月別アーカイブ: 2022年1月

厄年が終わりました

前厄、本厄、後厄の三年がようやく終わった。そんなことはあまり気にしないたちだった筈が、あまりにいろんな出来事があったので、終わったと、思いっきり断ち切り、門出を祝いたい気持ちになったのだ。とても晴れやかな陽気。

誕生日に雨風食堂

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で贅沢に昼からお酒をいただいた。

この美しい景色。これに揚げ出しが追って登場したが、もはや写真を撮るどころではない。

なんとも美しい酒器。純米吟醸がキリッと冴えて染み渡る。

牡蠣しんじょ、脂の乗った鮭の西京焼、南瓜と椎茸の煮〆、切り干し大根は優しい味、蕪の甘酢漬けはあっさりと、菜花の和物が春を告げる、白ネギのお浸しにはお酢も効いていてさっぱり。

このバッテラが身も柔らかく、シャリもマイルドで美味しいのだ。ワサビは丁寧におろしたものなのだから贅沢だ。

せっかくの熱々を冷めないうちにいただく。

もずく酢が嬉しい。だからお酒が進むのだ。

誠に至福のひとときであった。皆様も雨風の昼呑み、いかがですか。

20年ぶりの再会

学生時代のインターンシップでお世話になった農業法人グリンリーフ株式会社の先輩が当時3歳だった社長の息子さんやスタッフの方々を連れて会いにきてくれました。今後ミールキットという1次加工済みの野菜からお肉そして味付けに至るまでセットになった商品を拡充していくそうです。インターンシップでは畑仕事に限らず、グループ会社野菜くらぶの独立支援プログラムを通じて新規就農するケースに群馬から遠路、青森まで同行させてもらい、漬物加工も体験させてもらいました。高品質であるということ、安定供給のシステム、市場のニーズに応えるということ。大規模であり、自分とはあまりにもかけ離れていたからこそ、それが今後の主流であると考えた時、自分はどうするか具体的にイメージする上で常に基準となってきました。中途半端なことでは意図せず同じ土俵に上がってしまうことになります。

とにかく当時の自分はしっちゃかめっちゃかでした。全て農業のためとはいえ、体力づくりで始めたトライアスロンのレースと合宿への参加、県が用意してくれた農業を学ぶ通信講座と実地研修、そして農業法人へのインターンシップ、そして卒論を最後の一年に詰め込んでいました。一方で、家に届く就職説明会やリクルートの情報紙は全て破棄。捨てても捨てても送られてくるそれをまた捨てるという行為は、自分の気づいていないチャンスを捨てるようで、またレールから逸れる覚悟を執拗に迫られるようで、結構しんどいものでした。

自分はなぜ農業だったのか、どんな暮らしに憧れてきたのか、まだ何も実現していないそれは自分の中でさえ明確でなかったし、言葉にならずもどかしい思いでした。20年ぶりの再会を果たし、今の自分を暮らしや畑を見てもらうことではじめて伝わると思いました。

数年前、といっても、もう8年ほど前になりますが、高知県へ公演にきた社長さんがわざわざ探して連絡してくれました。独立してまだ数年、試行錯誤の只中でその時もしっちゃかめっちゃかだったのですが、、、。それでも、時代の本流を行く人が、逸れに逸れて細々やっている自分の農業に共感を示してくれたことがとてもありがたく、自分もそうありたいと思いました。こうしてご縁が続くことに感謝しています。

 

 

 

藪の伐採〜つづきその1〜

だいぶん片付いて空が見えてきた。いよいよ直径70センチ近くになろうかという大径木のラインを決めたい。その前段階として、隣の木、写真上の真ん中を倒す。シュロの葉で隠れているが、ポイントとなる伐り株を高めに残した。その株よりもできれば山側に倒したい。しかし、掛かっている枝を少しでも避けるには谷側へずれても仕方がない。

右が大物で左が今回倒す木。

楔は枝にかかるところまで順調に効いていることを確認。そこから牽引具(ウィンチ)を使う。かなり引っ張っても掛かった枝にしっかり受け止められ葉さえピクリとも動かない。少しでも抵抗を少なくするために追い口を再調整し、牽引具のセットをやり直してなんとか倒れた。

数千円の簡易なウィンチを使ったこのやり方では限界かもしれない。一回のセッティングで引ける長さはせいぜい1メートル。なので場合によっては何度かやり直さなければならない。その間、楔を効かせているとはいえ一度緊張させたものを緩めてまた張るという作業は不確定要素を自ら作る無茶な行為だし、牽引具の取り付けについても、やり直す際の引きしろをとるために倒れる側に寄って作業することになる。今回12ミリのポリエステルロープはカンカンに張り、滑車を固定していた結びがいつになく固く締まっていた。一般的にこのような使い方をするのか知らないが、本来の使い方ではないだろう。

今後はこのやり直しの必要がないチルホールという牽引具をあらたに構える必要がある。となれば、それに付随する道具一式もまた近所のホームセンターでは揃わない。かつては隣の本山町に専門の機械屋があったが今はもうない。繰り返し本を読み込んでネットで注文する。実は当初の10年ほど前から気になってチルホールをネット検索し続けてきたが欠品続きだったたり情報が今ひとつ不十分だったり、門外漢には敷居が高くてどこで買えばいいのか何を揃えるべきなのか定まらなかった。昨今は自伐(型)林業が普及して新たな需要が出てきたのか、改めて検索すると多くのサイトで在庫ありになっていたし、判断材料とすべき情報も充実してきた。誰に相談できるわけでもないので助かった。

伐っている最中にエンジンが止まってしまうような、中古のチェーンソーではじめて気がつけば10年経った。林業に携わっていた友人に一度やって見せてもらってからは自分なりに試行錯誤してきた。下積みを経て、今ようやく新たなスタートラインに立てた気がする。解らないことは依然としてあるが、最低限、どういう行為が危ないのかを知り、やり直しのきかない一手一手について、木の反応を確認しつつ進めることで取り返しのつかない事態にしないということ。立ち木の状況をいろんな角度から何日かけてでも事前に検証すること。そういった抑えるべきポイントを蔑ろにしないことで恐ろしさの質を変える。とはいえ、絶対に大丈夫ということはないから、道を止めて人が入らないようにしたり、倒すところを整えたり、前段階の基礎をしっかり固めることに注力するのだ。

チルホールという林業を仕事にしている人なら当たり前であろう装備について、やはり必要だというところに至ったのも大きい。時間をかけて良かったのは、パワーのある道具を使うことによって生まれる危険を少しずつ身をもって経験できたことだ。簡易なウィンチとはいえ引っ張る力は1tあるそうだ。ロープが切れ、牽引具が飛んできて怪我をしたこともあったし、倒れるときの軌道が変化しかえって厄介な状態になることもあった。道具はその必要性を実感してから一つ、また一つ買い足していった。たしか、滑車を組み合わさずに使ったこともあったような、、、。

この日は5株倒したうち、かかり木は3株。何度もやり直さなければならなかったので体力的にも精神的にもキツかった。等高線上に詰んで植えられているものを水平方向に倒したいので当然だ。

大工のお兄の仕事を見るにつけ、その時その時、無い答えを自分で探す仕事の積み重ねこそが作業員ではなく職人として結実するための頑張りどころだと思った。だから山仕事について、これまで自分の仕事として存分に試行錯誤する場に恵まれたことがやはりありがたいと思うのだ。

何かを身につけるにはそれ相応の時間がかかるし、それ以前の下積みも大事だ。私は学生を卒業後農家で6年間修行させてもらったが身につけられたものはごく限られていた。農業という日常を身体に染み込ませつつ、自分はどうやりたいか、またどうありたいかを模索するために、現場の作業員としてその場に居させてもらう年月。いわば下積みの時代だった。その甲斐あって独立した1日目からやるべきことがわからず立ち尽くすということはなかったけれど、只ようやくスタートラインに立てたという思いだった。

さて、話は戻るが、倒れる際の挙動を思い返してみる。着地した後たわんで樹幹が跳ね上がり、伐り株に乗り上げて谷側へ落ちたように思うが、定かでない。やはり、牽引方法に不安があったので、退避中、倒れるところを冷静に確認できなかったのだ。

受け口の下切りが水平よりも谷側に下がってしまったことが作用して、予定ライン(写真下、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する)より谷側へずれたのかもしれない。しかし、伐倒前の方向確認で見上げれば樹幹は山側に反っていたので、やはり、着地した時点では伐り株より山側であったはずだ。着地した後、なぜあれほど撓んだのか。それはラインの中ほどが尾根のように出ており、その先はまた谷のように落ち込んでいるためだ。しかし、それだけが要因ではなかった。より重要だったのが、受け口の下切りの角を欠いていなかったことだ。谷を渡すように倒すことになる今回、つるが引きちぎれずに元口が株に残るのはかえって厄介だと思い、あえてその角切りをしなかったのだが、それが仇になった。樹幹が尾根部分に着地した後、梢が思っていた以上に大きくしなったのは覚えている。問題はもう一方の目視できなかった部分、樹幹は株元から千切れて下に落ちたことで尾根部分を視点により大きな力が働き、伐り株を超えるほど跳ね上がったのだろう。ではポイントとした木を事前に伐るべきではなかったか。いや、かかり木要素をあれ以上残したくはなかったから伐ったのだ。

しっかり安定しているし搬出する時にも能率が良さそうなので結果的には良かった。が、次の木についてはよりシビアになってくる。我が家の搬出は重機を使わないと言う意味で全て手作業。自家消費用の薪にするために40〜50センチに玉切りし、場合によっては現場で割って運び出す。玉切りしたものが転げ落ちないようにするため、足場や木を寝かす状態には念には念を入れる必要がある。隣り合う立木をゲートに見立て、間を通るライン上にできるだけ多く積み上げて壁を作りつつ、斜面との間を埋めて足場を作る。だから狙ったラインを逸れてしまうと、その一本は良かったとしても、その後が手詰まりになってゆくのだ。竹なら持ち上げて修正することも可能だが木は重くてそうはいかない。例えば仮に、次の大径木がこのラインをそれた木の上に更に交差して倒れた場合、重なったところを支点に谷側に浮いた樹幹(元口から数メートル)は、圧倒的重量をもって安定を欠き、危険を生む要素となる。従って、再度ミスをして、ポイントの伐り株を越えて谷側に落ちることは、絶対避けねばならない。

次なる木を改めて見上げる。

さらにしっかり枝が掛かりそうだ。倒したいのは、写真下の伐り株と伐り株の間を通る、最後に倒した木の一つ隣のラインだ。倒れる際にどのように動くかイメージする。そして、道具を新たに揃えなければならないが、自分にとっての必要十分をどう組み合わせるか。その晩はほとんど寝られなかった。しばらく間を開けよう。

支柱は70本と少しまでできた。

藪の伐採〜キュウリの支柱作り〜

キュウリの他にゴーヤ、えんどうにも使う支柱を竹で100本作る。孟宗竹一本で支柱は一本しか取れないから100本以上伐ることになる。元の部分は割ってトンネルの支柱にする。作業の中心はいかに始末をつけるか。事故を防ぐためにできるだけ長い状態で安定するラインに積み上げ足場を整える。なので、一日にせいぜい10本〜20本といったペースだ。手鋸でごとごとやる。

植林に侵食した竹を伐り出すのであとには杉や檜が残る。既に虫に食われていたり朽ちたりしているものがほとんどで、危なくてそのままにはできないから最後には倒す前提で作業する。

藪の中で枝がほとんど無くなりまばらに残った杉。台風に耐えられるとはとても思えない。細く見えて、これでも直径は40センチ前後、高さは20メートルにもなるのでかなりの量感になる。枝がなくてツルッとしている分、下手に倒すと滑り落ちて事故を起こしてしまうかもしれない。細い方がかえって難しいこともあるのだ。右から二番目の木については倒す方向、立木の状況から牽引具もロープも使わない方がいいと判断した。吹きっさらしにポツンと立つそれを見上げれば、形容しがたい量感で迫ってくる。久しぶりにふるふる足が震えた。「おいおい。」

この日は、倒す道を作るためにもこの曲がり偏った木から始まった。追いヅル切りをするには細いようだ。慣れないそれを微妙なところでするよりも、いつものやり方を慎重にする。

真下に立って倒す方向を見る。かかり木になることは避けられない。真ん中を狙う。少し左にずれて隣の斜めに傾いた一株目と2株目の間に入ってしまうと樹幹に挟まってどうしようもなくなる。

狙い通りのところに掛かった。ここからロープを使って倒す。混み合った中に道ができる。

直径60センチ以上の立派なものが2本あった。しかしその並びには樹皮が黒ずんで明らかに危ないものがある。

 

この木を伐るためには立派な2本を伐るしかないように思うが果たしてどうしたものか。それは伐るのも大変だけど、危険のないよう始末するのが大変だ。

この密植された中のどこに倒すか。まだ道は見えない。

少し引いたところから見ると現場はこんな感じ。奥のカーブミラーが立っているところが三叉路になっていて暗く鬱蒼としている。車を運転すると明暗の変化に目がついていけない。ちなみに、生姜の畑に降りていく道はちょうどこの藪の下になる。草を積んでバックで下るには暗くて路肩が見えない。いずれも冷や冷やしながら通らなければならなかったので、左の山側の手前4株は昨年の春、集落の道作りの時に伐った。

2株は直径40センチでガードレールのある谷側に大きく偏重しており、真ん中の株は直径60センチ以上の大径木で形が歪、それらが一株のように密接して生えていた。枝が絡みあい、足場も悪い。そして、倒すべき方向に許される誤差はない。一方は山側を支える石積みの角。もう一方は谷側のガードレールだ。道を止めてもらうためとはいえ、難儀する中、人が集まって大変だった。話は遡るが、事前に手前の藪を片づけて算段をつけ、道作りの担当者に相談したところ、それなら集落内のプロに頼んだ方がいいとこちらの意に反して進みそうになった。それを頑なに遮って、自分でやらせてほしいと押し切った手前、失敗は許されなかった。段取りまでしておいて、最後自信がないから人に頼んだという形になってしまえば、今後自分で伐れなくなる。それはつまり、いつまで経っても思うように進めないということだ。伐るべき支障木はまだまだある。

この春も山側残りの3株を伐らせてもらう予定にしている。厄介なことに電線か何かのケーブルがそばを通っているし斜面上からどう搬出するかがまた大変だ。

四十代のうちにこういったことはある程度方をつけておきたい。竹は整えた竹林で採れるようにしたいし、薪は浅木でこしらえたい。でないと体力がもたないし危なくて不可能になるからだ。こないだの火事の時は麦山の防火水槽では足りなくなったので、川から下の集落の水槽を経由して水を上げた。その際、これまで自分が手入れを続けてきた畑へ降りる私道を使っていて、その道が荒れたままだったら果たしてどうなっていたか。延焼し山火事になっていたら放水は届かずどうしようもなかっただろう。裏山は集落の水源だ。以前消防団に属していたとき山火事の現場に行ったことがあったが尾根まで全て燃えていた。やはり自助努力だと思った。

先日嬉しいことがあった。同じ麦山の方から竹藪の手入れを頼まれたのだ。周囲には少なからずよく思わない人もいるだろうと思いながらやってきた山の手入れだったので、ちょっとほっこりした。

ベンチ作り

伐り倒したままにしていた杉でベンチを作ることにした。急斜面にあるので、自力で運び出すためにはいずれにしても割るなりして転がらないようにしておかなければならない。

厚さ15センチ、横幅60センチ、縦300センチの厚板ができたが笑ってしまうくらい重くて全く動かない。180センチにして、軽トラの荷台へ乗せることに。しかし、後少しのところがどうしても動かない。にもかかわらず、折悪く向こうから来た車を通すのに苦労して上げたものを下ろして、急がなくても良いよと声をかけてもらいながら、よいしょよいしょと道脇に退けて、車を退避させてまた一からやり直し。再度苦労して後少しというところでまた車が来て、、、普段ならほとんど通りのない道に何故という思いで苦笑いが出てしまった次第。日暮れも近くこれはいかんというので断念。牽引してなんとか家の敷地まで運んだ。いい加減、力任せは卒業しないと。

明けましておめでとうございます

今年は穏やかな年となりますように。

二日はお弁当を持ってお山参りに行ってきました。工石山は5時間ほど歩ける程よい登山道が整えられていて、市民の憩いの場です。

とても静かでした。

二匹は方々で正月のご馳走にありつけたのかとても余裕です。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。