北海道の恩師から鮭が届きました。
19歳の時に牧場アルバイトでお世話になって以来、大学卒業後の進路に迷っているときも、農業に展望を見いだせないときも、そのほかにも数えられないくらいお世話になっています。
先日、電話で聞いた話。
北海道でも法人化が進んでいて、近隣の農家が出資し合って規模を拡大し、効率化を図るわけですが、なかなかうまく行ってはいないようです。
農地を拡大すれば身入りが増えるということではなく、規模に見合った機械の大型化や更なる設備投資が必要になり、新たな負債を抱える。出資者同士の関係がうまくいかず辞める人も多いのだけど、その人の土地は既に法人名義になっているので、帰って耕す土地もなく農家に戻ることはできない。離農し、どこか雇ってもらえる口を探すしかない。そんな悲愴な話を聞きました。
「農学栄えて農業滅ぶ」と言われてきたように、これから農業に携わろうという人にも、農家をめざすのではなく、斡旋する側にまわる人の方が多いようです。いっとき増えた新規就農希望者はめっきり少なくなりました。担い手の高齢化は明らかに進んでいて、これまで草を刈っていた人もそれが無理になり、除草剤を使うようになっている現実があります。なので、うわべのサポートではなく、その人自身が主体となり、責任とリスクを負って農業に従事する、少なくともそれを前提として欲しいと思います。
移住や地域おこしという言葉が頻繁に使われるようになった頃から、田舎に移り住むその意味合いが違ってきたかもしれません。そもそも、私個人の考え方では、各々がそこで暮らすために仕事をする、無ければ作り、暮らしを立てていくことで、結果的に地域は興るものだと考えています。地域おこしという新しい仕事を、地域経済がまわるよう稼げる仕組みを作る仕事と、敢えて定義付けるなら、その仕組みを作り商品提案をして終わりではなく、提案した人自身が主体となって続けなければ、その仕事は生き残れないはずです。
農家の研修生としてこの土地に来た当初、「骨を埋める覚悟はあるか」と地元の農家に訊かれたものです。街暮らしにはない衝撃的な言葉でしたが、今となっては、それが不思議なほど納得できます。農業も農村で暮らすことも、土地に根を下ろさなければ、いつまでたっても自分の事として真摯に向き合うことはできないと実感してきたからです。土地の手入れを続けることも、そこでずっと暮らしたいといつわりなく思えた時にはじめて、身が入りました。地域の役を受けるも断るも、それ相応の理由がなければできることではありません。私は消防団を3年で辞めましたが、それは辞めなければ農業を続けられなかったからです。実際の消火活動ではなく、練習や大会に参加する為に捨てたたくさんの野菜、それを仕方がないと笑う兼業農家のように自分を納得させることはできませんでした。農業を生業とし、ここでずっと暮らしたいと本当に思えていたからこそ、地域からどういう処遇を受けるかとても不安でしたが、言う決心がつきました。
価値観は人それぞれですが、各々主体となる、そこは共有したいものです。