山仕事備忘録〜東の藪’24〜

燃料を自給できることの有り難さをしみじみ感じるこの頃。寒い夜も雨の日も不安なく過ごせます。裏山がある程度片付いたので、次は一昨年伐った大径木に取り掛かります。急斜面に水平な足場を作り、道具を新たに揃え、挙動を予想してそこに寝かせる。自分なりに段取ったわけですが、結果は奇跡的だったと思います。自画自賛などありえません。安堵と感謝、そして自己の確認です。

玉切りして割ってから搬出。直径80センチを越える株元は、両側から刃を入れても届かないため、矢で割ってバラしながら切り進めます。中腰で横方向に槌を振るこれがかなりきつい。日々のストレッチとトレーニングを続けて身体を強く保つことはもはや必須です。とにかく重量物は若いうちに片付けて、良質な薪のとれる山にしていきます。

刃が届くところまで来ればだいぶん楽に。谷側に寝かせたもう一本のおかげで転げ落ちる心配はありません。

週末はもっぱら山仕事です。視界が開け本当に居心地良くなってきました。これを片付けたらようやく次が伐れます。一箇所を一度に伐り剥ぐのではなく、裏山や畑の東や西など何年もかけて満遍なく手入れすることで、次なる木を育てながら進めます。

高村光太郎の詩『道程』の一節、

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」

二十数年前に北海道の恩師から頂いた言葉ですが、積み重ねてきたことの成果を今こうして眼前に見渡せた時、自らを勇気づけ奮い立たせてくれるようで、なんとも有難い心持ちになりました。家も農地も何十年と放棄され荒れ果てた状態からのスタート。まともに農家としての研鑽を積む以前の、いわゆる雑務に多くを費やしてきました。なので、そういった事をする必要のなかった人たちに比べれば、(本当は比べることなんてできないのですが)、私のこの積み重ねは無かったことに等しい。しかし、揺らぎながらもここに賭けてきた労働によっていつしか迷いは消え、今や自己表明にもなっていると思えるのです。

【表明】 〔自分の意見・決心などを〕人前にはっきりと示すこと (三省堂国語辞典より)

自信はその都度塗り重ねなければ脆く見失うほどに儚い。自分のため、無駄にはならないと思えてはじめて、ひとに使われることにもやりがいは生まれる。これからも事故なく山の暮らしを続けていけたらと思います。

「お山の宿みちつじ」のプリン。きめが細かく滑らかで本当に美味しかったです。カラメルも美味しかったー!