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藪の伐採〜つづきその2〜

果たして伐根直径80センチ前後の大径木が無事に倒れた。ポイントとしていた伐り株を越えず、望んでいたラインに落ち着いてくれた。これでじっくり乾燥させることができるし、搬出もごとごと安全に行える。

必要な道具を揃え、ラインを定めるのに三週間を要した。体力の回復を待つ必要もあった。とはいえ、プレッシャーが長引くのはしんどいものだ。集中力がここぞという時に発揮できず判断が鈍るかもしれない。とはいえ、その間、検証を重ねることができた。前日まで二日つづいて風が強く更に足踏みすることになったが、結果的にはそれも良かった。改めて現場を整えつついろんな角度から見直し、最後は滑車を取り付ける立木を変更するに至った。

今一度今回の仕事を振り返ってみる。

前回同様、難しいのは倒れて着地したラインが最終ラインではなく目標ラインでもないことだ。現場は上を通る道にカーブミラーがあるように、直線的に続く斜面ではない。そしてライン手前が大きく落ち窪んで谷のようになっている。だからそのまま横方向に倒しても円に描き入れる接線のように土地に沿わず、また谷へ渡すようになるのだ。下方に設けたラインは比較的カーブが穏やかであり、谷はこれまでに伐った竹や木で埋めてある。

倒れてからの動きをイメージする。まずはじめに木の先端である梢が着地する。立木と立木の間にがっちり噛み込んで固定されれば、そこを支点として、扇が開くように元口から樹幹は谷側へ動き、ポイントとしている伐り株で止まり、目標ラインに落ち着く。前回のように予想以上の力で跳ね上がることのないよう、角切りをしておく。そして、ライン手前に高く残してある竹の伐り株がクッションになってくれることを期待する。いずれにせよ、ツルは衝撃で引き千切れるだろう。

最終決定したラインをメージャーで測る。滑車を取り付ける立木まで約15メートル。手前の伐り株に激突せず、寝かしてある木の元口付近をクッションに、そして奥にはもうひとつ伐り株がライン下方、目標ラインとの間にあったので斜めに切り下げておいた。

さらに引いて、下を通る道から。樹高は20メートルをゆうに超えるだろうから、梢が道に被さることになる。写真上は当日、牽引具をセットしたところだ。中央が倒す木。その右隣に滑車が取り付けてある。その木と倒す木を挟んで左隣にある立木との間に倒す。左、谷側にそれると、水平ラインを交差し、梢が意図せぬ具合に引っかかって強い緊張を生む。山側へそれても厄介だ。樹幹が斜面上に不安定な形で止まり新たな危険を生む。ここが何となくだと、本番作業中、肝心の受け口が定まらず常に漠然とした不安を抱え続けることになる。

写真の真正面に倒したい。両側にある立ち木の真ん中ではなく、滑車を取り付けた山側よりであることがポイントだ。樹幹はわずかに谷側へ曲がりまた山側へ直ろうとしている。重心は若干谷よりだと思うので、伐倒ラインを意識的に谷側へ寄せることはしない。

写真下、反対から見る。ありがたいことに滑車を取り付けてある牽引ライン正面の木も梢が山側へ反っているから、ギリギリを狙ってもうまく避けてくれるだろう。

最後に木の下に立って伐倒方向を確認する。

かつて経験したことのないサイズ。60センチをゆうに超えるだろうくらいに思っていたが、事前にチェーンソーを持って、どう切るか足場の確認も含めて木に当ててみて目を疑う。ガイドバーの倍近くかそれ以上あるではないか。胴回りを測ってみると2メートル40センチ以上。受け口のラインだともっとある。直径×3.14=円周に当てはめると79センチ前後と出た。否が応でも重圧がのし掛かる。

足場は竹の伐り株とその間に木を渡した簡素なもの。受け口も追い口も谷側から正対できない。どうするか。朝までじっくり布団の中で考える。正対できなければ突っ込み切りはできない。チェーンソーの特性を思い出して、一番無理のない方法をあれこれ考える。本を読んで答えを探そうかとも思ったがやめた。

当日は風が止みとても静かだった。牽引具のセッティングも順調にできた。改めて、今回ぬかってはならないポイントを思い出す。受け口の下切りの角を欠くこと、そして芯を入念に切っておくこと。一息入れてから伐り始めた。思っていた以上に受け口の調整が難しい。谷側からだと胸よりも高い位置にあり、チェーンソーを逆さに構えて山側からのラインに一致させるのは至難の業だ。目で確認しながら進めることさえできない。なので手鋸とヨキ、そして山側から回りこんでチェーンソーの切っ先で調整した。手鋸はいつも使っているものは寸足らずなので、錆び付いていた伐採用であろう年代ものを事前に目立てした。鋸の目立てははじめてだ。それなりに切れるようにしたつもりが思うように切れない。アサリの具合が甘いのか。しかし試し切りした時はこんなではなかった、、、。深さ20センチの時点で一旦うまく作れた。もう良しとしたいところだったが、思い直して25センチまで深くした。根張りの絡みでツルの強度に心配が残るからだ。水準器を使って水平を確認した。規模が大きくなればなるほど、ちょっとした誤差が大きなミスに繋がる。

追い口についても水準器を使って目印をつけ、いざ、刃を入れ始めた。感覚による水平と目印のと間に誤差はなく順調に進んでいる。が、途中であろうことかソーチェーンが音をたてて切れてしまった。はじめてのことに目が点になる。どこからどこまでを切ったところかというと、写真下の伐り株に追い口谷側から手前に向けて斜めにバーの形が連続するように跡がついているところだ。まだ半分も切れていない。無論、現場を離れるわけにはいかないので、あとは鋸でやるしかない。目立てをしておいて正解と言いたいところだが、替え刃を用意していなかったのは不徳の致すところだ。嫁におにぎりを頼んだ。

体力が急激に消耗していく。生きていると木はこれほどまでに違うものか。まるで切られたそばからその傷を治そうとするように体液が滲み出し肉が盛り上がり、まるで鋸が取り込まれるようだ。引くにも押すにも力がいる。しかし、力任せにしてはいけない。今一度気を引き締めなければ。とはいえふらふらだ。寸足らずの鋸である故に思うようにいかない。谷側から山側から切り込んでいくが、中心付近が切り残り、直線にすべき追い口のラインがハの字になる。そんな状態で無理をして楔を打つのは好ましくない。

楔はチェーンソーによる切り口に打ち込む想定だから、鋸による切り口そのままでは狭くて入らない。追い口の真正面一個と谷側に一個の二つではじめる。途端に谷側の楔が割れた。替えを打ち込み、少し持ち上がってきてから山側を入れる。これで楔が三つ。と、今度は、真ん中の楔を打ち込んでいる木口が裂け上がりはじめた。根張りだからなのか、はじめてのことでわからないが奥の方は大丈夫そうだし楔は順調に入る。次から次へと思わぬことが続く。深呼吸をして下腹に力を込める。新しい楔を2つ追加。追い口を切り進めつつ、合計5つの楔で打ち進め、牽引具で追いかける。決して、牽引具の力で強引に倒そうとしてはならない。

明らかに谷側が重い。比較的厚めに残していた山側のツルが先に音を立てた。いよいよ重心が谷側にあることは明確だ。谷側のツルを重点的に切り進め、楔を打つ。まだ裂ける音はしない。一連の作業を繰り返す。ようやく谷側が鳴った。山側も追いつく程度に進める。

本格的に裂ける音がして倒れ始めるまではあっという間だった。かかった枝もなんのその、自重で折って折られて倒れた。圧倒的な量感だった。恐ろしさの余韻はなかなか消えない。

実は作業途中、チェーンが切れたあたりから地域のお歴々が観にきていたのだ。この手のプレッシャーには大丈夫になった。楽しそうにしてくれているのがこちらも嬉しい。無事に倒れたことを見届け、しばらくお喋りをした。明るくなったことを喜んでくれているようだ。色々話を聞かせてくれた。やはり、集落に藪が迫っているのは火事のこともあって不安に思っているようだ。そして、こういった太い木ほどプロに頼んでも伐ってもらえないとのこと。つまり、業者からすれば、藪を片づける余計な手間がかかるわりに、虫食いや腐れなど、材としてお金になるかどうか確証が持てなかったり、集落の中にあってリスクが高かったり、割に合わないから請け負えないということだろう。どうしようもなくそのままになっている現状を不安に感じているのは同じだったのだ。

小学生の時、倒木更新という言葉を国語の授業で習った。寿命尽きた木が倒れ、新たな芽を育むという話だ。何故伐るのか。まず大前提として、木もまた永遠ではないということだ。木は人を生かしもすれば殺しもする。

改めて、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する。ゲートとした立木の間、山側ぎりぎりを狙えていた。

狙ったところに着地後、樹幹が谷側へ落ちるに従い梢先端は、写真中央から山側へ角度を変えた。

伐倒方向の直径は85センチ。

受け口の深さは24~25センチ。(基本は直径の4分の1以上、大径木の場合は3分の1以上とされる)受け口の深さはツルの強度、追い口に楔を打ち込む奥行きを考えて決める。

ツルの幅は谷側が10~15センチ、山側が17~18センチ。(基本は直径の10%とされる)今回は斜面横方向に倒すので基本より強度がいる。十分な厚さから調整を進めた結果。

ツルの高さは17~18センチ。(基本は直径の15%~20%とされる)今回は少しでも倒れる勢いを緩めるため、ツルに粘りを持たせるため、高めに設定した。

側方から測った直径は71センチ。

何故チェーンが切れたのか、改めて問うて、はたと思い出す。受け口を入れ始めた時から妙に切れないおかしいとは感じていたのだ。何か金属にあたっているような、刃が滑って食い込みが悪いような。異音が混じっているようにも感じた。しかし、明確な原因が浮かばなかったので作業を続けた。

一晩経って思い至る。デプスゲージの調整が甘かったのではないか。デプスゲージとは名前の通り、刃が木に食い込む深さを調整するものだ。大工さんがカンナの刃を金槌を使って台木からの出具合を見るそれである。前日の目立てで確認をしてはいたのだが、自分の認識が甘かった。燃料満タン1回分ほど使って、最後の方は若干切れ味が落ちた感はあったものの特に違和感はなかった。そして当日、念のため再度目立てをしたのだが、それにより気づかぬ程度だったのが決定的になってしまったのだろう。これまで時々削って下げたことはあったものの、さほど必要性を感じていなかったから、勝手にバランスは取れるもので敢えて調整する必要はないのかなと思ってしまったのだ。

左右の刃が交互に連結してるソーチェーン。1箇所だけ同じ側が続くのだが、そのところが切れた。

追い口を切るときに出た切り屑。それほど悪くはないがよくはない。

受け口の切り屑は繊維に対して斜めに入るので粉っぽくなる。ちなみに、繊維に対して平行に入れると下の写真のように切り屑は長くなる。前日、樫で予備の楔を作る際に出たものだ。この時点ではさほど悪くはないと思ったのだが。

あるいは、チェーンを張りすぎたのか。いずれにせよ、今後、気をつけるいい経験になった。

 

藪の伐採〜つづきその1〜

だいぶん片付いて空が見えてきた。いよいよ直径70センチ近くになろうかという大径木のラインを決めたい。その前段階として、隣の木、写真上の真ん中を倒す。シュロの葉で隠れているが、ポイントとなる伐り株を高めに残した。その株よりもできれば山側に倒したい。しかし、掛かっている枝を少しでも避けるには谷側へずれても仕方がない。

右が大物で左が今回倒す木。

楔は枝にかかるところまで順調に効いていることを確認。そこから牽引具(ウィンチ)を使う。かなり引っ張っても掛かった枝にしっかり受け止められ葉さえピクリとも動かない。少しでも抵抗を少なくするために追い口を再調整し、牽引具のセットをやり直してなんとか倒れた。

数千円の簡易なウィンチを使ったこのやり方では限界かもしれない。一回のセッティングで引ける長さはせいぜい1メートル。なので場合によっては何度かやり直さなければならない。その間、楔を効かせているとはいえ一度緊張させたものを緩めてまた張るという作業は不確定要素を自ら作る無茶な行為だし、牽引具の取り付けについても、やり直す際の引きしろをとるために倒れる側に寄って作業することになる。今回12ミリのポリエステルロープはカンカンに張り、滑車を固定していた結びがいつになく固く締まっていた。一般的にこのような使い方をするのか知らないが、本来の使い方ではないだろう。

今後はこのやり直しの必要がないチルホールという牽引具をあらたに構える必要がある。となれば、それに付随する道具一式もまた近所のホームセンターでは揃わない。かつては隣の本山町に専門の機械屋があったが今はもうない。繰り返し本を読み込んでネットで注文する。実は当初の10年ほど前から気になってチルホールをネット検索し続けてきたが欠品続きだったたり情報が今ひとつ不十分だったり、門外漢には敷居が高くてどこで買えばいいのか何を揃えるべきなのか定まらなかった。昨今は自伐(型)林業が普及して新たな需要が出てきたのか、改めて検索すると多くのサイトで在庫ありになっていたし、判断材料とすべき情報も充実してきた。誰に相談できるわけでもないので助かった。

伐っている最中にエンジンが止まってしまうような、中古のチェーンソーではじめて気がつけば10年経った。林業に携わっていた友人に一度やって見せてもらってからは自分なりに試行錯誤してきた。下積みを経て、今ようやく新たなスタートラインに立てた気がする。解らないことは依然としてあるが、最低限、どういう行為が危ないのかを知り、やり直しのきかない一手一手について、木の反応を確認しつつ進めることで取り返しのつかない事態にしないということ。立ち木の状況をいろんな角度から何日かけてでも事前に検証すること。そういった抑えるべきポイントを蔑ろにしないことで恐ろしさの質を変える。とはいえ、絶対に大丈夫ということはないから、道を止めて人が入らないようにしたり、倒すところを整えたり、前段階の基礎をしっかり固めることに注力するのだ。

チルホールという林業を仕事にしている人なら当たり前であろう装備について、やはり必要だというところに至ったのも大きい。時間をかけて良かったのは、パワーのある道具を使うことによって生まれる危険を少しずつ身をもって経験できたことだ。簡易なウィンチとはいえ引っ張る力は1tあるそうだ。ロープが切れ、牽引具が飛んできて怪我をしたこともあったし、倒れるときの軌道が変化しかえって厄介な状態になることもあった。道具はその必要性を実感してから一つ、また一つ買い足していった。たしか、滑車を組み合わさずに使ったこともあったような、、、。

この日は5株倒したうち、かかり木は3株。何度もやり直さなければならなかったので体力的にも精神的にもキツかった。等高線上に詰んで植えられているものを水平方向に倒したいので当然だ。

大工のお兄の仕事を見るにつけ、その時その時、無い答えを自分で探す仕事の積み重ねこそが作業員ではなく職人として結実するための頑張りどころだと思った。だから山仕事について、これまで自分の仕事として存分に試行錯誤する場に恵まれたことがやはりありがたいと思うのだ。

何かを身につけるにはそれ相応の時間がかかるし、それ以前の下積みも大事だ。私は学生を卒業後農家で6年間修行させてもらったが身につけられたものはごく限られていた。農業という日常を身体に染み込ませつつ、自分はどうやりたいか、またどうありたいかを模索するために、現場の作業員としてその場に居させてもらう年月。いわば下積みの時代だった。その甲斐あって独立した1日目からやるべきことがわからず立ち尽くすということはなかったけれど、只ようやくスタートラインに立てたという思いだった。

さて、話は戻るが、倒れる際の挙動を思い返してみる。着地した後たわんで樹幹が跳ね上がり、伐り株に乗り上げて谷側へ落ちたように思うが、定かでない。やはり、牽引方法に不安があったので、退避中、倒れるところを冷静に確認できなかったのだ。

受け口の下切りが水平よりも谷側に下がってしまったことが作用して、予定ライン(写真下、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する)より谷側へずれたのかもしれない。しかし、伐倒前の方向確認で見上げれば樹幹は山側に反っていたので、やはり、着地した時点では伐り株より山側であったはずだ。着地した後、なぜあれほど撓んだのか。それはラインの中ほどが尾根のように出ており、その先はまた谷のように落ち込んでいるためだ。しかし、それだけが要因ではなかった。より重要だったのが、受け口の下切りの角を欠いていなかったことだ。谷を渡すように倒すことになる今回、つるが引きちぎれずに元口が株に残るのはかえって厄介だと思い、あえてその角切りをしなかったのだが、それが仇になった。樹幹が尾根部分に着地した後、梢が思っていた以上に大きくしなったのは覚えている。問題はもう一方の目視できなかった部分、樹幹は株元から千切れて下に落ちたことで尾根部分を視点により大きな力が働き、伐り株を超えるほど跳ね上がったのだろう。ではポイントとした木を事前に伐るべきではなかったか。いや、かかり木要素をあれ以上残したくはなかったから伐ったのだ。

しっかり安定しているし搬出する時にも能率が良さそうなので結果的には良かった。が、次の木についてはよりシビアになってくる。我が家の搬出は重機を使わないと言う意味で全て手作業。自家消費用の薪にするために40〜50センチに玉切りし、場合によっては現場で割って運び出す。玉切りしたものが転げ落ちないようにするため、足場や木を寝かす状態には念には念を入れる必要がある。隣り合う立木をゲートに見立て、間を通るライン上にできるだけ多く積み上げて壁を作りつつ、斜面との間を埋めて足場を作る。だから狙ったラインを逸れてしまうと、その一本は良かったとしても、その後が手詰まりになってゆくのだ。竹なら持ち上げて修正することも可能だが木は重くてそうはいかない。例えば仮に、次の大径木がこのラインをそれた木の上に更に交差して倒れた場合、重なったところを支点に谷側に浮いた樹幹(元口から数メートル)は、圧倒的重量をもって安定を欠き、危険を生む要素となる。従って、再度ミスをして、ポイントの伐り株を越えて谷側に落ちることは、絶対避けねばならない。

次なる木を改めて見上げる。

さらにしっかり枝が掛かりそうだ。倒したいのは、写真下の伐り株と伐り株の間を通る、最後に倒した木の一つ隣のラインだ。倒れる際にどのように動くかイメージする。そして、道具を新たに揃えなければならないが、自分にとっての必要十分をどう組み合わせるか。その晩はほとんど寝られなかった。しばらく間を開けよう。

支柱は70本と少しまでできた。

藪の伐採〜キュウリの支柱作り〜

キュウリの他にゴーヤ、えんどうにも使う支柱を竹で100本作る。孟宗竹一本で支柱は一本しか取れないから100本以上伐ることになる。元の部分は割ってトンネルの支柱にする。作業の中心はいかに始末をつけるか。事故を防ぐためにできるだけ長い状態で安定するラインに積み上げ足場を整える。なので、一日にせいぜい10本〜20本といったペースだ。手鋸でごとごとやる。

植林に侵食した竹を伐り出すのであとには杉や檜が残る。既に虫に食われていたり朽ちたりしているものがほとんどで、危なくてそのままにはできないから最後には倒す前提で作業する。

藪の中で枝がほとんど無くなりまばらに残った杉。台風に耐えられるとはとても思えない。細く見えて、これでも直径は40センチ前後、高さは20メートルにもなるのでかなりの量感になる。枝がなくてツルッとしている分、下手に倒すと滑り落ちて事故を起こしてしまうかもしれない。細い方がかえって難しいこともあるのだ。右から二番目の木については倒す方向、立木の状況から牽引具もロープも使わない方がいいと判断した。吹きっさらしにポツンと立つそれを見上げれば、形容しがたい量感で迫ってくる。久しぶりにふるふる足が震えた。「おいおい。」

この日は、倒す道を作るためにもこの曲がり偏った木から始まった。追いヅル切りをするには細いようだ。慣れないそれを微妙なところでするよりも、いつものやり方を慎重にする。

真下に立って倒す方向を見る。かかり木になることは避けられない。真ん中を狙う。少し左にずれて隣の斜めに傾いた一株目と2株目の間に入ってしまうと樹幹に挟まってどうしようもなくなる。

狙い通りのところに掛かった。ここからロープを使って倒す。混み合った中に道ができる。

直径60センチ以上の立派なものが2本あった。しかしその並びには樹皮が黒ずんで明らかに危ないものがある。

 

この木を伐るためには立派な2本を伐るしかないように思うが果たしてどうしたものか。それは伐るのも大変だけど、危険のないよう始末するのが大変だ。

この密植された中のどこに倒すか。まだ道は見えない。

少し引いたところから見ると現場はこんな感じ。奥のカーブミラーが立っているところが三叉路になっていて暗く鬱蒼としている。車を運転すると明暗の変化に目がついていけない。ちなみに、生姜の畑に降りていく道はちょうどこの藪の下になる。草を積んでバックで下るには暗くて路肩が見えない。いずれも冷や冷やしながら通らなければならなかったので、左の山側の手前4株は昨年の春、集落の道作りの時に伐った。

2株は直径40センチでガードレールのある谷側に大きく偏重しており、真ん中の株は直径60センチ以上の大径木で形が歪、それらが一株のように密接して生えていた。枝が絡みあい、足場も悪い。そして、倒すべき方向に許される誤差はない。一方は山側を支える石積みの角。もう一方は谷側のガードレールだ。道を止めてもらうためとはいえ、難儀する中、人が集まって大変だった。話は遡るが、事前に手前の藪を片づけて算段をつけ、道作りの担当者に相談したところ、それなら集落内のプロに頼んだ方がいいとこちらの意に反して進みそうになった。それを頑なに遮って、自分でやらせてほしいと押し切った手前、失敗は許されなかった。段取りまでしておいて、最後自信がないから人に頼んだという形になってしまえば、今後自分で伐れなくなる。それはつまり、いつまで経っても思うように進めないということだ。伐るべき支障木はまだまだある。

この春も山側残りの3株を伐らせてもらう予定にしている。厄介なことに電線か何かのケーブルがそばを通っているし斜面上からどう搬出するかがまた大変だ。

四十代のうちにこういったことはある程度方をつけておきたい。竹は整えた竹林で採れるようにしたいし、薪は浅木でこしらえたい。でないと体力がもたないし危なくて不可能になるからだ。こないだの火事の時は麦山の防火水槽では足りなくなったので、川から下の集落の水槽を経由して水を上げた。その際、これまで自分が手入れを続けてきた畑へ降りる私道を使っていて、その道が荒れたままだったら果たしてどうなっていたか。延焼し山火事になっていたら放水は届かずどうしようもなかっただろう。裏山は集落の水源だ。以前消防団に属していたとき山火事の現場に行ったことがあったが尾根まで全て燃えていた。やはり自助努力だと思った。

先日嬉しいことがあった。同じ麦山の方から竹藪の手入れを頼まれたのだ。周囲には少なからずよく思わない人もいるだろうと思いながらやってきた山の手入れだったので、ちょっとほっこりした。

ベンチ作り

伐り倒したままにしていた杉でベンチを作ることにした。急斜面にあるので、自力で運び出すためにはいずれにしても割るなりして転がらないようにしておかなければならない。

厚さ15センチ、横幅60センチ、縦300センチの厚板ができたが笑ってしまうくらい重くて全く動かない。180センチにして、軽トラの荷台へ乗せることに。しかし、後少しのところがどうしても動かない。にもかかわらず、折悪く向こうから来た車を通すのに苦労して上げたものを下ろして、急がなくても良いよと声をかけてもらいながら、よいしょよいしょと道脇に退けて、車を退避させてまた一からやり直し。再度苦労して後少しというところでまた車が来て、、、普段ならほとんど通りのない道に何故という思いで苦笑いが出てしまった次第。日暮れも近くこれはいかんというので断念。牽引してなんとか家の敷地まで運んだ。いい加減、力任せは卒業しないと。

気になっていたところを片付ける

腐食して取れたままになっていた風呂の焚き口と煙道の掃除口を修繕した。慣れない左官仕事。ひとつひとつ型枠を拵えて隙間を埋めてどうにかこうにか形になった。これで火の始末が丁寧に行えるし、薪の消費も最小限で済む。

隣家の火事が脳裏に焼き付いている。心身ともにまだ正常とは言えない。火事のあった夜中の1時頃になると決まって目が覚めたり、何かの物音に反応して寝られなくなったり、夢にみることもある。これでは身が持たないとわかっているけれど、寝ていても何かあればすぐ気が付くようにとも思うので割り切っている。人のふり見て我がふり直せではないが、お風呂にストーブ、私も日々暮らしの中で火を焚くので改めて気を付けなければと思う。

野良の2匹、ここ最近はチー坊が寝床を自分のだと主張して喧嘩になることもしばしばです。元来穏やかなQ太郎は困惑顔。そもそも我が家という餌場を教えてあげたのはQ太郎なのだけど、チー坊は自分もうさぎを獲れるようになったことで勢いづいてるのか。。とはいえ、確かにあかんタレなチー坊もそれなりにゴツくなってきました。嫁にひしと抱きつく肩周りがもうおっさんです。おいおい。しかし、寒波の間はご覧の通り。なんともかんとも。

家の改修

抜本的な工事が求められる我が家。土台や柱、壁や屋根もいずれ順を追って可能な限り総入れ替えしなければならない。今回は東の壁と足元。

覆われていたトタンを剥がすと思っていた以上に深刻な状態だ。屋内の壁にしみが出てきたり、草のツルが入ってきたりしたのも納得である。はじめにこの実態を知っていたらここで暮らそうと思えただろうか。ここで10年以上寝起きしていたことが、お伽話に思えてしまう。

開ければ開けるほど途方に暮れる。結局壁の大部分を剥がすことに。竹木舞に土壁は貴重ではあるけれど、それを復元する猶予はない。とにかくシロアリの進行と家の歪みを食い止めることが先なのだ。

荷重が集中している柱は根本が曲がっていて、骨組みが全方向に歪み波打っているのが素人目にもわかる。時折聞こえる軋みはまたひとつ変形が進んでいたということなのだろう。隙間だらけの障子一枚向こうは外、底冷えのする家に体力をすり減らされてきた感じがする。これまではなんでも勢いで来れたけれど、これからは無駄に消耗しないようにしたい。

我が家をはじめから見続けてくれている大工のお兄。仕事ぶりについつい見入ってしまう。なんでも一人でやってしまうのだ。

お兄の仕事に、ただただ脱帽。自分も自分の仕事を頑張らねばと思う。

石鎚参り

改めて今後の予定を考えると、この秋、私たちの山行チャンスはとても限られていることが判明。天気予報を見れば週末から当分天気は下り坂ということで、いよいよ悠長に構えてはいられない。石鎚へ。

裏参道と呼ばれている面河ルートは登山口から山頂まで1100メートルほど標高を一気に上がるので以前登った土小屋ルートよりも難易度は高いらしい。しかしその分、人が少なく、渓谷美や植生の豊かさで人気のようだ。怖がりな私たちとしても少しずつ山行を重ねるたび欲が出てきて、もっとボリュームがあって楽しめるルートに挑戦したい気運が高まっていた。切り立った断崖を何の確保技術もなく登りたいとは思わないけれど、なぜ自分達がこれほどまで山登りに引き込まれていくのか、日帰りからテント泊、初級とされるルートから中級、少しずつその先へハマる理由がわかる気がするのだ。

里山は、いかに暮らしに役立てるか、いかにお金に換えるか。だから、手付かずのというのはただ遊ばせている状態にしか映らない。そこもここも誰かの山であって、普段は自分が借りているごく限られた範囲にしか入らない。そこは手入れすべきところであって散歩するところではないのだ。支障木を伐り木漏れ日が差し込むようになったことを喜びはするが、頭は常に課題に占められている。

立派な木々に囲まれるとホッとする。しばし浮世を離れ、お山参りに来たということなのだろう。

とても手の行き届いた参道が続く。石段が積まれ所々木道が拵えてあり、朽ちた箇所には補修が施され補強され、危険なところにはロープが渡され安全を確保されている。人の善意を感じるからホッとするのかも。

今回の装備は下記の通り。

 

私(35ℓのザックに10ℓ外付けで約15キロ);二人用テント、グラウンドシート、銀マット、スリーピングマット、寝袋、衣類、水2.5ℓ、弁当1食分、生米6合、棒ラーメン4食分、缶詰1缶、他補給食、ビール500ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

嫁(30ℓザックの限界?キロ);ツェルト、スリーピングマット、寝袋、衣類、水1.5リットル、弁当1食分、パスタ2食分、肉味噌、棒ラーメン2食分、他補給食、ビール350ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

食料は何かあった時のために6食分。(一日目;昼と晩、二日目;朝と昼と晩、三日目;朝)他補給食。

重いので一歩一歩ゆっくり登る。道標に記されている所要時間はあまり参考にならない。

頂きが見えてきた。今回は手前で一泊し、翌日に目指す。今朝は3時に起きて弁当を作り、畑に水をやり準備万端7時まえに家を出た。池川から松山街道を経て面河に入る予定であったが、途中全面通行止めにあって引き返し、国道33号仁淀川町を経由して1時間ほどのロス。結局3時間かかった。今日は早めに休みたい。

16時前に本日の目的地、愛大石鎚小屋に到着。綺麗なテン場が拵えてあってとても助かった。草も刈られていた。

まだまだ慣れないテント張り。張りを調節する自在鉤のような部品をどう使ったらいいのか、あーでもなこーでもないと言いながら正解を探す。今更人に聞けないし、自分なりに工夫するのがアウトドアの醍醐味なのだから。胡瓜の支柱張りやトラックに荷を積む時に使っている紐やロープの締め方を簡略化するための部品なのだろうかと思い至ったところで解にたどり着く。これが楽しい。整えられたテン場のおかげでしっかり張ることができた。

もう一つあるテン場には星を撮りにきたというベテラン登山者の男性。必要最小限の荷物、手際良い設営。食事はそこそこにカメラ。野営という感じが楽しそう。気づけば石鎚の山が赤く染まる。

我が家は昨晩仕込んでおいたスモークチキン(鳥もも肉の塊を薪火で燻しながら焼いたもの)とショートパスタに嫁の肉味噌(茄子たっぷりを煮詰めたカレー風味)。そしてビール。一本でもあると嬉しい。

星空を楽しむ。メガネだとそもそもあまり見えないから、せっかくだけどそれなりにしか見えない。きっと満天。月は出ていないのに明るい。星で明るいのか西条や新居浜の灯りで明るいのか。

四時ごろに目が覚めて夜明けを待つ。コーヒーを淹れる。美味しい。これが楽しい。

明けるにつれ気温が下がるのを感じる。これもまた楽しい。

朝は昼の分も用意するため米を4合炊く。しかし、焦付きを恐れるあまり芯が残ってしまった。これを昼も食べないかんのか。

あまりにも美味しくないので水を加えてお粥にする。そうなると食べた後の飯盒も食器もえらいことに。ここに水場はないので、ザックに外付け。これも勉強と言い聞かせる。

撤収作業がもたつき出発は8時。しかしコンパクトなパッキングをベテランさんに褒められた。

15分ほど歩いて水場に到着。時間はかかってもしっかり洗う。アクリルタワシを持ってきて正解。汚れたままが一つでもあるとあれもこれも全てが汚れてしまう。水場はありがたい。使い果たしていた飲水も補給。と、そこで嫁が気付く。ほぼ垂直な岩肌を流れる少なめの水。わたしが洗っているところだけ具合よく岩肌から離れて落ちているのだが、それが岩の形によるものではなくて、引っかかった落ち葉によって、偶然蛇口から流れる水のように落ちていたのだ。なるほど、道具とはかくなる物。岩肌を舐める水もそうやって何か適当なものを据えれば洗いやすく汲みやすくなるのか。これぞ山登りの醍醐味。

ああ、晴天。我、秋晴れを満喫す。

人で混み合っていた山頂はお参りだけを済ませて早々に退散。

11時前に出発。ここからひたすら下る。

何かあった時のためとはいえ、水2リットルを余計に担ぎ続けたのがいけない、足にきてしまった。水場での昼ごはんを終えてさて出発、担ごうとしたときにバランスを崩し谷に向かってつまづいた。その拍子にあろうことか、近くにいた嫁の足を踏み蹴ってしまったのだ。うずくまる嫁。

足首を捻挫させてしまったのか。なんということだ。持ち上げようとした15キロの荷物、重い登山靴。自分はバランスを取るために必死で、踏ん張りがきかないとはこういうことか、ザックを支えに数歩、谷へ頭から落ちずに済んだものの嫁を巻き込んでしまった。登山口までまだ半分以上、4時間以上ある。

押さえている箇所に表立った傷は見当たらない、嫁は少しづつ落ち着きを取り戻し痛みはマシになってきたという。しかし、すごい重みだったようだ。腫れはない。歩けそうという。うむむ。すまない。

しばらく歩いて、テント泊した場所へ到着。どうやら大丈夫のようだ。よかった。しかし、二人とも確実に疲れている。

焦らずゆっくり、いざというときはもう一泊すればいいとはいうものの、ふとした瞬間足が思うように上がっていなかったり、踵が下手に着地したり、たびたびバランスを崩しそうになる。最後の水場に来た。15時。あと2時間ほどの地点。今一度集中できるように、コーヒーを淹れて気持ちを切り替えよう。コーヒーが、カフェインが、体に染み渡る。最高に美味しい。塩羊羹がうまい。

ここから段差のある石段の下りが始まる。

そして、また、転けそうになってしまった。2本のストックでなんとか支えられたもののひやっとした。もういかん。水を捨てよう。のこりはあと少しだし迷うような道ではないからここまできてビバークはないだろう。肩が圧迫されてか、寝不足からか少々頭が痛い。心なしフラフラする。2リットルを捨てる。担ぐと驚くほどに軽い。血流が通った感じがする。馬鹿らしいくらい軽い。どら焼きを食べた。そして、トレッキングポールをしまうことにした。まだまだ使いこなせていないというのもあってつい力んでしまうし、石段とは相性が悪いように感じたのだ。段差のきついところは手をついて体全体を使い局所への負荷をできるだけ分散させるように、そして自分のペースでリズムを作り少し速めることにした。大分楽だ。

嫁が作ってくれたクルミとひまわりの種を炒ってドライフルーツと合わせた特製補給食を食べた。塩が効いていて美味しい。なんとかいけそうだ。すまんが嫁のペースに合わせる余裕がもうない。とにかく自分のペースを取り戻して転けないことが大事。先を行っては追いつくまで待つのを繰り返す。嫁も余裕がない。黙々と歩く。

17時半無事、揃って鳥居をくぐり下山。ありがとうございました。

あとは駐車場まで川沿いを歩く。

18時過ぎ、駐車場着。ヘっちんを着ければいいのにもはやそれを取り出す余裕もなかった嫁。そういう時こそ危ないと思うのだが、、、ちゃんと見えているか私もへっちんを消して歩いた。まあ、なんとか見えた。

18時半出発。ここから家まで3時間か。遠い。普段のスピードに反応がついていかない状態なので、ゆっくり走った。

21時半、帰宅。ヘトヘトだ。

また来たいと思う。しかしスケジュールを見直す必要があるし、米をはじめとして水と燃料をたくさん消費する食材については考え直す必要がある。(朝米を炊くのは3合で十分)

我ながら危なっかしい山行であった。改めて行程を振り返ってみる。行動時間と休憩時間を合わせた時間と、地図に記載されている参考タイム(休憩時間は含まれない)を比較すると、

1日目:家から登山口まで3時間30分、登山口からテント場まで5時間15分。行動時間3時間25分(参考タイム3時間40分)

2日目:テント場から山頂まで2時間35分。行動時間1時間55分(参考タイム:1時間20分)、山頂から登山口まで6時間45分。行動時間5時間(参考タイム:3時間10分)、登山口から家まで3時間半

2日目については全ての行程を合わせると12時間45分。無茶なスケジューリングだ。食料は米2合、棒ラーメン6食分、缶詰1缶、他補給食ちょっとが残った。水場は2箇所あり、行動時は500mlの水筒分で十分足りた。

では次回、二泊三日のスケジュールにするのか。前日入りして登山口近くのキャンプ場で一泊。1日目に山頂まで行って折り返し、愛大小屋泊。二日目にそこから出発すれば15時には下山できるし、帰りは温泉に浸かれる。

工石山へ

春から続く緊張でいよいよ息切れしてきたころ、金木犀の香り、朝のひんやりと澄んだ空気が山行を誘う。気づけば4月の終わりから一度も行ってない。登山口まで家から10分なのが嬉しい。

晴れ渡る空

リンドウの花が迎えてくれる。

白鷲岩とはよく名付けたもので、鳥の背に乗っているような気分。眼下一面に景色が広がる。高くて怖い。私たちの間ではネバーエンディングストーリーのファルコン。

正面に見えるのが石鎚山かな。今日はその石鎚山へ登るための脚慣らしで、ザックの重量は15キロ弱。いい運動になった。嫁は初トレッキングポールに手応えを感じた様子。弁当も美味しかったし、木漏れ日の中、とても清々しい山行であった。

 

#40歳を過ぎたら体力づくり

大雨になると湧き水も濁って仕込みができません。というわけで身体のメンテナンス。休むのも仕事のうちです。

日々、草刈り機を使ういく農園。土を作るためにも、畑を管理するためにも、家の周りから裏山まで暮らしを維持するためにも、とにかく刈らなければ何も始まらない。農機屋さんのそれなりに値のはる草刈り機を4、5年で一台使い潰す負荷と使用量です。刈り草の細断に使うようになってからより消耗が激しくなり、今使っているものは3年目でガタが出始め、あとどれくらい持つのか分からない状態。同じように負荷を受けている自分の身体は大丈夫なのかしら。

振動を受ける手はまるで遠心分離器にかけられているよう。そして繰り返される捻れ運動、その負荷がどうしても膝に集中してしまいます。深刻な血行障害にならないためにも、膝周りを強化するためにも、また骨盤の歪みといった身体の偏りを整える上でも自転車はとても有効だと感じています。

19歳の夏、北海道の酪農アルバイトで体力のなさを痛感した私。一輪車いっぱいの餌運び、牛舎の掃除、大きなフォークで重いサイレージをトラックに積み込んだり、乾草をやったり、憧れの仕事を嬉々としてやっていたのに1週間で熱が出て身体の節々が痛くなりミルカーさえ持てなくなったのでした。将来農業で食べていきたいならこれではいかんということで始めたのがロードバイク。後から気づいたのですが、前傾して乗る姿勢が農作業における中腰に通じていて、痛めない姿勢を身につける上でもとてもいいのです。

とはいうものの、ロードバイク自体、乗りこなすのが難しい。力みのないバランスの取れた動作や姿勢を身に付けるのはなかなかです。10年以上のブランク、再開した当初はかえって膝が痛くなり腫れることも度々だったので、果たしてこのまま続けていいのか不安になりました。かつてはどう乗っていたのだっけ?100キロ、200キロ、なんの不安も故障もなく乗れたのに。一年以上かかったでしょうか、改めてセッティングやフォームなど見直すうち、筋力もついてきたようで、時には痛むものの大丈夫かなと思えるようになってきました。そして気づけば草刈り機による膝の違和感も随分改善されました。知らぬうちに随分と落ちていたものです。

できるだけ脱力して重心を意識し、股関節周りから骨盤、肩甲骨がスムーズに連動するようペダルを回転させる。調子が出てくると、より前傾しても動きの中でバランスが取れるようになる。サドルにもハンドルにも体重をかけず、頭の重みもペダルに乗せて回転数を上げてゆく。ふくらはぎは第二の心臓と言われるそうで、血液が全身を巡りとても心地よい。汗が大量に出ます。

いわゆる筋トレはほとんどしません。筋肉のどこを使っているか意識してやるそれは、いかに力まず楽に量をこなせるかという実際の仕事においてはかえって厄介な癖をつけてしまうからです。

 

カブトムシ

積んでおいた刈り草の中からカブトムシのサナギがたくさん。図鑑でしか見たことなかったけど、本来はこれくらい身近なものなのだろう。