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嶺北の山々

本格的な畑シーズンを迎える前に、山へ行くことにした。代掻き前の綺麗な汗見川を上へ上へと県境の峠まで。1時間ほどで登山口に着く。

花も新緑もまだだったが、静かで久しぶりに心が休まった。昼過ぎから登り始めたので、時間的に無理をせず、大森山で引き返すことに。前日まで丸太を運んだり割ったりしていたこともあって、心地よい疲労感に充分満足できた。山々を見渡す開放感、その中で弁当を食べる贅沢なひと時。長閑なところですねと言われるような中山間地で暮らしているのに、更に奥へまた登る。ただ歩くことに専念できるということ、ただ景色を楽しめることって、仕事や責任に追われる日常では中々叶わないものだ。

自分たちの暮らしがこの奥深き山々の中にある。頂から見渡せば、虫にたかられ汗にまみれる毎日をまた頑張ろうと思える。残した木々がいよいよ立派に映え、木漏れ日が射すようになるのは嬉しい。かけがえなき花鳥風月。

同じ集落の還暦を過ぎた農家さんが息子に跡を譲り、花のなる木を植えている。幸せのかたち。子を授からなかった私たちは、この地において一代で終いをつけることになる。けれど、それもまた人生ということで、私たちは私たちなりに楽しみを見出していきたいと思っている。

装備はいつもの一泊分。弁当作って非常食は手軽なクスクス。

道中、山の至る所に植林の大規模な皆伐が進んでいた。大胆過ぎやしないだろうかと心配になる。

火事にあって思うこと

10月10日未明、隣の空き家が火事になった。

大雨か雹か、何かがトタンを打つ激しい音に目を覚ました。次の瞬間、けたたましい足音とともに嫁が火事だと叫んだ。悲痛な声とはこのことか。胸にビリビリ裂けるような痛みが走る。障子越しからでも異変がわかった。裸足のまま庭に出るとあたりは真っ赤になっていた。激しい音を立てて炎が上がっていたのだ。何故これほどになるまで気付かなかったのか。誰も使っていないはずの隣家の納屋が火の中に骨組みだけを見せていた。もはや自分でどうこうできるものではない。何故そこが燃えているのか、思考が働かない。我が家とはほんの小道を挟んだすぐ隣だ。消防の番号を押そうにも緊張で目が霞む。ワンコールで繋がった。家々へ知らせに回った。皆寝静まっていた。喉が枯れて声が思うように出ない。指笛を鳴らし、何度も叫んだ。戻ると庭に火の粉が降っていた。粉ではない。熾の塊だ。冬枯れした芝生の方々で火が上がる。足で踏んで消して回った。とにかく少しでも火の勢いを弱めないと。火元へバケツで消しに行った。水場とを2、3回行ったり来たりしただけで、息が切れて喉がカラカラになった。腰が抜けそうだ。隣接する工房のプロパンガスのことを思い出してコックを閉めに行った。タンクが驚くほど熱くなっている。壁板も熱い。もう近づいたらいかんと声がした。

消防が来た。あと少し遅かったら工房も我が家も全て燃えていた。壁が燃え始めていること気づいた地元消防団の知人がこちら側に放水するよう指示してくれたのだ。じわじわ煙が上がっている板壁の一部から一瞬火が吹いたそうだ。それは、全面が燃え上がる前兆だった。

裏山の植林を伐り、まめに草を刈っておいてよかった。でなければ山火事にまでなっていただろう。隣家は納屋も母屋も全焼した。

数日経って、疲れがどっと出てきた。寝れないのだ。

新聞の報道に呆れた。火事の要因と考えられるモミガラ燻炭の不始末。離れを間借りしていた当人は過失を認め、事情聴取を受け、現場検証にも立ち合っていた。警察にも消防にも、そして周りにも誰かは伝わっていることなのに、新聞は何を勘違いしたのか、家を焼かれた貸主が燻炭作りをしていたと書いたのだ。しかし、翌日の朝刊に詫びも訂正という形も取られてはいなかった。誤解を解く内容ではあったが、前日の報道を詳しくしたという体であった。

社会とはそうしたものだと思うとやりきれない。今回の火事についても、責任を追及したいわけではないが、過失なところとそうでないところがある。籾殻燻炭による火事というのはよくあることとして知られており、消えたと思っても中で燻っているもの。なので、普通、納屋や小屋などには置かない。そもそも、当人は貸主に断りもなく納屋を使っていた。問いただしてみれば、危ないものとしての認識はあったという。しかし、ならば自分の目の届きやすい近くに置くべきところ、どういった了見で母屋を隔てた奥にある納屋に置いたのか。逆に我が家の目と鼻の先ではないか。実際、はじめに火事に気付いたのは私たちで、通報が少しでも遅れていたら間違いなく我が家は燃えていた。話してみても、その意味するところに考えが至らないようなのだ。幾度となく悪く捉えないようにしようとするものの、これまでもそうであったが、彼のその後の行いを見るにつけ、抱いてきた不信感は得体の知れない不安へと変わってゆく。土下座までして謝罪はするものの、こちらと向き合うことはしない。

あの償いの言葉は何だったのか。熱中症になりそうなほどの炎天下で焼け跡の片づけが連日行われ、兎にも角にも片付いた。ならば、言葉の通り、粛々と荷物をまとめるものと思っていた。が、一向にその様子はない。

償いきれないということ。それでも償うべきを償うためにこれまでの人生を諦める。そんなことなかなかできるものではない。といって、開き直って悪びれず、なかったことにする態度が更に相手を苦しめ不安を強いる、ということさえも知らぬ存ぜぬで通すというのか。

とにかく、我が家は無事だった。工房の壁が焼け、窓ガラスが割れ、他にもそれなりに被害を被ったが、修繕ですみそうだ。悪く考え出せばキリがないし、悪様に言えばそれは自分に返ってくる。自問自答を続けるうち、戦うべきは己のみというところに落ち着く。ところが、物事はそう簡単には終わらなかった。二次被害とはこういうことなのかと思わせる出来事がさらに続いた。火事そのものよりも質の悪い、傷を癒えなくさせるものだった。

自らの過ちを誤魔化すため虚構に虚構を重ねる。相手に潜んでいるかもしれない狂気を怖れるあまり言葉を選ぶ。いろんな人の濃淡入り混じった恐れが堆積して物事の真相をぼかしてゆく。我が身可愛さに、なんなら、その中に美談を見つけてでも一件落着させたい周囲の同調圧力。

何とか気持ちを切り替えようとするものの日常を取り戻せずにいたある日、新聞に後日談のような形で記者による投稿が掲載された。困惑する被害者家族から、その内容についてどう思うか問われた。被害を受けた当事者への取材は一切ないまま、火事を起こした彼の人物像を、都合のいい思い込みのまま一方的に擁護するものであった。

実情を知らない、自らの生活に関わりのない第三者ほど、寛容であることを押し付けてくる。失敗は誰にでもあると加害者に同情するあまり、被害者が置き去りにされ、逆に被害者が受け入れ難きを訴えようものなら、立場が逆転しかねない圧力。身の内を吐露し、誰かに同意を求める行為は、相手を吊し上げる加害行為になってしまうのだ。心情としては当然のはずが、黙って口をつぐむしかない。被害者をそういう状況へ更に追いやるものだった。まだ渦中にいるのに、もう済んだことにされる。許す許さないどころではない、負った傷は依然生々しく、夢にうなされ、ちょっとした物音に目が覚め、未だ眠れない夜もある。正直、もう忘れさせてほしいのに、「地域は温かくこれからも隣人であり続ける」と締め括られていた。

実際のところ、火事が過失である以上、追及されるべきでないのだろう。誰だって何かの間違いで起こしてしまうかもしれない。だから、事件性がある場合や、被害者が刑事告訴しない限り、その原因や責任の所在が明らかにされるものではないらしい。だから、突き詰めて言えば今回の場合、結局のところ火事の原因は不問ということになる。

そういった事情を知らなかった私は後日訪れた消防署員に原因は特定されたのか訊いた。邪推と受け取られても仕方がないが、当人のあまりの開き直り様、そして、実家を焼かれた人の心情や、これまで積み重ねてきたものを全て失い死ぬかもしれない思いをしたこちらの心情を顧みない傍若無人振りを目の当たりにするうち、ひょっとして、彼は、自分が原因ではないかもしれないという安易な処に落ち着こうとしているのではないか、という不安が頭をよぎり空恐ろしくなった。だから、確定したのかどうか気になったのだ。全ては誤魔化され、隣人であり続けるのが無理ならば、こちらが出て行くしかないというのか。被害者であることを振りかざすつもりはないが、しかしである。

消防署員の顔色が変わった。何故それほど気になるのか、当人との関係に何ぞ問題でもあったのか、問い返された。なるほど、火事の要因が籾殻燻炭であるには違いないが、発火原因は分からない。まあ、ないとは思うが、君がその発火原因と考えられないこともない、悪いことは言わないからこれ以上は立ち入らないようにと釘を刺されたのだ。

助言として受け取るべきなのか。しかし、まさか自分が疑われる可能性があるとは思ってもみなかった。第一通報者だから?彼を良く思わないというだけで?冤罪というものの恐ろしさ、堪え難さに初めて想い至った。かつてないほど精神の均衡を保つことに危機を感じた出来事であった。

人が違えば見え方は違うのだろうか。渦中にいると自分を見失いそうになる。しかし、ついには面と向かって拒絶する必要があった。あろうことか、野焼きを始めたのだ。一日で終わらず、二日、三日と繰り返された。そして、空っ風吹くなか黒煙を上げ、異臭を上げ始めた。まだ周囲は気づいていないというのか。異常だと感じるのは私だけの偏った主観でしかないというのか。ならばそれでもいい。主観として、止めるよう断固として訴えるしかない。折しも、発泡スチロールの箱を燃え盛るドラム缶の中へ次から次へと投げ入れるところ、通気孔からは火が吹き出し、時すでに、近くに積まれた丸太に引火していた。にもかかわらず、当人は気付いていない。建物が隣接し、またもや手遅れになる所だった。これを機にようやく事は動き出した。こんな、つまらないことで、人生を台無しにされたくないという必死な思いだった。

考えないようにする。気にしないようにする。見ないようにする。いつか終わりが来ると信じて耐え忍ぶ。本当にそんなことが出来ただろうか。火事から半年が経とうとしていた。

 

移住について

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骨を埋める覚悟

新規就農で田舎へ移り住んだとき、地域から骨を埋める覚 悟を問われた。集落の一人として当事者になる自覚。ここで最期まで生きていくということ。身体が資本である農業で老後いかに生計を立てていくか。今でもその重みを問い直している。

働 いても生活保護水準以下の暮らししか出来ないワーキングプアや老後破産が社会問題となった。そういった社会背景と昨今の移住ブームは無関係 ではないと思う。補助事業が整えられ、今や、田舎に来れば取り敢えずの職と家にありつくことが出来るかもしれない。しかし、そこに人生をかけ、生業をもって個として立つ気概はあるだろうか。かつてのように、敷かれたレールもなく何ら優遇されない状況でも移住しただろうか。ハードルは下がったとして門戸が開かれ、覚悟を問うこと自体がナンセンスとする空気さえ漂わせているが、そもそも実体のないキャンペーン、かけられたハシゴはいつか外される。

移住事業で食べている人は諸手を上げて移住を歓迎し、「来る者拒まず、去る者追わず」と田舎の寛容さを唱うだろう。それを真に受ける方がわるいのかもしれないが、実情は歪でシビアだ。「骨を埋める覚悟がないなら来ないで欲しい」「移住者が数を増やし意見することになればおもしろくない」と本音を聞かされることもある。まだ日が浅く、そういった一端に触れてもいないであろう人たちが、とりあえずの職として移住関連に就き、新たな移住者を呼び込む。あっても三年限りの俄か雇用。その先はない。もはや、運よく得られた自らの安定職を譲る以外、彼らに当てがってやれる仕事もないであろうのに。それぞれに事情があり、虚構と知りつつ演じているとしても、あまりに度が過ぎてやしないか。

ほとんどの移住者にとって、骨を埋める覚悟は、自身に問うたことも思ってもみなかったことではないだろうか。私も当初は戸惑い、農家で修行していた6年間、答えは出なかった。それでも先ず根を降ろさ なければ始まらないと独立し、土地を借り、ゴミを片付け、鍬を入れ土を作り、そして今後もここで暮らしていけるよう、家の改修にお金をかけ、集落に住む一人として責任を負い、至らないことや失敗も含めて信頼関係を築いていく、家族や友人に助けられ、そういったひとつひとつに全力を注いできたところ、他所に理想を求める迷いはなくなった。ひとつひとつ積み重ねなければ、 体力が衰える一方で必要なお金が増える将来、自力で生きていくことは叶わないからだ。しがらみに絡め取られないよう、誰彼に世話になることを避け、軽々しく恩を買わないよう気をつけてもきた。

あくまで仮初めというのなら、人はそこに当事者意識を持ち得ず、何を成すことも叶わないのではないか。拘らず流れに身をまかせることと、軸の定まらない只の行き当たりばったりとを混同し、都合が悪くなれば他所に移り、自分が傷つかないよう、あるいは、自分に傷がつかないよう誤摩化し てしまうだろう。だから私ははじめに覚悟を問われたのではないだろうか。

誰もが当事者になることを避け、享受することだけを求めれば、田舎は田舎として機能しなくなる。美しいその山里を守るために、自ら汗を流す移住者があまりに少ない。朝に夕にこつこつ草を刈り、炎天の下、雨の中、蓑を背負って土にまみれる年寄りを眼前に、彼らは一体何を見ているのか。

「移住者」

映画「祖谷物語ーおくのひとー」も衝撃的な作品だった。

観る人によって受け取り方は様々かもしれないが、とても厳しい視線でリアルに描かれていると感じた。自分探しに彷徨い土地を転々とする者がわかったようなことを言い地域の今後を憂う虚しさ。ものを知らぬよそ者は愚かで、寡黙な地の人は思慮が深いかというと、必ずしもそんなことはないということ。

先の見えない閉塞感を生んでいるのは何か。どうしようもない混沌、それは田舎に限らず、都市部にも会社組織にも存在するのではないか。

よそ者という言葉は表立って使われるものではなかったが、いつの頃からか移住者という言葉が出回るようになり、私もまた気安く「移住者」と呼ばれ、一括りにされるようになった。ある時、役場で他の移住者と名前を間違えられた。誰かと混同され、自分ならばしないようなことをしたことになっていて困ったのも一度といわずある。初めは些細な言い間違えや勘違いだったのかもしれないが、ただ迷惑という以上に怖くなってきた。その数や所業が許容を超え始めているだろうのに、本当は望んでもいないのに、それでも右に倣って、尚も呼び込もうとする。それは移住者に対する嫌悪感をイタズラに募らせ要らぬ諍いを生むことにならないか、昨今の移民問題のようにならないか不安になる。

よそ者の私でも、その膨らむ数にとまどっている。ハードルが下がったように言われるが、今も昔も、集落は血縁によって作られたごくプライベートなコミュニティーだ。土地も家も、道も、学校さえもその手によって積み上げられてきた。そこに思い至らず、勝手気ままに一端の権利を主張するのは勘違い甚だしいし、のっけから変えようとするのもお門違いだ。その権利を勝ち取るためにここで何代にも渡って骨身を削ってきたというのか。意を唱えられるほど我ごととして責任を負い、今後も担い続けていく覚悟があるというのか。まだ何もしてない、はじまってもいないではないか。(これは自身にも言い聞かせていることだ。)自分を貫きたいのであれば、個として向き合い地道にやり通すべきだ。果たして、骨を埋める覚悟はあるのか。遅かれ早かれ、決断すべき人生の重大な局面に至っては、否応もなく我が身に問うことになる、というのが私のこれまでの実感だが、もはやそんな話も通じないのかもしれない。

子や孫が帰ってくるための限られた安定職をよそ者が取れば、当然、軋轢は生まれる。それは言わずもがなであるはずが、今や移住者にも等しく分配するよう、公然と権利を主張するようになった。棚ぼた的に移住できた故の勘違いだと思うが、移住を促進すれば、そういうことになる。身銭を切らずに使えるコマとして、移住者の人生を安易に利用してきた結果とも言えるだろう。(もちろん、全てがそうではないだろうが)

土地に根ざさないことを土地に縛られない自由とし、客人としてもてなされることに安住して責任を負わず、放浪することに憧れる。

そんな浮草のような価値観がもてはやされる時代。地域社会に通底する規範さえもが軽く見られ混沌とし始めていることに少なからぬ危機感を感じている。人それぞれ、という物言いは時と場合により、相手を立てないばかりか自分を通すための、一方的で破壊的な方便ではないだろうか。そこに骨を埋める覚悟がないのなら、軽々しく受けるべきではない厚意や恩恵があると思うのだ。