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家のこと〜その4〜雑誌掲載のお知らせ

農業共済新聞(2019,3,20)に寄稿させて頂きました。

今回は、新規就農から10年という節目から「新規就農者と地域の関わり方」「就農者の計画の立て方」「今必要な就農者支援」などのテーマを頂きました。

これまでIKU FARM journal に連載してきました「家のこと」のまとめとなります。「不動産相続における名義変更の義務を法的に定めること」は現実的には難しいことだと思います。しかし、何が新規就農を難しくさせているのかといえば、むしろ本人の努力ではどうにもならない事のように思うので敢えて書きました。

解決したわけではありませんが、これでようやく気持ちに区切りが付けます。

 

家のこと〜その3〜

倒壊の恐れがでているわが家は、土台が折れそうにたわんで敷居が沈み、ガラス戸が倒れてきそうになったり、ひとりでに軋む音がかなり頻繁に聞こえてきたり、いよいよ安心して暮らせる状態ではなくなってきました。この梅雨と夏を越せるのか。当面、取り壊して建て直すことが無理とわかった以上、部分的にでも手を入れて暮らすしかないので、兎にも角にも大工さんにお願いすることにしました。

話は前後しますが、貸主と新たに結び直す契約については、3月末に司法書士事務所から案が届いたのですが、気になる箇所が幾つかあり、以前法務局でお世話になった弁護士さんに相談に行きました。そうしたところ、こちらが思っていた以上に、効力の限られた気休め程度のものだということがわかりました。貸主が当該物件の登記名義人ではないとはどういうことか、本件の場合はつまり等しく権利を持った家主が三人いて、そのうちの一人としか私たちは契約できていなかったということです。暮らして5年ほど経ってからその事実を知り、では、どうすればいいか、今年3月の話し合いにおいて、貸主が依頼した司法書士からではありましたが、他の権利者から発生する問題については貸主においてすべて解決すること、その責任を契約書に明記するという案が出され、それでこちらも安心したのです。しかし、では解決できなかった場合どうなるのか、否応なく出て行かなければならないという事態にはならないのか。私たちの暮らしは保証されるのか。

法的にその条文はほとんど意味をなさず、他の権利者に対して効力を持たないことに変わりはないということでした。

残る家主の二人もまた賃貸人として署名された契約書でなければ、その他の内容を如何に詰めても意味がないということ。「それはわかっているけれど出来ない」と改めて言われてしまっては唖然とするしかなく、そもそも確約するつもりのない貸主の便宜的な形だけの契約だったということになってしまうのですが、貸主にしてみれば法的に問われない責任を負う理由はないということはわかります。いずれにせよ、道義的責任や信頼関係云々の話ではなかった、、、いや、それは違うのかもしれません。人から借りた家と土地で一生暮らしたいということそのものが、こちら都合の安易な望みだったのかもしれず、売ることはできないと言われた時点で諦めるべきだったのかもしれないのです。ただ、こちらも50年という契約期間が結ばれたからこそ、10年という歳月、人生の中で限りある30代の体力の全てを注ぎ、放棄された家と土地をここまでにしてきました。そうでなければ今頃、家は既に倒壊し、裏山も農地もどうなっていたか、足を踏み入れる事すら困難な取り返しのつかない状況になっていたはずなのです。しかし、それを相手に問うことはできません。そうではなく、ただただ、こちらとしては、もはや、その歳月を取り戻すことはできず、別天地を求めるとなれば今の状態に積み直すだけも何歳になってしまうのか。そのことを相手に理解してもらうしかないのです。

お互い様であることを前提に感情的にならず話し合いを続けていくこと。少しでも意味のある契約にするには、まだまだ時間がかかりそうです。

柱の根元も土台も、そのほとんどが朽ち、開ければあけるほど事の深刻さがわかってきました。思っていた以上にシロアリが進行し、9年前は芯が残っていると判断された土台がすでに材としての強度を失っていました。柱の上部まで進み梁に達しそうなものもありました。本当に今のタイミングを逃していれば手遅れになっていたかもしれません。つまり、取り壊すしかないという状況からぎりぎりの処で脱したのです。

 

 

当初の話では、囲炉裏があった6畳間の土台と柱の根元を挿げ替えて床を板に張り替える予定でしたが、玄関の4畳間も総入れ替えする大掛かりなものとなりました。今後、できるだけ早く足下の全てを入れ替える必要がありそうです。五右衛門風呂と土間の水回りの工事も必要です。

工事は重要となる二つの柱のうちの一つから。言われて初めて気付く事ばかりですが、この家は大きく南につんのめるように傾いた上に北西が深く沈んでいます。ジャッキアップしてその傾きを少しでも補正しつつ高さを決めていくのですが、多方向に歪み、捻れ、倒れようとしている物を押し戻すことに限界がある事は想像に難くありません。とてつもない重量を感じます。

囲炉裏をどうするか。吹き抜けの天井に薪火の暮らしでなければ、かえって虫の温床になっているようだったので、思い切って撤去することにしました。石が積まれ灰混じりの土と接していた土台はやはりボソボソに。床下の風通しも悪く、湿気を呼ぶ格好となっていました。

もう一方の柱は偏りすぎた荷重によって潰れるように根元が曲がっていました。挿げ替えることになりましたが、その基礎となる石の下にアリの巣が見つかりました。できるだけ堀上げて、土を焼いて戻し、小石等も拾い集めてきてしょうれんで突きかため、木槌でたたき直しました。

 


朽ちるに任せるつもりだったところを貸してあげているという貸主と、そこで身を立てるためにお金には換算できない労力と人生をかけているこちらのとの立場の違いは、如何ともしがたいものかもしれません。しかし、こうしてフタを開ければ開けるほど問題が噴出するような、普通なら断る厄介な仕事を、私たちが用意できるお金では本来なら足りないことを承知の上で引き受けてくれた、友人の気持ちとその真剣な仕事をけして無駄にはしたくありません。

 

 

 

 

(その4につづく)

 

家のこと〜その2〜

古民家は暮らしを見直す上で多くのことを教えてくれます。日々、薪火を使い煙を立てることの必要性、澱みがなく家の隅々まで風が通り抜ける清々しさ、畑仕事や山仕事を存分にするために不可欠な土間、そして畳のありがたさ。しかし、築年数からして、ようよう建っているものが殆どで、手を入れれば更に何十年も住めるというような物件は稀ではないでしょうか。とりあえずはよくても、将来のことを考えればかえって重荷になることもしばしばだと思います。土地の湿気は否応もなく影響し、年間降水量3000ミリを超える高知の更に植林に覆われた山間部においては望むべくもないことだったのかもしれません。

暮らしに不可欠な水をどう引いてくるか、山間部では谷に沿って、もしくは水が湧き出す処に家が建っています。つまり家を朽ちさせる湿気の上にしか山の暮らしは成り立たず、更に元を辿れば、地滑りによって生まれた平らな土地から棚田は発達し、集落が形成されたという見解もあるように、豊富な水脈と脆弱な地盤という、人を生かしもすれば殺しもする大いなる矛盾の中に山の暮らしはあります。地滑り対策のために水抜き工事が至る所に施され、その一方で生活水が枯渇していく、というのは分かりやすい例ではないでしょうか。

私たちは築百年をこえる古民家を借りて暮らしています。中山間地にはよくある事だと思いますが、裏山にはこの家のお墓があり、また、土地と建物の登記名義人が貸主本人ではなく遺産分割されていない物件です。当初用意された契約書は簡易なもので一年更新となっていました。血縁の無い土地で新規に就農し、身を立てて行こうとする私としては心許なく、サインを保留したまま一年過ごし、2010年、改めて長期の契約を結んで頂くようお願いしました。そして、契約の対象となる建物、土地、その地番の明記をお願いしました。農業を生業とし、ここで一生暮らしていきたいという思い、そして長期の確約がなければ、こちらの負担で行う家の修繕や工房への改築、土地の手入れに本腰を入れることができないという事情をお話しし、改めて50年の賃貸借契約を結んで頂いたのです。家はその都度修繕すれば暮らせるという前提の話でした。

ところが、暮らして8年ほど経った頃から白アリの被害が目に見えて進行し、大工さんに見てもらったところ、もはや修繕でどうにかするレベルではなく、今後10年を待たず倒壊の恐れも出てくると言われたのでした。何故ここへ来てとは思いますが、暮らすことを決めなければ何も始まらなかったので、どう仕様もなかったとも思います。とにかく、敷地内のいずれの建物も50年の間に倒壊するとなれば、取り壊して建てなおすしか、私たちがここで暮らし続けることは叶いません。貸し主に相談しました。昨年末のことです。

まず、貸主において修繕および取り壊し費用を負担することは無理ということでした。私たちは法務局に問い合わせ、弁護士相談に行きました。そして土地建物の賃貸借契約について、改めて民法と借地借家法を調べました。何が決まっていて、何は協議するしかないのか、そこをまず明確にしたいと考えたからです。そして、今後建て替えるにしても先立つものがないので、公庫の融資を当たりました。

民法第六百六条 賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。

民法第六百八条 賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を求めることが出来る。

民法第六百十一条 賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは、賃借人は、滅失した部分の割合に応じて、賃料の減額を請求することが出来る。

前項の場合において、残存する部分のみでは賃借人が賃借をした目的を達することができないときは、賃借人は、契約の解除をすることができる。

法律によって規定されている義務や権利、想定されている状況というのはやはり限定的で、協議の前提としてうまく機能しそうなものは見つかりませんでした。上記の各条文についても、ない袖は振れないと言われてしまうとどうしようもなく、といって、こちらに契約を解除する権利があってもその意志がないので、意味をなしません。倒壊する恐れがある建物の取り壊し及び適切な処理を、所有者の義務として、法律で規定されていない以上、賃貸借契約を履行する義務において、取り壊しを求めることはできません。調べれば調べるほど、お互いが権利を主張することは協議に繋がらないとしか思えず、展望を見出すことが出来ませんでした。蔵や長屋に残され、朽ちるにまかされていた家財道具の処分についても、

民法第二百四十二条「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。ただし、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。

といって処分をなお求めたとしても、いい結果を生むとはやはり思えません。法律とはどのように活用すべきものなのか、まったく不慣れなところですが、ただ、今回の問題が生じたとき、一方的に私たちが出て行くしかないとはならず、話し合いの余地を持てたことはひとつ、法律に拠るところが大きいでしょう。そこを踏まえた上でも、冷静に話を進めるためには、まず私自身が初心にかえり気持ちを整理することが必要だと思いました。以前、「移住について」の項で述べましたが、骨身を削り、 犠牲を払い、何代にも渡ってこの土地を形作ってきた地の人に対して、わたしはその恩恵に預かってはじめて一歩を踏み出すことができたよそ者に過ぎ ないということ。それをわきま えていなければ大きな間違いをしてしまうでしょう。

貸主にとって、私に家と土地を貸すとはどういうことだったのか。いつ居なくなるとも知れぬよそ者に対して覚悟を問う周囲はさておき、貸す当事者としてはむしろ、適当なところで契約が消滅することを期待するものではないかと思います。収益を得るためではなく、受け継ぐ者としての責任と負担を少しでも軽くせんがために貸すのでしょうから、厳密な契約を結び更なる責任問題を抱えることについて、こちらが先方に主体性を期待することはできないでしょう。とはいえ、同意のもと生活基盤をここに定めてきたこちらとしては、今更どこか他所へ移ることは現実的に不可能であり、曖昧なままではにっちもさっちも行かず、やはり、話を詰めなければなりません。貸してあげる貸して頂くという一方的な関係ではなく、契約においては対等であり、一対一の個としてはお互い様であり、感謝しあえる関係性を築くことができなければ協議は進まないと思うのですが、しかし、こちらから対等などというのは無理があり、ただ、相手の善意に頼るしかないというのが実情です。

一方、融資については、農業者向けの資金を当ったところ、その応募資格として認定農業者でなくてはならないという条件があり、役場へ申請に行きました。その要項には目標とすべき作付面積と農業所得が規定されており、更にいうと、農地を借りている場合は利用権の設定が必要となり、その契約を結ぶためには地権者すべての印、つまり、土地の名義変更がされていない場合は相続人すべての印をとってこなければならないということでした。名義変更を法的に義務付けることすらできない混沌とした現状で、個人が地権者すべての印を取るということは無茶な話です。

結果から言いますと、融資を断念することにしました。これまで私たちは、如何に農業経営を成り立たせるか、周りの多くが農業では食べていけないと言う中、慣例を見直すことで展望を見出そうとしてきました。経営を圧迫する高価な農業機械やビニールハウス、資材を使わない、土壌汚染や病害、食品としての安全性など慣行が抱える根本的な問題から脱するための不耕起・無肥料栽培、価格競争から抜け出すため、量産することを目的としない商品づくりなど、より持続可能な方向を模索してきました。認定を受けるために改めるよう求められた作付け面積や農業所得は一見すると常識的に映るかもしれません。しかし、私たちの経営でその規定をクリアーするには、まず夫婦二人では人手が足りず、人を雇えばそのため桁違いに作って売りさばかなければならず、栽培方法も商品も変えなければならなくなるでしょう。これまでの経験と今後の状況を踏まえた上で、人手を確保できなければまわらない経営をするのは危険と考え、作付け面積を必要最小限にして農地を集約し、規模拡大を目指さないという方向を定めてきたのです。それを融資を受けるために覆し、どこの誰が決めたともわからない数字を達成するよう逐一指示されるとなれば、更なる借金を抱えることになり、これまで積み上げてきた農業経営は骨抜きにされ、私たちの人生は一体なんだったのかわからなくなるという悲惨な結末しか見えません。そもそも経営について指導を乞うたつもりはないのです。融資という言葉でわからなくなっていましたが、つまりは債務を抱えることであり、無理な負債は身の自由を奪うということだったのです。枠にはまらず、己の道を貫くとはどういうことなのか、お恥ずかしい話ですが意外なところで気付かされました。そして、ここが踏ん張りどころ、頑張ろうという気持ちが湧いてきました。こういった思いもよらない展開や身を以て知ることが面白いと感じる自分がいることは驚きでした。なお補足ながら、住宅ローンの方向から調べてみても、借地上に建てる場合、土地の名義変更がされていない場合は融資を受けることはいずれにしても難しいということでした。

2月28日、貸主と改めて話し合いました。契約の解除を打診されましたが断り、一対一で約二時間、静かにひとつひとつ双方の事情を踏まえ、こちらからは用意してきた答えを出し、改めてお願いし、それでもなお受け入れられなかったことも含めて概ね合意に至りました。土地の名義変更ができない理由も改めてお話し頂き、こちらも納得しました。その上で後々問題が起こらないよう、契約書を作りなおすことになりました。

土地の賃貸借契約を改めて結び、建物の取り壊しについては賃借人の負担において執り行うこと。新たな賃借料については、取り壊し費用をその累積差額により結果的に賄えるよう設定すること。残存する家財道具の処分を検討すること。貸主において司法書士に契約書の作成を依頼、その費用を負担し、三者で内容を協議することでまとまりました。

3月6日、嫁を連れ、司法書士事務所で契約内容をつめました。話を進めるうち、先方が今回のこともこれからについても誤摩化さずに向き合い、こちらの事情をしっかり受け止めてくださったことが分かり、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。結果的には、要望の殆どを呑んで下さいました。これまで幾度となくお願いするも聞き入れて頂けなかったこと、曖昧なままで腰を据えかねていたことが、ようやく解決しそうです。手入れを続けてきた裏山、そして農地の陽当たりを左右する山林もまた新たに契約に加えて頂けました。お墓についても、こちらの都合で草刈りだけはさせて頂いていたのですが、今後どうするか聞かせて頂くことができました。よそ様のお墓ですが、日々の暮らしに内在するが故にどう向き合うべきか、私たちもまた模索せざるをえなかったのです。貸主の誠意を受け、こちららも改めて、そのご家族に対し誠意を持って向き合いたいと思うようになりました。何十年後になるか、この土地をお返しするとき、後腐れなく、片を付けてお返しできるようにしたいと決意を新たにしました。

契約書に盛り込む内容を詰めるとき、事前に弁護士相談をし、民法と借地借家法を調べておいたからこそ、指摘できたこともありました。作成する際には尚のこと、法律を充分に確認しておく必要を感じました。どうなるかわからない先のことを心配し過ぎと笑われる場面もありましたが、それでもやはり、叶えたいことがあるなら、押さえるべきことは押さえ、臆せず突き詰めるべきだと思います。感謝の気持ちを忘れず、今一度、気を引き締め直さなければと思っています。

(その3につづく)

 

 

 

 

 

 

 

家のこと〜その1〜

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植林と竹薮で鬱蒼としていた裏山が大分明るくなってきました。小さい頃に住んでいた街は欅並木がきれいでドングリや落ち葉が敷き詰まる森のような公園がありました。それが原風景にあるので、裏山に欅が見つかったときは特に嬉しくなりました。楠もまた思い入れのある木なんです。

家の周りの環境を整えることは家を維持するためにも欠かすことのできない仕事です。しかし、これまで山に呑まれ雨漏りしていたこの家は、屋根を張り替えても痛みはすでに隅々まで進行していたようです。今回、障子戸の敷居が、指で押せば穴があくほどになり、簡単に剥げるので剥いでいくと、芯までスカスカ。完全にダメでした。日を改め、大工さんに床下を見てもらったところ、土台が白アリに大方やられており、差し替えて修復できるレベルではないことがわかりました。もちろん、消毒が効くことも期待できません。

傷んだところを補修しつつ住んでいけたらと考えて、これまで自分たちなりの精一杯のお金をかけ、友達の大工さんの厚意に甘えてきましたが、もはや、いずれ建て替えることに腹を決めざるをえなくなったのです。家主さんともいずれ話し合いをしなければなりません。

せめてあと10年、15年、もってくれたらいいのですが。

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(その2につづく)