投稿者「ikufarm」のアーカイブ

ピクルス出来てます

穂紫蘇、サラダカボチャのコリンキー、そしてオレンジピール香るニンニクのレリッシュ、続々出来てます。

高知でチキン南蛮といえば、玉ねぎに唐辛子の効いた甘辛い酢醤油を和えたものではなく、ケチャップとマヨネーズを合わせたオーロラソースをかけるのが定番なようです。我が家ではそのオーロラソースにひと工夫。ニンニクのレリッシュを加え、お好みでタバスコ、仕上げに今が旬の新生姜の千切りをたっぷり盛っていただきます。添えたレタスがとてもすすむ一皿です。

コリンキーのスイートはシナモンと蜂蜜をきかせてフルーティーな仕上がり。スライスタイプのものは是非サンドイッチに使っていただきたいです。おすすめは粗挽き黒胡椒を効かせたカリカリベーコンの目玉焼きとサニーレタス、そしてコリンキーのスライスです。お好みでパルメジャーノチーズやマヨネーズを加えて下さい。

穂紫蘇は出汁を引いた後の昆布を千切りにして三杯酢で下味をつけ、新生姜の千切り、そしてたっぷりの穂紫蘇と和えれば、丁度いい突き出しになり、お酒が進みますよ。

最近出荷の生鮮

いよいよ秋も深まってまいりました。あったかい飴湯が飲みたいなぁと思い、かわりに作ってみたのが、なぜ今までやらなかったのかという美味しさ。蜂蜜に生姜、そして搾りたての柚子がなんともいい香り。時には紅茶でやることも。柚子は黄色くなってから収穫するものと思い込んでいたのですが、そんなことはなかったのですね。

秋の山行

10月28日、かねてより憧れていた三嶺へ向かった。徳島と高知の間に連なる剣山系の一つで、思い入れを持ったファンが多いことで知られており、「みうね」が正式なようだが、高知では「さんれい」と親しみをもって呼ばれている。

一泊二日の行程。初めての今回は一日目、途中のさおりが原でテント泊して、二日目は様子を見つつ行けるところまで行って引き返す予定だ。昨年大変な目に遭った石鎚の裏参道のことがある。人によっては10時間ほどかけて日帰りするようだが、まあ、自分達には無理だろう。

高知県、旧物部村の最奥、久保の影という集落の先、西熊林道に登山口がある。さおりが原は、20年前の修行時代、研修先の農園へ援農に来られていたご夫婦に連れて来てもらった思い出の場所だ。当初は住み込みで働かせてもらっており、息抜きにとの心遣いであった。5月、静かな沢が流れ入る園地にバイケイソウの群落、立派な栃木。帰りには笹温泉に浸かって夢見心地であった。

我が家から登山口まで約100キロ、3時間弱。前日まで何の用意もできなかったので、朝起きてから、弁当を作り、荷造りを済ませて家を出たのが9時半。登り始めたのが12時半。さおりが原までは印に混乱して迷いやすいらしい。なるほど、どこでも通れそうな開けたところは足跡が道を作っておらずトレースすることができない。枝や幹に巻かれたテープもラインを描かず、こっちからもあっちからも行けるというように散在しており、分岐のポイントがわかりにくい。地図とコンパスを頼りに地形を確認しながら北の少し東寄りの方角を登ってゆく。

昼前に道中でパンを食べていたので、遅めの弁当タイムをとった。山仕様の卵焼きは、だし巻きではなく砂糖と薄口醤油で。太白ごま油を贅沢に使い、2人前を卵6個で作る。今回は海苔弁に。忍ばせた昆布と卵焼きとの相性が抜群であった。他は、芹と鰹節をソーセージを焼いた残り油でさっと火を通して醤油を和えたもの。

尾根に出た。どうやらさおりが原への分岐を過ぎてしまったようだ。尾根伝いに北東へ進路を変える。そのまま進むことにした。眼前、北に西熊山らしき頂と大タオらしき見事な笹原の稜線が見えた。あれがカンカケ谷でこれがフスベヨリ谷だろう。そして私たちの立つ尾根。いずれ本来予定していた道と合流するはずだ。

今思えば、散在しているように見えた印はつまり、九十九折りを細かすぎるくらいに案内していたのかもしれない。それで肝心の分岐も同様のそれと思い込んでしまったらしい。

15時が過ぎ、16時が過ぎ、まだ合流すべき尾根が見えない。気温が下がってきた。そろそろ、さおりが原は諦めるべきか、どこでテントを張るか探しながら進む。16時半、いよいよ今日はここまで。強さを増してきた風を避けられる場所を探す。窪地は平らでも湿気ているし、鹿のフンもそこここにある。そして枯れた立ち木の下を避けるとなると、なかなか見当たらない。風上でなければいいか。気温はぐんぐん下がってきた。山の様相は急激に変わるから恐ろしい。

ビバークではないが、当初の予定を外れて一泊することに。強い風が夜通し続いたが、幸いテントを張ったところは穏やかだった。ここは熊が棲む山域らしい。鹿の鳴き声も時折聞こえてくる。猪も間違いなくいるだろう。テント周りに細引きで境界をこしらえ、そこに熊鈴をぶら下げて呼子にする。効果があるかないかわからないけど、、、弱いなぁ、自分。かつての山に入る人ならば当然、我が身を守る術を持っていたであろうに。身についてないことのなんと深刻で痛恨なことか。40歳も過ぎて慌てて取り戻そうとしている。

熊の話を持ち出すと嫁が思った以上に嫌がった。「スマン、スマン。」「スマンでは、済まん!」

一晩中強風が尾根向こうで吹き荒び、嫁はほとんど寝られなかった様子。私は気づけは2時間とか1時間とか経っていたのが幸いだった。3シーズン用の寝袋だが防水透湿性のあるカバーを新調したことで暖かく寝ることができた。嫁は冬仕様のものだがそれだけでは寒かったようだ。

夜が明けてコーヒーを淹れ、お手製のパウンドケーキでひと心地。

「コーヒー入ったよー」嫁を呼ぼうとしたところ、転かして半減させてしまった。貴重な水、貴重な燃料、、、疲れてるな、自分。呆れて文句を言うでもなく、美味しいと慰めてくれた嫁に感謝。

テントを撤収し、パッキングしていざ出発。8時。三嶺までは無理でもカヤハゲの分岐を確認するところまでは行きたい。じきに陽が出るだろうと、防寒着をザックに仕舞い込み薄手の行動着になったものの、風が一向にやまない。テントを張った南側とは違い、進む尾根の北側は風がもろに当たる。これはキツいと思う間にも体温がどんどん奪われてゆく。嫁がもう引き返そうと言う。尚も先を進もうとする私に、この先風が止む保証はないのだからと更に訴える。ひとまずザックを降ろし、とにかく仕舞い込んだ防寒着を着直すことに。ニット帽を被りさらにフードで覆う。これでなんとかなりそうだが、その間、少し余裕を取り戻すことができた。テントの撤収作業で待たせていた間、私と嫁の保持している温みには幾分の差がすでに生まれていたことに思い至る。気づけば私自身だいぶん冷静な思考をを失うほど冷えは緊迫していた。吹き付ける風の強さはとてつもなかった。以前友人が、どこでそう思ったのか知らないけれど、手綱を握っているのは嫁、と言っていたのを思い出して苦笑いする。言い得て妙である。

初の三嶺は遠く叶わなかったが、かつてないほど広く美しい豊かな森を十分満喫することができた。

また来ると、嫁の背中が言ってる。

来た道を戻り、さおりが原への分岐を確認。20年ぶりの園は鹿避けの防護ネットが至る所に施され物々しい様相となっていた。倒木、立ち枯れ。よほどの嵐だったのか、砂礫が剥き出しとなっているところがそこ此処に。美しくも荒々しいかけがえのない山。コーヒーを淹れ直した。

また転かすなよー

本日出荷の生鮮

今時分のニラは虫もつかずとても綺麗で美味しい。新生姜のおすすめはなんと言っても柔らかい新芽の部分をスライスして味噌をつけて食べる。新鮮な香りとみずみずしさが口いっぱいに広がります。お酒がお好きな方には特におすすめです。我が家の定番。カツオのたたきに薬味としてニンニクや玉ねぎとともに添えるのも美味しいです。

たくさんあってどうしようと困る方は繊維に対して直角に切って佃煮、もしくは繊維と並行に千切りしてきんぴらに。もちろん、豚の生姜焼きにたっぷり入れて、新米を頬張るのもおすすめです。

畑のようす〜10月中旬〜

秋の作付けもあと少しですが、それが終われば暫時冬支度に入ります。草刈り運搬、そして細断。里芋や生姜、さつま芋などにたっぷり草を敷いて凍らないようにします。11月に入るといつ霜が降りるか、年によっては上旬になることもあります。

そして、山仕事。伐り倒しておいた杉を玉切りして搬出しやすいよう整えておきます。下草や灌木を刈ったり、残す木を決めて他を間引いたり。藪の中に三叉を発見。春には黄色くかわいい花を咲かせるので残しましょう。生えてくるのは樫や椎などの常緑樹が圧倒的に多いので、花のなる木や紅葉する欅や楓を見つけたら嬉しい。

周りは稲刈りの真っ最中。

最近出荷の生鮮

秋の収穫が始まりました。サニーレタス、サラダ菜は台風によるダメージから回復しての収穫。落花生は塩茹でが一番。サツマイモ土佐紅金時はきめ細かく、甘みはこれからだとしても十分美味しくできました。我が家では早速天ぷらや豚汁にしていただきました。

(台風14号の後、痛んだ外葉をとって草を敷いて畑を整え直す)

最近出荷の生鮮

前回の台風で既にダメージを受けていたピーマンやナスなどの果菜類は、今回の14号でいよいよ終わりかもしれません。生姜に里芋、芽を出したばかりの冬野菜、植え付けたキャベツやブロッコリー、それぞれの作物にダメージはあるのですが、完全にダメになったわけではないと思うので、これからの持ち直しに期待して手入れを続けます。

被害の全貌はまだ把握できていないのですが、昨日は倒木の処理など生活道の復旧にあたっていました。停電は20時間ほどで復旧していただけたので助かりました。