく。

受け口を若干谷側へ調整する。それに応じて木の傾く向きが目に見えて変わる。追い口の入れ方と楔を打つ強さを慎重にする。心情としては、つい、山側の楔を強く打って谷側へ避けたいところだが、それが過ぎると下へ転かすことになる。三つの楔を均等に打ち込んでゆく。特に谷側が重い山側が重いということはなかった。だから、追い口も均等に切り進めて行く。山側と谷側のつるが同じ具合に裂けはじめ、傾きがより強くなっていく。株元から梢まで全容を見て、思う方向に倒れることを確認できるまで、ひとりでに倒れ出さないことが重要だ。時間がかかっても手順を踏む。

ゆっくり動きはじめた。間違いなくカーブミラーを避けることを見届けた。が、着地してから暴れた。

思っていた以上に元口が横方向、山側へ大きく振れてカーブミラーの根元に当たってしまった。少しであっても大径木の圧倒的な重量によってパイプは呆気なく折れて倒れてしまった。折れたというより、千切れてしまった。手前に残した株が高すぎたのか、やはり受け口の角を欠いておくべきであったか。受け口から着地点までの直線をしっかり見極めておくべきであった。

一体どれほどの出費になるだろう。暗澹たる思いで役場に連絡したところ、ちょうど別件でカーブミラーの設置をするところ、当該箇所においてもガードレール新設の要望が出ていたのでカーブミラーについても町の方でみてくれるとのこと。ありがたい。肩の荷が降りた。であるならば、実はということで、道上面から傾いている桑の木がまさにそのカーブミラーの真上に被さり、どう始末をつけるか、ツリークライミングやリギングの技術を身につけてとなれば何年先になるだろうと考えていたところ、この際ならば、そのまま下へ倒すことができる。工事の前にその仕事を済ましてしまいたい。区長に報告し、小部落に相談し近日中に取り掛かることにした。

なお、後日分かったことであるが、ガードレールを設置する際にはカーブミラーの位置を変えねばならず、いずれにせよ新しいものに挿げ替える必要があったようだ。山の問題は複雑だ。通るのに怖いからとつけられたガードレールやカーブミラーが山の手入れを難しくし、時には作業者の身を危険にさらす。まれに、ガードレールの上だろうがお構いなしに伐り倒す人もいるが、手付かずになるのがほとんどだ。

藪の状態が長く続くと考えられないほどの巨木が大きく傾いて生えている。通行人は存外頭上の安全には目を向けないものだ。杉や竹で覆われていたとはいえ、私も人に言われてはじめてこの存在の怖さに気づいた。地域の中からなんとかして欲しいという声が上がったものの、具体的にどうするか、実際に処理するには事前に周りを片付ける必要があり一筋縄ではいかない。私が責任を負うところではなかったが、我がことでもあったので地権者に掛け合い主体的に進めてきた。

奥にあるもう一方の桑の木は、昨年の台風で枝が折れて垂れ下がり道を塞いだ。高枝用の鋸を手を伸ばし片手で動かさなければならない上、捩れる枝が刃を噛み込むのでなかなか切り落とすことができず、一人で処理するのに半日以上かかった。

改めて今回の木を検証する。直径は70センチ前後。受け口を浅めに設定。谷側のつる部分の腐れが広がっていたのがわかる。市販の楔では役不足になることも考えられたため、より太いものを樫で2つ作っておいたのが良かった。

さて、後始末であるが、今後の段取りなどを考えると、その日のうちにある程度まで片付けておかなければならない。

4メートルほどに切り離した元側も切り株で安定していたが、なお、安心できるように処理。チェーンソーで切り込みを入れ、ハンマーと矢で少しずつ割る。大変だが、これならば途中誤って転げ落とす心配はない。

割ったものが思いのほか軽く乾いていた。春になった今時期なのにあまり水を吸い上げていないようだ。いよいよ枯れる手前であったのだろうか。腐れはやはり株元から上にかけて収束している。受け口と追い口を高めに設定して正解だった。

キノコの駒打ちをしました

地域の方から立派なクヌギと榎の原木をいただきました。現場で枝を落とし、玉切りして運び出すのもまた一仕事ですが、お声をかけて頂けるのはやはりありがたいです。椎茸、ヒラタケ、ナメコを400駒ずつ打ち、裏山へ一本一本抱えて運び上げます。身体と相談しながらなので4日かかりました。若い頃の無茶が年々響いてきますね。まだ、伐採現場の片付けが残っています。

10年前にどんぐりを植えて芽の出た我が家のクヌギ。ほだ木にするにはまだまだ年月がかかりそうです。それに、育っているのはたったの5本。できるだけ早く辺りを伐ってまた植えるところを広げないと何にもならないのですけど、伐れば薪にして片付けて、一つ一つ手作業なので時間がかかります。

山仕事は力技で一気にやろうとするとそれだけリスクも高くなります。鬱蒼とした植林を伐り開き、欅、椎、樫、椿、柊、楓、楠など、次なる雑木が芽を出し、ある程度育ったところで選定、間引きをして新たな森のイメージが見えてきたら、次また伐り進めるの繰り返し。伐り開けば伐り開いた分、森として落ち着くまで草刈り仕事は増えていきます。

冬は山仕事

年が明けてから寒さ厳しく、雪が積もって身動きのとれない日が続きました。作物の成長も休眠を迎えますが、小さくて収穫に至らなかった年内どりのキャベツがありがたいことに少しずつでも太ってくれたので、まずご要望あった分のHotdog stuff を仕込みました。

春となれば、いよいよ新しいシーズンに向けて準備を始めないと。草刈り運搬の大半が残っていますが、薪作り、山の手入れも冬の大事な仕事です。そして竹藪の片づけ。昨年は応急処置をした程度なのでまだまだです。孟宗竹のかなり厚い藪だったわけで、直径20センチ前後がゴロゴロ。

灰にしてしまうのは勿体無いので土づくりに使うことにしました。時短のために普通なら運搬車やチッパーを使うところ、手間ひまはかかっても持ち合わせの道具、チェーンソーで玉切りしてナタで割り、コンテナで抱えて運び出します。畑の脇に積み直し、更に熟成。あと何年かかるかわかりませんが、とてもいい土になると思います。

(伐って6年目にもなれば株が根本から抜けるように)

春になり、雨になり、動き出す

寒く乾燥した季節も終わり、風が温み、雨が降っている。

この冬は町内でも火事が多かった。あまりに乾燥していると、草刈り機やチェーンソーの歯が石か何かに当たって出た火花でも起こるらしく、重機にハンマーナイフモアをつけて刈っていた現場の火事はそれだったようだ。力技な分、余計に気づかないのだろう。野焼きによるのものは相変わらず毎年のように起こる。聞くところによると、同じ人が起こしているようだ。消防団に入っている知人が呆れていた。あれから、火事には敏感になった。日暮れ間近、積んでおいた竹を短く切っていると火花が見えてひやっとした。煙は出ていないか、一度帰ってからジョロ片手に再度確認に行った。

5年以上前に伐って積み上げておいた竹と杉の丸太が崩れ落ちていく夢を見た。雨に濡れ、いよいよ朽ちゆく様がありありと見えたのだ。まさかとは思うが、急斜面なので転げ落ちて事故を起こすかもしれない。谷を一直線に降ってゆくコールゲートは鬼門だ。

矢も盾もたまらず、辺りが白み始めると現場に行った。流石に夢に見たほど切迫した状態ではないようにも見えるけれど、支えにしていた切り株も頼りなく傾き、もはや予断は許されない。そう思うべきだろう。春になれば嵐も来る、虫も出てきていろんな事が一気に動き出す。

種を蒔かねばならないのに、いろんな片付けに追われる。先の先のためにあれもこれもがある。春は忙しい。

殆どを一株そのままの長さで3メートルほどの高さまで積んでおいたもの。手に追えなくなる前になんとかしなければ。

(2017年3月 伐った当初の様子)

白ネギの仕込みもしなければならないが、今日も午後から雨の予報。杉の丸太に取り掛かることにした。

上に積んだ竹を避けていくと丸太が顕になってくる。自分で伐った後だからできる作業。人のやった後なら、何がどうなっているかわからないので頼まれてもやりたくない作業だ。できる限り玉切りして搬出した後、ロープで確保しておいた。ようやく安心して寝られる。

春の道作りが無事おわりました

伐ったのは山側の杉3本。だいぶん明るくなってきた。

(今年1月13日時点の状態)

前日は雨だったが、当日20日は晴れ、少々風があったものの支障をきたすほどではなく、地域の協力もあって、片付けまで無事終えることができた。

崖の上と言ってもいいところに生えており、いかに安定して寝かせられるか、中途半端では終われない、本当に難しいケースだった。加えて、通信ケーブルに枝がからんでいたこと。2株が密接して生え、片方が斜め後ろ谷側へ傾いている起こし木であったこと。滑車を取り付ける立木が限られ、牽引方向がベストではなかったこと。それぞれが伐根直径60センチ前後の大径木であったこと。11月に一度、牽引具をセッティングしてラインを確かめ具体的にイメージしたところ、いかに問題を孕んでいるか解って仕切り直すことに。普段の畑仕事にはない種類のリスク。誰に頼まれたわけでもないが、正直なところ、もう勘弁してほしいと思ったものだ。搬出も危険を伴い、重労働になる。

万全を期すため、事前に枝を打ち、当日は再度登ってワイヤーを枝の上の充分高いところに取り付けて牽引し、手前の一本はアンカーにする木がないので楔だけで倒すことになった。スケジュール的に半日に3本は難しかったが、入念に対策を練り手持ちの手段を増やしていたことで、落ち着いて進めることができた。

次の冬までこのまま置いておく。全てを片付けるまで、まだまだ安心はできないが、兎にも角にも、無事に倒れ、安定した状態で寝てくれたことは大きい。衆目の集まる中、誰から見ても安心感があり、作業が淡々と進められ無茶をしていないと見てとれるかどうか、今後もここで山仕事をさせてもらえるかどうかが掛かっていた。

手入れすべき山が集落の中にあり、急斜面にあるということがいかに困難であるか、知らぬままに借りてしまったことを、今更ながら、なんとも危うい若さであったかと思う。そこが植林になっていることそのものが異常ということさえ知らなかった。

周りの植生が豊かになれば、畑も良くなる。それは逆に言えば、周りの手入れをしなければ畑はよくならないということだ。借りた農地は東西を深い藪に囲まれており、南斜面にあっても日照が足りないということを後から知った。実が満足に着かなかったのだ。薮は獣の棲家になるばかりでなく、虫の温床にもなるし、湿気を溜めてしまう。気の流れが悪いというような観念的なことを持ち出すまでもなく、そこで農業を生業とするのは厳しい。

石鎚の麓で発酵茶を作ってきたご夫婦の言葉が印象的だった。村を去る人々が山を植林に変えてしまってから次第にうまく発酵しなくなったと語っていた。自分の手の届く範囲でもいいから、この暗澹たる混沌を払拭できるものなら払拭したい。少しでも、この先きっと良くなると思えること、将来を楽しみにできることが生きるためには必要だ。にしても、一つ一つが実に重い。ひとりの人力で大径木を片付けられるのは40代までだろうか。時間が限られていることを嫌でも思い知らされる。美しいと思えるところで暮らしたい。

枝打ち〜その2〜

カーブミラー脇の弱っている杉については手前へ、道に沿って倒す予定にしており、ガードレールに当たりそうな枝を打っておく。枯れた太い枝そのままではいつ何時落ちるかわからないので、いずれにせよ暫時片付けておかなければならない。藪の手入れを一旦始めたならば状況は変わり、次から次へと責任が生まれる。

今回は車道に打った枝が落ちないようロープで確保しつつの作業となる。他の仕事の傍ら、これまで2日に分けて少しずつ切り上げてきた。木が健全でないため、皮が剥がれかけていたり樹脂が染み出していたり、枯れ落ちた枝の痕の出っ張りも厄介で、胴綱をしゃくり上げていく際に死角となる裏側が引っ掛かって思うようにいかない。命綱を頼りに胴綱のテンションを一旦緩めて引っ掛かりをとるのだが、その作業は樹幹と自分との角度が浅くなって足元が不安になり、余計にエネルギーを食われる。

3日目は写真下の地点から六本ほど打ち、自分の身体もうひとつ分上まで登ることになったが、そこまでになると樹幹はかなり細く形もより歪に。爪がしっかり食い込んでいるかどうか、高度が上がれば上がるほど必要以上に緊張し神経をすり減らしてしまう。新たな作業が加わって樹上にいる時間が長くなり、集中力を維持するのが大変だ。アンカーとする上方の手の届かない枝へロープを掛けるのに手間取って、自分の確保が疎かになる。一瞬でも樹上にいることを忘れてしまいそうになったことに慄き、足元の爪と胴綱の状態を確認する。手が届くところまで一旦登って掛ければいいのだが、そのためには、落としていない枝を跨ぐために胴綱を一旦外して掛け替えなければならない。今の装備でそれは出来ない。やるほどに改善点が明らかになってくる。信頼できるハーネスと命綱、胴綱を掛け替えるシステム。不測の事態を念頭に入れるなら下降機も予備のロープも必要だ。ロープの色を変えることも大事だろう。それを賄えるかというとなかなかであるが。

打つ枝も、物によっては太く片手で保持するにも大変な重さになるので、それを樹上で扱うのもまた神経を使う。ロープを手繰り寄せる際にぶら下がっている枝が足元にあたる。そんなことひとつ一つにすり減らされるのだ。

とにかく忘れないうちに少しずつ経験を積み、シンプルな道具で基礎を学ぶ。そしてシーズンの終わりを良いイメージで締めくくりたい。

枝打ち

今シーズンの山仕事もいよいよ大詰め。春の道作りで伐る支障木は、枝が通信ケーブルにかかっているため、事前に枝打ちをする。農業にも通じることだが、山においても何とかなるだろうといった根拠のない自信や楽観、そして、自負は危険だと戒めている。

言うまでもなく枝打ちは樹上に登って行うわけで、おいそれとできるものではない。いずれはと思うものの、やれるとも、やろうとも思えず随分経った。知っている事といえば、特殊な爪を靴に装着し、胴綱を使って登るということぐらい。一冊の本に一通りの方法や必要な道具がのっていればとっつき易いのだが、そういった種類のことでないのはわかる。とにかく、よく使われているらしいメーカーのものを取り寄せた。説明書きはないに等しく、特殊用具のため熟練者に適切な指導を受けるようにとのこと。そして、別途、墜落防止器具をつけるようにと書かれていた。しかし、製品ラインナップをみてもどれが樹上作業に適合するのかわからなかった。まあ、そういうものだろう。敷居は高くあって然るべきだ。

一般的にはどのように使われているのか。林業の現場ではこれまで胴綱を安全帯と称し、墜落防止器具といったものはなかったようだ。そもそもが特殊な仕事、無理と思うなら就いてはいけないし命の補償を誰かに求めてもはじまらないのだろう。山の仕事はきっとそんな事ばかりだ。とはいえ、根が怖がりにできている私としては、手間取ってでも安全を確保したいし、胴綱と爪のついた履物だけではあまりにも心もとない。安心を求めれば求めるほど海外の高価なクライミングツールがあれもこれも必要になりそうだ。樹種によってはいずれそういった道具も必要になると思うが、それはおいおい。以前、椰子の木に登る少年の映像を見たことがあったが、彼は裸足で胴綱一本で昇り降りしてたっけ。

墜落防止器具にかわる命綱を自分なりに用意する。ロープワークの本を参考に、作った輪に脚を通し上体に結び付けて、家の梁から吊り下がってみたのだが、自重でどんどん締め上げられ、痛たたと思わず声を上げてしまう。と、振り返れば、嫁が爆笑して泣きそうになっている。いやいや、こちらは真剣なのだ。試行錯誤を繰り返し、実際に立木で試して、それなりに命を守ることはできそうになった。

思っていた以上に、靴に装着する爪の扱いが難しい。木に対する角度が甘いとグラグラ不安定になり、ともすれば食い込みが外れて体を支えられなくなる。胴綱はその爪の当たる角度を保つためのものであって、落下を防いでくれるものではない。この登り方は体重のほとんどを爪に託しているから、そこに一定の信頼を置けなければとてもではないが樹上高く登ることはできないし、いわんや作業をやである。胴綱を取り付けるベルトのズリ上がりも気になった。一日目は枝を一本切ることさえ出来なかった。不安がとてつもなく残った。命綱の改良と、なぜ爪が安定しなかったのかを考え、安定させるためのポイントを整理する。いたずらに下手を繰り返せば足首も膝も痛めてしまいそうだ。

翌日は珍しく頭痛が出た。寝込むほどではないが仕事にならない。樹上の空っ風で冷えたこともあったが、相当力んで体力を消耗していたようだし、緊張がとれずうまく寝られなかったからだろう。

日を改め、体力と集中力と相談して少しずつ進める。踏み外すことはほとんどなくなったし、胴ベルトのずり上がりもさほどではなくなり、二日目は枝を一本落とすことができた。三日目は二本以上落とすことができた。適切なところに適切な角度で一歩一歩確かめ、胴綱を操り、命綱をその都度、確保する。むやみに緊張するのではなく、抑えるべきポイントに集中し、作業手順と型を構築していく。踏ん張る足元は大丈夫かベクトルは合っているか、作業しつつ足裏の意識を忘れないようにする。それでも時折不安定になって緊張で気が遠くなりそうになる。樹表の歪なところは爪の当たりが悪くなるのだ。枝打ちのあと、特に枝が密集していたところは足の踏み場がないほどで、そういったことを樹上で気付く。気持ちを落ち着かせるのに一苦労しながら迂回ルートを探す。その後はルート取りをより入念にイメージするようになった。数日かけてなんとか問題となる枝を全部落とした。

 

気が遠くなると言うのは、頭がキャパシティーを超えてショートするような感じだ。緊張から解放されたいという誘惑がふとよぎる。人によってはそれを甘美なものとして酔っ払い、ふらっと一線を越えてしまうのだろうか。どこかに意識が飛びそうになったり、何か他のことを考えて集中が切れそうになったりするのも、心と身体がばらばらな逃避行動なのかもしれない。それを拒否して思いとどまる。その思いとどまるにもエネルギーがいることを改めて知った。

思い出すのは小学生の頃、確か10歳ぐらいの出来事だ。学校から帰って家がたまの留守にもかかわらず鍵を忘れていたことが何度かあり、はじめこそ家族が帰るのを待っていたものの、怖いもの知らずで身軽さを自負していたわたしは、2階の窓が空いていることを幸い、雨樋を伝って庇から窓に取り付き、家に入ったことが何度かあった。当時の我が家は山を切り開いて造られた新興住宅地にあり、斜面に擁壁を立ち上げたその上に建っていた。下はコンクリートにタイル張りの階段だったのだから、危険極まりないことをしていたわけだ。そして、ある日もまた味を占めて取りついたところ、いつもの窓に敷布団がかかってあった。それが何を意味するのか察知できなかったわたしは、取り付いてはじめて、力が入らないことに気がついた。

自分の頭より高いところに取り付いているわけだから、足は既に庇から離れている。いつもなら上半身を使って肘をかけるところまで持っていき、あとは足をかけてよじ登るだが、そのはじめのところが滑って思うようにいかない。ともすればずれ落ちそうになる。駄目かと一瞬よぎった。庇に降りようとすれば、後のない足場と壁との隙間を布団が邪魔をして勢いそのまま落ちてしまうのは明らかだ。シーツを掴んであえなく落ちてしまうのを想像した。しかし、若さゆえの瑞々しい執着というのか、諦めず登りきることができた。

幼少からのいろんな無茶は無意味ではなかった。とはいえ、一つまた一つ、与えられた限りある幸運を食い潰してきたようにも思う。歳を重ねヨレた感のある今、あの頑張りを、運よく、当たり前の如くまた発揮できるだろうか、疑ってしまうのである。もはや安易な自負はできないということなのだ。あらかじめ作業負荷に対するリミット(制限時間)を設定しておく必要がある。

登山における事故というのはベテランであるか初心者であるかにかかわらず平等に起こると言われているらしい。山仕事においても、ケースはひとつひとつ異なるし、リスクの高い現場では精度が求められ毎度改めて怖いと感じる。実際のところ絶対に大丈夫ということはあり得ない。つまり、難しい木がその時うまく倒れたとしても、伐れるようになったということではない。経験を積み、次なる課題に直面した時、それを伐ろうと思えるかどうかでしかないのだ。

こういった仕事は怖がりで慎重過ぎるくらいが丁度いいのだろう。不安要素をやる前からあれもこれもと並べ立てるほどの怖がりであり、それらを漠然としたままには進めないほど慎重であるということだ。その時点で気付かない危険については、至らなかった自分の力量ゆえ仕方がない。とはいえ、仕方がないでは済まないから、年数をかけて経験を積み、抜けているところがないか考え続ける。そして、甘さや余計な危険が生じないよう、一人でやる。

危険なことを何故自ら進んでするのか。一言にはまとまらないが、見失いたくないものがそこにあるのは確かだ。単なる度胸試しではないし、蛮勇は望むべくもない。通過儀礼として、非常な試練を自らに課すというのとも違う。わかったふうなことを言いたくはないから、謙虚にならざるを得ない状況に身を置く、自分にとってはそんなことの一つなのだ。だから、今回頑張ったから十分ではなく、身体が許す限り続けなければならないのであるが、とまれ、根が気分屋でストイックに出来ていない私としては今シーズンはもういっぱいだ。気を取られてこの冬はほとんど自転車に乗れず、また膝や腰に不安が出てきた。ほとほと、コンスタントに続けることが苦手な我が身であることよと、ついぼやきが出てしまうのであった。

 

藪の伐採〜つづきその2〜

果たして伐根直径80センチ前後の大径木が無事に倒れた。ポイントとしていた伐り株を越えず、望んでいたラインに落ち着いてくれたのでほっと胸を撫で下ろす心地だ。これでじっくり乾燥させることができるし、搬出もごとごと安全に行える。

必要な道具を揃え、ラインを定めるのに三週間を要した。体力の回復を待つ必要もあった。とはいえ、プレッシャーが長引くのはしんどいものだ。集中力がここぞという時に発揮できず判断が鈍るかもしれない。とはいえ、その間、検証を重ねることができた。前日まで二日つづいて風が強く更に足踏みすることになったが、結果的にはそれも良かった。改めて現場を整えつついろんな角度から見直し、最後は滑車を取り付ける立木を変更するに至った。

今一度今回の仕事を振り返ってみる。

前回同様、難しいのは倒れて着地した伐倒ラインが最終ラインではなく目標ラインでもないことだ。現場は上を通る道にカーブミラーがあるように、直線的に続く斜面ではない。そしてライン手前が大きく落ち窪んで谷のようになっている。だからそのまま横方向に倒しても円に描き入れる接線のように土地に沿わず、また谷へ渡すようになるのだ。下方に設けたラインは比較的カーブが穏やかであり、谷はこれまでに伐った竹や木で埋めてある。

倒れてからの動きをイメージする。まずはじめに木の先端である梢が着地する。立木と立木の間にがっちり噛み込んで固定されれば、そこを支点として、扇が開くように元口から樹幹は谷側へ動き、ポイントとしている伐り株で止まり、目標ラインに落ち着く。前回のように予想以上の力で跳ね上がることのないよう、角切りをしておく。そして、ライン手前に高く残してある竹の伐り株がクッションになってくれることを期待する。いずれにせよ、ツルは衝撃で引き千切れるだろう。

最終決定したラインをメージャーで測る。滑車を取り付ける立木まで約15メートル。手前の伐り株に激突せず、寝かしてある木の元口付近をクッションに、そして奥にはもうひとつ伐り株がライン下方、目標ラインとの間にあったので斜めに切り下げておいた。

さらに引いて、下を通る道から。樹高は20メートルをゆうに超えるだろうから、梢が道に被さることになる。写真上は当日、牽引具をセットしたところだ。中央が倒す木。その右隣に滑車が取り付けてある。その木と倒す木を挟んで左隣にある立木との間に倒す。左、谷側にそれると、水平ラインを交差し、梢が意図せぬ具合に引っかかって強い緊張を生む。山側へそれても厄介だ。樹幹が斜面上に不安定な形で止まり新たな危険を生む。ここが何となくだと、本番作業中、肝心の受け口が定まらず常に漠然とした不安を抱え続けることになる。

写真の真正面に倒したい。両側にある立ち木の真ん中ではなく、滑車を取り付けた山側よりであることがポイントだ。樹幹はわずかに谷側へ曲がりまた山側へ直ろうとしている。重心は若干谷よりだと思うので、伐倒ラインを意識的に谷側へ寄せることはしない。

写真下、反対から見る。ありがたいことに滑車を取り付けてある牽引ライン正面の木も梢が山側へ反っているから、ギリギリを狙ってもうまく避けてくれるだろう。

最後に木の下に立って伐倒方向を確認する。

かつて経験したことのないサイズ。60センチをゆうに超えるだろうくらいに思っていたが、事前にチェーンソーを持って、どう切るか足場の確認も含めて木に当ててみて目を疑う。ガイドバーの倍近くかそれ以上あるではないか。胴回りを測ってみると2メートル40センチ以上。受け口のラインだともっとある。家に帰って、直径×3.14=円周に当てはめると79センチ前後と出た。否が応でも重圧がのし掛かる。

足場は竹の伐り株とその間に木を渡した簡素なもの。受け口も追い口も谷側から正対できない。どうするか。朝までじっくり布団の中で考える。正対できなければ突っ込み切りはできない。チェーンソーの特性を思い出して、一番無理のない方法をあれこれ考える。本を読んで答えを探そうかとも思ったがやめた。

当日は風が止みとても静かだった。牽引具のセッティングも順調にできた。改めて、今回ぬかってはならないポイントを思い出す。受け口の下切りの角を欠くこと、そして芯を入念に切っておくこと。一息入れてから伐り始めた。思っていた以上に受け口の調整が難しい。谷側からだと胸よりも高い位置にあり、チェーンソーを逆さに構えて山側からのラインに一致させるのは至難の業だ。目で確認しながら進めることさえできない。なので手鋸とヨキ、そして山側から回りこんでチェーンソーの切っ先で調整した。手鋸はいつも使っているものは寸足らずなので、錆び付いていた伐採用であろう年代ものを事前に目立てした。鋸の目立てははじめてだ。それなりに切れるようにしたつもりが思うように切れない。アサリの具合が甘いのか。しかし試し切りした時はこんなではなかった、、、。深さ20センチの時点で一旦うまく作れた。もう良しとしたいところだったが、思い直して25センチまで深くした。根張りの絡みでツルの強度に心配が残るからだ。水準器を使って水平を確認した。規模が大きくなればなるほど、ちょっとした誤差が大きなミスに繋がる。

追い口についても水準器を使って目印をつけ、いざ、刃を入れ始めた。感覚による水平と目印のと間に誤差はなく順調に進んでいる。が、途中であろうことかソーチェーンが音をたてて切れてしまった。はじめてのことに目が点になる。どこからどこまでを切ったところかというと、写真下の伐り株に追い口谷側から手前に向けて斜めにバーの形が連続するように跡がついているところだ。まだ半分も切れていない。無論、現場を離れるわけにはいかないので、あとは鋸でやるしかない。目立てをしておいて正解と言いたいところだが、替え刃を用意していなかったのは不徳の致すところだ。嫁におにぎりを頼んだ。

体力が急激に消耗していく。生きていると木はこれほどまでに違うものか。まるで切られたそばからその傷を治そうとするように体液が滲み出し肉が盛り上がり、まるで鋸が取り込まれるようだ。引くにも押すにも力がいる。しかし、力任せにしてはいけない。今一度気を引き締めなければ。とはいえふらふらだ。寸足らずの鋸である故に思うようにいかない。谷側から山側から切り込んでいくが、中心付近が切り残り、直線にすべき追い口のラインがハの字になる。そんな状態で無理をして楔を打つのは好ましくない。

楔はチェーンソーによる切り口に打ち込む想定だから、鋸による切り口そのままでは狭くて入らない。追い口の真正面一個と谷側に一個の二つではじめる。途端に谷側の楔が割れた。替えを打ち込み、少し持ち上がってきてから山側を入れる。これで楔が三つ。と、今度は、真ん中の楔を打ち込んでいる木口が裂け上がりはじめた。根張りだからなのか、はじめてのことでわからないが奥の方は大丈夫そうだし楔は順調に入る。次から次へと思わぬことが続く。深呼吸をして下腹に力を込める。新しい楔を2つ追加。追い口を切り進めつつ、合計5つの楔で打ち進め、牽引具で追いかける。決して、牽引具の力で強引に倒そうとしてはならない。

明らかに谷側が重い。比較的厚めに残していた山側のツルが先に音を立てた。いよいよ重心が谷側にあることは明確だ。谷側のツルを重点的に切り進め、楔を打つ。まだ裂ける音はしない。一連の作業を繰り返す。ようやく谷側が鳴った。山側も追いつく程度に進める。

本格的に裂ける音がして倒れ始めるまではあっという間だった。かかった枝もなんのその、自重で折って折られて倒れた。圧倒的な量感だった。恐ろしさの余韻はなかなか消えない。

実は作業途中、チェーンが切れたあたりから地域のお歴々が観にきていたのだ。この手のプレッシャーには大丈夫になった。楽しそうにしてくれているのがこちらも嬉しい。無事に倒れたことを見届け、しばらくお喋りをした。明るくなったことを喜んでくれているようだ。色々話を聞かせてくれた。やはり、集落に藪が迫っているのは火事のこともあって不安に思っているようだ。そして、こういった太い木ほどプロに頼んでも伐ってもらえないとのこと。つまり、業者からすれば、藪を片づける余計な手間がかかるわりに、虫食いや腐れなど、材としてお金になるかどうか確証が持てなかったり、集落の中にあってリスクが高かったり、割に合わないから請け負えないということだろう。どうしようもなくそのままになっている現状を不安に感じているのは同じだったのだ。

小学生の時、倒木更新という言葉を国語の授業で習った。寿命尽きた木が倒れ、新たな芽を育むという話だ。何故伐るのか。まず大前提として、木もまた永遠ではないということだ。木は人を生かしもすれば殺しもする。

改めて、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する。ゲートとした立木の間、山側ぎりぎりを狙えていた。

狙ったところに着地後、樹幹が谷側へ落ちるに従い梢先端は、写真中央から山側へ角度を変えた。

伐倒方向の直径は85センチ。

受け口の深さは24~25センチ。(基本は直径の4分の1以上、大径木の場合は3分の1以上とされる)受け口の深さはツルの強度、追い口に楔を打ち込む奥行きを考えて決める。

ツルの幅は谷側が10~15センチ、山側が17~18センチ。(基本は直径の10%とされる)今回は斜面横方向に倒すので基本より強度がいる。十分な厚さから調整を進めた結果。

ツルの高さは17~18センチ。(基本は直径の15%~20%とされる)今回は少しでも倒れる勢いを緩めるため、ツルに粘りを持たせるため、高めに設定した。

側方から測った直径は71センチ。

何故チェーンが切れたのか、改めて問うて、はたと思い出す。受け口を入れ始めた時から妙に切れないおかしいとは感じていたのだ。何か金属にあたっているような、刃が滑って食い込みが悪いような。異音が混じっているようにも感じた。しかし、明確な原因が浮かばなかったので作業を続けた。

一晩経って思い至る。デプスゲージの調整が甘かったのではないか。デプスゲージとは名前の通り、刃が木に食い込む深さを調整するものだ。大工さんがカンナの刃を金槌を使って台木からの出具合を見るそれである。前日の目立てで確認をしてはいたのだが、自分の認識が甘かった。燃料満タン1回分ほど使って、最後の方は若干切れ味が落ちた感はあったものの特に違和感はなかった。そして当日、念のため再度目立てをしたのだが、それにより気づかぬ程度だったのが決定的になってしまったのだろう。これまで時々削って下げたことはあったものの、さほど必要性を感じていなかったから、勝手にバランスは取れるもので敢えて調整する必要はないのかなと思ってしまったのだ。

左右の刃が交互に連結してるソーチェーン。1箇所だけ同じ側が続くのだが、そのところが切れた。

追い口を切るときに出た切り屑。それほど悪くはないがよくはない。

受け口の切り屑は繊維に対して斜めに入るので粉っぽくなる。ちなみに、繊維に対して平行に入れると下の写真のように切り屑は長くなる。前日、樫で予備の楔を作る際に出たものだ。この時点ではさほど悪くはないと思ったのだが。

あるいは、チェーンを張りすぎたのか。いずれにせよ、今後、気をつけるいい経験になった。