life」カテゴリーアーカイブ

山仕事備忘録〜田の東〜

来春から始める米作り。その前にまずやらなければならないことが、日当たりの確保と車を乗り入れられるようにすることです。

この一帯は主たる畑から少し離れたところにあり、田の他に梅や柚子の畑、それから少しの植林があります。車を横付けすることもままならず、とても不便でした。杉や檜の枝は伸び放題で下の梅も枯れていく状態。田を始めるあたって、しっかり手入れをすることにしました。

まず、車が乗り入れられるよう、邪魔になっていた柚子の木を4株伐採し、1箇所に山積みにしました。勿体無くてこれまで思い切れませんでしたが、持て余していたこともあり、田をやるということでようやく前に進めます。なお、柚子の木はまだ2株立派なものがあるので、我が家はそれで十分。

次に、植林を伐るため、まずは枝打ちから。ここは倒しておける場所がほとんどないので、樹上から玉切りしていく予定。なので、ひとまず、梢を残し枝を切り落としていきます。落とした枝は株元に積み上げ、玉切りしたものを上から落としても大丈夫なように整えます。ギチギチに立て込み身動きができなほど絡み合った枝々。いずれにしても、樹上作業ができなければ倒しようもない現場でした。ツル絡みもなかなかです。

  スパイクの爪を効かせるには、幹に対して30°から45°の角度が取れるよう体を離す。移動するときはその範囲に収まるよう注意するけれど、つい浅くなって足を滑らせることがままある。なお、胴綱を腰の水平ラインより下げることはしない。考えてみれば、体重は胴綱を介して円の接線方向にかかるのだから、身体の垂直方向に(胴綱を)かければ、爪は体重方向に効くことになり最も安定する。チェーンソー作業時はその角度に定め、命綱を胴綱の下にして刃に当たらないようにする。

この日初めて樹上でチェーンソーを使い、低い木でトップカットから玉切りもしたところ、色々改善点が見えてきました。

1日に登れるのはせいぜい4本から3本。安全の確保は体力と集中力次第。トップカットともなれば、かなりの高さまで登らなければならず、本数を重ねるごと高度を上げてゆく。

枝を打つことでようやく全体像が見えてきます。落とした枝の片付けもなかなかの重労働。腰と相談しながら進めます。

本年もありがとうございました。

暮れは年内に済ませて欲しいと言われてるところの草刈り。4日間で12時間。流石に疲れましたが、日頃お世話になっている御礼という気持ちでやらせてもらっています。29日に仕事納めをして、30日は久しぶりに障子の張り替え。大晦日は休みつつ、煮しめやスモークチキンを作り、正月の準備です。

嫁が、裏山やこの度手入れした山から色々集めてきてリースを作ってくれました。檜やスギの枝もこうして見ると綺麗です。

山仕事備忘録〜三叉路脇の支障木その5〜

いよいよ大詰め、二日目は直径60センチ前後の2本です。1本目は重心が前方、伐倒方向にあるので意図せず倒れ出してしまわないように、2本目は重心が後方にあるため、起こす際にツルが引き抜けないよう気をつけます。いずれにしても方向を定めたならばツルの強度を最後まで確保すること。

これまで、いわゆる大径木については基本的に「芯切り」をしてきました。引き抜けや割れを避けるため、受け口を作った後、その真ん中から切り込んで芯を断ち、ひとつの蝶番であったツルを両側に分ける「芯切り」。その分、切り残してある部分(つまり「ツル」)による抵抗が減るため、楔を打ち込みやすくなります。そういうこともあって、圧倒的重量のある木を起こす場合は積極的に行ってきました。しかし、より厳しく失敗が許されない状況にあって迷いが生まれてきたのです。果たして、その切り方が今回プラスに働くのかマイナスに働くのか。ツルの強度において、芯を切ってより厚く残す方が強いのか、薄くても切らない方が強いのか。

前日の3本目は直径40センチで比較的小柄な木でしたが、芯切りをしない状態でかなりの傾きまでツルが効き、制動力も十分でした。木の芯は外輪部より強く、逆にそれが仇になって抜けや割れにつながるわけですが、適切なツル幅を見極めることができれば、多少の抜けはあっても、芯を残した方がより制動力を確保できるのではないか。再検証した結果、今回は芯切りをしないことにしました。なお、枝打ちによって上方を軽くしてあるので、いきなり割れることはないでしょう。

左側1本目が前方に傾き(追いヅル切りをするほどではないと判断)、右側2本目は後方に傾いている。

樹高が30メートルほどあり重量級ではあるけれど、受け口正面に素直に倒れてくれさえすれば、ケーブルにも路肩にも接触しない。間違いないと思えるところまで傾けた後、最後に楔を打つ。ゆっくり倒れ始める。

 最後の1本。前方の切り株に樹幹が当たって元口が跳ね上がらないよう、高い位置に受け口を作り、梢から着地させる。

 谷側の追い口を入れるところまでは樹上作業。不安定な梯子に足をかけてやるよりも安全。

 重心を後方から前方へ起こすまで細心の注意が必要。ひとまず残すべきツルの厚さはおおよそ直径の20%だとしても、それはあくまで目安。実際には、追い口を入れつつ打ち込む楔の音や重さで判断する。斧目を入れ裂け具合を確認するために樹皮を剥く。この木は樹幹の途中から股になって広がっており、その分、ツルへ負荷がかかる。

山側のツルが先に裂け始めました。重心は谷側にあるということ。なので、谷側の楔を重点的に打ち、山側のツルを守ります。最適なツル幅を見極めるため、追い口を少し入れては打ち込み、裂け目を確認し、下にだけ入るまで間を詰めていきます。今回のようなシビアなケースでは切り過ぎることがないよう途中からは伐採鋸を使います。直径60センチくらいまでなら反対側まで刃が届くので重宝しています。楔が入りやすく変わってきたなら、それ以上追い口を入れることはしません。方向に間違いがないか、左右のツルに異常はないか確認。最後の一打を加えます。

全て無事に倒れました。翌日は整体。枝払いや後の始末は翌々日に持ち越しです。

この道の先にはこれからはじめる私たちの田があります。放棄地だったところ、この17年手入れだけは続けてきました。しかし、混沌として好きになれない道というのはどうしても足が向かないもの。日々行き来するため、明るくしたかったのです。幸い、地権者にも伐ってもらえると助かると言っていただけました。いつかはと思っていたことがついに叶い、嫁と祝杯をあげました。

山仕事備忘録〜三叉路脇の支障木その4〜

二つの道に挟まれた、路肩をのぞけば幅わずか5メートル足らずの狭地。そこに樹高20メートルから30メートル、直径40センチから60センチ前後の杉5本をまとめます。枝ぶりを考えれば樹幹は2メートル以内に収めなければならず、かといって考えなしに重ねてしまうと後始末が大変になります。つまり、できるだけ平行に隣り合わせて寝かせなければならないということ。

受け口正面を厳密に定め、着地する最後まで制動力が効くよう、「ツル」をできるだけ厚く残す。前年の枝打ちは、接触していた通信ケーブルの絡みを除くためもありましたが、全ての木に登ったのは、「ツル」にかかる負担を軽くするため。楔を打ち少しずつ前方に重心を移していく中、まかり間違っても構造物に接触したり道に倒れたりしないよう、方向に確信が持てるまで傾けられるようにしたいからです。シビアなケースなので、抜かりのないよう一年寝かせました。その間、足場を整えるために春一回、夏一回そして秋にもう一回草刈りし、つまづいたり引っかかったりしそうな飛び出した枝を払い、邪魔になる株元を切り戻しました。濃い藪でしたが、灌木や蔓(かずら)もバラも十分朽ちて嵩も減り、滑りやすい竹の足場も随分マシになりました。

 はじめの2本は枝絡みに備えて牽引具をセットした。あくまで念の為。基本的には楔で倒す。

いよいよ伐る段となればコーンと車で道を止め、嫁にも立ってもらいます。

急斜面なので谷側に立つと追い口が顔の高さに。

2本目も同様に牽引具をセットする。

 最後の一手を見極めることができれば余裕を持って退避できる。

 アンカーにした樫、その右にある欅をゲートに見立て、その間に収めていく。その幅が2メートル弱。一本目は若干谷に寄ってしまったけれど、欅が受け止めそこに収めてくれた。

本日の3本目、道脇のこれだけはゲートの外。路肩に樹幹が当たらないよう、樫の際に寝かせる。ゲートの内側に入れてしまうと角度的に梢が隣地に出てしまう。

3本とも上手く収まり、1日目はこれにて終了。明日に備えます。

 

帰省

秋深まり、いよいよ畑仕事やピクルスの仕込みも佳境を迎えていきます。春からの疲れもいよいよ積もり積もって、ここ数年、この時期に寝込むことが増えてきました。昨年はギックリ腰でしたが今年は腰痛に加えて風邪。珍しく数日寝込みました。その後もなかなか全快せず、騙し騙し進めるものの三週間満足に仕事ができず、となればいよいよやるべきことが詰まってきます。冬越し野菜には裁断した草をかぶせてあげなければなりません。今後、この時期の帰省は難しそうです。

明石海峡大橋を渡る。

 

秋の山行〜雨に降られた石鎚裏参道〜

先月の下旬に予定していた山行でしたが、仕事や体調など鑑みて延期することにしました。天気はこのところ変動しており、週間予報もコロコロ変わりますが、前日予報では11月2日からの三日間、晴れ間はあって雨は降らないだろうという感じ。しかし、当日になれば朝から一向に晴れず道中、パラパラ小雨も降る始末。無理となればいつでも引き返すつもりで向かいましたが、面河へ着く頃にはようやく晴れ間が見え始めました。

渓谷の紅葉はもう少し先でしょうか。かつての賑わいを思わせる国定公園の中、登山口へと歩を進めます。鳥居をくぐれば石段の急登。二日前にしっかり降った雨で足元が滑りやすいですが、ストックを使うことで一歩一歩に集中し、足への負担も軽減できるので安心です。高度を上げるにつれて葉が色付いてきました。木漏れ日に和みます。稜線に近づくにつれ風が強まり、遠くに見える石鎚の頂も二ノ森も濃いガスが覆っています。きっと強風吹き荒んでいることでしょう。

ひとまず、お弁当休憩にします。おかずはいつもの卵焼きに鶏の燻製、山東菜とニラの炒め物(にんにくレリッシュと醤油で味付け)、そして自家製紅生姜。

テント場までは所々の木道(急斜面のザレ場を通れるよう整備された道)が滑りやすく多少難儀したものの、予定よりさほどかからず16時過ぎに到着。夜の帳が下りる前に張り終えました。ところが、中に入って落ち着く間もなく、雨。

嫌な予感はしていたものの、さて、困った。フライシート(テントを覆う雨除け)のシーリングが劣化したままだったのです。つまり、このままでは絶対雨漏りするということ。

あれよあれよという間に雨足が強くなってきました。銀マットを本体との間に差し込めれば、側面はともかくも、頭上からポタポタ落ちてくることだけは防げるはず。しかし、なかなか上手く差し込めず、もたつくほど、フライシートを伝う水で余計に濡れてしまいます。山では濡れないことが鉄則なのに、あろうことか、夜を過ごす頼みの保温着がびしょびしょ。当然だけど、火にあたって衣類を乾かすことはできない。なぜ、それらを脱いで、仕舞って、雨具を着てからにしなかったのか、自分。

(登山口の看板)

どうにかこうにか、銀マットだけは雑にならないよう被せました。暫時、靴をビニル袋に包んで濡れないようにしないと。「冷えた身体」「ぐずぐずに濡れた登山靴」想像するだけでゾッとします。

さて、どうしよう。雲行きがわからない状況で濡れたものを脱いで寝袋に包まることが果たして正解なのか。そもそも、寝袋自体がへたって頼りなく、それだけでは過ごせそうにありません。ともかく、まだ濡れていない嫁にはシュラフに潜っていてもらいます。最悪、ひと組だけでも乾いたシュラフを切り札として残しておきたい。ただ、一旦体が冷え切ってしまうと、熱源もなく果たして回復できるのかどうか。

濡れた保温着(化繊の中綿が封入された、いわゆるインサレーション)を着た状態でも温く感じているのでその上からレインジャケット、そしてレインパンツを着ることにしました。そしてウールの厚手の靴下、さらにソックスカバー(薄手のフリース地に爪先から踵まで合成皮革で補強されたもの)を履いて、空にしたザックに腰まで突っ込みました。まず落ち着かないと。

足元は冷えるものの、上半身は当分なんとか行けそうです。雨は断続的に降り続いてはいるものの、嵐というほどではなく、側面から染み出てくる水滴については、時々スポンジ(佐官用の吸水スポンジを今回初めて試したところ、とても効果的)で吸い取ってなんとか越せそうです。しばらくしてウトウトして来ました。少し濡れていた靴下は若干乾いたようですが、下半身の冷えは取れません。嫁が「寝袋に入らないの?」と心配してくれます。20時ごろ、何か食べながら次どうするか改めて考えることにしました。胡桃パンとチーズが美味しい。火を使えないこういう時、パンのようにすぐ食べられるものがとても助かります。おにぎりは冷たくて一個食べればもう十分。雨は時折パラパラ降る程度。翌日は持ち直すはずなので、これ以上荒れるよりも回復する筈なのですが、、、。今後の予定としては、翌日、二ノ森方面に向かってもう一泊するのは諦め、下山することにしました。

それにしても、驚いたのは、びしょ濡れだったインサレーションがはっきり乾き始めていたことです。上に着込んでいたレインジャケットによる蓄熱効果もあったと思うのですが、体温によって乾いたということ。それは、例えば僅かな火で湿った木を焚く時、無闇に息を吹きかけて火力を消耗させるのではなく、まずは燻らせながらもエネルギーを温存し乾くのを待つ方が確実に熾せるということと同じかもしれません。これならば寝袋に入っても中を濡らすことはないだろうし、シュラフカバーに期待していいのでは。テント内の気温は10℃前後で思ったより温く、外気温はおそらく3℃前後、辺りが凍ることもなく助かりました。嫁が用意してくれたホッカイロのおかげもあって冷えも治り、温くして眠ることができました。

 そして、朝を迎えました。悪寒もなく元気です。靴下もインサレーションもすっかり乾いていました。改めてその性能に感動です。さて、コーヒーを淹れて無事を祝いましょう。毎度嫁お手製のパウンドケーキは今回イチジク入り。数年前に一本だけですが植えて昨年あたりから穫れはじめた和種です。収穫後セミドライにしてラム酒漬けにしておいたもの。しっとり香り高く贅沢な美味しさでした。

朝食はカップスープとパン。残り物のおにぎりは雑炊にしました。

下山はゆっくり景色を楽しみながら、また腰の具合が心配だったのでストレッチの時間も十分摂りました。午前の穏やかな光の中、紅葉が美しく気持ちも綻びます。 さて今後、テントの雨仕舞いをどうするか、フライシートを買い替えるべきなのか、修理に出せるのか、いずれにせよ加水分解するシーリングより自分でなんとかならないものか。

今回は雨で大変だったにもかかわらず、嫁曰く、

「これまでのテント泊で一番ぐっすり眠れた」

「こんなことがあっても次の山行が楽しみで仕方がない」とのこと。

よし、よし!少しずつ経験を積み更なる山へ想いを馳せる。良い趣味を得たものです。

秋の山行〜矢筈山’25〜

朝晩の気温が下がり、ストーブを焚く日もでてきました。金木犀の香りが山へと誘います。秋の作付けは残りあと少し。身体と相談しながら進めています。中年ともなれば常にどこか炎症しているものらしく、高負荷有酸素運動によって身体はその回復に努める際、その慢性的な炎症についても治そうと頑張るのだとか。本当かどうかはさておき、昨年の秋は山行後に頑張りすぎて失敗。ギックリ腰になったので、今回は自分が思っているよりも回復に時間がかかることを念頭に用心します。

さて、この秋は久しぶりに石鎚の裏参道を行きたいと考えており、そのハードな山行前の調整ということで矢筈山へ向かいました。日帰りですが、そういうこともあって、しっかりテント泊装備です。身体への負担や怪我のリスクを考えれば、荷物の軽量化は必須かもしれず、昨今の流行はまさにウルトラライト。ただ、ギミック(仕掛け)てんこ盛りの気軽でスマートなスタイルは、これまた矢鱈とコマーシャライズされているや登山アプリや捜索サービス、山岳保険ありきなのではと思うと、(確かにそれも備えの一つかもしれないけれど)結局はいつものスタイルに落ち着きます。

 植林で鬱蒼とした序盤の急登を過ぎれば巨大樹の森が広がります。

 尾根に出れば笹原が広がります。正面がこれから向かう矢筈山。左に遠く見える三角とそれに続くなだらかな笹原が天狗塚と牛の背。

秋晴れに心も晴れ渡ります。

 本日のお弁当は栗ご飯、牛すじの煮込み(紅生姜を添えて)、焼いた茄子とピーマン、そして定番、山登り仕様の卵焼き。(しっとり甘く、卵6つに対して煮切った味醂を90cc、薄口醤油と塩少々で味を整えます)

腰痛持ちはロールマット必携。友人がお土産にくれたコーヒーと嫁のパウンドケーキでひと心地。森の中で寝転ぶのは最高です。

暮れゆく中を下山します。一瞬一瞬変わってゆく光の色。高知の山はほとんどが植林なので、僅かに残る原生林を大切にしたいですね。

親友の酒

日本酒造りに携わっている親友が、折に触れ酒を送ってきてくれます。これまでその美味しさに幾度となく励まされてきました。米という一粒が醸成されることによってこれほどまで濃厚に香り高く味わい深いものになるという圧倒的事実。それは揺らぎようのない指針として 、美味しさという品質、豊かさという品質は、あれこれ手を加え合成して作るものではなく、余計を削ぎ落とし時間をかけ醸し出されるものであることを思い出させてくれます。

農家で修行していた頃、彼もまた蔵に入り修行をしていると聞いて嬉しく思ったものです。大学に入って知りたかったことはとどのつまり、学問を研究して得られるものではなく、これと定めた実生活の中にしかない。紆余曲折を経て見切りをつけた私は、なんとなく彼においてもそうなのではと思っていたからです。20年以上が経ち、彼の人生にもいろんなことがあった思います。学生時代もそれぞれに模索していました。酒を酌み交わすも言葉にならないこと、できないことの方が多かったと思います。それでも、その存在をありがたいと思っていました。とかく流行りでものを言う人が多い中、そうじゃないだろうと共感し合える友人がいるのは心強いものです。

彼の杜氏になるべく第一歩として送ってきてくれた今回のお酒は、その気概を感じさせてくれるものでした。現場の技術が数値化されシステム化される流れにあって、杜氏としてのやりがいを見出せない現場もある一方、作り手としてだけでなく蔵の方向性を示す重責をかつてないほど担わなければならない現場もあるということでしょうか。ぜひ頑張って自分の道を伐り拓いてもらいたいです。

【気概】困難を積極的に乗り越えて行こうとする、強い気持ち。 (三省堂国語辞典より)

体力とは、老いとは、

試行錯誤が続く体力づくり。

5月はようやく時間が取れたのでしっかりトレーニングをしました。毎日ローラーを軽めに回し(ロードバイクのトレーニング)、週一で2時間半ほどの乗り込みもしました。旧土佐山村高川に行って帰ってくるコース。50分ひたすら登って20分下り、80分かけて登り返し10分下る、中山間地ならではのコースです。各種苗の植え付けやオクラの種蒔き、合間の草刈りなど、仕事との兼ね合いもあり、以前よりも軽めを意識しました。

3週目あたりで結構疲れが溜まっていたのですが4週目で意外と調子が戻り、疲労と回復がうまくいっていると思ったところが勘違いだったようです。6月に入って梅林の草刈りをしているときに脇腹の筋が切れたような感じからあれよあれよという間に腰が痛くなって作業を中断。しばらく安静にしていたら治るだろうと1週間経っても一向に治らず、整体に行って一旦回復に向かったのですが、その1週間後またぎっくり腰のような感じになってしまい、さらにもう1週間。結局3週間以上満足に仕事ができない状態になってしまいました。梅雨真っ只中、草を刈らないと畑も家も山に呑まれてしまうのにどうすることもできない。かなりの痛手です。

体力をつけ仕事のパフォーマンスを上げていきたいのに身体がそれに耐えられず続けられない。これが老いというものなのか。しばらく意気消沈しておりました。自分が思っている以上に回復に時間がかかるということ。身体に何か異変が起こった時には費用を惜しまず整体の世話になる。仕事を続けていくための試行錯誤が続きます。

私が動けない間、嫁が刈り払い機に初挑戦し、埋もれそうになっていた作物の救出も頑張ってくれました。周りでは70代80代の女性も刈り払い機を使います。それは若い頃から培ってきた体力があってのこと、誰でも当たり前にできるものではないでしょうし、無理は禁物、本人がやろうと思えるかどうかです。嫁も山暮らし仕様になってきたでしょうか。