山仕事備忘録〜道上の大径木〜

伐ったのは山側の杉3本。だいぶん明るくなってきました。

(今年1月13日時点の状態)

前日は雨でしたが、当日20日は晴れ、少々風があったものの支障をきたすほどではなく、地域の協力もあって、片付けまで無事終えることができました。

崖の上と言ってもいいところに生えており、いかに安定して寝かせられるか、中途半端では終われない、本当に難しいケースでした。加えて、通信ケーブルに枝がからんでいたこと。2株が密接して生え、片方が斜め後ろ谷側へ傾いている起こし木であったこと。滑車を取り付ける立木が限られ、牽引方向がベストではなかったこと。それぞれが伐根直径60センチ前後の大径木であったこと。11月に一度、牽引具をセッティングしてラインを確かめ具体的にイメージしたところ、いかに問題を孕んでいるか解って仕切り直すことに。普段の畑仕事にはない種類のリスク。搬出も危険を伴い、重労働になります。

万全を期すため、事前に枝を打ち、当日は再度登ってワイヤーを枝の上の充分高いところに取り付けて牽引し、手前の一本はアンカーにする木がないので楔だけで倒すことに。スケジュール的に半日に3本は難しかったのですが、入念に対策を練り手持ちの手段を増やしていたことで、落ち着いて進めることができました。

次の冬までこのまま置いておきます。全てを片付けるまで、まだまだ安心はできませんが、兎にも角にも、無事に倒れ、安定した状態で寝てくれたことは大きい。衆目集まる中、誰から見ても安心感があり、作業が淡々と進められ無茶をしていないと見てとれるかどうか、今後もここで山仕事をさせてもらえるかどうかが掛かっていました。

手入れすべき山が集落の中にあり急斜面にあるということがいかに困難なことであるか、知らぬままに借りてしまったことはなんと危うい若さであったかと思います。そこが植林になっていることそのものが異常ということさえ知りませんでした。

周りの植生が豊かになれば、畑も良くなる。それは逆に言えば、周りの手入れをしなければ畑はよくならないということです。借りた農地は東西を深い藪に囲まれており、南斜面にあっても日照が足りないということを後から知りました。実が満足に着かなかったのです。薮は獣の棲家になるばかりでなく、虫の温床にもなるし、湿気を溜めてしまう。気の流れが悪いというような観念的なことを持ち出すまでもなく、そこで農業を生業とするのは厳しい。

石鎚の麓で発酵茶を作ってきたご夫婦の言葉が印象的でした。村を去る人々が山を植林に変えてしまってから次第にうまく発酵しなくなったと語っていました。自分の手の届く範囲でもいいから、この暗澹たる混沌を払拭できるものなら払拭したい。少しでも、この先きっと良くなると思えること、将来を楽しみにできることが生きるためには必要です。にしても、一つ一つが実に重い。ひとりの人力で大径木を片付けられるのは40代まででしょうか。時間が限られていることを嫌でも思い知らされます。美しいと思えるところで暮らしたい。

7days Hotel さんに

高知市はりまや町にある7days Hotelさん

この度ありがたいことに、laatikkoという、溢れんばかりの思いが詰め合わされた素敵な箱の一品として、また店内のショップにも置いていただけることになりました。

その成り立ちからも市内の他のホテルとは一線を画すセンス。今回うちのピクルスを紹介してくれた友人が長年勤めていたり、マーケットで知り合った作り手さんが働いていたり、以前私たち夫婦も市内に泊まる際に何度か利用させて頂きましたが、その際にも若いバックパッカーの女の子が泊まっていて、その緊張と期待の入り混じった表情が印象深く、そういえば、東京に住む義理の妹もいつどこで知ったのか高知出張の際にはよく泊まっていたと後で聞かされて驚いたり、いろんなところで共感を呼ぶ居心地の良いホテル。

プライベートでゆっくり思い思いの滞在が可能な、キッチン付きの広い部屋を新しく作られたそうです。

山仕事備忘録〜枝打ちその2〜

カーブミラー脇の弱っている杉については手前へ、道に沿って倒す予定にしており、ガードレールに当たりそうな枝を打っておきます。枯れた太い枝そのままではいつ何時落ちるかわからないので、いずれにせよ暫時片付けておかなければなりません。藪の手入れを一旦始めたならば状況は変わり、次から次へと責任が表に現れるようです。

今回は車道に打った枝が落ちないようロープで確保しつつの作業となります。他の仕事の傍ら、これまで2日に分けて少しずつ切り上げてきました。木が健全でないため、皮が剥がれかけていたり樹脂が染み出していたり、枯れ落ちた枝の痕の出っ張りも厄介で、胴綱をしゃくり上げていく際に死角となる裏側が引っ掛かって思うようにいきません。命綱を頼りに胴綱のテンションを一旦緩めて引っ掛かりをとるのですが、その作業は樹幹と自分との角度を浅くしてしまって足元が不安になり、余計にエネルギーを食われます。

3日目は写真下の地点から六本ほど打ち、自分の身体もうひとつ分上まで登ることになりましたが、そこまでになると樹幹はかなり細く形もより歪に。爪がしっかり食い込んでいるかどうか、高度が上がれば上がるほど必要以上に緊張し神経をすり減らしてしまいます。新たな作業が加わって樹上にいる時間が長くなり、集中力を維持するのが大変です。

アンカーとする上方の手の届かない枝へロープを掛けるのに手間取って、自分の確保が疎かになる。一瞬でも樹上にいることを忘れてしまいそうになったことに慄き、足元の爪と胴綱の状態を確認する。手が届くところまで一旦登って掛ければいいのですが、そのためには、落としていない枝を跨ぐために胴綱を一旦外して掛け替えなければならなりません。今の装備でそれは出来ない。やるほどに改善点が明らかになってきます。信頼できるハーネスと命綱、胴綱を掛け替えるシステム。不測の事態を念頭に入れるなら下降機も予備のロープも必要。ロープの色を変えることも大事でしょう。それを賄えるかというとなかなかですが。

打つ枝も、物によっては太く片手で保持するにも大変な重さになるので、それを樹上で扱うのもまた神経を使います。ロープを手繰り寄せる際にぶら下がっている枝が足元にあたる。そんなことひとつ一つにすり減らされるのです。

とにかく忘れないうちに少しずつ経験を積み、シンプルな道具で基礎を学ぶ。そしてシーズンの終わりを良いイメージで締めくくりたいものです。

山仕事備忘録〜枝打ち〜

今シーズンの山仕事もいよいよ大詰め。春の道作りで伐る支障木は、枝が通信ケーブルにかかっているため、事前に枝打ちをします。農業にも通じることですが、山においても、根拠のない自信や楽観、そして、自負は危険だと戒めています。

言うまでもなく枝打ちは樹上に登って行うわけで、おいそれとできるものではありませんでした。知っている事といえば、特殊な爪を靴に装着し、胴綱を使って登るということぐらい。一冊の本に一通りの方法や必要な道具がのっていればとっつき易いのでしょうが、そういった種類のことでないのはわかります。とにかく、よく使われているらしいメーカーのものを取り寄せました。使用説明はないに等しく、特殊用具のため熟練者に適切な指導を受けるようにとのこと。そして、別途、墜落防止器具をつけるようにと書かれていました。しかし、製品ラインナップをみてもどれが樹上作業に適合するのかわかりません。まあ、そういうものでしょう。敷居は高くあって然るべきです。

どのように使われてきたのか、林業の現場ではこれまで胴綱を安全帯として墜落防止器具といったものはなかったようです。そもそもが特殊な仕事、無理と思うなら就いてはいけないし、命の補償を誰かに求めてもはじまらないのでしょう。山の仕事はきっとそんな事ばかりです。とはいえ、根が怖がりにできている私としては、手間取ってでも安全を確保したいし、胴綱と爪のついた履物だけではあまりにも心もとない。安心を求めれば求めるほど海外の高価なクライミングツールがあれもこれも必要になりそうです。樹種によってはいずれそういった道具も必要になると思いますが、それはおいおい。以前、椰子の木に登る少年の映像を見たことがありましたが、彼は裸足で胴綱一本で昇り降りしていたっけ。

墜落防止器具にかわる命綱を自分なりに用意しました。ロープワークの本を参考に、ふたつの輪を作り両脚をそれぞれに通して上体に結び付け、家の梁から吊り下がってみます。が、自重でどんどん締め上げられ、「痛たたっ!」と思わず声を上げてしまう。と、振り返れば、嫁が爆笑して泣きそうになっているではありませんか。いやいや、こちらは真剣なのです。試行錯誤を繰り返し、実際に立木で試して、それなりに命を守ることはできそうになりました。

思っていた以上に、靴に装着する爪の扱いが難しい。木に対する角度が甘いとグラグラ不安定になり、ともすれば食い込みが外れて体を支えられなくなります。胴綱はその爪の当たる角度を保つためのものであって、落下を防いでくれるものではないということ。この登り方は体重のほとんどを爪に託しているから、そこに一定の信頼を置けなければとてもではないが樹上高く登ることはできないし、いわんや作業をやです。胴綱を取り付けるベルトのズリ上がりも気になりました。一日目は枝を一本切ることさえ出来ませんでした。不安がとてつもなく残ります。命綱の改良と、なぜ爪が安定しなかったのかを考え、安定させるためのポイントを整理します。いたずらに下手を繰り返せば足首も膝も痛めてしまいそうです。

翌日は珍しく頭痛が出ました。寝込むほどではないにしても仕事になりません。樹上の空っ風で冷えたこともありましたが、相当力んで体力を消耗していたにもかかわらず緊張がとれずうまく寝られなかったからだと思います。

日を改め、体力と集中力と相談して少しずつ進めます。踏み外すことはほとんどなくなったし、胴ベルトのずり上がりもさほどではなくなり、二日目は枝を一本落とすことができ、三日目は二本以上落とすことができました。適切なところに適切な角度で一歩一歩確かめ、胴綱を操り、命綱をその都度、確保する。むやみに緊張するのではなく、抑えるべきポイントに集中し、作業手順と型を構築していく。踏ん張る足元は大丈夫かベクトルは合っているか、作業しつつ足裏の意識を忘れないようにする。それでも時折不安定になって緊張で気が遠くなりそうになります。樹表の歪なところは爪の当たりが悪くなります。枝打ちのあと、特に枝が密集していたところは足の踏み場がないほどで、そういったことを樹上で気付く。気持ちを落ち着かせるのに一苦労しながら迂回ルートを探す。数日かけてなんとか問題となる枝を全て落としました。

キャパシティーを超え、頭がショートするような感じ。どこかに意識が飛ぶように気が遠くなります。緊張から解放されたいという誘惑がふとよぎります。気がつけば何か他のことを考えて集中が切れそうになったり、心と身体がばらばらに逃避行動をはじめる。思いとどまるにもエネルギーがいることを改めて知りました。

思い出すのは小学生の頃、確か10歳ぐらいの出来事です。学校から帰って家がたまの留守にもかかわらず鍵を忘れていたことが何度かあり、はじめこそ家族が帰るのを待っていたものの、怖いもの知らずで身軽さを自負していたわたしは、2階の窓が空いていることを幸いに、雨樋を伝って庇から窓に取り付き、家に入ったことが何度かありました。当時の我が家は山を切り開いて造られた新興住宅地にあり、斜面に擁壁を立ち上げたその上に建っていました。下はコンクリートにタイル張りの階段だったのですから、危険極まりないことをしていたわけです。そして、ある日もまた味を占めて取りついたところ、いつもの窓に敷布団がかかっているそれが何を意味するのか察知できなかったわたしは、取り付いてはじめて、力が入らないことに気がつきました。

自分の頭より高いところに取り付いているわけですから、足は既に庇から離れています。いつもなら上半身を使って肘をかけるところまで持っていき、あとは足をかけてよじ登るのですが、そのはじめのところが滑って思うようにいかない。ともすればずれ落ちそうになります。駄目かと一瞬よぎりました。庇に降りようとすれば、後のない足場と壁との隙間を布団が邪魔をして勢いそのまま落ちてしまうのは明らか。シーツを掴んであえなく落ちてしまうのを想像しました。しかし、若さゆえの瑞々しい執着というのか、諦めずありったけの力を出して登ることができたのです。

幼少からのいろんな無茶は無意味ではなかったとはいえ、一つまた一つ、限りある幸運を食い潰してきたようにも思います。歳を重ねヨレた感のある今、あの頑張りを、運よく、当たり前の如く、また発揮できるだろうか、もはや疑ってしまうのです。根拠のない自信なんてありえない。軽々しく自負もできない。

登山における事故というのはベテランであるか初心者であるかにかかわらず平等に起こると言われているそうです。山仕事においても、ケースはひとつひとつ異なるし、リスクの高い現場では精度が求められ毎度改めて怖いと感じます。実際のところ絶対に大丈夫ということはあり得ません。つまり、難しい木がその時うまく倒れたとしても、伐れるようになったということではなく、次なる課題に直面した時、それを伐ろうと思えるかどうかでしかないのだと思います。

こういった仕事は怖がりで慎重過ぎるくらいが丁度いいのかもしれません。不安要素をやる前からあれもこれもと並べ立てるほどの怖がりであり、それらを漠然としたままには進めないほど慎重であるということ。その時点で気付かない危険については、至らなかった自分の力量ゆえ仕方がない。とはいえ、仕方がないでは済まないから、年数をかけて経験を積み、抜けているところがないか考え続ける。そして、甘さや余計な危険が生じないよう、一人でやる。

危険なことを何故自ら進んでするのか。一言では言えませんが、見失いたくないものがそこにあるのは確かです。単なる度胸試しではないし、蛮勇は望むべくもない。通過儀礼として、非常な試練を自らに課すというのとも違う。わかったふうなことを言いたくはないから、謙虚にならざるを得ない状況に身を置く、自分にとってはそんなことの一つなのです。だから、今回頑張ったから十分ではなく、身体が許す限り続けなければならないのですが、とまれ、根が気分屋でストイックに出来ていない私としては今シーズンはもういっぱい。気を取られてこの冬はほとんど自転車に乗れず、また膝や腰に不安が出てきました。ほとほと、コンスタントに続けることが苦手な我が身であることよと、ついぼやきが出てしまうのでした。

生姜の醤油漬け

良質なしょうゆに黒糖のコク、そして、鰹節と昆布の旨味。生姜の香りも高く、とても濃厚に仕上げてありますので、お料理のアクセントだけでなくベースにもお使いください。

生姜のメープルスイート

ホットワインをイメージして作ったメープルスイート。生姜の柔らかいところだけを使い、賽の目に切った生姜の食感をぜひお楽しみください。パンケーキやバニラアイスに添えるのもおすすめですが、ローストしたアーモンドやピスタチオと合わせて赤ワインや洋酒のお供に。その際はお好みで挽きたての黒胡椒を。ローストしたお肉や燻製にも合います。

山仕事備忘録〜東の藪’22〜直径80センチの大径木〜

果たして伐根直径80センチ前後の大径木が無事に倒れました。ポイントとしていた伐り株を越えず、望んでいたラインに落ち着いてくれました。これでじっくり乾燥させることができるし、搬出もごとごと安全に行えます。

必要な道具を揃え、ラインを定めるのに三週間を要しました。体力の回復を待つ必要もありました。とはいえ、プレッシャーが長引くのはしんどいものです。集中力がここぞという時に発揮できず判断が鈍るかもしれない。とはいえ、その間、検証を重ねることができました。前日まで二日つづいて風が強く更に足踏みすることになりましたが、結果的にはそれも良かった。改めて現場を整えつついろんな角度から見直し、最後は滑車を取り付ける立木を変更するに至りました。

今一度今回の仕事を振り返ってみる。

前回同様、難しいのは倒れて着地したラインが最終ラインではなく目標ラインでもないことです。現場は上を通る道にカーブミラーがあるように、直線的に続く斜面ではありません。そしてライン手前が大きく落ち窪んで谷のようになっています。だからそのまま横方向に倒しても円に描き入れる接線のように土地に沿わず、また谷へ渡すようになります。下方に設けたラインは比較的カーブが穏やかであり、谷はこれまでに伐った竹や木で埋めてあります。

倒れてからの動きをイメージする。まずはじめに木の先端である梢が着地する。立木と立木の間にがっちり噛み込んで固定されれば、そこを支点として、扇が開くように元口から樹幹は谷側へ動き、ポイントとしている伐り株で止まり、目標ラインに落ち着く。前回のように予想以上の力で跳ね上がることのないよう、角切りをしておきます。ライン手前に高く残してある竹の伐り株がクッションになってくれることを期待。いずれにせよ、ツルは衝撃で引き千切れるでしょう。

最終決定したラインをメージャーで測る。滑車を取り付ける立木まで約15メートル。手前の伐り株に激突せず、寝かしてある木の元口付近をクッションに、そして奥にはもうひとつ伐り株がライン下方、目標ラインとの間にあったので斜めに切り下げておきました。

さらに引いて、下を通る道から。樹高は20メートルをゆうに超えるでしょうから、梢が道に被さることになります。写真上は当日、牽引具をセットしたところ。中央が倒す木。その右隣に滑車が取り付けてあります。その木と倒す木を挟んで左隣にある立木との間に倒す。左、谷側にそれると、水平ラインを交差し、梢が意図せぬ具合に引っかかって強い緊張を生む。山側へそれても厄介です。樹幹が斜面上に不安定な形で止まり新たな危険を生む。ここが何となくだと、本番作業中、肝心の受け口が定まらず常に漠然とした不安を抱え続けることになります。

写真の真正面に倒したい。両側にある立ち木の真ん中ではなく、滑車を取り付けた山側よりであることがポイントです。樹幹はわずかに谷側へ曲がりまた山側へ直ろうとしています。重心は若干谷よりだと思うので、伐倒ラインを意識的に谷側へ寄せることはしません。

写真下、反対から見る。ありがたいことに滑車を取り付けてある牽引ライン正面の木も梢が山側へ反っているから、ギリギリを狙ってもうまく避けてくれるでしょう。

最後に木の下に立って伐倒方向を確認する。

かつて経験したことのないサイズ。60センチをゆうに超えるだろうくらいに思っていましたが、事前にチェーンソーを持って、どう切るか足場の確認も含めて木に当ててみて目を疑う。バーの倍近くかそれ以上あります。胴回りを測ってみると2メートル40センチ以上。受け口のラインだともっとあります。直径×3.14=円周に当てはめれば79センチ前後と出ました。否が応でも重圧がのし掛かります。

足場は竹の伐り株とその間に木を渡した簡素なもの。受け口も追い口も谷側から正対できません。どうするか。朝までじっくり布団の中で考えます。正対できなければ突っ込み切りはできない。チェーンソーの特性を思い出して、一番無理のない方法をあれこれ考えます。本を読んで答えを探そうかとも思ったけれどやめました。

当日は風が止みとても静か。牽引具のセッティングも順調にできました。改めて、今回ぬかってはならないポイントを思い出す。受け口の下切りの角を欠くこと、そして芯を入念に切っておくこと。一息入れてから伐り始めました。思っていた以上に受け口の調整が難しい。谷側からだと胸よりも高い位置にあり、チェーンソーを逆さに構えて山側からのラインに一致させるのは至難の業です。目で確認しながら進めることさえできません。なので手鋸とヨキ、そして山側から回りこんでチェーンソーの切っ先で調整しました。手鋸はいつも使っているものは寸足らずなので、錆び付いていた伐採用であろう年代ものを事前に目立てしておきました。それなりに切れるようにしたつもりが思うように切れない。アサリの具合が甘いのか。しかし試し切りした時はこんなではなかった、、、何か不安が残ります。

深さ20センチで一旦うまく作れました。もう良しとしたいところ、思い直して25センチまで深くしました。根張りの絡みでツルの強度に心配が残るからです。水準器を使って水平を確認します。規模が大きくなればなるほど、ちょっとした誤差が大きなミスに繋がります。

追い口についても水準器を使って目印をつけ、いざ、刃を入れ始めました。感覚による水平と目印のと間に誤差はなく順調に進んでいます。が、途中であろうことかソーチェーンが音をたてて切れてしまいました。はじめてのことに目が点になる。どこからどこまでを切ったところかというと、写真下の伐り株に追い口谷側から手前に向けて斜めにバーの形が連続するように跡がついているところ。まだ半分も切れていません。現場を離れるわけにはいかないので、あとは鋸でやるしかありません。目立てをしておいて正解と言いたいところですが、替え刃を用意していなかったにがそもそも甘い。嫁におにぎりを頼みました。

体力が急激に消耗していきます。生きていると木はこれほどまでに違うものか。まるで切られたそばからその傷を治そうとするように体液が滲み出し肉が盛り上がり、まるで鋸が取り込まれるようです。引くにも押すにも力がいる。しかし、力任せにしてはいけない。今一度気を引き締めなければ。とはいえふらふらです。寸足らずの鋸である故に思うようにいきません。谷側から山側から切り込んでいきますが、中心付近が切れ残り、直線にすべき追い口のラインがハの字になります。そんな状態で無理をして楔を打つのは好ましくない。

楔はチェーンソーによる切り口に打ち込む想定だから鋸による切り口そのままでは狭くて入りません。追い口の真正面一個と谷側に一個の二つではじめる。途端に谷側の楔が割れた。替えを打ち込み、少し持ち上がってきてから山側を入れる。これで楔が三つ。と、今度は、真ん中の楔を打ち込んでいる木口が裂け上がりはじめた。根張りだからなのか、はじめてのことでわかりませんが奥の方は大丈夫そうだし楔は順調に入ります。次から次へと思わぬことが続きます。深呼吸をして下腹に力を込める。新しい楔を2つ追加。追い口を切り進めつつ、合計5つの楔で打ち進め、牽引具で追いかける。決して、牽引具の力で強引に倒そうとしてはならない。

明らかに谷側が重い。比較的厚めに残していた山側のツルが先に音を立てた。いよいよ重心が谷側にあることは明確です。谷側のツルを重点的に切り進め、楔を打つ。まだ裂ける音はしません。一連の作業を繰り返す。ようやく谷側が鳴った。山側も追いつく程度に進めます。

本格的に裂ける音がして倒れ始めるまではあっという間でした。かかった枝もなんのその、自重で折って折られて倒れました。圧倒的な量感でした。恐ろしさの余韻はなかなか消えません。

実は作業途中、チェーンが切れたあたりから地域のお歴々が観にきていたのです。この手のプレッシャーには大丈夫になりました。楽しそうにしてくれているのがこちらも嬉しい。無事に倒れたことを見届け、しばらくお喋りをしました。明るくなったことを喜んでくれているようです。色々話を聞かせてくれました。やはり、集落に藪が迫っているのは火事のこともあって不安に思っているそうです。そして、こういった太い木ほどプロに頼んでも伐ってもらえないとのこと。つまり、業者からすれば、藪を片づける余計な手間がかかるわりに、虫食いや腐れなど、材としてお金になるかどうか確証が持てなかったり、集落の中にあってリスクが高かったり、割に合わないから請け負えないということなのでしょう。どうしようもなくそのままになっている現状を不安に感じているのは同じだったのです。

小学生の時、倒木更新という言葉を国語の授業で習いました。寿命尽きた木が倒れ、新たな芽を育むという話です。何故伐るのか。まず大前提として、木もまた永遠ではないということです。木は人を生かしもすれば殺しもします。

改めて、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する。ゲートとした立木の間、山側ぎりぎりを狙えていた。

狙ったところに着地後、樹幹が谷側へ落ちるに従い梢先端は、写真中央から山側へ角度を変えた。

伐倒方向の直径は85センチ。

受け口の深さは24~25センチ。(基本は直径の4分の1以上、大径木の場合は3分の1以上とされる)受け口の深さはツルの強度、追い口に楔を打ち込む奥行きを考えて決める。

ツルの幅は谷側が10~15センチ、山側が17~18センチ。(基本は直径の10%とされる)今回は斜面横方向に倒すので基本より強度がいる。十分な厚さから調整を進めた結果。

ツルの高さは17~18センチ。(基本は直径の15%~20%とされる)今回は少しでも倒れる勢いを緩めるため、ツルに粘りを持たせるため、高めに設定した。

側方から測った直径は71センチ。

何故チェーンが切れたのか、改めて問うて、はたと思い出す。受け口を入れ始めた時から妙に切れないおかしいとは感じていたのです。何か金属にあたっているような、刃が滑って食い込みが悪いような。異音が混じっているようにも感じました。しかし、明確な原因が浮かばなかったので作業を続けました。

一晩経って思い至る。デプスゲージの調整が甘かったのではないか。デプスゲージとは名前の通り、刃が木に食い込む深さを調整するもの。大工さんがカンナの刃を金槌を使って台木からの出具合を見るそれです。前日の目立てで確認をしてはいたのですが、自分の認識が甘かったようです。燃料満タン1回分ほど使って、最後の方は若干切れ味が落ちた感はあったものの特に違和感はありませんでした。そして当日、念のため再度目立てをしたことで、気づかぬ程度だったのが決定的になってしまったのでしょう。これまで時々削って下げたことはあったものの、さほど必要性を感じていなかったので、勝手にバランスは取れるもので敢えて調整する必要はないのかなくらいに思っていました。

左右の刃が交互に連結してるソーチェーン。1箇所だけ同じ側が続くのだが、そのところが切れた。

追い口を切るときに出た切り屑。それほど悪くはないがよくはない。

受け口の切り屑は繊維に対して斜めに入るので粉っぽくなる。ちなみに、繊維に対して平行に入れると下の写真のように切り屑は長くなる。前日、樫で予備の楔を作る際に出たものだ。この時点ではさほど悪くはないと思ったのだが。

あるいは、チェーンを張りすぎたのか。いずれにせよ、今後、気をつけるいい経験になりました。

 

厄年が終わりました

前厄、本厄、後厄の三年がようやく終わった。そんなことはあまり気にしないたちだった筈が、あまりにいろんな出来事があったので、終わったと、思いっきり断ち切り、門出を祝いたい気持ちになったのだ。とても晴れやかな陽気。

誕生日に雨風食堂

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で贅沢に昼からお酒をいただいた。

この美しい景色。これに揚げ出しが追って登場したが、もはや写真を撮るどころではない。

なんとも美しい酒器。純米吟醸がキリッと冴えて染み渡る。

牡蠣しんじょ、脂の乗った鮭の西京焼、南瓜と椎茸の煮〆、切り干し大根は優しい味、蕪の甘酢漬けはあっさりと、菜花の和物が春を告げる、白ネギのお浸しにはお酢も効いていてさっぱり。

このバッテラが身も柔らかく、シャリもマイルドで美味しいのだ。ワサビは丁寧におろしたものなのだから贅沢だ。

せっかくの熱々を冷めないうちにいただく。

もずく酢が嬉しい。だからお酒が進むのだ。

誠に至福のひとときであった。皆様も雨風の昼呑み、いかがですか。

20年ぶりの再会

学生時代のインターンシップでお世話になった農業法人グリンリーフ株式会社の先輩が当時3歳だった社長の息子さんやスタッフの方々を連れて会いにきてくれました。今後ミールキットという1次加工済みの野菜からお肉そして味付けに至るまでセットになった商品を拡充していくそうです。インターンシップでは畑仕事に限らず、グループ会社野菜くらぶの独立支援プログラムを通じて新規就農するケースに群馬から遠路、青森まで同行させてもらい、漬物加工も体験させてもらいました。高品質であるということ、安定供給のシステム、市場のニーズに応えるということ。大規模であり、自分とはあまりにもかけ離れていたからこそ、それが今後の主流であると考えた時、自分はどうするか具体的にイメージする上で常に基準となってきました。中途半端なことでは意図せず同じ土俵に上がってしまうことになります。

とにかく当時の自分はしっちゃかめっちゃかでした。全て農業のためとはいえ、体力づくりで始めたトライアスロンのレースと合宿への参加、県が用意してくれた農業を学ぶ通信講座と実地研修、そして農業法人へのインターンシップ、そして卒論を最後の一年に詰め込んでいました。一方で、家に届く就職説明会やリクルートの情報紙は全て破棄。捨てても捨てても送られてくるそれをまた捨てるという行為は、自分の気づいていないチャンスを捨てるようで、またレールから逸れる覚悟を執拗に迫られるようで、結構しんどいものでした。

自分はなぜ農業だったのか、どんな暮らしに憧れてきたのか、まだ何も実現していないそれは自分の中でさえ明確でなかったし、言葉にならずもどかしい思いでした。20年ぶりの再会を果たし、今の自分を暮らしや畑を見てもらうことではじめて伝わると思いました。

数年前、といっても、もう8年ほど前になりますが、高知県へ公演にきた社長さんがわざわざ探して連絡してくれました。独立してまだ数年、試行錯誤の只中でその時もしっちゃかめっちゃかだったのですが、、、。それでも、時代の本流を行く人が、逸れに逸れて細々やっている自分の農業に共感を示してくれたことがとてもありがたく、自分もそうありたいと思いました。こうしてご縁が続くことに感謝しています。

 

 

 

山仕事備忘録〜東の藪’22その2〜

だいぶん片付いて空が見えてきました。いよいよ直径70センチ近くになろうかという大径木のラインを決めたい。その前段階として、隣の木、写真上の真ん中を倒します。シュロの葉で隠れていますが、ポイントとなる伐り株を高めに残しました。その株よりもできれば山側に倒したい。しかし、掛かっている枝を少しでも避けるには谷側へずれても仕方がない。

右が大物で左が今回倒す木。

楔は枝にかかるところまで順調に効いていることを確認。そこから牽引具を使う。かなり引っ張っても掛かった枝にしっかり受け止められ葉さえピクリとも動かない。少しでも抵抗を少なくするために追い口を再調整し、牽引具のセットをやり直してなんとか倒れました。

数千円の簡易なウィンチを使ったこのやり方では限界かもしれません。一回のセッティングで引ける長さはせいぜい1メートル。なので場合によっては何度かやり直さなければならない。その間、楔を効かせているとはいえ一度緊張させたものを緩めてまた張るという作業は不確定要素を自ら作る無茶な行為だし、牽引具の取り付けについても、やり直す際の引きしろをとるために倒れる側に寄って作業することになります。今回12ミリのポリエステルロープはカンカンに張り、滑車を固定していた結びがいつになく固く締まっていました。

今後はこのやり直しの必要がないチルホールという牽引具を構える必要があります。となれば、それに付随する道具一式もまた近所のホームセンターでは揃いません。かつては隣の本山町に専門の機械屋があったのですが今はもうありません。繰り返し本を読み込んでネットで注文します。実は当初の10年ほど前から気になってチルホールをネット検索し続けてきたのですが、欠品続きだったたり情報が今ひとつ不十分だったり、門外漢には敷居が高くてどこで買えばいいのか何を揃えるべきなのか定まりませんでした。昨今は自伐(型)林業が普及して新たな需要が出てきたのか、改めて検索すると多くのサイトで在庫ありになっていたし、判断材料とすべき情報も充実してきました。誰に相談できるわけでもないので助かりました。

伐っている最中にエンジンが止まってしまうような、中古のチェーンソーではじめて気がつけば10年。林業に携わっていた友人に一度やって見せてもらってからは自分なりに試行錯誤してきました。下積みを経て、今ようやく新たなスタートラインに立てた気がします。解らないことは依然としてありますが、最低限、どういう行為が危ないのかを知り、やり直しのきかない一手一手について、木の反応を確認しつつ進めることで取り返しのつかない事態にしないということ。立ち木の状況をいろんな角度から何日かけてでも事前に検証すること。そういった抑えるべきポイントを蔑ろにしないことで恐ろしさの質を変える。とはいえ、絶対に大丈夫ということはないから、道を止めて人が入らないようにしたり、倒すところを整えたり、前段階の基礎をしっかり固めることに注力するのです。

チルホールという林業を仕事にしている人なら当たり前であろう装備について、やはり必要だというところに至ったのは大きいです。時間をかけて良かったのは、パワーのある道具を使うことによって生まれる危険を少しずつ身をもって経験できたこと。簡易なウィンチとはいえ引っ張る力は1tあるそう。ロープが切れ、牽引具が飛んできて怪我をしたこともあったし、倒れるときの軌道が変化しかえって厄介な状態になることもありました。道具はその必要性を実感してから一つ、また一つ買い足してきました。たしか、滑車を組み合わさずに使ったこともあったような、、、。

この日は5株倒したうち、かかり木は3株。何度もやり直さなければならなかったので体力的にも精神的にもキツかったです。等高線上に詰んで植えられているものを水平方向に倒したいので仕方がありません。

大工のお兄の仕事を見るにつけ、その時その時、無い答えを自分で探す仕事の積み重ねこそが作業員ではなく職人として結実するための頑張りどころだと思いました。なので、山仕事について、これまで自分の仕事として存分に試行錯誤する場に恵まれたことがやはりありがたいと思います。

何かを身につけるにはそれ相応の時間がかかるし、それ以前の下積みも大事です。私は学生を卒業後農家で6年間修行させてもらいましたが身につけられたものはごく限られていました。農業という日常を身体に染み込ませつつ、自分はどうやりたいか、またどうありたいかを模索するために、現場の作業員としてその場に居させてもらう年月。いわば下積みの時代でした。その甲斐あって独立した1日目からやるべきことがわからず立ち尽くすということはなかったけれど、只ようやくスタートラインに立てたという思いでした。

話は戻って、倒れる際の挙動を思い返してみる。着地した後たわんで樹幹が跳ね上がり、伐り株に乗り上げて谷側へ落ちたように思うが、定かではありません。やはり、牽引方法に不安があったので、退避中、倒れるところを冷静に確認できなかったのです。

受け口の下切りが水平よりも谷側に下がってしまったことが作用して、予定ライン(写真下、受け口の正面を二等辺三角形を使って確認する)より谷側へずれたのかもしれません。しかし、伐倒前の方向確認で見上げれば樹幹は山側に反っていたので、やはり、着地した時点では伐り株より山側であったはずです。着地した後、なぜあれほど撓んだのか。それはラインの中ほどが尾根のように出ており、その先はまた谷のように落ち込んでいるためでしょう。しかし、それだけが要因ではなかった。より重要だったのが、受け口の下切りの角を欠いていなかったことです。谷を渡すように倒すことになる今回、つるが引きちぎれずに元口が株に残るのはかえって厄介だと思い、あえてその角切りをしなかったのですが、それが仇になりました。樹幹が尾根部分に着地した後、梢が思っていた以上に大きくしなったのは覚えています。問題はもう一方の目視できなかった部分、樹幹は株元から千切れて下に落ちたことで尾根部分を視点により大きな力が働き、伐り株を超えるほど跳ね上がったのでしょう。ではポイントとした木を事前に伐るべきではなかったか。いや、かかり木要素をあれ以上残したくはなかったから伐ったのです。

しっかり安定しているし搬出する時にも能率が良さそうなので結果的には良かった。が、次の木についてはよりシビアになってきます。我が家の搬出は重機を使わないと言う意味で全て手作業。自家消費用の薪にするために40〜50センチに玉切りし、場合によっては現場で割って運び出します。玉切りしたものが転げ落ちないようにするため、足場や木を寝かす状態には念には念を入れる必要があります。隣り合う立木をゲートに見立て、間を通るライン上にできるだけ多く積み上げて壁を作りつつ、斜面との間を埋めて足場を作る。だから狙ったラインを逸れてしまうと、その一本は良かったとしても、その後が手詰まりになってゆくのです。竹なら持ち上げて修正することも可能ですが木は重くてそうはいきません。例えば仮に、次の大径木がこのラインをそれた木の上に更に交差して倒れた場合、重なったところを支点に谷側に浮いた樹幹(元口から数メートル)は、圧倒的重量をもって安定を欠き、危険を生む要素となります。従って、再度ミスをして、ポイントの伐り株を越えて谷側に落ちることは、絶対避けねばなりません。

次なる木を改めて見上げる。

さらにしっかり枝が掛かりそうです。倒したいのは、写真下の伐り株と伐り株の間を通る、最後に倒した木の一つ隣のライン。倒れる際にどのように動くかイメージする。そして、道具を新たに揃えなければなりませんが、自分にとっての必要十分をどう組み合わせるか。その晩はほとんど寝られませんでした。しばらく間を開けようと思います。

支柱は70本と少しまで作れました。