伐ったのは山側の杉3本。だいぶん明るくなってきました。
前日は雨でしたが、当日20日は晴れ、少々風があったものの支障をきたすほどではなく、地域の協力もあって、片付けまで無事終えることができました。
崖の上と言ってもいいところに生えており、いかに安定して寝かせられるか、中途半端では終われない、本当に難しいケースでした。加えて、通信ケーブルに枝がからんでいたこと。2株が密接して生え、片方が斜め後ろ谷側へ傾いている起こし木であったこと。滑車を取り付ける立木が限られ、牽引方向がベストではなかったこと。それぞれが伐根直径60センチ前後の大径木であったこと。11月に一度、牽引具をセッティングしてラインを確かめ具体的にイメージしたところ、いかに問題を孕んでいるか解って仕切り直すことに。普段の畑仕事にはない種類のリスク。搬出も危険を伴い、重労働になります。
万全を期すため、事前に枝を打ち、当日は再度登ってワイヤーを枝の上の充分高いところに取り付けて牽引し、手前の一本はアンカーにする木がないので楔だけで倒すことに。スケジュール的に半日に3本は難しかったのですが、入念に対策を練り手持ちの手段を増やしていたことで、落ち着いて進めることができました。
次の冬までこのまま置いておきます。全てを片付けるまで、まだまだ安心はできませんが、兎にも角にも、無事に倒れ、安定した状態で寝てくれたことは大きい。衆目集まる中、誰から見ても安心感があり、作業が淡々と進められ無茶をしていないと見てとれるかどうか、今後もここで山仕事をさせてもらえるかどうかが掛かっていました。
手入れすべき山が集落の中にあり急斜面にあるということがいかに困難なことであるか、知らぬままに借りてしまったことはなんと危うい若さであったかと思います。そこが植林になっていることそのものが異常ということさえ知りませんでした。
周りの植生が豊かになれば、畑も良くなる。それは逆に言えば、周りの手入れをしなければ畑はよくならないということです。借りた農地は東西を深い藪に囲まれており、南斜面にあっても日照が足りないということを後から知りました。実が満足に着かなかったのです。薮は獣の棲家になるばかりでなく、虫の温床にもなるし、湿気を溜めてしまう。気の流れが悪いというような観念的なことを持ち出すまでもなく、そこで農業を生業とするのは厳しい。
石鎚の麓で発酵茶を作ってきたご夫婦の言葉が印象的でした。村を去る人々が山を植林に変えてしまってから次第にうまく発酵しなくなったと語っていました。自分の手の届く範囲でもいいから、この暗澹たる混沌を払拭できるものなら払拭したい。少しでも、この先きっと良くなると思えること、将来を楽しみにできることが生きるためには必要です。にしても、一つ一つが実に重い。ひとりの人力で大径木を片付けられるのは40代まででしょうか。時間が限られていることを嫌でも思い知らされます。美しいと思えるところで暮らしたい。