いよいよ、生姜の収穫が始まりました。先ずは下段から。
今日の収穫は生鮮出荷用、四国中央市のまなべ商店行です。
2015年、10月1日の農業共済新聞に掲載して頂きました。
いつもお世話になっている、まなべ商店さん、記者さん、丁寧な記事をありがとうございました。
この度の取材で、あらためて農業とピクルス作りにどのような展望をもっているか質問されました。
農業についてはこれまで、なかなか展望を見いだせずにいました。立松和平さんの[遠雷」「春雷」という本を読んで頂くと、イメージして頂きやすいと思うのですが、作物を栽培するという事、農業を経営するという事が途方もなく感じられたからです。
作物は作るものではなく育てるものだという考えに落ち着き、とにかく畑でそのものを見続け、分からないことの答えも人に訊くのではなく、畑の中で見つけるようになった頃から、少しずつ展望が見えてきました。作物の生育をコントロールし、量産しようとすると技術は複雑難解になりますが、その発想を捨てれば、やるべきことは当たり前の積み重ねしかありません。
最近強く思うのは、種を蒔いた100%が収穫を迎えることはない、完璧はあり得ないということです。
今作の人参も蒔いた直後に嵐に叩かれ獣に踏みつけられ、今では半分くらいになってしまいました。そういった不測の事態はなにがしか起こるもので、だからこそ、人参の一本が健やかに成長し売り物になるまで育つことだけで、既に奇跡だと思うのです。しかし同時に、その都度諦めなければ全て消えることはありません。限られた収穫を最大限に活かす。加工することで、経営上クリアーすべき収量を減らせたことは救いになっています。
北海道の恩師から鮭が届きました。
19歳の時に牧場アルバイトでお世話になって以来、大学卒業後の進路に迷っているときも、農業に展望を見いだせないときも、そのほかにも数えられないくらいお世話になっています。
先日、電話で聞いた話。
北海道でも法人化が進んでいて、近隣の農家が出資し合って規模を拡大し、効率化を図るわけですが、なかなかうまく行ってはいないようです。
農地を拡大すれば身入りが増えるということではなく、規模に見合った機械の大型化や更なる設備投資が必要になり、新たな負債を抱える。出資者同士の関係がうまくいかず辞める人も多いのだけど、その人の土地は既に法人名義になっているので、帰って耕す土地もなく農家に戻ることはできない。離農し、どこか雇ってもらえる口を探すしかない。そんな悲愴な話を聞きました。
「農学栄えて農業滅ぶ」と言われてきたように、これから農業に携わろうという人にも、農家をめざすのではなく、斡旋する側にまわる人の方が多いようです。いっとき増えた新規就農希望者はめっきり少なくなりました。担い手の高齢化は明らかに進んでいて、これまで草を刈っていた人もそれが無理になり、除草剤を使うようになっている現実があります。なので、うわべのサポートではなく、その人自身が主体となり、責任とリスクを負って農業に従事する、少なくともそれを前提として欲しいと思います。
移住や地域おこしという言葉が頻繁に使われるようになった頃から、田舎に移り住むその意味合いが違ってきたかもしれません。そもそも、私個人の考え方では、各々がそこで暮らすために仕事をする、無ければ作り、暮らしを立てていくことで、結果的に地域は興るものだと考えています。地域おこしという新しい仕事を、地域経済がまわるよう稼げる仕組みを作る仕事と、敢えて定義付けるなら、その仕組みを作り商品提案をして終わりではなく、提案した人自身が主体となって続けなければ、その仕事は生き残れないはずです。
農家の研修生としてこの土地に来た当初、「骨を埋める覚悟はあるか」と地元の農家に訊かれたものです。街暮らしにはない衝撃的な言葉でしたが、今となっては、それが不思議なほど納得できます。農業も農村で暮らすことも、土地に根を下ろさなければ、いつまでたっても自分の事として真摯に向き合うことはできないと実感してきたからです。土地の手入れを続けることも、そこでずっと暮らしたいといつわりなく思えた時にはじめて、身が入りました。地域の役を受けるも断るも、それ相応の理由がなければできることではありません。私は消防団を3年で辞めましたが、それは辞めなければ農業を続けられなかったからです。実際の消火活動ではなく、練習や大会に参加する為に捨てたたくさんの野菜、それを仕方がないと笑う兼業農家のように自分を納得させることはできませんでした。農業を生業とし、ここでずっと暮らしたいと本当に思えていたからこそ、地域からどういう処遇を受けるかとても不安でしたが、言う決心がつきました。
価値観は人それぞれですが、各々主体となる、そこは共有したいものです。
彼岸が明けるまでには植えたい、にんにく。
今年は入りが20日、秋分の日が23日、明けが26日でした。
9月23日から始め、途中雨もあって、27日に終了。植え付け日の違いが生育にどう出るか、楽しみです。
この畑はの前作は人参でした。一年半休ませたのち(生える草を生やせるだけ生やしては刈るを繰り返し、法面の刈り草も入れる)、他所から刈ってきた草もあわせてたっぷり敷き詰めてから、畝間の土を管理機で掻き上げ、鍬で調整します。
種芋は、敷き草をかき分け、土の上に置く感じです。なので、根が伸びる先が未熟な有機物だらけ、という状態にはなっていません。それに、これから気温も地温もさがり、急激な変化は起こらないのだろうと思います。
8月14日、ショウガ畑
一か月間、ほとんど雨が降っていません。強烈な日差しと乾燥した空気。ショウガにとってはこんな時、ある程度茂った中にいた方がいいようです。草の生育もゆっくり。
この畑は常に水が染み出し、乾燥続きでもある程度湿っている土地なのでショウガに向いています。ただ、水はけのよさも大事なので畝は高くしています。なので、日照りが続くと畝(ベッド)は乾いてしまいます。畝が乾くと、有機物の分解が進まず、土も固くなります。敷き草も馴染みにくい状態です。できることなら水遣りをしてあげたいのですが、今は植えつけたばかりの果菜類や、収穫中のキュウリの品質を落とさないための水遣りを優先。
とはいえ、埋れそうなので、そろそろ刈り時。1日かけて草取りをしました。
(日が暮れて写真を撮れず)
8月23日
キュウリの収穫を切り上げて、人参を播く準備に入ります。
今年のキュウリは、はじめ雨続きの日照不足で伸び悩み、中盤からは一転、晴れ続きの水不足と大変でしたが、ベースの土づくりで草をたっぷり入れて、ふっくら高畝になっていたのがよかったと思います、結果的に収量は十分、しっかり瓶詰できました。
この畑はすぐ上が山なので獣の来る可能性が最も高く、芋や果菜類はまず無理。キュウリも植えた直後は数株引き抜かれて転がっていたり、実が付きはじめの頃は生るところが低いのでかじられたり(多分、うさぎ)、ひやひしましたが、さすがキュウリは勢いづきさえすれば大丈夫、大したものです。
さて、季節はもう秋に向かっています。中山間地のここでは、人参の蒔き時は8月いっぱいまで。(トンネル被覆をしない場合)9月に入ってしまうとなかなか太りません。
いく農園では年明けから収穫できればいいので、できるだけ遅くに蒔くようにしています。
8月25日~26日、台風15号
予想以上に風が強く、ナスやピーマンなど、果菜類は枝が折れたり、実に傷が入ったり、葉がぼろぼろになったり、かなりダメージをうけました。オクラはそれなりに倒れましたが、翌日に起こして、土を寄せてリカバー。オクラは強い。ショウガは数株折れましたが想定内で済みました。
8月27日種蒔き開始。
条間は20センチ、4条に蒔きます。不耕起栽培で輪作するので、畝は汎用性が大事。畝幅150センチに統一しています。(ベッドの上面は幅約90センチ)
草刈り機で地際を刈った後、紐をはり、ライン上幅10センチほどをさらに鎌で丁寧に草を取り、土を振ります。そうしてから種を蒔きます。人参は発芽に光がいるので覆土はしません。トラクターで耕耘し、畝立てをして播種機で蒔くやり方とは、比べ物にならないくらい時間がかかり、蒔ける量もわずかになってしまいます。このような「筋蒔き」については確かに不耕起は弱いかもしれないな~と思ったりもしますが、その後の手入れのしやすさや人参の生育を見ると、これでいいと思っています。