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藪の伐採〜つづきその4〜

数日雨が続いた。いよいよ4月が近づいているので、暫時もう一方を伐る。手前二つの切り株の間を狙うが、ライン上に前回伐った株が大きくかぶっていたため、3分の1ほど、地際まで切り欠いておいた。

受け口を入れ、追い口を入れ始める。

いつも通り、打ち込む重さを確かめつつ追い口を切り進めてゆく。谷側正面に立ったとき目線より高く設定してしまったのが、仕事を難しくした。ライン前方が若干突き出ているため、また、道上の桑の木を伐ったあとはこの株元へ寄せて安定させたいのもあって、ある程度高く残す必要はあった。とはいえ、何を優先させるか考えが定まっていない。たとえ、元口が跳ね上がっても、前回のように山側へ大きく振れることはないし、株元から千切れ落ちても問題はない。それよりも、木が山側に反っているため、谷側のつるを切りすぎないよう、気をつけなければならない。その大事な作業がやりにくかった。チェーンソーの調子も思わしくない、妙に歯が滑る感じがする。後から思えば、去年チェーンが破断してしまった時の感覚に近かった。やはり刃当たりの調整不足であった。

シビアな木を伐る場合は特に、気力体力ともに万全な状態で臨みたいのであるけれど、立て続けとなればそうも言ってられない。そもそも今シーズン、当の二本を伐るつもりはなかった。しかし、4月1日から木を伐るには許可がいるという話が俄かに出て、指定された山域に限定されるのか、事業者として伐る場合に限られるのか、憶測が飛び交い、役場に問い合わせれば済むことかもしれないが、いずれにせよややこしい話になるのであればその前に片付けておかなければと急いだ。難しい木を伐るためには、事前にある程度難しい木を伐って、感覚なり、手順なり、抑えるべきポイントを思い出す必要がある。身体のコンディションとしては前回で終わりにしたいところだったが、来シーズンはじめに伐るべき一本が容易ならざるそれという間抜けな状況を作りたくはないので、多少の無理をしてでも、方を付ける必要があった。とにかく、調子が出ない時でも如何に失敗しないかである。最も避けるべきは山側へ逸れないこと。

弱気な分、ツルを厚く残そうとするので、楔がなかなか入ってゆかない。楔の尺をほとんど使い切ったところでようやく角度が付いてきた。思っていた以上に難儀し、集中が切れそうになる。呼吸を整え、後ろ正面に立って幹の曲がりと手前山側の切り株との位置関係を確認する。初めに設定した受け口の角度で問題ないはずだったのだが、思っていた以上に反っていたようで、まともに当たりそうだ。受け口を谷側へ調整する。当初の目標を変えることになるが、たとえ逸れても谷側ならば今回は問題ない。安定するよう、他にも株は残してある。

前方で道を止めてもらっている嫁にそろそろであることを伝える。4つ目の楔を入れ、一つを浮かして手製の太い楔に替える。とにかく山側へ逸らさないことが大事だ。さらに楔を追加。山側のつるが裂け始める。しかしまだまだ楔が重い。厚く残していた谷側のつるを切り込む。弾けるように裂ける音が鳴った。一瞬、冷や汗が出る。山側へ逸らさないためには谷側のツルを最後まで効かせ、山側への一手によって倒さなければならない。今一度、深呼吸。満遍なく楔を打ち込む。少しずつ入りやすくなってゆく。いよいよである。

後ろ正面に立って方向に問題がないことを確認する。目標とする株と株の間に収まるはずだ。最後に楔を打つ。ゆっくりであるが、とてつもない量感で、軋み裂け、ちぎれ抜ける音と共に動きはじめる。じっくり挙動を確かめようとするものの、怖さが先立って思うようにいかない。より斜め下方への伐倒ということもあり、着地の衝撃凄まじく、空気が揺れた。

緊張冷めやらぬ中、とにかく無事に済んだことを確かめる。狙ったラインより谷側へ逸れたが問題はないようだ。全て現場に収まっているし、不意に動く要素は見当たらない。しっかり安定している。(現場は道と他人の土地に囲まれた三角州のような狭地なので、勢い余って滑落すればはみ出す恐れもあった)

渾身の力で何度も何度も楔を打ち込んだ。よく身体が持ち堪えてくれたものだ。虚脱感の中、いよいよ自分の年齢に不安を覚える。

直径は65センチ強、山側のつる幅10センチ、谷側のつる幅10センチ強。厚く残した谷側はより裂け上がっており、残し過ぎたことを意味している。楔を打ち込む余地が十分過ぎるほど残っている点を見ても、受け口を必要以上に浅く設定していたことがわかる。その分、楔の効きは甘くなる(打ち込む割に起きない)し、打ち込むのも大変になる。改めて受け口の深さを測ってみれば10センチ。浅すぎだった。基本は大径木ならば抜根直径の3分の1、つまり今回の場合は20センチ前後。)牽引できない状況のため、楔だけで倒さなければならないからと、できるだけ受け口を浅くしたわけだけれど、そのことがツルを弱くするだけでなく、楔の効きを悪くし、今回思い知ったように、打ち込むのが余計に大変になるということがわかった。

結果的にはベストなところへ落ち着いたようだ。とはいえ、狙った通りではなかった。何故そうなったのか。倒れたのは最終的に設定した受け口正面であった。

数日を経て、ひとまず出した答えは、木の真下からよりも俯瞰できる前方正面からの目測を信じるべきであるということ。前回も、カーブミラーの柱に当たるかどうかという判断において、遠く前方から見ている嫁の方が、調整の早い段階で当たらないと見えていた。つまり、嫁がもう大丈夫と見た時点で私はまだ当たるように見えており、さらに谷側へ受け口を調整したのである。結果、谷側へ逸れてしまった。とにかく、厳密な精度を求められる場合は、充分離れた前方から再度確認するべきなのだろう。

実際の軌道をイメージしてみる。例えば、半球の空を描く月の軌道。全く反りのない真っ直ぐな木の描く軌道が真上を通る季節のそれであるなら、反った木は冬に向かって角度がついた月の軌道を描くのではないか。三角定規を使ってみるとどうだろう。短辺を受け口、斜辺を木の反りとして、パタンと倒してみる。そうすると、先に述べた月の軌道のようにはいかないようだ。角度のついた月の軌道。それをもたらすのは受け口が水平ではない場合、例えば、斜めに立つ幹に対して直角に受け口を設定した場合は容易に想像できる。模型で実験できればはっきりするのだが、、、頭の中だけでは限界がある。

ただ、見え方について言及すれば、近くの対象が遠ざかるにつれて視角は浅くなってゆくわけで、錯覚してしまう可能性は考えられる。自分の腕と指を使って実験してみる。前腕を木に見立て、人差し指で幹の反りを表現する。肘を支点として倒れる動きを再現し、前方の柱か畳の縁か、適当なラインに向かって倒していった時、見え方において、指先とそのラインとの間は一定ではなく、手前から遠ざかるに連れて狭まってゆく。つまり今回に照らし合わせれば、反った幹が山側にある対象物に当たりそうだと、近くからは余計に見えるということだろうか。恐怖心がさらにそうさせるのかもしれないが。

見え方と実際の軌道とその誤差。今シーズンの2本に共通するのは、前方正面からの目測によって予め定めた目標よりも後方直下からの見え方を優先させて受け口の向きを途中で変えた結果、それに応じて逸れたということだ。

一日休息を取り、次なる桑の木に向かう。連日の負荷が蓄積され、指が一本腫れ上がってしまったが、何とかやれる。今回は道に倒すことになるので、地域の方にも手伝ってもらった。軽トラも使って三方の道を止める。

初めて追いづる切りを使う。斜め下方へ強く重心が寄っているので通常の追い口の入れ方では、途中、幹が捩れて刃を噛み込むかもしれない。それは去年の台風の後始末でも経験済みだ。直径は40センチ前後。下には避けたい岩と小さな欅があった。受け口を水平に作るのではなく、傾いた幹に対して直角に、倒れる際、素直にお辞儀をすればそれらを避けることができる。軌道をここで再検証する。

受け口を作ったら、刃を幹に突っ込んで貫通させる。つるを作り、そこから反対へ切り進み、端を残す。最後はそのストッパーである端を切り離して倒す。上手くお辞儀してくれた。

枝を落とし、2メートルほどに玉切りして元側の太いものは軽トラで牽引。梃子を使って転がし道脇に据える。先輩の知恵に触れられる貴重な機会。もう一方も同様に。

これで今シーズンの伐採作業は終わりだ。また一段と明るくなったし、また一つ不安を解消できた。次はこれまでに倒したものを片付けてからになる。この現場については出来るだけ早く、50歳までには終わらせたい。そして、木漏れ日の美しい小道になるよう、次なる植生を豊かにしたい。既に、そこ此処に紅葉や欅が顔を出している。山の手入れは自分にとって将来を楽しみにするための大事な仕事なのだ。

藪の伐採〜つづきその3〜

この2年続けて道上の手入れをしてきた春の道作り。今年は依頼を受けて、空き家に付随する支障木を伐ることになった。すでに石垣は崩れ始めており、隣接する家の人たちは台風のたびに怖い思いをしてきたそうだ。根返りして倒れてくることが傍目にも充分想像できる。大径木というほどではないが直径40センチ以上はあって、太い枝が乱れ途中から二股に分かれた曲者。そして、重心が寄った谷側に足場はない。樹高20メートルはないにしても、間違えば電線を巻き込んで家に激突させてしまうことになる。予感はしていたものの、当日、俄かに決まったので、どう倒すか、段取りも何も勝手がちがう。

こういう時こそ事故を起こしてしまうのではないか。不安を覚えたが、自分が進めている山仕事を今後も地域に納得してもらい、時に協力をお願いするには、ここは受けるしかないと腹を括った。それに、人の役に立てるのは素直に嬉しい。

時間はかかっても、枝を打って樹形をはっきりさせる。ロープに至るまで自前の道具に改め、チルホールで牽引する。受け口側に立って追い口を入れるのは難しいが、これまでの経験が役にたった。楔を打ちこんでは引っ張るを繰り返し、反応を確かめつつ確実に傾けてゆく。つるの残し具合を心配する声が上がる。段階を踏む作業を手間取っていると勘違いする人もいる。やりづらいものだが、こういう時こそマイペースな性格が味方をしてくれる。集中を切らさず終えることができた。

さて、ここ数年伐り進めてきた暗くカーブする丁字路周辺の手入れもいよいよ大詰め。カーブミラー脇とその奥に大径木が二本、そして道上から被さる桑の木が二本残っている。

カーブミラー脇の一本は、この藪の手入れをしなければと思ったきっかけの木でもある。樹皮が黒ずみ樹脂が滲み出ていることから傷んでいるのは明らかで、中が腐っているとなればできるだけ早く片付けなければならない。当時は竹が浸食した藪だったわけで、この木さえ倒せばいいものではなかったし、実際に倒す余地もないほど乱れていた。

腐れがどういう具合に入っているかによるが、つるの強度、楔の効きに問題が生じるかもしれず、牽引できるよう、アンカーにする株を残しておかなかったのは反省すべきところだ。が、ここへ至るまで念頭にあった伐倒ラインは、手前へ道に沿わせるのではなく奥に向けていた。その読みもまだまだ甘かったということだが、ラインというのはそれまでに積み上げたそこ此処のラインや搬出の段取りとの兼ね合いもあって最後まで決まるものではないとも言える。

昨シーズン、畑仕事をしていて視線を移した時、たまたま、手前へ向けて倒すライン正面から枝ぶりや幹の曲がり、そしてカーブミラーとガードレールの位置関係が俯瞰して見えた。倒した際、梢がどこまで達するか、おおよそを測れば、残したい楓にギリギリ触れるかどうかということもわかった。そうしてラインが決まり、ガードレールに当たりそうな枝を落としておいた。その夏は台風が激しく、手前の徒長木も大きく揺れた。後日見るとそれもまた至るところから樹液を垂らしていた。出来るだけ早く伐らなければならない。

(2022,3)

そして、今シーズン、具体的にどう寝かせるか。伐倒ラインそのままに落ち着くよう手前の株を高めに残し、杭にすることが肝となる。困ったことに、その株が若干ラインにかぶっている。なので、倒す際は伐り株の肩に樹幹を当てて斜面上側へ転かす形になる。誤って下へ転かしてしまうと不安定になり新たな危険を生む。残す高さが難しい。高過ぎると激突させて元が跳ね上がることになるし、低過ぎると杭にならず下へ転けてしまうかもしれない。

 手前を伐り、受け口を作る。牽引できないので、いかに楔を効かせ、いかにつるを最後まで残すかという、より精度が求められる仕事になる。手持ちのチェーンソーは刃渡り40センチしかないので谷側まで届かない。手鋸と斧で最終調整する。芯切りを始めると、10センチも切り込まないうち腐れに行き当たり刃が一気に奥の方へ抜けた。予想はしていたものの冷や汗が出る。気休めかもしれないが、手鋸でその程度を探る。幸いなことに、山側と谷側のつるは通常芯切りする程度に残っているようだ。問題は追い口。

 谷側は残しておいた竹の伐り株に乗って作業する。材として伐るわけではないので、根張りや腐れによる不確定要素が増える地際ギリギリよりも作業性と確実性を優先させる。足場の強度を考えれば、来年、再来年と、ぐずぐず先延ばしにはできない。プロは番線と丸太でしっかり足場を組むようだが、素人覚えではかえって危ないだろう。

追い口を入れ、楔を打ち込んでゆく。半分以上打ち込んではじめて傾きが出てくる。後ろ正面へ立ち、カーブミラーに当たらないか段階的に何度も確認する。向きが悪いようなら受け口を直す必要がある。そのためにも、追い口を額面通りつる幅が直径の10分の1になるよう、はじめに切ってしまうのではなく再調整できる余裕をとっておき、反応を見ながら詰めていく。

受け口を若干谷側へ調整する。それに応じて木の傾く向きが目に見えて変わる。追い口の入れ方と楔を打つ強さを慎重にする。心情としては、つい、山側の楔を強く打って谷側へ避けたいところだが、それが過ぎると下へ転かすことになる。三つの楔を均等に打ち込んでゆく。特に谷側が重い山側が重いということはなかった。だから、追い口も均等に切り進めて行く。山側と谷側のつるが同じ具合に裂けはじめ、傾きがより強くなっていく。株元から梢まで全容を見て、思う方向に倒れることを確認できるまで、ひとりでに倒れ出さないことが重要だ。時間がかかっても手順を踏む。

ゆっくり動きはじめた。間違いなくカーブミラーを避けることを見届けた。が、着地してから暴れた。

思っていた以上に元口が横方向、山側へ大きく振れてカーブミラーの根元に当たってしまった。少しであっても大径木の圧倒的な重量によってパイプは呆気なく折れて倒れてしまった。折れたというより、千切れてしまった。手前に残した株が高すぎたのか、やはり受け口の角を欠いておくべきであったか。受け口から着地点までの直線をしっかり見極めておくべきであった。

一体どれほどの出費になるだろう。暗澹たる思いで役場に連絡したところ、ちょうど別件でカーブミラーの設置をするところ、当該箇所においてもガードレール新設の要望が出ていたのでカーブミラーについても町の方でみてくれるとのこと。ありがたい。肩の荷が降りた。であるならば、実はということで、道上面から傾いている桑の木がまさにそのカーブミラーの真上に被さり、どう始末をつけるか、ツリークライミングやリギングの技術を身につけてとなれば何年先になるだろうと考えていたところ、この際ならば、そのまま下へ倒すことができる。工事の前にその仕事を済ましてしまいたい。区長に報告し、小部落に相談し近日中に取り掛かることにした。

なお、後日分かったことであるが、ガードレールを設置する際にはカーブミラーの位置を変えねばならず、いずれにせよ新しいものに挿げ替える必要があったようだ。山の問題は複雑だ。通るのに怖いからとつけられたガードレールやカーブミラーが山の手入れを難しくし、時には作業者の身を危険にさらす。まれに、ガードレールの上だろうがお構いなしに伐り倒す人もいるが、手付かずになるのがほとんどだ。

藪の状態が長く続くと考えられないほどの巨木が大きく傾いて生えている。通行人は存外頭上の安全には目を向けないものだ。杉や竹で覆われていたとはいえ、私も人に言われてはじめてこの存在の怖さに気づいた。地域の中からなんとかして欲しいという声が上がったものの、具体的にどうするか、実際に処理するには事前に周りを片付ける必要があり一筋縄ではいかない。私が責任を負うところではなかったが、我がことでもあったので地権者に掛け合い主体的に進めてきた。

奥にあるもう一方の桑の木は、昨年の台風で枝が折れて垂れ下がり道を塞いだ。高枝用の鋸を手を伸ばし片手で動かさなければならない上、捩れる枝が刃を噛み込むのでなかなか切り落とすことができず、一人で処理するのに半日以上かかった。

改めて今回の木を検証する。直径は70センチ前後。受け口を浅めに設定。谷側のつる部分の腐れが広がっていたのがわかる。市販の楔では役不足になることも考えられたため、より太いものを樫で2つ作っておいたのが良かった。

さて、後始末であるが、今後の段取りなどを考えると、その日のうちにある程度まで片付けておかなければならない。

4メートルほどに切り離した元側も切り株で安定していたが、なお、安心できるように処理。チェーンソーで切り込みを入れ、ハンマーと矢で少しずつ割る。大変だが、これならば途中誤って転げ落とす心配はない。

割ったものが思いのほか軽く乾いていた。春になった今時期なのにあまり水を吸い上げていないようだ。いよいよ枯れる手前であったのだろうか。腐れはやはり株元から上にかけて収束している。受け口と追い口を高めに設定して正解だった。

キノコの駒打ちをしました

地域の方から立派なクヌギと榎の原木をいただきました。現場で枝を落とし、玉切りして運び出すのもまた一仕事ですが、お声をかけて頂けるのはやはりありがたいです。椎茸、ヒラタケ、ナメコを400駒ずつ打ち、裏山へ一本一本抱えて運び上げます。身体と相談しながらなので4日かかりました。若い頃の無茶が年々響いてきますね。まだ、伐採現場の片付けが残っています。

10年前にどんぐりを植えて芽の出た我が家のクヌギ。ほだ木にするにはまだまだ年月がかかりそうです。それに、育っているのはたったの5本。できるだけ早く辺りを伐ってまた植えるところを広げないと何にもならないのですけど、伐れば薪にして片付けて、一つ一つ手作業なので時間がかかります。

山仕事は力技で一気にやろうとするとそれだけリスクも高くなります。鬱蒼とした植林を伐り開き、欅、椎、樫、椿、柊、楓、楠など、次なる雑木が芽を出し、ある程度育ったところで選定、間引きをして新たな森のイメージが見えてきたら、次また伐り進めるの繰り返し。伐り開けば伐り開いた分、森として落ち着くまで草刈り仕事は増えていきます。

冬は山仕事

年が明けてから寒さ厳しく、雪が積もって身動きのとれない日が続きました。作物の成長も休眠を迎えますが、小さくて収穫に至らなかった年内どりのキャベツがありがたいことに少しずつでも太ってくれたので、まずご要望あった分のHotdog stuff を仕込みました。

春となれば、いよいよ新しいシーズンに向けて準備を始めないと。草刈り運搬の大半が残っていますが、薪作り、山の手入れも冬の大事な仕事です。そして竹藪の片づけ。昨年は応急処置をした程度なのでまだまだです。孟宗竹のかなり厚い藪だったわけで、直径20センチ前後がゴロゴロ。

灰にしてしまうのは勿体無いので土づくりに使うことにしました。時短のために普通なら運搬車やチッパーを使うところ、手間ひまはかかっても持ち合わせの道具、チェーンソーで玉切りしてナタで割り、コンテナで抱えて運び出します。畑の脇に積み直し、更に熟成。あと何年かかるかわかりませんが、とてもいい土になると思います。

(伐って6年目にもなれば株が根本から抜けるように)

2023年 元日

おかげさまで、今年もいく農園として新年を迎えることができました。ご愛顧くださる皆さま、誠にありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

裏山から初日の出を望み、とても静かな時を過ごしています。暮れに、いつもお世話になっている地域の方から上等の猪肉と自家製のお餅をいただきました。子や孫のために拵えたものを私達の分まで用意してくださったのだと思います。思い掛けず年越しのご馳走と新年のお雑煮を構えることができ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。今年も頼まれた草刈り頑張ります。

今日は何もしなくていい日。したいことをする日。裏山でコーヒーを淹れ、気ままに薪を割り、気ままに川でお茶をして、晩御飯の支度に明るいうちから取り掛かる。畑に牛蒡を掘りに行き、子芋の皮を剥き、金時にんじんの土を落とし、出汁をとり、煮しめを作る。だし巻き卵を焼き、おにぎりを握り、いざお酒をいただく。蒲鉾にわさびと醤油。瑞々しい白菜の芯には味噌。贅沢な時間。

Q太郎もチー坊も幸せそう。

出汁をとっていると、どこからともなく現れるQ太郎。出汁ガラの鰹節、卵を溶いたボウルも綺麗に片付けてくれます。生きることに貪欲なQ太郎は年中くしゃみをして鼻をすぴすぴさせているけど、筋骨逞しく体力は充分。要領がよく狩はうまいけれど、ダメなことを何度ダメと言っても我慢のできないチー坊はというと、ふにゃふにゃになって日向ぼっこ、どこかでご馳走にありついたのか余裕の無関心です。二匹とも膝に乗るのが大好きで、こちらも不思議になるほど人との触れ合いを求めるのです。

三嶺テント泊、そして小屋泊

11月8日はこの秋最後のチャンス、再び三嶺を目指すことにした。一泊二日の予定。

話し合いを重ねた結果、殆どの登山者がしているように朝6時には登山口に着いて早く登り始める、それが必須だろうという結論に至った。となれば、2時半ごろには起きて3時には家を出なければならないし、前夜のうちに弁当を作りパッキングまで済ませておかなければならない。なんと気合のいる休日であろうか。21時には就寝、何とか起きて3時半には出発することができた。

西熊渓谷に着く頃には夜が明け始め、無事光石登山口に到着。6時半、朝露の中登り始める。風は穏やか、空は青い、最高の登山日和。前回引き返したポイントを通過、ついに三嶺を間近に望んだ。弁当がうまい。

最後は急登。鎖場と整備されてはいるものの躓いたり転けたりしたら落ちそうな道が続く。大きな浮石もあり、落石も起こりうる。人が怖がるのを見ているとこちらまで不安になるものだが、平常心であれば注意力も発揮できる。そう、自分に言い聞かす。ただ、荷物が重いとやはりバランスを崩しやすい。泥土のついた靴底で岩の上を歩くと滑る。

14時、何とか無事頂上へ到達した。家を出てから10時間半、コースタイムは7時間半と言うことになる。(地図などに載っている参考タイムは5時間半ほど)

なんと素晴らしい天気であろうか。静かで、見渡す限り山々が連なり、遠くに海が見える。間違いなくここは四国で最も美しいと言われる山であった。コーヒーを淹れ、パウンドケーキで一服。嫁のパウンドケーキはクラシックなレシピで、卵、砂糖、粉、バター、全て同量。シンプルに1パウンドずつという意味でパウンドケーキというらしい。山仕様はそれにチョコやローストした胡桃を加えてパワーアップしてある。

山登りでカロリーを思った以上に消費するのは、重い荷物を背負って長時間歩くからだけではない。はじめての道に迷いつつ地図を見て必死に答えを探したり、思った通りに行かなくて不安になったり、緊張したり、そして、風に当たり続けて冷えたり。頭を使うこと、感情をコントロールすること、変動する天候下で身体を正常に保つこと、一つ一つにかなりのカロリーを要するのだろう。慣れないうちは尚更だ。そんなことに改めて思い至る。

十分休憩したのち、ヒュッテのあるところまで下ってテントを張る。笹原の中に張ってはいけないとなるとごく限られる。道沿いに1カ所空いていた。誰かが張り綱を止めるのに使ったであろう頃合いの石が置いてある。風を避けられるような地形ではないので、風向きが心配。しかし、北西からと思えば北東に変わりまた北西。前回の尾根筋は夜通し北東の風であった。先客のテントが一つ北西向きに張ってあるが、どうしたものか。天気予報を確認する術がなかったので、結局、ヒュッテが建つ向きに倣い、北東の風にあわせて張ることにした。入念にペグダウン。思っていたより刺さりやすかった。日が暮れ始めると一気に冷え込み、まだ暗くなりきってもないうちからフライシートに降った夜露が凍る。

晩御飯はクスクス。手軽な市販のペペロンチーノの素に加えて、挽肉にたっぷりの生姜とカブ菜を醤油と味醂で甘辛く煮詰めた常備菜を和えて食べる。少しでも野菜が有難い。身体を冷やしてしまうと寝れなくなるので、皆既月食についてはほどほどに、タイミングが合えばで寝袋にくるまった。

有難いことに風は穏やかだったものの、気温はさらに下がっていった。冷気が寝袋を通過して身体に降ってくる。カイロをお腹と腰に貼って、カッパも着込んで何とか過ごせるように。嫁もシュラフカバーを新調したが、それでも冷えるようだ。眠れない。ならばと星空を楽しんだ。一旦影となった月が復活し始めるタイミング、天の川も美しかった。足踏みしたり、体操したり、凝った身体をほぐす。同日、白髪山はマイナス五度であったらしい。更に100メートル以上標高のある三嶺は尚下がっていたことだろう。ちなみに、嫁が持っていたキーホルダーのような気温計は0℃からテコでも動こうとしなかった。

少しは寝ただろうか、月明かりの中、朝焼けがはじまった。

二日目は、三嶺から稜線を西へ、大タオ、西熊山、お亀岩で水を汲んで、綱附森方面の稜線伝いに下山する予定であった。お亀岩まで無事に到着。地図で先を確認する。お亀岩から西へ一つ目のピークより稜線を伝って南下し、途中尾根分岐を一つやり過ごしてから谷へ下ってゆく。お亀岩から見える稜線を目指して進んだ。その先にある天狗塚や天狗峠は多分、あれとあれだろう。

向かう先にはツツジの群生があり、迂回する笹原には無秩序に道ができている。ショートカットしようとして道なき道を思い思いに歩き回った結果だろうか、既にどれが正規のルートかわからない。それに、ここに至るまで、登山道の印がわかりにくかったり分岐に看板があったりなかったり、今回もどこが分岐かは分かりにくいだろうという心づもりでいた。地図を確認する。分岐ポイントに名前は書かれていないし、きっと看板もないのだろう。写真下の手前の稜線へ向かった。テープや紐といった印は全く見当たらなかった。ただ、幾重にも踏み固められた道がその尾根へと向かっていた。

小ピークあたりまで来たところで、その切り立った様に緊張が走る。巻道というのだろうか、笹の急斜面を横切る道が続いていた。中々スリリングであるが何とか行けると踏んで歩き出す。が、振り返れば後ろで嫁が動けないでいる。足の運び方を教えて、大丈夫、何ということはないと落ち着かせる。実際に危ない道だった。幅も僅か片足分、笹の根が露出して滑りやすいし、踏み抜けてしまっているところもある。いざという時には笹の株を持って何とかなるのかどうか、必要以上に力んで僅かに滑り、一瞬、谷側の足に力が入らなくなって冷や汗が出る。何とか持ち直し後ろを振り返る。思っていたより嫁は良いペースで付いて来ていた。何とか頑張ってほしい。

一先ずその巻道を渡り終えた。沢山の踏み跡はさらに先へ迷いながら、何かあっても取付けるツツジの間を縫う様に続いている。ここさえ越えれば後はより木々が生い茂って安全な緩斜面へ抜けて南下するはず。嫁を安全なところ(写真下、稜線真ん中の窪んだあたり)に残し、先を見に行く。が、行き着いたのはまさに断崖であった。

岩が露出した崖。鎖もロープも何もない。南下するはずの稜線も全く見えない。ただ、幾重にも彷徨う踏み跡が右往左往しながら谷へ吸い込まれる様に続いている。これはまずいと思った。かつて矢筈山で道に迷いビバークした時の比ではないくらい滑落の危険を感じた。時間は14時近く。引き返すことにした。あの笹の巻道は二度と通りたくない。ツツジの間を縫って何とかお亀岩まで戻った。無事に戻ってこれた鞍部の何と平和な景色であることか。

水を汲んで遅い昼飯をとったら15時、下山は翌日へ持ち越しとなった。来たルートを引き返すしかない。既に行動を終えるべき時間帯であるが、三嶺までは戻っておくことにした。自分達のペースでは、ここからだと1日で下山できるとは思えない。夕日を背に稜線を歩く。暗いのに明るい。夕陽に照らされた笹の海原。何と幻想的で美しい。これをアーベントロートと言うのだろうか。

振り返れば、嫁の息の上がり方がおかしい。そして、再々水を飲む。食欲はないと言うが、シャリバテになってはまずい。羊羹を食べるよう少しキツく言った。とにかく自分ではどうにもならないほどバテてしまっているのだろう。無理もない。二日続きの寝不足の上、緊張につぐ緊張。足も痛むという。何とか気持ちだけでも回復してもらわなければ。この美しい景色は心細い中でこそ瑞々しく際立つものではないか。少し元気を取り戻した嫁も、この景色を忘れないであろうと言ってる。何よりである。

18時前、無事、三嶺に到着。風が強く冷え込む中、テント泊をもう一晩して寝不足を重ねるのは翌日に不安が残る。ヒュッテに避難させてもらうことにした。先客が思っていたより大勢、夕食の最中であった。親世代であろうか、三嶺から剣へ縦走するとのこと。20時には早々に就寝していた。

我々も米を炊き、ようやくあったかい飯にありつく。しかし、嫁の状態が思わしくない。食べ物が喉を通らないという。どうしたものか。普段は私と同じくらい食べることもあるのに、この山行では端から食べる量が少なすぎる。2泊までの食料と燃料には十分余裕あるが、3日目に寝込んで動けないとなってしまって4日目を迎えるにはあまりにも心許ない。どうするか、最悪の場合、嫁をヒュッテに残し明日は自分だけ下山して食料を補充して戻ってくるしかないか。外は風が吹き荒んでいる。前回の冷え切った稜線歩きを思い出した。三嶺はかつてないほど厳しい山であった。

夜中も度々ゴソゴソ動く嫁。寝つけないのだろう。寒いようなので使っていない自分の上着を渡す。少し寝ただろうか、嫁が寝袋から出ようとしている。気分転換に一度外に出るようだ。帰ってきて聞くと、だいぶんマシになったとのこと。やれやれ。少しホッとする。

夜が明けた。嫁はそこそこ回復したようだ。飯も食べられると言う。外はまだ風が吹いている。どんな天気になるのか。休み休みゆっくり歩いて下山するのに8時間はかかるだろうか。

不安だった山頂直下の鎖場は思いのほか順調に降りることができた。帰る道々、自分達が迷い込んだ稜線と地図を何度も照らし合わせる。が、どうしても納得がいかない。どれが天狗塚でどれが天狗峠か、分岐点はどこで、どの稜線を行くべきだったのか。何度見ても頭が混乱して読み解けなかったのだが、嫁の一言により、天狗塚がどれであるかをそもそも間違えていたことに気付かされる。となれば、もう一つ奥の稜線が下山ルートだったことになる。思い込みとは恐ろしい。手前に見えるピークが分岐だと思い込んだことで後の情報がうまく整理されなくなったのだろう。何故か、地図には目指すべきピークのさらに手前にもう一つ別のピークがあるなんて示していない、眼前に見えるピークの存在がないものとされるなど考えられないのだから。抑えるべき幾つかのポイントの一つでも欠けてしまうと全体像が崩れてしまう。思い返せば、あの巻道を行く局面においてでさえ、地図をどう読むか擦り合わせようとするも上手く噛み合わなかった。改めて私が持っていた地図と嫁が持っていた地図を見比べてみる。

余談であるが、いずれもかつて私が買い求めたもの。改めて何年版か見て笑ってしまった。2002年版と2004年版。いつか三嶺に登りたいと思ってから実現するまで20年経ったらしい。20代、30代はとても遊ぶ余裕などなかった。

さて、話を戻す。どう目を凝らしても見えなかった小ピークが嫁のものには明確に描かれていた。いやはや、これが道迷いの原因か。とはいえ、地図のせいにするのは余りに都合がよすぎるし、流石にそれはないだろう。帰宅後に改めてモニター上に拡大して見る。と、私の地図にも辛うじて描かれているではないか。お亀岩を表す点の中でピークを表す円がとじられている。いやはや。しかし、何ともわかりにくい。それに、やはりこの描かれ方では地形的にも実際と照らし合わせるのは難しい。だからあれだけ沢山の足跡が彷徨っていたのだろう。さて、もう一方の分岐点について。嫁のものには「地蔵ノ頭」と明記されているのに、私のものにはない。名前がついていない分岐ならば大した地形的特徴を持っていないのだろうと思っても仕方がないと思うのだが。地図というものが出版年の違いでこうも変わるとは思ってもみなかった。

しかし、いずれにせよ、絶対的な情報である天狗峠と天狗塚がどれなのか明確にあって全体像をイメージできていれば、位置関係や距離感からポイントを見誤ることはなかったであろう。登るつもりがなかったので、それらの情報を事前に確認することもなかった。それに、最新版の地図を用意していなかったのは大失敗であった。

 私が持っていた地図(2002年版 山と高原地図 四国剣山)

 嫁が持っていた地図(2004年版 山と高原地図 石鎚・四国剣山)

行きにとった写真であるが、真ん中にとんがった三角が天狗塚でその右手前が地蔵ノ頭、その右奥が天狗峠であった。地蔵ノ頭から斜め左方向へ続く稜線と並行する稜線が手前に見えるはずだが、そこが迷い込んだところ。分かりにくいが、途中、二股に分かれているように見えるその谷側が断崖となっていた。とにかく無事に帰ってこれてよかった。

いろんな条件が揃ってしまうと、道迷いはどうしても起こるのかもしれない。迷った時は来た道を引き返す。地図読みについてまた一つ勉強になった。百聞は一見に如かずである。色々あったが、兎にも角にも美しい景色を満喫し存分にリフレッシュできた。下山は想定していたより順調に5時間で済み、13時過ぎには光石登山口に着いた。何かと大変だった嫁も、これまでで一番楽しかったし三嶺は最高と言ってる。何よりである。

秋の山行

10月28日、かねてより憧れていた三嶺へ向かった。徳島と高知の間に連なる剣山系の一つで、思い入れを持ったファンが多いことで知られており、「みうね」が正式なようだが、高知では「さんれい」と親しみをもって呼ばれている。

一泊二日の行程。初めての今回は一日目、途中のさおりが原でテント泊して、二日目は様子を見つつ行けるところまで行って引き返す予定だ。昨年大変な目に遭った石鎚の裏参道のことがある。人によっては10時間ほどかけて日帰りするようだが、まあ、自分達には無理だろう。

高知県、旧物部村の最奥、久保の影という集落の先、西熊林道に登山口がある。さおりが原は、20年前の修行時代、研修先の農園へ援農に来られていたご夫婦に連れて来てもらった思い出の場所だ。当初は住み込みで働かせてもらっており、息抜きにとの心遣いであった。5月、静かな沢が流れ入る園地にバイケイソウの群落、立派な栃木。帰りには笹温泉に浸かって夢見心地であった。

我が家から登山口まで約100キロ、3時間弱。前日まで何の用意もできなかったので、朝起きてから、弁当を作り、荷造りを済ませて家を出たのが9時半。登り始めたのが12時半。さおりが原までは印に混乱して迷いやすいらしい。なるほど、どこでも通れそうな開けたところは足跡が道を作っておらずトレースすることができない。枝や幹に巻かれたテープもラインを描かず、こっちからもあっちからも行けるというように散在しており、分岐のポイントがわかりにくい。地図とコンパスを頼りに地形を確認しながら北の少し東寄りの方角を登ってゆく。

昼前に道中でパンを食べていたので、遅めの弁当タイムをとった。山仕様の卵焼きは、だし巻きではなく砂糖と薄口醤油で。太白ごま油を贅沢に使い、2人前を卵6個で作る。今回は海苔弁に。忍ばせた昆布と卵焼きとの相性が抜群であった。他は、芹と鰹節をソーセージを焼いた残り油でさっと火を通して醤油を和えたもの。

尾根に出た。どうやらさおりが原への分岐を過ぎてしまったようだ。尾根伝いに北東へ進路を変える。そのまま進むことにした。眼前、北に西熊山らしき頂と大タオらしき見事な笹原の稜線が見えた。あれがカンカケ谷でこれがフスベヨリ谷だろう。そして私たちの立つ尾根。いずれ本来予定していた道と合流するはずだ。

今思えば、散在しているように見えた印はつまり、九十九折りを細かすぎるくらいに案内していたのかもしれない。それで肝心の分岐も同様のそれと思い込んでしまったらしい。

15時が過ぎ、16時が過ぎ、まだ合流すべき尾根が見えない。気温が下がってきた。そろそろ、さおりが原は諦めるべきか、どこでテントを張るか探しながら進む。16時半、いよいよ今日はここまで。強さを増してきた風を避けられる場所を探す。窪地は平らでも湿気ているし、鹿のフンもそこここにある。そして枯れた立ち木の下を避けるとなると、なかなか見当たらない。風上でなければいいか。気温はぐんぐん下がってきた。山の様相は急激に変わるから恐ろしい。

ビバークではないが、当初の予定を外れて一泊することに。強い風が夜通し続いたが、幸いテントを張ったところは穏やかだった。ここは熊が棲む山域らしい。鹿の鳴き声も時折聞こえてくる。猪も間違いなくいるだろう。テント周りに細引きで境界をこしらえ、そこに熊鈴をぶら下げて呼子にする。効果があるかないかわからないけど、、、弱いなぁ、自分。かつての山に入る人ならば当然、我が身を守る術を持っていたであろうに。身についてないことのなんと深刻で痛恨なことか。40歳も過ぎて慌てて取り戻そうとしている。

熊の話を持ち出すと嫁が思った以上に嫌がった。スマン、スマン。スマンでは、すまん。

一晩中強風が尾根向こうで吹き荒び、嫁はほとんど寝られなかった様子。私は気づけは2時間とか1時間とか経っていたのが幸いだった。3シーズン用の寝袋だが防水透湿性のあるカバーを新調したことで暖かく寝ることができた。嫁は冬仕様のものだがそれだけでは寒かったようだ。

夜が明けてコーヒーを淹れ、お手製のパウンドケーキでひと心地。

「コーヒー入ったよー」嫁を呼ぼうとしたところ、転かして半減させてしまった。貴重な水、貴重な燃料、、、疲れてるな、自分。呆れて文句を言うでもなく、美味しいと慰めてくれた嫁に感謝。

テントを撤収し、パッキングしていざ出発。8時。三嶺までは無理でもカヤハゲの分岐を確認するところまでは行きたい。じきに陽が出るだろうと、防寒着をザックに仕舞い込み薄手の行動着になったものの、風が一向にやまない。テントを張った南側とは違い、進む尾根の北側は風がもろに当たる。これはキツいと思う間にも体温がどんどん奪われてゆく。嫁がもう引き返そうと言う。尚も先を進もうとする私に、この先風が止む保証はないのだからと更に訴える。ひとまずザックを降ろし、とにかく仕舞い込んだ防寒着を着直すことに。ニット帽を被りさらにフードで覆う。これでなんとかなりそうだが、その間、少し余裕を取り戻すことができた。テントの撤収作業で待たせていた間、私と嫁の保持している温みには幾分の差がすでに生まれていたことに思い至る。気づけば私自身だいぶん冷静な思考をを失うほど冷えは緊迫していた。吹き付ける風の強さはとてつもなかった。以前友人が、どこでそう思ったのか知らないけれど、手綱を握っているのは嫁、と言っていたのを思い出して苦笑いする。言い得て妙である。

初の三嶺は遠く叶わなかったが、かつてないほど広く美しい豊かな森を十分満喫することができた。

また来ると、嫁の背中が言ってる。

来た道を戻り、さおりが原への分岐を確認。20年ぶりの園は鹿避けの防護ネットが至る所に施され物々しい様相となっていた。倒木、立ち枯れ。よほどの嵐だったのか、砂礫が剥き出しとなっているところがそこ此処に。美しくも荒々しいかけがえのない山。コーヒーを淹れ直した。

また転かすなよー

再び嶺北の山へ

山登りについては、嫁の方が俄然モチベーションが高い。私は運転が好きではなく、叶うものなら自転車で登山口まで来たいくらい。なので、小一時間で行ける近場にお気にいりの山が増えたのは嬉しい。石鎚山にもまた行きたいし、三嶺にも行きたいけれど3時間近くかかってしまうのが億劫だ。

芽吹き始めた山の上。この日は風が強くて体温調節に何度も着たり脱いだりを繰り返した。

チョコレートにクランベリーとレーズン、くるみとひまわりの種がたっぷり入ったパウンドケーキはハイカロリーな山仕様。弁当は、かつて少年野球をしていた頃のチーム飯。お母さん達が毎度の献立に悩まないように考えられた、卵焼きとソーセージがあればオッケーというのを踏襲している。今回はそれにプラス、三つ葉とおジャコの炒め物。

 

 

メンテナンスの一日

出来ることなら週一でも休みをとって自転車とプール三昧の1日を過ごすしたい。根がストイックに出来ていないわたしはとどのつまり、そうでもしないと日々のストレッチすら億劫になってしまう。

ちなみに、ストイックという言葉を辞書で引いてみると、「禁欲的で感情に動かされず、苦楽を超越する様子(した人)」とある。だから私はストイックと言われることもあるけれど、とんでもない。世間ではそうでなくとも、毎朝決まった時間に起きて日々を規則的におくることが模範とされがちだ。しかし、現実的に感情の波はあるものだし、いろんな物事に対して疑問を持ったり悩んだり、考える質であれば余計にそうあることは難しい。波があるのは困りものだが、その振幅をうまいこと使えばそれなりになんとかなるのではないか。やるべき仕事からは逃げられない。やりたいことでリズムを作るのだ。

県道16号で峠を越えて高知市内まで往復4時間半ほど、間に小一時間泳いで6時間そこそこの行程をバロメーターとしている。これが日常的に難なくこなせるようでなければ、草を刈って運んで裁断しての土づくりや山仕事を続けることは出来ない。つまり、シビアで差し迫った問題なのだ。

自分にとっては結構キツい峠道なのに、存外多くの人がサイクリングを楽しんでいる。乗る人からすれば、なんということはない峠なのだろうか。

 

嶺北の山々

本格的な畑シーズンを迎える前に、山へ行くことにした。代掻き前の綺麗な汗見川を上へ上へと県境の峠まで。1時間ほどで登山口に着く。

花も新緑もまだだったが、静かで久しぶりに心が休まった。昼過ぎから登り始めたので、時間的に無理をせず、大森山で引き返すことに。前日まで丸太を運んだり割ったりしていたこともあって、心地よい疲労感に充分満足できた。山々を見渡す開放感、その中で弁当を食べる贅沢なひと時。長閑なところですねと言われるような中山間地で暮らしているのに、更に奥へまた登る。ただ歩くことに専念できるということ、ただ景色を楽しめることって、仕事や責任に追われる日常では中々叶わないものだ。

自分たちの暮らしがこの奥深き山々の中にある。頂から見渡せば、虫にたかられ汗にまみれる毎日をまた頑張ろうと思える。残した木々がいよいよ立派に映え、木漏れ日が射すようになるのは嬉しい。かけがえなき花鳥風月。

同じ集落の還暦を過ぎた農家さんが息子に跡を譲り、花のなる木を植えている。幸せのかたち。子を授からなかった私たちは、この地において一代で終いをつけることになる。けれど、それもまた人生ということで、私たちは私たちなりに楽しみを見出していきたいと思っている。

装備はいつもの一泊分。弁当作って非常食は手軽なクスクス。

道中、山の至る所に植林の大規模な皆伐が進んでいた。大胆過ぎやしないだろうかと心配になる。