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嶺北の山々

畑のシーズンを迎えるに当たり、山へ行くことにした。代掻き前の綺麗な汗見川を上へ上へと県境の峠まで。1時間ほどで登山口に着いた。

花も新緑もまだだったが、本当に静かで久しぶりに心が休まった。昼過ぎから登り始めたので、時間的に無理をせず、大森山で引き返すことに。前日まで丸太を運んだり割ったりしていたこともあって、体力的にも十分だった。

長閑なところですねと言われるような中山間地で暮らしているのに、更にまた山に登る。ただ歩くことに専念できるということ、ただ景色を楽しめることって、仕事や責任に追われる日常では中々叶わないものだ。とはいうものの、最近の私といえば、土地の手入れが大変でも面白くなってきており、それは藪がだいぶん片付いて光と風が通り、残した木々がいよいよ立派に栄え、木漏れ日や新緑を十分楽しめるようになってきたからだろうと思う。手を入れた後の清々しさや、その仕上がりを眺めるのも山登りでは味わえない良さがあるのだ。

嶺北に移り住んで20年が経った。だからどうということもないんだけれど、ちょっと振り返って物思いに耽ったりもする。日当たりの悪い雨漏りのする家で7年暮らした後にようやく南斜面に建つ家と土地が見つかり、手入れを続けてきた。山に呑まれていたところを今の状態にするまで10年以上かかってしまい、果たして、これからの20年でどこまで持っていけるか。

同じ集落の還暦を過ぎた農家さんが花のなる木をたくさん植えているのを見て、ああ、子や孫のことを想って桃源郷を作ろうとしているのかなあとしみじみ思ったりもする。子を授からなかった私たちは、この土地において一代で終いをつけることになるけれど、それもまた人生ということで、私は私なりにここに楽しみを見出していきたいと思っている。

装備はいつもの一泊分。弁当作って非常食は手軽なクスクス。

道中、山の至る所に植林の大規模な皆伐が進んでいた。大胆過ぎやしないだろうかと心配になる。

火事にあって思うこと

10月10日未明、隣の家が火事になった。

二人とも夢うつつだった。数日前の登山の疲れでいつもより眠りが深かった。大雨か何かがトタン屋根を打つような激しい音に目を覚ました。雹が降る季節でもないだろうに、、、次の瞬間、けたたましい足音とともに嫁が火事だと叫んだ。悲痛な声とはこのことだ。胸にビリビリ裂けるような痛みが走る。障子越しからでも異変がわかった。あたりは真っ赤になっていた。激しい音を立てて炎が上がっていたのだ。何故?これほどになるまで気付かなかったとは何たる不覚。火の中に建物の骨組みだけが見えた。もはや自分でどうこうできるものではない。消防の番号を押そうにも緊張で目が霞む。ワンコールで繋がった。家々へ知らせに回った。皆寝静まっていた。喉が枯れて声が思うように出ない。指笛を使った。戻ると庭に火の粉が降っていた。粉ではない。熾の塊だ。芝生の方々で火が上がる。足で踏んで消して回った。とにかく少しでも火の勢いを弱めないと。火元へバケツで消しに行った。我が家とはほんの小道を挟んだ隣の納屋だ。水場とを2、3回行ったり来たりしただけで、息が切れて喉がカラカラになった。腰が抜けそうだ。隣接する工房のプロパンガスのことを思い出してコックを閉めに行った。爆発したらうちはおしまいだ。タンクが驚くほど熱くなっている。壁板も熱い。もう近づいたらいかんと声がした。

消防が来た。あと少し遅かったら工房も我が家も全て燃えていた。壁が燃え始めていること気づいた地元消防団の知人がこちら側に放水するよう指示してくれたのだ。じわじわ煙が上がっている板壁の一部からその時ポッと一瞬火が吹いたそうだ。それは、全面が燃え上がる前兆だった。

まめに草を刈っていてよかった。裏山の植林を伐っておかなければ山火事になっていただろう。隣家は納屋も母屋も全焼した。

数日経って、疲れがどっと出てきた。寝れないのだ。

新聞の報道に呆れた。火事の原因と考えられる籾殻燻炭の不始末。隣家は空き家だったが、燻炭を作りその納屋においた当人は家の人に無断でそこを使っていた。事情聴取を受け、現場検証にも立ち合っていた。警察にも消防にも、そして周りにも誰かは伝わっていることなのに、新聞は何を勘違いしたのか、一番の被害者である家の人が燻炭作りをしていたと書いたのだ。しかし、翌日の朝刊に詫びも訂正という形も取られてはいなかった。誤解を解く内容ではあったが、前日の報道を詳しくしたという体であった。

社会とはそうしたものだと思うとやりきれない。今回の火事についても、責任を追求したいわけではないが、過失なところとそうでないところがある。うやむやのまま、心の波立ちとどう向き合えばいいのか。火事を起こした当人のその後の行いを見るにつけ、一体どういう感覚の持ち主なのか理解に苦しむ。しかし、自分に何ができるというのか。追及することが必ずしもいい結果を生むとは限らないのだ。償いきれないということ。それでも償うためにその後の人生の全てを捨てることができるか。できるとは思えない。顧みれば、自分だって無茶をしてきた。人にどうこう言えたものではない。悪く考え出せばキリがないし、悪様に言えばそれは自分に返ってくる。自問自答を続けるうち、戦うべきは己のみというところに落ち着く。健全でありたいと思う。

 

ところが、物事はそう簡単ではなかった。

二次被害とはこういうことなのかと思わせるような出来事がさらに続いた。火事そのものよりも質の悪い、傷を癒えなくさせるものだった。具体的には書けないが、何か書きようがあるのではないか。半年が過ぎ、4月になった。

大したことではなかった。なんなら、その中に美談を見つけて一件落着させたい周囲の同調圧力。実情を知らない、自らの生活に関わりのない第三者ほど、我が身可愛さに、寛容であることを執拗に押し付けてくる。失敗は誰にでもあると加害者に同情するあまり、被害者が置き去りにされ、逆に被害者が甘受できない身の内を吐露しようものなら、立場が逆転してしまいかねない現実。おかしいと感じることをおかしいと訴え、誰かに同意を求める行為が相手を吊し上げる加害行為になってしまうのだ。心情としては当然の行為のはずが、黙って口をつぐむしかないという遣る瀬なさ。

相手に潜んでいるかもしれない狂気を怖れるあまり、言葉を選ぶ。いろんな人の濃淡入り混じった恐れが堆積して物事の真相をぼかし、無かったことにする。依って、思わぬ拍車がかかり、当事者にしてみれば看過できないことが次々引き起こされるにもかかわらず、常軌を逸していると感じるのは個人の主観に過ぎないのか、周囲のぼかされた反応によって一層判らなくなる。実際のところその行為が常識的かどうか、許される範囲かどうか、線引きは難しいものかも知れないし、被害者であるという立場も、間違えば意識過剰として病人扱いされかねない危ういものだ。

渦中にいると見失いそうになるが、ついには面と向かって否を突きつける必要があった。主観でしかないならば主観として、やめてくれと真剣に強く訴えるしかない。それを機にようやく物事は動き出した。こんな、つまらないことで、人生を台無しにされたくないという必死な思いだった。考えないようにする。気にしないようにする。見ないようにする。いつか終わりが来ると信じて耐え忍ぶ。本当にそんなことが出来ただろうか。

移住について

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骨を埋める覚悟

農家に弟子入りしてここへ移り住んだとき、地域から骨を埋める覚 悟を問われた。それは農業をする上でも、田舎で生きていく上でも、前提とすべきことだからだろう。身体が資本である農業で老後いかに生計を立てていくか。集落の一人として当事者になる自覚。ここで最期まで生きていくということ。今でもその重みを問い直している。

働 いても生活保護水準以下の暮らししか出来ないワーキングプアや老後破産が社会問題となった。そういった社会背景と昨今の移住ブームやUターンは無関係 ではないと思う。補助事業が整えられ、今や、田舎に来れば取り敢えずの職と家にありつくことが出来るかもしれない。しかし、そこに本気はあるだろうか。土地に根ざすという本質をもうやむやにしてハードルが下げられ、覚悟を問うこと自体がナンセンスとする空気さえ感じる。

移住事業で食べている人は諸手を上げて移住を歓迎し、「来る者拒まず、去る者追わず」と田舎の寛容さを唱うだろう。しかし、実情はというと、「骨を埋める覚悟がないなら来ないで欲しい」「移住者が数を増やし意見することになればおもしろくない」と聞かされることもある。同じ移住者とされる自分としては複雑なところだが、そういうものだろうとも思うのだ。上記の「田舎暮らしに殺されない法」には共感する事も多く、移住事業に関わる方や田舎暮らしに興味のある方には読んでもらいたい。

ほとんどの移住者にとって、骨を埋める覚悟は、自身に問うたことも思ってもみなかったことではないだろうか。私も当初は戸惑い、農家で修行していた6年間、答えは出なかった。それでも先ず根を降ろさ なければと独立し、土地を借り、鍬を入れ土を作り、そして今後もここで暮らしていけるよう、家の改修にお金をかけ、集落に住む一人として責任を負い、至らないことや失敗も含めて信頼関係を築いていく。家族や友人に助けられ、そういったひとつひとつに全力を注いできたところ、他所に理想を求める迷いはなくなった。ひとつひとつ積み重ねなければ、 体力が衰える一方で必要なお金が増える将来、自力で生きていくことは叶わないからだ。

仕事と暮らしはいずれも土地と無関係ではなく、問題があっても単純にお金や理屈では解決できないからこそ真剣に向き合わざるを得なくなるのではないだろうか。土地に根ざすとは、良くも悪くも自分の言動について過去からも問われ続けることだ。つまり、仮初めのつもりなら、人はそこに当事者意識や責任感を持ち得ず、仕事で何を成すことも叶わないということだ。都合が悪くなれば他所に移り、自分が傷つかないよう、あるいは、自分に傷がつかないよう誤摩化し てしまうだろう。だから私ははじめに覚悟を問われたのではないだろうか。

「移住者」

映画「祖谷物語ーおくのひとー」も衝撃的な作品だった。

観る人によって受け取り方は様々かもしれないが、とても厳しい視線でリアルに描かれていると感じた。自分を探し彷徨い土地を転々とする者が活動という名の下に地域の今後を憂う虚しさ。ものを知らぬよそ者は愚かで、寡黙な地の人間は思慮が深く正しいかというと、必ずしもそんなことはないということ。

先の見えない閉塞感を生んでいるのは何か。どうしようもない混沌、それは田舎に限らず、都市部にも会社組織にも存在するのではないか。

よそ者という言葉は表立って使われる種類のものではなかったが、いつの頃からか移住者という言葉が出回るようになり、私もまた「移住者」と呼ばれるようになった。ある時、役場で他の移住者と名前を間違えられたのだが、うっかりであったとしても、その職員にとっては私もその人も同じ移住者でしかないという現れではないかと思うのだ。また、実際に混同され、自分ならばしないようなことをしたことになっていて困ったこともある。初めは些細な言い間違えや勘違いだったのかもしれないが、ただ一括りにされて迷惑だという以上に、じわじわと怖くなってきたのだ。知らない地元の人から時に向けられる強張った表情。誰かは知らなくとも、地元かそうでないかはわかるものだ。きっとその数や所業が許容を超え始めたということなのだろう。それでも右に倣って、本当は望んでもいないのに移住者を呼び込もうとする。それは移住者という無意味な定義付けを一層厄介なものにし、要らぬ諍いを生むことにならないか、昨今の移民問題のようにならないか危惧している。

移住者の一人である私でも、その膨らむ数にとまどっている。ハードルが下がったように見えて実のところは今も昔も変わらず、集落は血縁によって形作られたごくプライベートな土地だ。農地も家も山も、学校さえもその手により積み上げられてきた。そこに思い至らず、勝手気ままに一端の権利を主張しても鼻で笑われるばかりか反感を買うばかりだ。その権利を勝ち取るためにここで骨身を削ってきたというのか。意を唱えられるほど我ごととして責任を負い、今後も担い続けていく覚悟があるというのか。まだ何もしてない、はじまってもいないではないかと。これは自身にも言い聞かせていることだ。

移住者がそこで生きようと思えば、どうしても波風を立ててしまう。郷にいれば郷に従えという言葉を何にでも当てはめるわけにはいかない。とはいえ、そういったことに対し、移住仲間で集い数を頼みとするのは違う。自分を貫きたいのであれば、個として向き合い地道にやり通すべきだ。果たしてその根気があるのかないのか。結局、決断すべきいろんな局面において、骨を埋める覚悟を自身に問うことになるというのが私のこれまでの実感だ。

土地に根ざさないことを土地に縛られない自由とし、客人としてもてなされることに安住して責任を負わず、放浪することに憧れる。

そんな浮草のような価値観がもてはやされる時代。地に足をつけるという、地域社会に通底する価値観さえもが軽く見られ混沌とし始めていることに少なからぬ危機感を感じている。人それぞれ、という物言いは時と場合により、相手を立てないばかりか自分を通すための、一方的で破壊的な方便ではないだろうか。田舎 においては、そこに骨を埋める覚悟がないのなら、軽々しく受けるべきではない厚意や恩恵があると思うのだ。