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土佐矢筈山へ〜初のビバーク〜

9月の中旬に嫁の身体に異変が見つかり、1ヶ月にわたる段階的な検査の結果、近く手術を受けることになりました。年頃とはいえ次から次へと色んなことが起こるものです。今後のことは術後検査の結果次第なのですが、冬の作付けは中断し、治療を最優先することに。

手術まで3週間と少し、思い切って山登りに行きました。紅葉彩るブナの原生林へ。

 

山で食べるご飯は毎度驚きの美味しさ。おにぎりの具は11年前に漬けた梅干し。

とにかく、細胞が喜ぶことを

 

往復6時間ほどの行程を休みながら存分に楽しみ、予定よりも1時間ほど過ぎてしまいました。秋、陽は傾いてからが早く、あれよあれよという間に山の様相は一変。遠くで鹿の鳴き声がと思えば前方にその姿を現わし、後ろ山側に猪の子がと思えばその親でしょうか、けたたましい足音と共にすぐ前を通り過ぎてゆきます。その量感たるや。いよいよ自分たちがいるべき時間ではなくなってきたようで気が急きます。もはや薄暗くヘッドライトを点けなければ先が見えない状況。道順は所々木に巻かれた印を頼りしていたのですがあと少しの地点でなかなか見つからず、しばらく探し回ったところ、思っていたのと違う方向に見つけました。おかしいとは思いながらも兎に角印を見失わないように、次が見つかるまで嫁には動かないようにしてもらい先を探すということを繰り返しました。しかし、行きにはなかったはずの谷に出くわし、所々水が染み出し滑りやすく危ない斜面になりました。そして、次の印がどうしても見つからない。いよいよおかしい。これはつまりよく耳にする道迷いの末の遭難、に足を踏み入れているのではなかろうか。雨で流された後のようなガレとぼそぼその軟弱な地盤、不安定な岩石は転がり出せばあっという間に見えなくなるような斜面。これ以上動き回ってどちらか一方でも怪我をすれば本当の遭難になってしまう。ここでビバークするしかないという決論に。不安とワクワクが入り混じる不思議な感覚。どうやって一夜を明かすか。出発前に得ていた情報では夜の気温は1℃もしくはそれ以下。

日帰りでも必要最低限の荷物として一泊分の装備をしてきたのが心に余裕を与えてくれます。木の根元に二人が座れるほどの窪みがありました。フライシートを被りザックを抱えて一夜を明かす。予想される気温は1℃以下。無理。朝になれば間違いのない地点まで戻って仕切り直す体力を残しておかなければならない。果たしてテントを張るだけのスペースを確保できるか。

ガレを除けてならし、わずかな窪みと木の根っこによって何とか滑り落ちないように出来そうです。二人用の小振りなものであったのが幸いしました。斜面が急なのでザックを一旦置いて荷物を出すにも気を使います。二人が下手に動けばポールを折ってしまったり、何かを無くしたり、どじを踏みかねないので一人で張ることにしました。嫁がこちらを信頼してじっと待ってくれるのがありがたい。

無事に張り終えてテント内に腰を落ち着けたのが18時過ぎ。外気を遮断する部屋ができたことで大分ほっとすることが出来ました。残る水は1リットル弱。食糧はカロリーメイト1箱、キャラメル6つ、マカロニ2食分(250gほど)、自家製肉味噌100g強。ひとまず、口を湿らす程度に水を摂り、キャラメルを一つずつ食べて寝袋にくるまることにしました。夜はこれから長い。

山登り道具は懐事情により一度に揃えるというわけにはいきません。私のスリーピングマットは学生時代からのもの。嵩張るので今回は持ってきませんでした。とはいえ、テントの中に敷く銀マットとアンダーシートは新調しておいたので湿気と冷気は上がって来ず、突き当たる岩を何とか避けて横になることが出来ました。嫁にはエアーマットがあるので快適そう。私も欲しい、、、まあ、前回はブルーシートを使っていたくらいですから、随分良くなったものです。

さて、夜も更けてまいりました。テントの外が気になります。ちょっとした物音が何の音なのか。葉の落ちる音が何かの動く音に聞こえます。登山口には熊出没注意の看板が。一度出て用を足すことにしました。足元のザックが頼みの木の根を超え宙ぶらりんになっているようで大丈夫かも気になります。

自分たちのおかれている状況を俯瞰してみる。一応獣の気配はないようです。空は曇っていて時折見せる月も木々に隠れ、あたりは薄暗い。大丈夫、嵐にはならない模様。暖を取る熱源がないのであまり外に居続けることはできません。時折吹く風、山の中で火を起こしても大丈夫そうな時と場所というのはかなり限られているのでしょう。温存に努め、ただじっと夜明けを待つしかないようです。とはいえ、一度外に出て気も落ち着きました。

うつらうつら、少しは寝たでしょうか。身体に当たる岩を避けられる姿勢は限られているので頻繁にもぞもぞ。ちょうど姿勢を変えようとしたその時、鹿の鳴き声が、、、と思う間もなくごく近くではっきりと足音が。かなり近い。嫁を振り返ることもできません。ここで下手に驚かして踏み倒され後ろ足で蹴られでもしてテントごと谷に転げ落ちるのは御免被りたい。腰を浮かした状態で固まってしまいました。これから一体どれだけの訪問に冷や汗を流さなければならないのか。しばらく無言の二人。兎に角、猪じゃなくてよかった。熊じゃなくてよかった。

 

訪問者は一頭で済み、無事、朝を迎えました。さて、これから速やかに撤収して道を戻り、下山できるか。寝汗をかいたのでしっかり水分を補給したいところですが残りはわずか、口を湿らす程度に留め、チーズ味のカロリーメイト一本ずつと自家製肉味噌を舐めました。おいしい。

問題となった地点に戻ってみると何とも、これが見つからなかったのか、確かに薄汚れて少し木の影になっているけれど、これさえ見つけていたらその次もまたその次もたやすく見つかるところにあるではないか。まあ、これであとは一時間もかからず下山出来るだろうということで、改めて朝食を作ることに。パスタを茹でて肉味噌を絡めていただきました。お腹いっぱい。幸せ。

一応キャラメル2つとカロリーメイト2本、水500ml弱を残していざ再出発。方向を確かめながら。思ったより時間はかかりましたが無事下山。となると昨晩そのまま順当に進んでいてもそれはそれで真っ暗な中を歩かなければならなかったので、かえって危なかったかもしれません。結果よし。早い段階でビバークを経験できて次なる課題も見えてきました。

緊張と弛緩。手術までの日々を淡々と過ごしていたら叶わなかったであろうくらい、リフレッシュできました。そして何より、初めはCT検査に使った造影剤の副作用からか時折吐気を催し唇が乾き顔色も優れなかった嫁が血色よく、一歩一歩、生きる気力に満ちて歩く姿を見て、悲観に暮れそうだった私自身、心配ない大丈夫と思えるようになりました。

キュウリのピクルスはじまりました

きゅうりの収穫と仕込みが始まりました。

キュウリの旨味がたっぷり詰まったピクルスです。

雨がやめばまた草刈りに。年間30車分。裁断するのが大変です。これが当たり前になるように。

チー坊は日に日にやんちゃになってきました。こんな格好でよく寝ています。Q太郎は精力的に縄張りを広げに出かけているようです。

先日は寝ている深夜、何かが崩れる物凄い音が聞こえてきて、土砂崩れでついに我が家も、、、音が止むまで全く動けずただ身を固くするだけだったのですが、どうやら隣の空き家が長引く雨で崩れ落ちた音だったようです。とにかく住む家と農地と家族さえ無事ならなんとか続けられると思っています。

収穫はじまりました

種蒔から2ヶ月経ちました。小蕪の間引き菜、山東菜、レタスミックスです。追って大根の間引き菜もはじまります。

緊急事態の今、我が家では仕事の整理をしています。出荷部屋の模様替え、倉庫の整理、工房も畑もより丁寧に落ち着いて仕事ができるように整えなおそうとしています。新しい展開を模索しなければとは思っていません。これまでやりたくてもやれていなかったことをしています。

私が大事にしている言葉は

「人間の徳は その異常な努力によってではなく その日常的な行為によって測定されるべきものである」(パスカル)です。

最後に引いたおみくじに書かれていたのですが、それがどの言葉よりも常に自分に言い聞かせたい言葉だったので座右の銘にしました。若さに任せた力業や人並外れた技量を誇るのではなく、当たり前の積み重ねがいかに大切でそれを続けられるようにすることがいかに大変か。大きな出来事によって気付かされ、人生を転換させることもあると思いますが、自分の進むべき道は平時にこそ見出されるべきではないかと思います。

Q太郎が友達(弟?)を連れてくるようになりました。まだまだちっちゃくて、軽やかに飛び跳ねます。警戒心が抜けず微妙な距離を保っていますが、それくらいが丁度いいのかも。ちぃ坊と呼んでます。

畑のようす〜5月上旬〜

毎年のことですが、春の種まきと植え付けのシーズンはなかなか雨が降らないので、毎日水遣りです。レタス類やキャベツ、大根、カブ。そして植えたばかりのズッキーニ、育苗中の苗たち。いく農園は灌水設備が整っていないので、ジョロを使ってのプロっぽくないやり方です。家の敷地内に湧き水を貯めるところがあるのでそこで汲んでは畑へ行ったり来たり。

離れた畑へは20リットルのポリタンクを6つ、軽トラに積んでいきます。普通ならポンプと動噴、300リットルのタンクを用意するところですが、やはりそれらを一から揃えるのは大変なことなので、本当に必要かわかってからです。農業機械も設備も、かかる経費の水準が上がれば上がるほど、上手く回らなくなったときが大変です。とはいえ、20リットルのタンクを両手で運ぶので40キロ、毎日となればきつい仕事になります。苗を植えれば少なくとも十日は活着するまで気が抜けません。昨日は2日続いて雨が降り、久しぶりに解放されました。

ピクルスの仕込みは蕗そしてにんにくの芽。それがひと段落すれば、オクラと落花生、インゲン、枝豆、ゴーヤを蒔いて胡瓜の植え付け準備へと畑仕事は加速していきます。

4月中旬、雪が降りました

今朝は寒くて目が覚めました。向こうの山は雪、こちらは冷たい雨が降っています。昨日は霜が降りました。芽が出たばかりのじゃがいもは草の中で霜に当たらず無事でした。

今はとにかく種を播き、水を遣る毎日です。収穫に至るまで少なくとも3ヶ月かかります。いく農園の端境期は4月。自分たちの暮らしでは一年を通して野菜をほとんど買わなくなり、この時期は売り物にはならないけれど畑に残っている菜花や春菊、人参などを食べています。蕗やセリ、ワラビなどの山菜を採って季節を楽しむこともありますが、基本は売り物として、いいものが安定して採れるよう手入れを続けています。誤って踏んでしまったり、周りの草と一緒に刈ってしまわないようにするにはやはり、場所を定めてそれ相応の手入れが必要です。タラの芽も食べたいのを我慢して残しています。

Q太郎はとても自立していて、精力的に出かけて行きます。ご飯が欲しい時の声が特徴的なのでわかるようになって来ました。育ち盛りなのでしっかり食べて強くなって貰いたいものです。あげるときはもっぱら生の鶏ガラをぶつ切りに。魚のアラがたまの御馳走です。ないときはない。今晩は雨の中ネズミを獲って来たようです。

 

椎茸の駒打ちをしました

地域の方から浅木を伐ったから薪にしないかと声をかけて頂きました。今は種蒔シーズン真っ盛りなので断るべきかとも思ったのですが、一日一車分ずつ、ごとごと採りに行かせてもらうことにしました。実際、我が家で伐れる分は残すところ10年分もないので、不安に思っていたところでした。

現場は車で10分ほどの山。道の上斜面だったので助かりました。人の山なのでどこまで片付けておくべきか難しいところです。50センチほどに玉切りして持ち帰り、できるだけ雨のかからない置き場を確保します。木によって乾いてからでは極端に割りにくくなるので、できるだけ割ってから。とても甘い香りのする木、ちょっと臭いもの、いろいろです。中にくぬぎがあり、時期的には遅めですが椎茸の駒打ちをすることにしました。800コマ打ってまだありましたが、きりがないので終いにしました。

これまで3往復しましたが、もう3回分くらいありそうです。感謝!しかし、畑仕事の時間が。

種まきがはじまりました

山仕事がひと段落したあとは、家の雨樋を修繕したり、水道管の割れたのを修理したり、後伸ばしにして来たことを片付け、ようやく種まきがスタートしました。

水道管は壁の中で割れており、どこに配管されているのかタガネではつって探し出すところから。パイプをある程度露出させないと継げないのでかなり壁を壊すことになりました。台所の水道管も蛇口の元が割れてしまい、これも壁を壊しての応急処置となりました。いろんなところが老朽してギリギリです。

 

それから、ひとつ嬉しいニュースが。

 

我が家からある日突然、ビー助が居なくなって寂しい思いをしていたのですが、春になってQ太郎がやって来ました。これまで時々、土間を物色しているところに出くわすものの、なかなか距離が縮まらなかったのですが、ある日近くの水路のあたりで何処か弱々しく泣く声が聞こえて来たので声をかけてみると、何か通じたのか急に向こうから近づいて来て打ち解けてしまったのです。なので、名前はQ太郎にしました。手足やお腹などに傷があり、身体も汚れていましたが、タオルで拭いてやり、日に日にきれいになってこちらも驚くほど顔つきも柔らかく変わりました。模様は違いますが、とてもビー助に顔も雰囲気も似ているので、きっとQ太郎はビー助の息子に違いないと考えています。さすが野生児、鳥を獲るだけでなく先日はウサギを仕留めて来ました。

支障木の伐採

畑の南東を遮ってきた大物を厄年の前に伐ることにした。3年前の伐採は畑を挟んで西側になり、この一本が片づけばまた一歩大きく前進できる。

農業と共にある暮らしの中、両側ともかつては竹など生やさず、杉ひのきの植林は持ち主がここでの暮らしをやめる最期に植えていったらしい。

植林するのは時代の流れだったのだろう。しかし、さらに時代は移り、もはや不利地では業者に頼んでも伐採してもらえず、近在の主立った製材所では直径40センチを超える木は機械に通らないからと断られ、チップ工場にしか引き取ってもらえないようになった。引き取った業者はいいものを選って他へ転売しているらしいというのが、もっぱらの噂だ。

粗悪な木ばかりとなれば、集成材にするしかないというのも道理だし、建築現場からしても一本一本クセを見極めるような数値化できない技量を要する仕事よりも、狂いのでないことを前提とした画一的な建材に移行することは、人材が不足し時短が求められる中では当然だ。

抗うことのできない時代の流れ。かつて木材は割って製材するが故に、節がないよう枝打ちを入念にしておく必要があった。しかし、動力による鋸引きが可能になると関わらず製材できるようになり、手間のかかる枝打ちは自然遠のいた。枯れた枝は死節となり、材にしたとき抜け落ちて穴となる。安価に量産する流れでは良材を育てるための地道な仕事は当面の利益にならないから切り捨てられる。間伐や下草を刈るよりも植えることが優先され、今や腐れや虫食いの入った間伐しても手遅れな山ばかりだ。それは今になって間伐があまり言われなくなり、皆伐(かいばつ)が推進されていることからも分かるはずなのだが、山仕事を実際にしたことがない山主には、なかなか理解してもらえないようだ。

子や孫に財産を残したいという持ち主の思い。その場つなぎとして住むことを許されている私達。伐採の許可を得ることもなかなか難しいのだ。

日常の平穏を享受する為、裏山や畑の周り、そこ此処を伐っては片付けての繰り返し。10年以上経ち、この木周辺にも陽が差し込むようになった。幾度となく見上げては伐れるその時を待ち続けてきた。来年の厄年を避けるとなれば3年後かと考えたが、足踏みするのはもどかしく、気力体力ともに今ならと思えたので伐ることにした。とはいえ、それから倒す道を開くのに3日を要した。安全に倒すためにはかかり木にならないことが第一。そして、足元を整えておくこと。手間はかかっても十分に片付けておく必要がある。ちょっとした枝が命取りとなるのだ。

(写真上、奥の木を倒すため手前に向けて道が開けたところ。左が谷側、右が山側。)

枝にかかるだけならまだしも、幹と幹の間にがっちり挟まってどうしようもないという状態はもっとも避けたいので、谷側を十分に空いておいた。現場は地域の人が時折通る道のすぐ上斜面にありる。伐倒したのちは少なくとも次の冬までそのまま、不意に動いて事故が起こらないよう後の作業性も考えて念には念を入れておく。急斜面の山間部では、玉切りしたものが転げ落ちて民家の屋根に直撃するという最悪の事態も十分考えられる。立ち木を一列残し、切り落した枝葉の向きも揃えてできるだけ水平に道を作り、伐り株を生かし安定させる。日も暮れ、本番は翌日に持ち越しとなった。

さて、いよいよ明日伐ると決めたもののなかなか寝付けない。これまで繰り返し読んできた手引書と、新たに手に入れたより詳細な本を読みながら、改めて気をつけるべきところを整理し、見落としがないか頭を巡らす。

抜根直径は65センチ以上、これまでで最も太い木だった。枝が片側に偏っており、倒す方向の斜め反対、谷側に重心があったので、コントロールを失えば人が通る道、畑、お墓の方へ倒れることになってしまう。慎重に楔で重心を起こしつつ倒す方向に傾けていかなければならない。牽引具を使わなかったこともあり、楔を打ち込むのが大変だった。打ち込む先から相当な重量によって追い口に減り込み、半分それ以上打ち込んでも全く傾きが変わっていない、となったときは経験したことのない量感に恐ろしさがこみ上げてきた。やはり集落の中ということが余計に緊張を強いる。今一度、気を落ち着け、山側、真ん中、谷側と3つある楔のうち、真ん中を打ち込んで軽くしてから谷側を打ち込み、山側は他の2つに追いつく程度に打ち込むことを何度も繰り返した。受け口の深さは木の直径の3分の1で20センチほど、念入りに整え芯抜きをし、ツルの幅と高さは必要十分となるよう気を付けていた。腐れは無く、風は微風。焦る必要はないはずだ。手鋸で追い口を再調整し、僅かづつでも打ち進め、ツルの裂け具合を確認し、最後まで冷静に作業を進めた。伐り倒して枝を払って片付けるのに丸一日費やした。

改めて伐り口を見る。重心の偏りを起こしやすくするために角度をつけた谷側、その角度をあらかじめチェーンソーでもう少しつけておいてもよかった。寸足らずな手鋸で最後調整しているので、歪なラインになっている。改めて見直すと見え方が違ってくるものだ。

偏重木の場合、その偏りを起こす方向に必要最低限、牽引すればより確実に作業を進めることができるのではないか。牽引すべき方向が自分の中で少し明確になった。牽引力で倒そうとするのではなく、あくまで楔を使って木の自重で倒れるようにすることが基本だろうと考えている。

今回牽引しなかったのは、下手にロープを張ると倒れる際に予想外の動きをしてかえって危険だと思ったからだ。立木が密集しているので余計その危険があった。

伐る手順の一つ一つがどのように作用しているのか、自分の身体を木に見立て、3つの楔それぞれによって押し上げられる圧力とその反応をイメージする。そうすることでより立体的に捉えやすくなった。危険をともない技量を要する仕事。これまでの経験を何度も振り返り、何故そうなったのか、どういう予想外の動きをしたのか必死に考えるので、山仕事の間はそれに全精力かけることになる。畑仕事も工房仕事もストップしてしまうけれど、それでも仕方がない。

こういった山仕事を続けているが、しないで済むような条件のいい土地であったらとは思わないのが我ながら不思議なくらいだ。土地にはそれぞれの問題があり、新規に就農する場合、根を下ろすのは農地が先か家が先か、多くの場合、農地はひとまず借りれたものの家が伴わず離れた別の地域にあったり、心血を注いできても返さなければならなくなったり、少なからず営農や栽培技術以前の問題に悩まされると思う。私はそういったことを経ていつの頃からか、林業に限らず農業も一代でどうこうなるものではないと思うようになった。ここと決めた場所を少しでも良くして、その恩恵を日常に得られるならそれで十分なのかも知れない。ただ、その望みでさえ、こうして何の保証もない危険を犯さなければ叶わない。そして、地域が許容してくれるのはどこまでなのか。生きようと思えばどうしても波風を立ててしまうのだ。

連日の山仕事をこなせたのも、一昨年よりはじめたトレーニングの成果だ。休むのも仕事のうちというところだろう。

後から知ったのだが、数え年だと今年が本厄であった。無事に終わってよかった。

山の手入れ

3年前に伐り倒した木が大方片付きました。すべて薪として自家消費しましたが、思っていたより早くなくなりました。

(2017年冬)

一年間で一体どれ程の薪を必要とするのか。直径が20センチ足らずのものから50センチを超えるものまでいろいろなので、本来ならば立方メートルでその量を把握すると思いますが、私を含めて一般的にはイメージしづらいものです。何本くらい?とよく質問されるものの、正直なところなんとなくの量感でこれくらいあれば少なくとも一年は持つかなという感じだったり、伐り倒してから薪にするまでの労力を想像して、これ以上は無理だろうというところでやめる感じでした。

とにかく出来るだけ若いうちに借りている山林のスギ檜を片付けて浅木を育てていく。それは効率的な薪の自給が目的でもありますが、地滑り対策としての自助努力でもあります。嵩高くなく根張りの強い植生にすること。とはいえ、浅木の成長が伐り進めるペースに追いついているか、結局のところどうすることが正解なのかはわからないので不安は残ります。伐り過ぎたかと思うこともありますが、他の伐採現場や山の全体から考えれば僅かなものだと自分を安心させています。

今回は30本ほどで4日間、牽引具を使わずに済んだので、比較的スムーズに作業が進みました。久しぶりとはいえやはり緊張しますし、体力を持っていかれる仕事です。大径木となると、倒れるときの衝撃は凄まじいものがあり、動きをしっかり確認しようとは思うものの、それだけに集中することはなかなかできないものです。70年という育つのに費やした歳月や植えた人のことを思うと、ただ薪にしてしまうことに申し訳なさはどうしても残ってしまいます。手探りで自問自答しながらです。

こちらは5年ほど前から伐りはじめた竹藪ですが、大ぶん朽ちてきて焚きつけには丁度いい感じになってきました。

孟宗竹なので太いです。これが生の時の重たいこと、滑ることと言ったら。

新年、明けましておめでとうございます。

おかげさまで、2019年も年を越せました。

年末恒例となった温海かぶのピクルス。一枚一枚、感謝の思いを込めて作りました。

生鮮野菜の販売については、お問い合わせ下さった方にその時ご用意できるものを案内させて頂く形を取っております。今後もそんな地道な感じですが、より品質を充実させる方向で頑張っていきたいと思っていますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。