10月5日発行の農業共済新聞に寄稿させていただきました。
「就農後、現在の農業形態に対する考えや展望」「今後の目標」「農業の魅力」「日本の農業について思うこと」「非農家出身が農へ参入する事への課題」など、題材を頂いたことで、はじめて書けることもありました。
タイトルは担当の記者さんが、原稿を踏まえて付けてくださいました。
市内への出荷の帰り、海に寄ってきました。
ちゃぷんと浸かり、仰向けになって広い空をぼんやり見遣る。自分の息遣いと耳に当たる水の音しか聞こえない。人が本当に脱力出来る瞬間は水に浮かんでいるときくらいかもしれない。寝ているときでさえ常にどこか局部で支えなければならず、草取りでしゃがむときはなお更、なんて体は重たいんだと思う。ふと我に返り、沖に流されてないか居ない筈のサメが現れないか不安になってばしゃばしゃ浜に向かって逃げ泳ぐ。嫁が不安な目でこちらを見ている。そんなアホな一人遊びが僕にとっての休みです。
休日といった休日はほとんどないけれど、日常の中に時々ほっとできる瞬間や何か他のことに熱中する時間を持つこと、休むことも仕事のうちだと改めて感じています。
立松和平氏の「恩寵の谷」という足尾銅山を舞台にした小説を読んで以来、念願だった旧別子銅山に行ってきました。
大川村から越える峠も本山町の汗見川を上っていく峠も通行止めになっていました。地図で位置関係を見れば別子は土佐町の隣の隣になるのですが、やはり深い山を越えるのは相当困難のようです。
自分たちが暮らしている四国山地がどんなところなのか、そして、かつてこの谷にあった人の営みは、、、
10年、20年で世の中は大きく変わる一方、記憶はいいかげんで、ともすれば都合のいいように書き換わってしまう。世間とはどういうものなのか、過去に学ばなければと強く思います。私が学生の頃はまだ、「自分探し」のためにフリーターをする話をよく聞きました。運送会社で働き、仕事を掛け持ちすればそれなりにまとまったお金が入るとか、機器メーカーの工場アルバイトの時給は結構いいから稼げるとか、いざとなればマグロ漁船に乗ればいいとか、資格を取って派遣社員というフリーランスになる、それがいけてるとか、そんな、バブルの余韻と就職氷河期の深刻さとが混濁し、現実を見えなくさせていました。本当にやりたい仕事を見つけて、身につけるべきを身につけ、積むべき経験を積めなければ、いつ路頭に迷うか分からないという不安と焦りが「自分探し」を過熱させていた部分はあったと思います。
しかし、ひとつひとつの選択のその結果がまだ出ておらずとてもふわふわしていました。後に派遣労働や貧困が社会問題となり、その実態を映したドキュメントを見て、とても他人事とは思えませんでした。就農資金を稼ぐために、工場の派遣バイトをしようかと思ったこともあったのです。
旧別子銅山は江戸時代の元禄の世に開坑されたそうです。何世代にも渡って鉱山で生きてきた人たちもいたでしょうし、路頭に迷い流れた果てに鉱夫にならざるをえなかった人もいたことでしょう。入口を少し登ったところに無縁仏のお墓がたくさんありました。
気の遠くなるほど積まれた石積みを見ていると、使う人と使われる人がいた残酷な事実に、なんとも言えない気持ちになります。しかし、それは形は変われど、今も確かにあるのではないでしょうか。
だからこそ、自分の意志で決められる事があるなら、どちらか選択する余地が残されているなら、与えられた価値観を見直し、信念を持って自分の人生を切り開きたい。私は選挙にはもちろん行きますが、選挙活動やデモに参加することだけが唯一の政治参加とは思っていません。むしろ、何を仕事にして生きるのか、日々の消費行動において何を選択するのか、徹底できなくてもひとりひとりが譲れないところをもつことだと考えています。
どことなく硫黄の匂いがし、岩肌が酸化鉄らしい色をしています。この谷沿いに多くの人が暮らしていたんですね。
「明日行くか!」と、急きょ石鎚山へ登ってきました。土小屋登山口まで車で3時間ほど。頂上社まで2時間半ほどの整えられた登山道。岩場を登る「鎖場」がありましたが、いずれも迂回路が整えられていたので、おかげさまで安全に登ることが出来ました。
今も山岳信仰が残っている石鎚山。以前、旧石鎚村という人里離れた山奥で暮らす老夫婦の話を聞いて、いつか石鎚山を見てみたい思うようになりました。
まだ農家で修行中の頃だったか、独立した年だったか、はじめての道を自転車で行きました。昼過ぎに本山町を出て、大川村、本川村と渓谷沿いの道を行き、瓶が森林道の入り口に着くまでに4時間、薄暗い霧雨の中を更に2時間走りました。暗くひんやりとした古いトンネル、一面の笹原、路肩が崩れ落ち数十メートルに渡り宙ぶらりんになったガードレール。ここは滅多に人が来ないところなのだろうか?18時近くなり、まだ登り続けているとき、得体の知れない糞の塊ががぼたぼた落ちていました。人のものよりも格段に大きく、そもそもこの山にどんな獣がいるのか知らなかったので熊かと不安になりましたが、食料も体力も残り僅かで日暮れ間近、前に進むより他なく、できるだけそこから離れ、どこか落ち着けるところはないか探しました。たしか、土小屋方面という看板を過ぎたところで止まり、依然雨の降る中、大量のブヨに襲われながらテントを張り、湿った寝袋にくるまって寝たのがはじめての石鎚でした。
こんなところに重い階段をどうやって運んで設置したのか、そんな事ばかり気になります。一方、嫁はここまでしてもらっても怖い様子。
畑の南西を覆っていた竹薮を昨年から伐り進めています。少し、向こうが見えるようになってきました。
電線越しに畑にかかっていた杉は枝が片方に張って重心が偏り、とても自分で伐ろうと思える代物ではありませんでしたが、遂に今年伐りました。無事に倒れてくれて本当に感謝。
竹を伐るのもやはり、ひやっとすることが多く、伐り方や後始末がわるければ下の集落まで落ちかねないので、常に緊張を強いられながらの作業はとても疲れました。8日かけて200本近く伐り倒し、キュウリの支柱も確保できました。
畑と竹薮の境にあるこの水路、以前、人が落ちて大事故になったらしいのですが、今でもこのタイプのが至る所に作られています。地元の人には、芥を取るためでも絶対降りたらいけないと言われています。一度足を滑らせたら、止まるためのとっかかりは何処にも無いのです。
年明けから薪作りのために20本以上伐りました。改めて、人が暮らすためには沢山のエネルギーを燃やさなければならないのだなということを実感します。
木を伐り倒す時期は大事ですね。含まれている水分が随分違いますし、カビやすかったり虫に食べられやすかったり、材としての質に少なからず関係することは、これまで伐ってきてとても感じています。
薪に使うにしても、できるだけスムーズに乾かしたいところです。玉切りにして山積みにしていても、いっこうに乾かず、むしろ下から水が上がってきたり、降った雨がこもってしまったりで余計にびしょびしょになってしまいます。(斧を入れたら水が飛び散るほど。)割ったら一手間かかっても交互に積んでおけば、雨ざらしでもそれなりに乾いていくようです。
これまでは、梅雨時期や夏はガス湯沸かし器のシャワーで済ますことが多かったのですが、去年、できるだけ焚いたところ、とにかく蚊が激減し、カビも生えにくくなりました。改めて、高知の山暮らしに火を焚くことは理にかなっていると実感しました。
視界が開けたここからの景色が気に入っています。
今日は、地区の運動会。裏山で薪仕事をしていると、にぎやかな声が聞こえてきました。いいものですね。
生まれ育った土地を離れ、どこへでも行ける自由を手に入れた人にとって、「住めば都」と思える事は、かえって難しいことなのかもしれません。実際は思っていたほど、どこへでも行ける訳ではなく、当てもなければ切りもない。流れ流れて果ては独り、路上で野垂れ死ぬ自分を想像する事もあると思います。私はありました。不確かな理想ばかり求めて無為に年を重ねればリアルに起こりうると思ったのです。受け入れてくれる農家や土地を転々し、修行が修行で終わってしまう人の話を聞く事もありました。
以前は杉檜で鬱蒼としていた裏山。生活に必要な薪を40年先も50年先も自分で用意できるよう、浅木の山にしていきたいので、植林の伐採を進めています。腕力があるうちに。
春にまとめて伐り倒しておいたので、程よく水分もヤニも抜けています。枝は鉈を入れると足で折れるので扱いやすくなっています。冬を越すにはそれを早く片付け、また新たに伐り倒しておく必要があります。
一昨年前に埋めたドングリもしっかり育っています。今はまだ数株ですけど、いずれは原木椎茸の栽培ができるように準備を進めています。
こちらは同世代の夫婦、たっちゃん、あゆちゃんが切り盛りするお店。
修行を経て来た職人さんが作るお料理で、今日も丁寧にとられた出汁が心に身体に染み渡ります。メインはもちろん美味しいのですが、何より楽しみなのはこちらの定番、旬の野菜に豆腐やお餅の揚げたてを楽しめる「揚げ出汁」と、はらりとほぐれ濃厚で口溶けの良い「バッテラ」、これは口に入れた途端、恍惚としてしまう美味しさです。
添えてくれる小鉢のおひたしや酢の物も嬉しい。こうして、食べる側の身体を気遣ってくれている事が何よりのご馳走ですね。背筋が自然と伸び、毎度、唸りながら食べてしまいます。
揚げ出汁と秋刀魚のバッテラ(炙り)
そして、もう一つの楽しみが、図書。もちろん、店内でも読めますが、販売されているので、気に入ったものをお持ち帰りできます。大事に選ばれた本ばかりです。
そして、terzo tempo へ。
こちらは佐野くんとナナちゃんのお店。街のカフェです。納品に来るときは大抵、夕暮れ時になるのですが、その、夕焼け空の下、人が集まる景色がなんともいい感じなんです。
馴染みのお客さまや、丁度いくピクをプレゼントにと寄って下さったお客さまにもお会いすることができました。
ありがとうございました。
生姜の収穫が始まる前に、ナスや万願寺とうがらし、コリンキーの仕込みをし、合間に薪づくりを進めています。木を伐り、玉切りし、斧や矢と槌で割る仕事は、まさに骨の折れる仕事ですが、畑仕事が一段落した今時期、これでお風呂と暖がとれると思うと楽しみな仕事でもあります。
まわりでは稲刈りが終わり、虫の鳴き声もやみ、めっきり静かになりました。そして、川がきれいになってきました。大阪出身の私たちにとっては奇跡に見えるこの透明感。大事にしていきたいですね。
事情によりここしばらく休業していた大田口カフェが再開されたので、早速行ってきました。家族総出で迎えてくれるこのお店では子供たちと触れ合う時間も楽しみの一つです。今日は「みちつじ」の、けるっちくんもいて嬉しかったです。
新作「碁石茶とサツマイモのモンブランタルト」には銀不老という、これまた大豊町特産の豆がしっとり甘く仕込まれています。ここでしか食べられないケーキですね。