山登り」カテゴリーアーカイブ

嶺北の山々

本格的な畑シーズンを迎える前に、山へ行くことにした。代掻き前の綺麗な汗見川を上へ上へと県境の峠まで。1時間ほどで登山口に着く。

花も新緑もまだだったが、静かで久しぶりに心が休まった。昼過ぎから登り始めたので、時間的に無理をせず、大森山で引き返すことに。前日まで丸太を運んだり割ったりしていたこともあって、心地よい疲労感に充分満足できた。山々を見渡す開放感、その中で弁当を食べる贅沢なひと時。長閑なところですねと言われるような中山間地で暮らしているのに、更に奥へまた登る。ただ歩くことに専念できるということ、ただ景色を楽しめることって、仕事や責任に追われる日常では中々叶わないものだ。

自分たちの暮らしがこの奥深き山々の中にある。頂から見渡せば、虫にたかられ汗にまみれる毎日をまた頑張ろうと思える。残した木々がいよいよ立派に映え、木漏れ日が射すようになるのは嬉しい。かけがえなき花鳥風月。

同じ集落の還暦を過ぎた農家さんが息子に跡を譲り、花のなる木を植えている。幸せのかたち。子を授からなかった私たちは、この地において一代で終いをつけることになる。けれど、それもまた人生ということで、私たちは私たちなりに楽しみを見出していきたいと思っている。

装備はいつもの一泊分。弁当作って非常食は手軽なクスクス。

道中、山の至る所に植林の大規模な皆伐が進んでいた。大胆過ぎやしないだろうかと心配になる。

石鎚参り

改めて今後の予定を考えると、この秋、私たちの山行チャンスはとても限られていることが判明。天気予報を見れば週末から当分天気は下り坂ということで、いよいよ悠長に構えてはいられない。石鎚へ。

裏参道と呼ばれている面河ルートは登山口から山頂まで1100メートルほど標高を一気に上がるので以前登った土小屋ルートよりも難易度は高いらしい。しかしその分、人が少なく、渓谷美や植生の豊かさで人気のようだ。怖がりな私たちとしても少しずつ山行を重ねるたび欲が出てきて、もっとボリュームがあって楽しめるルートに挑戦したい気運が高まっていた。切り立った断崖を何の確保技術もなく登りたいとは思わないけれど、なぜ自分達がこれほどまで山登りに引き込まれていくのか、日帰りからテント泊、初級とされるルートから中級、少しずつその先へハマる理由がわかる気がするのだ。

里山は、いかに暮らしに役立てるか、いかにお金に換えるか。だから、手付かずのというのはただ遊ばせている状態にしか映らない。そこもここも誰かの山であって、普段は自分が借りているごく限られた範囲にしか入らない。そこは手入れすべきところであって散歩するところではないのだ。支障木を伐り木漏れ日が差し込むようになったことを喜びはするが、頭は常に課題に占められている。

立派な木々に囲まれるとホッとする。しばし浮世を離れ、お山参りに来たということなのだろう。

とても手の行き届いた参道が続く。石段が積まれ所々木道が拵えてあり、朽ちた箇所には補修が施され補強され、危険なところにはロープが渡され安全を確保されている。人の善意を感じるからホッとするのかも。

今回の装備は下記の通り。

 

私(35ℓのザックに10ℓ外付けで約15キロ);二人用テント、グラウンドシート、銀マット、スリーピングマット、寝袋、衣類、水2.5ℓ、弁当1食分、生米6合、棒ラーメン4食分、缶詰1缶、他補給食、ビール500ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

嫁(30ℓザックの限界?キロ);ツェルト、スリーピングマット、寝袋、衣類、水1.5リットル、弁当1食分、パスタ2食分、肉味噌、棒ラーメン2食分、他補給食、ビール350ml、調理器具類、トレッキングポール、その他

食料は何かあった時のために6食分。(一日目;昼と晩、二日目;朝と昼と晩、三日目;朝)他補給食。

重いので一歩一歩ゆっくり登る。道標に記されている所要時間はあまり参考にならない。

頂きが見えてきた。今回は手前で一泊し、翌日に目指す。今朝は3時に起きて弁当を作り、畑に水をやり準備万端7時まえに家を出た。池川から松山街道を経て面河に入る予定であったが、途中全面通行止めにあって引き返し、国道33号仁淀川町を経由して1時間ほどのロス。結局3時間かかった。今日は早めに休みたい。

16時前に本日の目的地、愛大石鎚小屋に到着。綺麗なテン場が拵えてあってとても助かった。草も刈られていた。

まだまだ慣れないテント張り。張りを調節する自在鉤のような部品をどう使ったらいいのか、あーでもなこーでもないと言いながら正解を探す。今更人に聞けないし、自分なりに工夫するのがアウトドアの醍醐味なのだから。胡瓜の支柱張りやトラックに荷を積む時に使っている紐やロープの締め方を簡略化するための部品なのだろうかと思い至ったところで解にたどり着く。これが楽しい。整えられたテン場のおかげでしっかり張ることができた。

もう一つあるテン場には星を撮りにきたというベテラン登山者の男性。必要最小限の荷物、手際良い設営。食事はそこそこにカメラ。野営という感じが楽しそう。気づけば石鎚の山が赤く染まる。

我が家は昨晩仕込んでおいたスモークチキン(鳥もも肉の塊を薪火で燻しながら焼いたもの)とショートパスタに嫁の肉味噌(茄子たっぷりを煮詰めたカレー風味)。そしてビール。一本でもあると嬉しい。

星空を楽しむ。メガネだとそもそもあまり見えないから、せっかくだけどそれなりにしか見えない。きっと満天。月は出ていないのに明るい。星で明るいのか西条や新居浜の灯りで明るいのか。

四時ごろに目が覚めて夜明けを待つ。コーヒーを淹れる。美味しい。これが楽しい。

明けるにつれ気温が下がるのを感じる。これもまた楽しい。

朝は昼の分も用意するため米を4合炊く。しかし、焦付きを恐れるあまり芯が残ってしまった。これを昼も食べないかんのか。

あまりにも美味しくないので水を加えてお粥にする。そうなると食べた後の飯盒も食器もえらいことに。ここに水場はないので、ザックに外付け。これも勉強と言い聞かせる。

撤収作業がもたつき出発は8時。しかしコンパクトなパッキングをベテランさんに褒められた。

15分ほど歩いて水場に到着。時間はかかってもしっかり洗う。アクリルタワシを持ってきて正解。汚れたままが一つでもあるとあれもこれも全てが汚れてしまう。水場はありがたい。使い果たしていた飲水も補給。と、そこで嫁が気付く。ほぼ垂直な岩肌を流れる少なめの水。わたしが洗っているところだけ具合よく岩肌から離れて落ちているのだが、それが岩の形によるものではなくて、引っかかった落ち葉によって、偶然蛇口から流れる水のように落ちていたのだ。なるほど、道具とはかくなる物。岩肌を舐める水もそうやって何か適当なものを据えれば洗いやすく汲みやすくなるのか。これぞ山登りの醍醐味。

ああ、晴天。我、秋晴れを満喫す。

人で混み合っていた山頂はお参りだけを済ませて早々に退散。

11時前に出発。ここからひたすら下る。

何かあった時のためとはいえ、水2リットルを余計に担ぎ続けたのがいけない、足にきてしまった。水場での昼ごはんを終えてさて出発、担ごうとしたときにバランスを崩し谷に向かってつまづいた。その拍子にあろうことか、近くにいた嫁の足を踏み蹴ってしまったのだ。うずくまる嫁。

足首を捻挫させてしまったのか。なんということだ。持ち上げようとした15キロの荷物、重い登山靴。自分はバランスを取るために必死で、踏ん張りがきかないとはこういうことか、ザックを支えに数歩、谷へ頭から落ちずに済んだものの嫁を巻き込んでしまった。登山口までまだ半分以上、4時間以上ある。

押さえている箇所に表立った傷は見当たらない、嫁は少しづつ落ち着きを取り戻し痛みはマシになってきたという。しかし、すごい重みだったようだ。腫れはない。歩けそうという。うむむ。すまない。

しばらく歩いて、テント泊した場所へ到着。どうやら大丈夫のようだ。よかった。しかし、二人とも確実に疲れている。

焦らずゆっくり、いざというときはもう一泊すればいいとはいうものの、ふとした瞬間足が思うように上がっていなかったり、踵が下手に着地したり、たびたびバランスを崩しそうになる。最後の水場に来た。15時。あと2時間ほどの地点。今一度集中できるように、コーヒーを淹れて気持ちを切り替えよう。コーヒーが、カフェインが、体に染み渡る。最高に美味しい。塩羊羹がうまい。

ここから段差のある石段の下りが始まる。

そして、また、転けそうになってしまった。2本のストックでなんとか支えられたもののひやっとした。もういかん。水を捨てよう。のこりはあと少しだし迷うような道ではないからここまできてビバークはないだろう。肩が圧迫されてか、寝不足からか少々頭が痛い。心なしフラフラする。2リットルを捨てる。担ぐと驚くほどに軽い。血流が通った感じがする。馬鹿らしいくらい軽い。どら焼きを食べた。そして、トレッキングポールをしまうことにした。まだまだ使いこなせていないというのもあってつい力んでしまうし、石段とは相性が悪いように感じたのだ。段差のきついところは手をついて体全体を使い局所への負荷をできるだけ分散させるように、そして自分のペースでリズムを作り少し速めることにした。大分楽だ。

嫁が作ってくれたクルミとひまわりの種を炒ってドライフルーツと合わせた特製補給食を食べた。塩が効いていて美味しい。なんとかいけそうだ。すまんが嫁のペースに合わせる余裕がもうない。とにかく自分のペースを取り戻して転けないことが大事。先を行っては追いつくまで待つのを繰り返す。嫁も余裕がない。黙々と歩く。

17時半無事、揃って鳥居をくぐり下山。ありがとうございました。

あとは駐車場まで川沿いを歩く。

18時過ぎ、駐車場着。ヘっちんを着ければいいのにもはやそれを取り出す余裕もなかった嫁。そういう時こそ危ないと思うのだが、、、ちゃんと見えているか私もへっちんを消して歩いた。まあ、なんとか見えた。

18時半出発。ここから家まで3時間か。遠い。普段のスピードに反応がついていかない状態なので、ゆっくり走った。

21時半、帰宅。ヘトヘトだ。

また来たいと思う。しかしスケジュールを見直す必要があるし、米をはじめとして水と燃料をたくさん消費する食材については考え直す必要がある。(朝米を炊くのは3合で十分)

我ながら危なっかしい山行であった。改めて行程を振り返ってみる。行動時間と休憩時間を合わせた時間と、地図に記載されている参考タイム(休憩時間は含まれない)を比較すると、

1日目:家から登山口まで3時間30分、登山口からテント場まで5時間15分。行動時間3時間25分(参考タイム3時間40分)

2日目:テント場から山頂まで2時間35分。行動時間1時間55分(参考タイム:1時間20分)、山頂から登山口まで6時間45分。行動時間5時間(参考タイム:3時間10分)、登山口から家まで3時間半

2日目については全ての行程を合わせると12時間45分。無茶なスケジューリングだ。食料は米2合、棒ラーメン6食分、缶詰1缶、他補給食ちょっとが残った。水場は2箇所あり、行動時は500mlの水筒分で十分足りた。

では次回、二泊三日のスケジュールにするのか。前日入りして登山口近くのキャンプ場で一泊。1日目に山頂まで行って折り返し、愛大小屋泊。二日目にそこから出発すれば15時には下山できるし、帰りは温泉に浸かれる。

工石山へ

春から続く緊張でいよいよ息切れしてきたころ、金木犀の香り、朝のひんやりと澄んだ空気が山行を誘う。気づけば4月の終わりから一度も行ってない。登山口まで家から10分なのが嬉しい。

晴れ渡る空

リンドウの花が迎えてくれる。

白鷲岩とはよく名付けたもので、鳥の背に乗っているような気分。眼下一面に景色が広がる。高くて怖い。私たちの間ではネバーエンディングストーリーのファルコン。

正面に見えるのが石鎚山かな。今日はその石鎚山へ登るための脚慣らしで、ザックの重量は15キロ弱。いい運動になった。嫁は初トレッキングポールに手応えを感じた様子。弁当も美味しかったし、木漏れ日の中、とても清々しい山行であった。

 

ふたたび矢筈山へ

前回いろんな思いを抱えて登った矢筈山。

またこうして来られたこと。かけがえのない時間。

適度な運動と良質な睡眠が健康の秘訣ならば、そのために時間を惜しむことがあろうか、いやない。

年齢を重ね、身体と相談しながら仕事を進める日々。以前なら一気にできたことができない。もどかしくもあるが、落ち着くべきところに落ち着いた感があって、悪い気はしない。「ごとごと、休みもってやりよ。」とお年寄りからはよく言われたものだけれど、ただ、そう言われるままに、下手な怠け癖をつけなくてよかったとは思う。

前触れもなく攣りそうになる脇腹、足の裏。自分なりに気を遣っていても疲労が溜まれば痛みだす腰と膝。身体が正直に反応することは悪いことではない。幸運なことにヘルニアだったり膝に水が溜まったりというところまでは行っていない。

10時に登り始めて17時すぎ、無事に下山できました。かつてうどんを啜った茶屋がここにありました。残った基礎がなんとも小さくて、狭くて、たしか座敷まであったはずだけれど、、、なんだか狐につまされた気分。何年前の話と聞かれれば、15年ほど前?

鬼の棲む山と云われた稲叢山へ

作付けに追われる中そろそろ息抜きもしないと、というわけで春の息吹を感じる山へ。平家の落人伝説が残る稲叢山。かつては人を寄せ付けない深山だったところが、ダムの建設によって身近に。学生時分に自転車できたことも昨日のようです。が、それももう20年前のこと。

(2000年版ツーリングマップル)

住んでいた高知市朝倉から鏡村を越えて瀬戸の集落へ。帰りはどの道を通ったのか忘れてしまったほど、何気ない日常のことであまり遠いとも思ってなかったのが今では信じられない。昨日、地図を広げたとき、老眼のはじまったことを知る。こないだ知らない男の子に満面の笑みでおじちゃんと呼び掛けられたけれど、もはや否定する余地のない程に自分はおじちゃんになったのである。

思わず深呼吸したくなるような水辺。

どこまでも続く山々の連なり。個人がそこで暮らそうと思えば今も依然として深く険しい。

無事に下山できました。

氷点下の工石山へ

また山登りがしたい。そんでテント泊したい。すっかりその楽しさを知ってしまったいく農園。我らの裏山、工石山へ。

寒風吹き荒ぶ一夜。外へ出ればたちまち歯が噛み合わなくなるほど寒い。風邪引きそう、、、

寝袋にくるまり足はザックの中へ。私のシュラフは冬用ではないのでしっかり着込みますがそれでも寒い。上半身あたりのダウンがペタンコ。嫁がシュラフカバーよろしくツェルトをかけてくれました。が、これが大変、しばらくして気づくと結露でシュラフはベチョベチョに。それほどまでに断熱性を失っていた私のシュラフ。とにかく寒い、体の発する熱と失われる熱がギリギリ均衡を保っている感じ。嫁はほとんど寝られなかった模様。

しかしそうまでしてでも、美しい朝焼けを拝めれば、なんとも幸せな気持ちに。

一六タルトと淹れたてのコーヒー。嵩張るドリップポットはやめて、手持ちの保温ボトルでドリップ。湯は飯盒で沸かす。必要最小限をぴったりパッキングできるのが嬉しい。ベンチにはキラキラ氷の粒。

一泊できる装備を今のところ私35リットルと嫁30リットルのザックにまとめてますが、この気温までが限界かも。

土佐の海岸線が光ります。

小一時間歩いて河原に到着。仕込んできた肉味噌を和えてパスタの朝ごはん。水場があるところでは米を炊きたいけれど、限られているところでは少ない水で済むパスタが便利。「ソロキャンにオススメ!」と書かれたポップに踊らされ、水量豊富な川原で米を炊かないことに。まあ、今後知らない山へ行くための予行練習です。

土佐矢筈山へ〜初のビバーク〜

9月の中旬に嫁の身体に異変が見つかり、1ヶ月にわたる段階的な検査の結果、近く手術を受けることになりました。年頃とはいえ次から次へと色んなことが起こるものです。今後のことは術後検査の結果次第なのですが、冬の作付けは中断し、治療を最優先することに。

手術まで3週間と少し、思い切って山登りに行きました。紅葉彩るブナの原生林へ。

 

山で食べるご飯は毎度驚きの美味しさ。おにぎりの具は11年前に漬けた梅干し。

とにかく、細胞が喜ぶことを

 

往復6時間ほどの行程を休みながら存分に楽しみ、予定よりも1時間ほど過ぎてしまいました。秋、陽は傾いてからが早く、あれよあれよという間に山の様相は一変。遠くで鹿の鳴き声がと思えば前方にその姿を現わし、後ろ山側に猪の子がと思えばその親でしょうか、けたたましい足音と共にすぐ前を通り過ぎてゆきます。その量感たるや。いよいよ自分たちがいるべき時間ではなくなってきたようで気が急きます。もはや薄暗くヘッドライトを点けなければ先が見えない状況。道順は所々木に巻かれた印を頼りしていたのですがあと少しの地点でなかなか見つからず、しばらく探し回ったところ、思っていたのと違う方向に見つけました。おかしいとは思いながらも兎に角印を見失わないように、次が見つかるまで嫁には動かないようにしてもらい先を探すということを繰り返しました。しかし、行きにはなかったはずの谷に出くわし、所々水が染み出し滑りやすく危ない斜面になりました。そして、次の印がどうしても見つからない。いよいよおかしい。これはつまりよく耳にする道迷いの末の遭難、に足を踏み入れているのではなかろうか。雨で流された後のようなガレとぼそぼその軟弱な地盤、不安定な岩石は転がり出せばあっという間に見えなくなるような斜面。これ以上動き回ってどちらか一方でも怪我をすれば本当の遭難になってしまう。ここでビバークするしかないという決論に。不安とワクワクが入り混じる不思議な感覚。どうやって一夜を明かすか。出発前に得ていた情報では夜の気温は1℃もしくはそれ以下。

日帰りでも必要最低限の荷物として一泊分の装備をしてきたのが心に余裕を与えてくれます。木の根元に二人が座れるほどの窪みがありました。フライシートを被りザックを抱えて一夜を明かす。予想される気温は1℃以下。無理。朝になれば間違いのない地点まで戻って仕切り直す体力を残しておかなければならない。果たしてテントを張るだけのスペースを確保できるか。

ガレを除けてならし、わずかな窪みと木の根っこによって何とか滑り落ちないように出来そうです。二人用の小振りなものであったのが幸いしました。斜面が急なのでザックを一旦置いて荷物を出すにも気を使います。二人が下手に動けばポールを折ってしまったり、何かを無くしたり、どじを踏みかねないので一人で張ることにしました。嫁がこちらを信頼してじっと待ってくれるのがありがたい。

無事に張り終えてテント内に腰を落ち着けたのが18時過ぎ。外気を遮断する部屋ができたことで大分ほっとすることが出来ました。残る水は1リットル弱。食糧はカロリーメイト1箱、キャラメル6つ、マカロニ2食分(250gほど)、自家製肉味噌100g強。ひとまず、口を湿らす程度に水を摂り、キャラメルを一つずつ食べて寝袋にくるまることにしました。夜はこれから長い。

山登り道具は懐事情により一度に揃えるというわけにはいきません。私のスリーピングマットは学生時代からのもの。嵩張るので今回は持ってきませんでした。とはいえ、テントの中に敷く銀マットとアンダーシートは新調しておいたので湿気と冷気は上がって来ず、突き当たる岩を何とか避けて横になることが出来ました。嫁にはエアーマットがあるので快適そう。私も欲しい、、、まあ、前回はブルーシートを使っていたくらいですから、随分良くなったものです。

さて、夜も更けてまいりました。テントの外が気になります。ちょっとした物音が何の音なのか。葉の落ちる音が何かの動く音に聞こえます。登山口には熊出没注意の看板が。一度出て用を足すことにしました。足元のザックが頼みの木の根を超え宙ぶらりんになっているようで大丈夫かも気になります。

自分たちのおかれている状況を俯瞰してみる。一応獣の気配はないようです。空は曇っていて時折見せる月も木々に隠れ、あたりは薄暗い。大丈夫、嵐にはならない模様。暖を取る熱源がないのであまり外に居続けることはできません。時折吹く風、山の中で火を起こしても大丈夫そうな時と場所というのはかなり限られているのでしょう。温存に努め、ただじっと夜明けを待つしかないようです。とはいえ、一度外に出て気も落ち着きました。

うつらうつら、少しは寝たでしょうか。身体に当たる岩を避けられる姿勢は限られているので頻繁にもぞもぞ。ちょうど姿勢を変えようとしたその時、鹿の鳴き声が、、、と思う間もなくごく近くではっきりと足音が。かなり近い。嫁を振り返ることもできません。ここで下手に驚かして踏み倒され後ろ足で蹴られでもしてテントごと谷に転げ落ちるのは御免被りたい。腰を浮かした状態で固まってしまいました。これから一体どれだけの訪問に冷や汗を流さなければならないのか。しばらく無言の二人。兎に角、猪じゃなくてよかった。熊じゃなくてよかった。

 

訪問者は一頭で済み、無事、朝を迎えました。さて、これから速やかに撤収して道を戻り、下山できるか。寝汗をかいたのでしっかり水分を補給したいところですが残りはわずか、口を湿らす程度に留め、チーズ味のカロリーメイト一本ずつと自家製肉味噌を舐めました。おいしい。

問題となった地点に戻ってみると何とも、これが見つからなかったのか、確かに薄汚れて少し木の影になっているけれど、これさえ見つけていたらその次もまたその次もたやすく見つかるところにあるではないか。まあ、これであとは一時間もかからず下山出来るだろうということで、改めて朝食を作ることに。パスタを茹でて肉味噌を絡めていただきました。お腹いっぱい。幸せ。

一応キャラメル2つとカロリーメイト2本、水500ml弱を残していざ再出発。方向を確かめながら。思ったより時間はかかりましたが無事下山。となると昨晩そのまま順当に進んでいてもそれはそれで真っ暗な中を歩かなければならなかったので、かえって危なかったかもしれません。結果よし。早い段階でビバークを経験できて次なる課題も見えてきました。

緊張と弛緩。手術までの日々を淡々と過ごしていたら叶わなかったであろうくらい、リフレッシュできました。そして何より、初めはCT検査に使った造影剤の副作用からか時折吐気を催し唇が乾き顔色も優れなかった嫁が血色よく、一歩一歩、生きる気力に満ちて歩く姿を見て、悲観に暮れそうだった私自身、心配ない大丈夫と思えるようになりました。

工石山へ

生姜の仕込を前に、近くの工石山へ一泊のキャンプをしてきました。

15時過ぎに家を出て買い出しの後16時ごろに登山口へ。いつものように日暮れを気にしながら下山するのではなく、今晩はこの山に泊まると思うと、気持ちも見える景色も違います。山頂へは小一時間で着きました。テントを張り、寝袋も敷いて準備万端、作ってきたお弁当にビールで一杯やりました。標高は1176m、遠くに高知の街明かりが見えます。が、かなり寒かったので早々に引き揚げました。

翌日、テントを出れば目の覚めるような朝焼けが迎えてくれました。

澄んだ空気の中で淹れるコーヒは格別でした。なんでこれまでやらなかったのか。

さて、今回の山登りでショックだったのが倒木の多さでした。10月下旬、1週間ほど雨が続き地盤が緩んでいたところに来ての台風が原因だと思われます。根こそぎ倒れている木が目につきました。

直根がないことに驚きます。ごく浅くへばり付くようにしか根が張っていない。倒れている檜や杉のほとんどがこんな具合でした。

虫食いや腐れの入った木は途中で折れていました。昨シーズンに伐った裏山の大径木の全てに腐れが入っていたことを思い返すと、本当に早く伐っておいて良かったと思いました。そして、山を下り、土佐山の方へ行くと、かなり広範囲にわたって植林が崩れていたのです。

こういう光景を見ると、家の裏を植林にすることが相当危険で間違ったことなのだと再確認されます。土砂が崩れてこなくても、高く重量のある木が倒れてくればひとたまりもありません。薪を必要とする暮らしの中で、浅木の山として手入れをつづけるからこそ守られた里山だったのでしょう。やはりこれからも裏山を伐らせてもらうようにしなければと、思いを強くしました。

旧別子銅山から西赤石山へ

畑では、コリンキーやキュウリの植え付けとありつくまでの水やり、果菜類の植え付けと鉢上げ、ピクルス仕事では、蕗やにんにくの芽の仕込みに一区切りがつき、直に始まるズッキーニの収穫を前に、念願の山登りをしてきました。

山で食べるご飯は最高においしい。今回はお稲荷さんを持って行くんだと朝から張り切って作ってくれました。おやつには黒棒とコーヒーを。

昨年は史跡をまわるだけで終わってしまった旧別子銅山。その営みがあった谷から見上げると圧倒的な存在感をもってそびえるのが赤石山系です。銅山越えという道が辛苦の末に通され、今では木漏れ陽の中を数十分も歩けば新居浜の街が望めます。かつて、山の木々は切り尽くされ、有毒ガスを含んだ煙に覆われ、落石や地滑り、滑落の絶えない危険な道だったはずですが、それを想像することが難しいほど、穏やかな新緑に覆われていました。

往復6時間、ふらふらになりながらも、身体に油を注すいい運動になりました。

嫁とはペースが違うので、私が先に行って立ち止まるをくり返します。それが私にとってはいい休みになり、追いつけばさて行こうとなるわけですが、それでは嫁が休めません。かといって、同じペースで歩こうとすると一歩一歩ブレーキを掛けることになるので、私の余裕がなくなる。なので、時々、意識的に長めの休みを取り、食べ物や飲み物を補給するようにしています。二人とも初心者ですから余裕は大事です。

日暮れ間近の帰りでは、調子が出てついスタスタ行ってしまい、立ち止まってもなかなか姿が見ないほど距離が開いてしまいました。ひとりで大分心細かったらしく、「泣くぞ」と言われてしまいました。まあ、そんなこんなで楽しい山登りでした。

 

 

 

旧別子銅山へ

IMG_3716

立松和平氏の「恩寵の谷」という足尾銅山を舞台にした小説を読んで以来、念願だった旧別子銅山に行ってきました。

大川村から越える峠も本山町の汗見川を上っていく峠も通行止めになっていました。地図で位置関係を見れば別子は土佐町の隣の隣になるのですが、やはり深い山を越えるのは相当困難のようです。

自分たちが暮らしている四国山地がどんなところなのか、そして、かつてこの谷にあった人の営みは、、、

10年、20年で世の中は大きく変わる一方、記憶はいいかげんで、ともすれば都合のいいように書き換わってしまう。世間とはどういうものなのか、過去に学ばなければと強く思います。私が学生の頃はまだ、「自分探し」のためにフリーターをする話をよく聞きました。運送会社で働き、仕事を掛け持ちすればそれなりにまとまったお金が入るとか、機器メーカーの工場アルバイトの時給は結構いいから稼げるとか、いざとなればマグロ漁船に乗ればいいとか、資格を取って派遣社員というフリーランスになる、それがいけてるとか、そんな、バブルの余韻と就職氷河期の深刻さとが混濁し、現実を見えなくさせていました。本当にやりたい仕事を見つけて、身につけるべきを身につけ、積むべき経験を積めなければ、いつ路頭に迷うか分からないという不安と焦りが「自分探し」を過熱させていた部分はあったと思います。

しかし、ひとつひとつの選択のその結果がまだ出ておらずとてもふわふわしていました。後に派遣労働や貧困が社会問題となり、その実態を映したドキュメントを見て、とても他人事とは思えませんでした。就農資金を稼ぐために、工場の派遣バイトをしようかと思ったこともあったのです。

旧別子銅山は江戸時代の元禄の世に開坑されたそうです。何世代にも渡って鉱山で生きてきた人たちもいたでしょうし、路頭に迷い流れた果てに鉱夫にならざるをえなかった人もいたことでしょう。入口を少し登ったところに無縁仏のお墓がたくさんありました。

気の遠くなるほど積まれた石積みを見ていると、使う人と使われる人がいた残酷な事実に、なんとも言えない気持ちになります。しかし、それは形は変われど、今も確かにあるのではないでしょうか。

だからこそ、自分の意志で決められる事があるなら、どちらか選択する余地が残されているなら、与えられた価値観を見直し、信念を持って自分の人生を切り開きたい。私は選挙にはもちろん行きますが、選挙活動やデモに参加することだけが唯一の政治参加とは思っていません。むしろ、何を仕事にして生きるのか、日々の消費行動において何を選択するのか、徹底できなくてもひとりひとりが譲れないところをもつことだと考えています。

 

IMG_3758

どことなく硫黄の匂いがし、岩肌が酸化鉄らしい色をしています。この谷沿いに多くの人が暮らしていたんですね。

IMG_3756

IMG_3769

IMG_3768

IMG_3775

IMG_3776

IMG_3777

IMG_3779

IMG_3780

IMG_3782