投稿者「ikufarm」のアーカイブ

畑のようす〜4月上旬〜

今シーズンはゆっくりスタート。種を注文してから届くまで20日かかったこともあり、例年よりも遅蒔きです。

久しぶりに我が家のノラ2匹について。

ひょっとしたら、チー坊の方がQ太郎よりも狩がうまいのかもしれません。かなりの頻度でウサギを仕留めてきます。ある日、いつもの腹減った〜というような情けない声で帰ってきたQ太郎。飯ぃ〜とそのまま土間に直行すると思いきや、家の手前で何やら興奮して食らいついています。自分が獲ってきたならあんな情けない声は出さなかったはず。おかしいぞ。チー坊は?と見れば、口元を真っ赤に染めてさも満足そうにうとうと余裕。やはり、それはチー坊の獲物。構んの?嫁が抱えてその貪りつくQ太郎の近くに遣っても、全然お構いなし。王者の風格さえ漂わせています。二匹独特の協調関係。

そんなでも可愛いQ太郎。食べる事が大好きな心優しい奴なのです。ただ、それが祟ってときどき悪いのに当たってもどしたりして。大事なければいいんですけど。

 

白ネギのピクルス

春になり、とう立ち始めた頃が一番美味しいと感じる白ネギ。葉色も甘みも瑞々しく、栄養も高まっている感じがします。今年もたっぷり詰め込みました。

大根のレリッシュ仕上がってます

新たに栄養成分表示を加えることになり、その作業で瓶詰めできてからお知らせが遅くなりました。冬の間、凍れるほど蓄えられた美味しさを、鬼下ろしで料理に馴染みやすくしました。ミートソースのグラタンに添えるのが私の一番のお気に入りです。

山仕事備忘録〜西の藪’23〜

寒く乾燥した季節も終わり、風が温み、雨が降っています。

この冬は町内でも火事が多発しました。あまりに乾燥していると、草刈り機やチェーンソーの歯が石か何かに当たって出た火花でも起こるらしく、重機にハンマーナイフモアをつけて刈っていた現場の火事はそれだったようです。力技な分、余計に気づかないのでしょう。野焼きによるのものは相変わらず毎年のように起こります。聞くところによると、同じ人が起こしているようです。消防団に入っている知人が呆れていました。

あれから、火事には敏感になりました。日暮れ間近、積んでおいた竹を短く切っていると火花が見えてひやっとする。煙は出ていないか、一度帰ってからジョロ片手に再度確認に行きました。

5年以上前に伐って積み上げておいた竹と杉の丸太が崩れ落ちていく夢を見ました。雨に濡れ、いよいよ朽ちゆく様がありありと見えたのです。まさかとは思うけれど、急斜面なので転げ落ちて事故を起こすかもしれない。谷を一直線に降ってゆくコールゲートは鬼門です。

矢も盾もたまらず、辺りが白み始めると現場に行きました。流石に夢に見たほど切迫した状態ではないようにも見えるけれど、支えにしていた切り株も頼りなく傾き、もはや予断は許されない。そう思うべきでしょう。春になれば嵐も来る、虫も出てきていろんな事が一気に動き出す。

種を蒔かねばならないのに、いろんな片付けに追われます。先の先のためにあれもこれもがあります。春は忙しい。

殆どを一株そのままの長さで3メートルほどの高さまで積んでおいたもの。手に追えなくなる前になんとかしなければ。

(2017年3月 伐った当初の様子)

白ネギの仕込みもしなければならないが、今日も午後から雨の予報。杉の丸太に取り掛かることにした。

上に積んだ竹を避けていくと丸太が顕になってくる。自分で伐った後だからできる作業。人のやった後なら、何がどうなっているかわからないので頼まれてもやりたくない作業です。できる限り玉切りして搬出した後、ロープで確保しておきました。ようやく安心して寝られます。

山仕事備忘録〜道上の大径木〜

伐ったのは山側の杉3本。だいぶん明るくなってきました。

(今年1月13日時点の状態)

前日は雨でしたが、当日20日は晴れ、少々風があったものの支障をきたすほどではなく、地域の協力もあって、片付けまで無事終えることができました。

崖の上と言ってもいいところに生えており、いかに安定して寝かせられるか、中途半端では終われない、本当に難しいケースでした。加えて、通信ケーブルに枝がからんでいたこと。2株が密接して生え、片方が斜め後ろ谷側へ傾いている起こし木であったこと。滑車を取り付ける立木が限られ、牽引方向がベストではなかったこと。それぞれが伐根直径60センチ前後の大径木であったこと。11月に一度、牽引具をセッティングしてラインを確かめ具体的にイメージしたところ、いかに問題を孕んでいるか解って仕切り直すことに。普段の畑仕事にはない種類のリスク。搬出も危険を伴い、重労働になります。

万全を期すため、事前に枝を打ち、当日は再度登ってワイヤーを枝の上の充分高いところに取り付けて牽引し、手前の一本はアンカーにする木がないので楔だけで倒すことに。スケジュール的に半日に3本は難しかったのですが、入念に対策を練り手持ちの手段を増やしていたことで、落ち着いて進めることができました。

次の冬までこのまま置いておきます。全てを片付けるまで、まだまだ安心はできませんが、兎にも角にも、無事に倒れ、安定した状態で寝てくれたことは大きい。衆目集まる中、誰から見ても安心感があり、作業が淡々と進められ無茶をしていないと見てとれるかどうか、今後もここで山仕事をさせてもらえるかどうかが掛かっていました。

手入れすべき山が集落の中にあり急斜面にあるということがいかに困難なことであるか、知らぬままに借りてしまったことはなんと危うい若さであったかと思います。そこが植林になっていることそのものが異常ということさえ知りませんでした。

周りの植生が豊かになれば、畑も良くなる。それは逆に言えば、周りの手入れをしなければ畑はよくならないということです。借りた農地は東西を深い藪に囲まれており、南斜面にあっても日照が足りないということを後から知りました。実が満足に着かなかったのです。薮は獣の棲家になるばかりでなく、虫の温床にもなるし、湿気を溜めてしまう。気の流れが悪いというような観念的なことを持ち出すまでもなく、そこで農業を生業とするのは厳しい。

石鎚の麓で発酵茶を作ってきたご夫婦の言葉が印象的でした。村を去る人々が山を植林に変えてしまってから次第にうまく発酵しなくなったと語っていました。自分の手の届く範囲でもいいから、この暗澹たる混沌を払拭できるものなら払拭したい。少しでも、この先きっと良くなると思えること、将来を楽しみにできることが生きるためには必要です。にしても、一つ一つが実に重い。ひとりの人力で大径木を片付けられるのは40代まででしょうか。時間が限られていることを嫌でも思い知らされます。美しいと思えるところで暮らしたい。

7days Hotel さんに

高知市はりまや町にある7days Hotelさん

この度ありがたいことに、laatikkoという、溢れんばかりの思いが詰め合わされた素敵な箱の一品として、また店内のショップにも置いていただけることになりました。

その成り立ちからも市内の他のホテルとは一線を画すセンス。今回うちのピクルスを紹介してくれた友人が長年勤めていたり、マーケットで知り合った作り手さんが働いていたり、以前私たち夫婦も市内に泊まる際に何度か利用させて頂きましたが、その際にも若いバックパッカーの女の子が泊まっていて、その緊張と期待の入り混じった表情が印象深く、そういえば、東京に住む義理の妹もいつどこで知ったのか高知出張の際にはよく泊まっていたと後で聞かされて驚いたり、いろんなところで共感を呼ぶ居心地の良いホテル。

プライベートでゆっくり思い思いの滞在が可能な、キッチン付きの広い部屋を新しく作られたそうです。

山仕事備忘録〜枝打ちその2〜

カーブミラー脇の弱っている杉については手前へ、道に沿って倒す予定にしており、ガードレールに当たりそうな枝を打っておきます。枯れた太い枝そのままではいつ何時落ちるかわからないので、いずれにせよ暫時片付けておかなければなりません。藪の手入れを一旦始めたならば状況は変わり、次から次へと責任が表に現れるようです。

今回は車道に打った枝が落ちないようロープで確保しつつの作業となります。他の仕事の傍ら、これまで2日に分けて少しずつ切り上げてきました。木が健全でないため、皮が剥がれかけていたり樹脂が染み出していたり、枯れ落ちた枝の痕の出っ張りも厄介で、胴綱をしゃくり上げていく際に死角となる裏側が引っ掛かって思うようにいきません。命綱を頼りに胴綱のテンションを一旦緩めて引っ掛かりをとるのですが、その作業は樹幹と自分との角度を浅くしてしまって足元が不安になり、余計にエネルギーを食われます。

3日目は写真下の地点から六本ほど打ち、自分の身体もうひとつ分上まで登ることになりましたが、そこまでになると樹幹はかなり細く形もより歪に。爪がしっかり食い込んでいるかどうか、高度が上がれば上がるほど必要以上に緊張し神経をすり減らしてしまいます。新たな作業が加わって樹上にいる時間が長くなり、集中力を維持するのが大変です。

アンカーとする上方の手の届かない枝へロープを掛けるのに手間取って、自分の確保が疎かになる。一瞬でも樹上にいることを忘れてしまいそうになったことに慄き、足元の爪と胴綱の状態を確認する。手が届くところまで一旦登って掛ければいいのですが、そのためには、落としていない枝を跨ぐために胴綱を一旦外して掛け替えなければならなりません。今の装備でそれは出来ない。やるほどに改善点が明らかになってきます。信頼できるハーネスと命綱、胴綱を掛け替えるシステム。不測の事態を念頭に入れるなら下降機も予備のロープも必要。ロープの色を変えることも大事でしょう。それを賄えるかというとなかなかですが。

打つ枝も、物によっては太く片手で保持するにも大変な重さになるので、それを樹上で扱うのもまた神経を使います。ロープを手繰り寄せる際にぶら下がっている枝が足元にあたる。そんなことひとつ一つにすり減らされるのです。

とにかく忘れないうちに少しずつ経験を積み、シンプルな道具で基礎を学ぶ。そしてシーズンの終わりを良いイメージで締めくくりたいものです。

山仕事備忘録〜枝打ち〜

今シーズンの山仕事もいよいよ大詰め。春の道作りで伐る支障木は、枝が通信ケーブルにかかっているため、事前に枝打ちをします。農業にも通じることですが、山においても、根拠のない自信や楽観、そして、自負は危険だと戒めています。

言うまでもなく枝打ちは樹上に登って行うわけで、おいそれとできるものではありませんでした。知っている事といえば、特殊な爪を靴に装着し、胴綱を使って登るということぐらい。一冊の本に一通りの方法や必要な道具がのっていればとっつき易いのでしょうが、そういった種類のことでないのはわかります。とにかく、よく使われているらしいメーカーのものを取り寄せました。使用説明はないに等しく、特殊用具のため熟練者に適切な指導を受けるようにとのこと。そして、別途、墜落防止器具をつけるようにと書かれていました。しかし、製品ラインナップをみてもどれが樹上作業に適合するのかわかりません。まあ、そういうものでしょう。敷居は高くあって然るべきです。

どのように使われてきたのか、林業の現場ではこれまで胴綱を安全帯として墜落防止器具といったものはなかったようです。そもそもが特殊な仕事、無理と思うなら就いてはいけないし、命の補償を誰かに求めてもはじまらないのでしょう。山の仕事はきっとそんな事ばかりです。とはいえ、根が怖がりにできている私としては、手間取ってでも安全を確保したいし、胴綱と爪のついた履物だけではあまりにも心もとない。安心を求めれば求めるほど海外の高価なクライミングツールがあれもこれも必要になりそうです。樹種によってはいずれそういった道具も必要になると思いますが、それはおいおい。以前、椰子の木に登る少年の映像を見たことがありましたが、彼は裸足で胴綱一本で昇り降りしていたっけ。

墜落防止器具にかわる命綱を自分なりに用意しました。ロープワークの本を参考に、ふたつの輪を作り両脚をそれぞれに通して上体に結び付け、家の梁から吊り下がってみます。が、自重でどんどん締め上げられ、「痛たたっ!」と思わず声を上げてしまう。と、振り返れば、嫁が爆笑して泣きそうになっているではありませんか。いやいや、こちらは真剣なのです。試行錯誤を繰り返し、実際に立木で試して、それなりに命を守ることはできそうになりました。

思っていた以上に、靴に装着する爪の扱いが難しい。木に対する角度が甘いとグラグラ不安定になり、ともすれば食い込みが外れて体を支えられなくなります。胴綱はその爪の当たる角度を保つためのものであって、落下を防いでくれるものではないということ。この登り方は体重のほとんどを爪に託しているから、そこに一定の信頼を置けなければとてもではないが樹上高く登ることはできないし、いわんや作業をやです。胴綱を取り付けるベルトのズリ上がりも気になりました。一日目は枝を一本切ることさえ出来ませんでした。不安がとてつもなく残ります。命綱の改良と、なぜ爪が安定しなかったのかを考え、安定させるためのポイントを整理します。いたずらに下手を繰り返せば足首も膝も痛めてしまいそうです。

翌日は珍しく頭痛が出ました。寝込むほどではないにしても仕事になりません。樹上の空っ風で冷えたこともありましたが、相当力んで体力を消耗していたにもかかわらず緊張がとれずうまく寝られなかったからだと思います。

日を改め、体力と集中力と相談して少しずつ進めます。踏み外すことはほとんどなくなったし、胴ベルトのずり上がりもさほどではなくなり、二日目は枝を一本落とすことができ、三日目は二本以上落とすことができました。適切なところに適切な角度で一歩一歩確かめ、胴綱を操り、命綱をその都度、確保する。むやみに緊張するのではなく、抑えるべきポイントに集中し、作業手順と型を構築していく。踏ん張る足元は大丈夫かベクトルは合っているか、作業しつつ足裏の意識を忘れないようにする。それでも時折不安定になって緊張で気が遠くなりそうになります。樹表の歪なところは爪の当たりが悪くなります。枝打ちのあと、特に枝が密集していたところは足の踏み場がないほどで、そういったことを樹上で気付く。気持ちを落ち着かせるのに一苦労しながら迂回ルートを探す。数日かけてなんとか問題となる枝を全て落としました。

キャパシティーを超え、頭がショートするような感じ。どこかに意識が飛ぶように気が遠くなります。緊張から解放されたいという誘惑がふとよぎります。気がつけば何か他のことを考えて集中が切れそうになったり、心と身体がばらばらに逃避行動をはじめる。思いとどまるにもエネルギーがいることを知りました。

思い出すのは小学生の頃、確か10歳ぐらいの出来事です。学校から帰って家がたまの留守にもかかわらず鍵を忘れていたことが何度かあり、はじめこそ家族が帰るのを待っていたものの、怖いもの知らずで身軽さを自負していたわたしは、2階の窓が空いていることを幸いに、雨樋を伝って庇から窓に取り付き、家に入ったことが何度かありました。当時の我が家は山を切り開いて造られた新興住宅地にあり、斜面に擁壁を立ち上げたその上に建っていました。下はコンクリートにタイル張りの階段だったのですから、危険極まりないことをしていたわけです。そして、ある日もまた味を占めて取りついたところ、いつもの窓に敷布団がかかっているそれが何を意味するのか察知できなかったわたしは、取り付いてはじめて、力が入らないことに気がつきました。

自分の頭より高いところに取り付いているわけですから、足は既に庇から離れています。いつもなら上半身を使って肘をかけるところまで持っていき、あとは足をかけてよじ登るのですが、そのはじめのところが滑って思うようにいかない。ともすればずれ落ちそうになります。駄目かと一瞬よぎりました。庇に降りようとすれば、後のない足場と壁との隙間を布団が邪魔をして勢いそのまま落ちてしまうのは明らか。シーツを掴んであえなく落ちてしまうのを想像しました。しかし、若さゆえの瑞々しい執着というのか、諦めずありったけの力を出して登ることができたのです。

幼少からのいろんな無茶は無意味ではなかったとはいえ、一つまた一つ、限りある幸運を食い潰してきたようにも思います。歳を重ねヨレた感のある今、あの頑張りを、運よく、当たり前の如く、また発揮できるだろうか、もはや疑ってしまうのです。根拠のない自信なんてありえない。軽々しく自負もできない。

登山における事故というのはベテランであるか初心者であるかにかかわらず平等に起こると言われているそうです。山仕事においても、ケースはひとつひとつ異なるし、リスクの高い現場では精度が求められ毎度改めて怖いと感じます。実際のところ絶対に大丈夫ということはあり得ません。つまり、難しい木がその時うまく倒れたとしても、伐れるようになったということではなく、次なる課題に直面した時、それを伐ろうと思えるかどうかでしかないのだと思います。

こういった仕事は怖がりで慎重過ぎるくらいが丁度いいのかもしれません。不安要素をやる前からあれもこれもと並べ立てるほどの怖がりであり、それらを漠然としたままには進めないほど慎重であるということ。その時点で気付かない危険については、至らなかった自分の力量ゆえ仕方がない。とはいえ、仕方がないでは済まないから、年数をかけて経験を積み、抜けているところがないか考え続ける。そして、甘さや余計な危険が生じないよう、一人でやる。

危険なことを何故自ら進んでするのか。一言では言えませんが、見失いたくないものがそこにあるのは確かです。単なる度胸試しではないし、蛮勇は望むべくもない。通過儀礼として、非常な試練を自らに課すというのとも違う。わかったふうなことを言いたくはないから、謙虚にならざるを得ない状況に身を置く、自分にとってはそんなことの一つなのです。だから、今回頑張ったから十分ではなく、身体が許す限り続けなければならないのですが、とまれ、根が気分屋でストイックに出来ていない私としては今シーズンはもういっぱい。気を取られてこの冬はほとんど自転車に乗れず、また膝や腰に不安が出てきました。ほとほと、コンスタントに続けることが苦手な我が身であることよと、ついぼやきが出てしまうのでした。

生姜の醤油漬け

良質なしょうゆに黒糖のコク、そして、鰹節と昆布の旨味。生姜の香りも高く、とても濃厚に仕上げてありますので、お料理のアクセントだけでなくベースにもお使いください。

生姜のメープルスイート

ホットワインをイメージして作ったメープルスイート。生姜の柔らかいところだけを使い、賽の目に切った生姜の食感をぜひお楽しみください。パンケーキやバニラアイスに添えるのもおすすめですが、ローストしたアーモンドやピスタチオと合わせて赤ワインや洋酒のお供に。その際はお好みで挽きたての黒胡椒を。ローストしたお肉や燻製にも合います。