支障木の伐採

畑の南東を遮ってきた大物を厄年の前に伐ることにしました。3年前の伐採は畑を挟んで西側になり、この一本が片づけば大きく前進できることになります。

農業と共にある暮らしの中、両側ともかつては竹など生やしてはおらず、杉ひのきの植林は持ち主がそこでの暮らしをやめる最期に植えたそうです。

植林するのは時代の流れだったのでしょう。しかし、さらに時代は移り変わり、もはや効率や作業性の悪い不利地では頼んでも伐採してもらえず、近在の主立った製材所では直径40センチを超える木は機械に通らないからと断られ、チップ工場にしか引き取ってもらえないようになりました。引き取った業者はいいものを選って他へ転売しているらしいというのが、もっぱらの噂です。

粗悪な木ばかりとなれば、集成材にするしかないというのも道理ですし、建築現場からしても一本一本クセを見極めるような数値化できない技量を要する、いわばリスクのある仕事よりも、狂いのでないことを前提とした画一的な建材に移行することもまた道理です。

抗うことのできない時代の流れ。かつて木材は割って製材するが故に節がないよう枝打ちを入念にしておく必要がありました。動力による鋸引きが可能になると節に関わらず製材できるようになり、手間のかかる枝打ちは自然遠のきました。枝が混み合えば枯れる枝が出ます。それは死節となり、板にしたときに抜け落ちて穴となります。安価に量産する流れの中では良材を生産するための地道な仕事は当面の利益にはなりません。間伐や下草を刈るよりも植えることが優先され、今や腐れや虫食いの入った間伐しても手遅れな山ばかりなのです。間伐して意味があるのはそれまでも生育に応じて手入れを続けて来た山くらいで、それは今になって間伐があまり言われなくなり、皆伐が推進されていることからも分かるはずなのですが、山仕事を実際にはしない山主にはなかなか伝わらないようです。

子や孫に財産を残したいという持ち主の思い。その場つなぎとして住むことを許されている私達。伐採の許可を得ることもなかなか難しいのです。

日常の平穏を享受する為、家や畑の周り、それぞれを少しずつ伐っては片付けて更に伐り進めるの繰り返しです。10年以上経ってここも気がつけば陽が差し込むようになりました。来年の厄年を避けるとなれば3年後かと考えたのですが、これまで幾度となく見上げては伐れると思えるその時を待ち続け、さらに3年も足踏みするのはしんどいというか、気力体力ともに今ならと思えたので伐ることにしたのです。とはいえ、それから倒す道を開くのに3日かかりました。安全に倒すためにはかかり木にならないことが第一。そして、足元を整えておくこと。手間はかかっても十分に片付けておく必要があります。ちょっとした枝が命取りとなるのです。

(写真上、奥の木を倒すため手前に向けて道が開けたところ。左が谷側、右が山側。)

枝にかかるだけならまだしも、幹と幹の間にがっちり挟まってどうしようにも倒れないという状態はもっとも避けたいので、それも見越して伐り倒しておくべきものに見当をつけます。現場は地域の人が時折通る道の上斜面にあり、伐倒したのちは少なくとも次の冬までそのまま、薪にする分ずつ玉切りにして割って運び出します。なので、倒した後に不意に動いて事故が起こらないよう念には念を入れておきます。できるだけ水平に道を作り、切り株を生かし安定させます。玉切りしたものが転げ落ちないよう堰にもなるように。日も暮れ、本番は翌日に持ち越しとなりました。

さて、いよいよ明日伐ると決めたもののなかなか寝付けません。これまで繰り返し読んできた手引書と、より詳細なものを新たに手に入れたのでそれ読みながら、改めて気をつけるべきところを整理し、見落としがないか思いを巡らせました。

抜根直径は65センチ、これまでで最も太い木でした。枝が片側に偏っており、倒す方向の斜め反対、谷側に重心がありました。楔で中心へ起こしつつ倒す方向に傾けていくことになります。今回も牽引具を使わなかったので、楔を打ち込むのが大変でした。打ち込む先から木の相当な重量によって追い口に楔が減り込み、半分それ以上打ち込んでも全く傾きが変わっていないとなったときは正直なところ焦りました。今一度、気を落ち着け、山側、真ん中、谷側と3つある楔のうち、真ん中を打ち込んで軽くしてから谷側を打ち込み、山側は他の2つに追いつく程度に打ち込むことを何度も繰り返しました。(軽いからといって山側を打ち込みすぎると、谷側に偏った重心を起こすことにならず、延いてはコントロールを失って谷側、つまり他人の土地に倒れてしまうことになります。)受け口の深さは木の直径の3分の1で20センチほど、念入りに整え芯抜きをし、ツルの幅と高さは必要十分となるよう気を付けていました。腐れは無く、風は微風。焦る必要はないはずです。手鋸で追い口を再調整し、僅かづつでも打ち進め、ツルの裂け具合を確認し、最後まで冷静に作業を進めることができました。伐り倒して枝を払って片付けるのに丸一日費やしました。

改めて伐り口を見ると、芯抜きが不十分で追い口が浅かったのがわかります。やはり40センチほど深く入れてはじめから谷側に角度をつけておくべきでした。そして、今回のような偏重木の場合はその偏りを起こす方向に牽引すればより確実に作業を進めることができる、つまり牽引すべき方向が自分の中で明確になりました。牽引力で倒そうとするのではなく、あくまで楔を使って木の自重で倒れるようにすることが基本だろうと考えています。

牽引することで重心を起こせるのは幹がしなるから。楔によって起こせるのは、捻られる力に対し簡単には折れない粘りがあるから、、、伐る手順の一つ一つがどのように作用しているのか、自分の身体を木に見立て、3つの楔それぞれによって押し上げられる圧力とその反応をイメージするようになったのは最近です。そうすることでより立体的に捉えやすくなりました。危険をともない技量を要する仕事。これまでの経験を何度も振り返り、何故そうなったのか、どういう予想外の動きをしたのか自分の頭で必死に考えるしかなく、山仕事の間はそれに全精力かけることになります。畑仕事も工房仕事もストップしてしまいますが、それでも仕方がないと考えています。

こういった山仕事を続けていますが、しないで済むような条件のいい土地であったらとは思わないのが我ながら不思議なくらいです。それぞれの土地にはそれぞれに抱える問題があり、新規に就農する場合、根を下ろすのは農地が先か家が先か、多くの場合、農地はひとまず借りれたものの家が伴わず離れた別の地域にあったり、心血を注いできても返さなければならなくなったり、少なからず営農や栽培技術以前の問題に悩まされると思います。私はそういったことを経ていつの頃からか、林業に限らず農業も一代でどうこうなるものではないと思うようになりました。ここと決めた場所を少しでも良くして、その恩恵を日常に得られるならそれで十分なのかも知れません。

連日の山仕事をこなせたのも、一昨年よりはじめたトレーニングの成果です。休むのも仕事のうちというところでしょうか。

後から知ったのですが、今年が本厄でした。数え年ということをぬかっておりました。無事に終わってよかったです。