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「まきので“食べるを考える”」に出店して

秋の穏やかな陽気の中、とてもリラックスしたイベントとなりました。

はじめてのお客様だけでなく、私たちの知らないところでこれまで懇意にして下さっていたお客様にもお会いすることができました。また、10年ぶりの懐かしい顔や、久しぶりの出店者仲間、そして、今回の出店を事前に知って下さっていて、わざわざ顔を見に来てくださった方々の嬉しいサプライズもあり、しみじみ出店してよかったと思いました。

牧野植物園のある五台山からは高知の街並みが一望できます。

大学に入るのを機に高知で暮らすようになってもうじき20年になり、其処ここに懐かしい顔が浮かび、暗中模索でひとり彷徨っていた街角が目に入ってきます。本当に自分のことを気に掛け、その言葉の通りに心配してくれていた人とそうではなかった人が、今となってはわかります。そして、それは私自身にも言えることでした。有り難いことにパートナーに恵まれ、自分たちの仕事に共感してくださる人がいることを実感できるようになり、目に映る街の景色は新しく塗り替わったように感じています。これまで気にはなっていても、自分のことに精一杯でかける言葉も見つからなかった相手とも、はじめて楽しい会話ができました。思えばお互い様だったのかもしれません。これからが楽しみです。

少しでもこうした機会に出て来れたらと思っています。

 

畑のようす~7月下旬~9月上旬

圧倒されるほどの獣害から始まった今シーズン。作付け予定地を大幅に変更することになり日程的にも体力的にもギリギリな中、向こう4年間受けることになった部落会計の仕事や伐り倒した支障木の後始末などがあり、ピクルスの仕込みと畑仕事のリズムを作るのがなかなか大変でした。地域と向き合うことのむずかしさを実感することはしばしばです。しかし、いずれにしても乗り越えなければならなかったことであり、今後を見直し前進させる節目の年となりました。

結果的に、ものによっては例年よりも仕込数を減らす、もしくは仕込めないものもありますが、なにとぞご了承ください。

キュウリや生姜は例年通りです。冬作はペースを持ち直すよう、人参や大根、蕪などの種蒔きを順次進めています。

軽トラ効果で敷き草をたっぷり、調子よさそうです。

 

旧別子銅山から西赤石山へ

畑では、コリンキーやキュウリの植え付けとありつくまでの水やり、果菜類の植え付けと鉢上げ、ピクルス仕事では、蕗やにんにくの芽の仕込みに一区切りがつき、直に始まるズッキーニの収穫を前に、念願の山登りをしてきました。

山で食べるご飯は最高においしい。今回はお稲荷さんを持って行くんだと朝から張り切って作ってくれました。おやつには黒棒とコーヒーを。

昨年は史跡をまわるだけで終わってしまった旧別子銅山。その営みがあった谷から見上げると圧倒的な存在感をもってそびえるのが赤石山系です。銅山越えという道が辛苦の末に通され、今では木漏れ陽の中を数十分も歩けば新居浜の街が望めます。かつて、山の木々は切り尽くされ、有毒ガスを含んだ煙に覆われ、落石や地滑り、滑落の絶えない危険な道だったはずですが、それを想像することが難しいほど、穏やかな新緑に覆われていました。

往復6時間、ふらふらになりながらも、身体に油を注すいい運動になりました。

嫁とはペースが違うので、私が先に行って立ち止まるをくり返します。それが私にとってはいい休みになり、追いつけばさて行こうとなるわけですが、それでは嫁が休めません。かといって、同じペースで歩こうとすると一歩一歩ブレーキを掛けることになるので、私の余裕がなくなる。なので、時々、意識的に長めの休みを取り、食べ物や飲み物を補給するようにしています。二人とも初心者ですから余裕は大事です。

日暮れ間近の帰りでは、調子が出てついスタスタ行ってしまい、立ち止まってもなかなか姿が見ないほど距離が開いてしまいました。ひとりで大分心細かったらしく、「泣くぞ」と言われてしまいました。まあ、そんなこんなで楽しい山登りでした。

 

 

 

春のお祭り

荒神様と氏神様のお祭りがあり、わが家もいよいよ春を迎えました。

フキノトウを食べ、種蒔きも始まりました。

 

 

畑作り〜支障木の伐採〜

3年前に始めた藪の伐採一番の難所が終わりました。この最後の一本を伐る為に、これまで時間を掛けて組上げてきた仕事の全てがあったと言っても過言ではありません。

 

牛舎脇に立っていた直径60センチ弱の杉。倒す方向が電柱を支えるワイヤーによってさらに限定されていました。なによりも牛舎や電柱、電線に倒れないようにするため、その対角側にあるワイヤーが張られた方に倒すことができたなら、あえて危険を冒す必要もなかったのですが、手前に設けられたウォータースライダーのような水路といい、事故を誘発する要素が重なっています。さらに、今回は倒す方向にロープを引っ張るための立ち木はありません。薮に呑まれ朽ちていたのです。さすがにこれは無理かもしれない、、、しかし、諦めてしまうと状況は悪いままです。その覆い被さる木によって、この先もずっと空気は淀み、露に打たれて作物はじわじわ傷み、どう仕様もない気持ちに重く暗く沈む自分を思うと、やるしかありません。大げさに聞こえるかもしれませんが、そもそも耕作放棄されていた土地です、まわりも手入れをされずひどい状態でした。薮蚊も多く居心地の悪いところで元気な作物が穫れるわけもなく、そこに通うのは苦痛でしかありません。私が借りているのは手前の畑で、奥の薮を手入れすべき責任はないのですが、地権者に掛け合って伐らせてもらうことにしたのです。しかし、最後の一本はクセが強く大径木であることに加えて、電線や民家(牛舎)の際に生えているという更に困難な状況にあったため、確実に安全に倒せる保障はありませんでした。

周りの竹を取り除き視界が広がって行くと、一筋、いけるのではないかと思える方向が見えてきました。さらに数日かけて考え、眠れない夜はじっくり布団の中でイメージを深めました。体力の回復を待ち、気持ちを固めました。

まず、電線と牛舎側に張っていた枝を届く範囲で落とし、斜めに張られたワイヤーをガードするよう、そばに生えていた木を高い位置で伐り倒しておきました。基礎に立ち上げられたブロック壁(牛舎壁の一段下、一枚目の写真で私が歩いている所)にもあたらないようにと考えると倒せる方向は本当に一筋しかありません。しかし、倒れるときは、これまでの伐採で3メートルに積み上がり斜面に張り出した竹の足場を支点として樹幹は持ち上がりつつ前方へスライドし、ブロック壁もワイヤーも越すはずなので、いけると思ったのです。隣に生えていた細い木で実証もできました。念のため、ブロック壁上面には笹の束や竹の枝葉を厚く敷きました。

チェーンソーのバーは幅40センチ。木の直径よりも短いので、切り進めるには反対の斜面下側に回り込む必要があり、切り口が胸高より上になってしまいます。危険な作業になり水平に切り進める事も難しくなります。そこで本来ならば足場を組むために段取り、まわりの竹もそれを踏まえて伐り進めていくのですが、ひとの土地ということがあって思うようにいかず、無造作に切られた株に足を掛けての不安定な作業になりました。何度も確認しながら受け口を定めました。芯切りの際に腐れが入っている事が分かりました。その範囲が定かではないので幅を控え、「つる」を厚めに残すようにしました。条件は万全ではなかったものの、一つひとつ確認しながら作業を丁寧に進めました。しかし、楔(くさび)を打ち始めたところで思いもよらぬことが起こりました。薮を避けるよう山側に反っていた木が、倒す方向に少し傾いたことで牛舎に向かって反る形になり、そこで吹いた少しの風で恐ろしいほどしなり、あろうことか、最も避けるべき方向に傾こうとしたのです。

さーっと血の気が引き、一巻の終わりかと泣きそうになりながら、必死に何度も何度も反対側の楔を打つのですが、思うように重心が移りません。急がなければ、、、蝶番(ちょうつがい)であるつるがもげれば終わりです。しかし、もげないよう、つるを厚く残していたことがかえって、楔を入れにくくしていました。次の一手をどうするか、「やるべきこと」と「やってはならないこと」、そして手順の一つでも掛け違えてはらない、やり直しはありません。民家に隣接しない山の中なら躊躇せずにやってしまえることが、ここではどうしてもためらわれます。次にやるべきことがそれなのか、確信がなければできません。

つるが厚過ぎることもまた危険であると手引書には書いてありましたが、では具体的にその機能においてどういう結果を招くから危険なのか、経験がないので分かりません。しかし、これまで同じくらいの厚さで直径50センチを超す木は無事に倒れてきました。楔が少しずつでも入るならば先ずしっかり入れるべきだとは思うものの、無理が過ぎればつるはもげるかもしれないという不安も拭えません。とにかく、少しでも入りやすいように、ロープで引っ張ることにしました。支柱とする立木は竹しかありませんが仕方がありません。伐り始めた木の下を行ったり来たりすることが絶対に危険なのはわかりますが、牛舎ばかりか、まさか家屋に倒れるなんて許されるわけもなく、嫁や家族には申し訳ないけれど、その時の私には、たとえ木の下敷きになっても仕方がない、自分が死んで詫びるしかないという思いがよぎっており、とにかく克服するために必死でした。無事に済んだとお疲れの乾杯をしたい、その一念に集中しました。

予め水に浸しておいたにもかかわらず、ヨキ(楔を打つ手斧)の柄が半ば折れて抜けてしまいました。代わりを取りに家に駆け戻り、ロープを張るために斜面を登って降りて、、、その間も風が吹き付けます。抜きようのない力みから、急速に体力を奪われ、息があがり、喉が乾き、ハンガーノックの予兆も見えてきました。水を呑み、嫁が用意してくれていたおにぎりにかぶりつき、チョコレートをむさぼり食いました。最悪の事態を考え、牛舎に声を掛けに行きました。

つるを調整しなおす場合は、追い口をさらに切り込むよりも、まず受け口を切り直すほうが先だと念頭にありました。今回は楔だけで倒す事が前提だったので、追い口が充分に深くなければならないと考え、対する受け口を浅めにしていたのです。これはあくまで私の解釈ですが、つるの位置が木の中心線よりも前にありすぎることは、例えば、取り付ける二つの蝶番を両側に離すべきところを寄せすぎて、結果ぐらつきやすくなるように、横方向からの力に対して極端に弱くなるはずなのです。つまり、楔が効かないからといって受け口をそのままに追い口を切り込むことは、つるを薄くするだけでなく更に前へ動かしてしまうことになり、横方向から吹く風(風下が牛舎)に対して絶対的に弱くする、この状況でもっとも「やってはならないこと」の一つなのです。

今回の経験で確信を深めたことは、やはり「受け口」が倒す方向を決める「起点」であるということです。一本一本条件の異なる木を倒したい方向に倒す行為においては、不確定な要素やわからないことが依然としてあります。しかし、ひとつひとつの手段においては、起点を拠りどころとして定めなければ、後で微調整をくわえることも、論理的に組み立てることもできなくなります。すべて漠然としていては、この失敗の許されない状況において次の一手を打つことができないと思い知らされたのです。ですから、切り直すときは向きが変わらないよう細心の注意を払いました。反対の斜面下側は足場が定まらないので繊細な作業は出来ません。直線を出すのがとても難しい作業になりますが、片側からバーの先端部でほんの少しずつ、目で確認できる幅だけを均等に切り進めるようにしました。少しでも傾いたタイミングを見過ごすとバーが挟まって抜けなくなります。その時点でさえ倒れていなかったら、確実性をもって駒を詰めることは、もはや不可能になります。切り残しはヨキで慎重にはつりました。しかし、木は反応しません。既に、楔を追い口に埋まるほど打ち込んでいます。時折吹く風がいやがおうもなく緊張を強います。時間がありません。日も暮れ始めています。

残るは追い口に手を加えるしかありません。深く設定していたおかげで、なお手のこが入る隙間がありました。手引書にかかれていた偏重木の伐り方、追い口を受け口に平行ではなく少し角度をつけて入れる、という方法は頭にあったものの、今回の状況に確信を持って当てはめることができずにいました。しかし、もはやその一手を入れるしかありません。谷側、真ん中、山側と3つある楔を打ち込むときにうける抵抗の違いからも木の重心が山側(牛舎側)にあることは明らかで、意図せず打ち進めれば、先に谷側のつるから裂け始めて山側に傾くところ、より強く打ち込んでいた山側にだけ入っていました。思うように楔が効き始めている証拠です。風に耐え、最後までもってほしい谷側のつるはそのままに、山側にだけ少し切り込みを入れて楔からの圧力に耐えている力を開放する、今こそ、その目的が、手引書に書かれていた方法と一致する、そう確信しました。

結果は一枚目の写真で分かるように、無事に障害物を飛び越え、牛舎にも電柱や電線にも触れることなく倒すことができたのですが本当に恐ろしい思いをしました。最後の一手を入れ、即座に木が反応して音を立てたとき、「これで牛舎には倒れない」、選択が間違いではなかったことが分かり、かく汗に温度が戻ったように感じました。

 

私は林業の仕事をしてきたわけではなく、今回の伐採は明らかに身の丈を越えていました。独学でしかも一人でやるべきことではなかったと、今思い返しても冷や汗が出ます。失敗した時のことも具体的に詰めず浅はかでした。どういうつもりだと問いつめられても答えようがありません。

しかし、このような支障木はやっかいだからこそ、これまで放置されてきたはずです。本来ならば電線を張るときや水路をコールゲートにするときに伐り倒しておくべきだったのでしょうが、ではその時、だれが経費を払いリスクを負うのか。問題となった一本を伐り倒すためには、事前に竹藪を一掃し、作業ができるように後始末をつけておく必要があります。安全を確保するためには重機を使う大掛かりな仕事になるかもしれません。いずれにせよ個人で負担できる額ではないはずです。それに、作業で畑を踏み荒らされることは避けられなかったと思います。急斜面に竹を積み上げた足場も年を追う毎に弱く不安定になり、倒れた木を受け止める事ができなければ予想外の危険を生んでしまいます。なので、いずれにしても、自分で伐るしかなかったし、このタイミングしかなかったとは今でも思っています。見守るしかない嫁は心配のあまり体調を崩してしまいました。借金を背負う覚悟をしたと言います。

山間部にはこうして、誰も手をつけず放置された跡や、ゴミ、理に適っているのか疑いたくなる工事の穴が至る所にあり、何とも言えない気持ちになります。誰も正解を持ち合わせてはいないのではないでしょうか。

畑作りにおいて、陽当たりと風通しを確保できなければ、いくら土作りをしても、そこで身を立てることはできません。黙ってやらせてくれた地域の方々に感謝します。

 

(写真上の昨年5月の状態、下から伐り進んできたところ)

畑作り〜竹薮の伐採〜

 

 

温海かぶの仕込と山仕事

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年明けより、温海かぶの収穫と仕込みを進めています。

仕込みばかりだと体が冷えきって腰痛が出たり、運動不足で寝れなくなったりするので、合間に裏山の手入れをしています。当初、植林や竹薮は家やお墓に覆い被さるように迫っていて、誤って倒せば直撃する難しい状況でしたが、6年かかって、そういった危険個所は何事もなく無事に、ではありませんでしたが、済みました。

今年は埋れていたお稲荷さんを明るくするためにそこを起点にするという大事なポイントがありました。倒す方向には、地滑り調査のポールやボーリングの穴、そして、残しておきたい楓や樫、椿、椎などの雑木があり、それらを避けるようにしなければならないので、難しいことに変わりありません。手引書を読みながらの独学、要所は一本一本ロープをかけ、滑車に通してウインチで引っ張り、楔を打って倒します。

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まず、侵食していた竹を伐って作業性に問題のないところに積むところから始めました。竹は嵩張り滑りやすく、枝で目を突きやすいので、考えなしに扱うと事故の原因になります。できるだけ長いままをロープで引っ張って運び、立ち木(竹)に挟まるように固定し、その上で作業ができるくらいがっちりと隙間なく積んでいきます。

ボーリングの周りには鉄のフレームが溶接されていて、際に生えている木(上写真の手前2本)を倒す時、楔を打つ斧が振れないので竹や細い木を積んで足場を作り、高い位置で伐り倒しました。最終的に一本、どうしても上に掛かる方向にしか倒せない木(下写真の中央)の場合は、その前にフレームに沿って数本倒して枕にし、その上に倒れるようにしました。

慣れてきた時が危ないと思いますが、基本となる受け口と追い口、そして木の重心を見極める精度を上げていくためには、ロープとウインチに頼りすぎると分からないままなので、今回、いけると思う木はできるだけ楔だけで倒すようにしました。

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一年、枝葉をつけたまま乾かし、順次、玉切りして割ります。それらの作業性と量を考えると、今期は終了です。

これまでやってきて危なかった事を考え合わせると、事故を起こす危険度が高いのは木が倒れるときよりもむしろ、その後の作業においての方だと感じています。急傾斜地で玉切りにする際に丸太が転がり落ちたり滑り落ちたりする危険。向きを考えず乱雑に倒してしまうとかさ高くなり、不安定な高所作業をせざるを得なくなったり、予想外の力が瞬間に跳ね上がったり。どこでどのような力が働きその状態になっているか把握できていないと、思わぬ事故に遭いかねません。谷に橋を架けるようには倒さないようにし、向きを出来るだけ揃え、下手な力がかかってるところはその都度、片を付けて安定を確保します。試行錯誤しながらなので、ひとりマイペースで進めています。

 

 

ある晴れの日

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妹が久しぶりに麦山へ遊びに来てくれました。

いく農園のイラストは彼女が描いたもので、嫁がデザインに落とし込んでいます。6歳年が離れているので、私が実家を出たときにはまだ小学校を卒業したばかりでしたが、いつの間にか社会人となり、もう三十路。遠く離れた土地で彼女の人生を歩んでいます。

人はそれぞれに背負うものがあり、課せられた制約の中で生きていると言えるのではないでしょうか。制約という言葉を改めて辞書で調べてみると、「物事の実現・成立に欠くことの出来ない条件」という思ってもみなかった語義がはじめにありました。先ず思い浮かぶであろう「妨げ」や「足かせ」のような意味の、「ある条件をつけて自由な・活動(成立)を妨げること」はその後。なるほど、考えてみれば自分にとっては辛いことでしかなかった症状・体質も、困った性格も、今の暮らしと仕事に至る原動力となってきました。それがなければ、健康を切望することもなかったでしょうし、性質を直すのではなく活かせる、自分なりの仕事を探し求める必要もなかったでしょう。そして、続けるためには、揺らぎようのない明確な理由が必要だということも日々感じています。人にとって、重く足かせのようにしか感じられないことが、実は自己実現のために欠くことのできない条件だということを先人は教えてくれているのかもしれません。

妹と次に会えるのはいつになるかわかりませんが、また楽しい食事をともに出来たらそれでいいと思います。

 

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「いろんなことがあるけれど、私は元気です。」

 

 

 

家のこと

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植林と竹薮で鬱蒼としていた裏山が大分明るくなってきました。小さい頃に住んでいた街は欅並木がきれいでドングリや落ち葉が敷き詰まる森のような公園がありました。それが原風景にあるので、裏山に欅が見つかったときは特に嬉しくなりました。楠もまた思い入れのある木なんです。

家の周りの環境を整えることは家を維持するためにも欠かすことのできない仕事です。しかし、これまで山に呑まれ雨漏りしていたこの家は、屋根を張り替えても痛みはすでに隅々まで進行していたようです。今回、障子戸の敷居が、指で押せば穴があくほどになり、簡単に剥げるので剥いでいくと、芯までスカスカ。完全にダメでした。日を改め、大工さんに床下を見てもらったところ、基礎が白アリに大方やられており、差し替えて修復できるレベルではないことがわかりました。もちろん、消毒が効くことも期待できません。

傷んだところを補修しつつ住んでいけたらと考えて、これまで自分たちなりの精一杯のお金をかけ、友達の大工さんの厚意に甘えてきましたが、もはや、いずれ建て替えることに腹を決めざるをえなくなったのです。家主さんともいずれ話し合いをしなければなりません。

せめてあと10年、15年、もってくれたらいいのですが。

 

 

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新聞掲載のお知らせ

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10月5日発行の農業共済新聞に寄稿させていただきました。

「就農後、現在の農業形態に対する考えや展望」「今後の目標」「農業の魅力」「日本の農業について思うこと」「非農家出身が農へ参入する事への課題」など、題材を頂いたことで、はじめて書けることもありました。

タイトルは担当の記者さんが、原稿を踏まえて付けてくださいました。

 

 

 

移住について(書き直しました)

(8月上旬に投稿した内容を書き換え、改めて移住について加筆、修正しました。)

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骨を埋める覚悟

農家に定年はなく、だからこそ、老後どのように働き、暮らしを立てていくかは常に念頭にある課題です。農家の研修生としてこの土地に移り住んできたとき、地の人から「骨を埋める覚 悟」を問われました。それは農業をする上でも、田舎で生きていく上でも、前提として不可欠な覚悟だからでしょう。ここで最期まで自力で生きていく覚悟。集落の一人として当事者になる自覚。15年経った今でもその重みを自分に問い直しています。

働 いても生活保護水準以下の暮らししか出来ないワーキングプアや老後破産が社会問題となりました。そういった社会背景と昨今の移住ブームやUターンは無関係 ではないと思います。補助事業が整えられ、今や、田舎に来れば取り敢えずの職と家にあり就くことが出来るかもしれません。しかし、そこに老後の展望や骨を埋める 覚悟はあるでしょうか。土地に根ざすという田舎の本質をもうやむやにしてハードルが下げられ、覚悟を問うこと自体がナンセンスとする空気さえ感じます。

移住事業で食べている人は諸手を上げて移住を歓迎し、「来る者拒まず、去る者追わず」と田舎の寛容さを唱うでしょう。しかし、実情は違うのではないでしょうか。「骨を埋める覚悟」がないなら来ないで欲しいという地元の声を聞きますし、そもそも寛容には必ず条件がつくはずです。寄り合いの席で「移住者が数を増やし意見することになればおもしろくない」と聞かされたときは昨今の移民問題を思い出してゾッとしました。しかし、同時にそういうものかもしれないとも思ったのです。上記の「田舎暮らしに殺されない法」には共感する事も多く、 是非、移住事業に関わる方や田舎暮らしに興味のある方には読んで頂きたいと思いました。

ほとんどの移住者にとって「骨を埋める覚悟」は、自身に問うたこともなく思ってもみなかったことだと思います。私も当初は戸惑い、農家で修行していた6年間、答えは出ませんでした。それでも先ず根を降ろさ なければ始まらないと独立し、土地を借り、鍬を入れ土を作り、仕事のベースを作り、そして今後もここで暮らしていけるよう、集落に住む一人として責任と義務を負い、断るべきを断り、至らないことや失敗も含めて信頼関係を築いていく、そういったひとつひとつをフルパワーでしてきたところ、もはや、この先、他所に移ってまた一から同じ事をやり直す余分な体力も無駄にしていい年月もなく、自らそうする理由がなくなりました。ひとつひとつ組み立てていかなければ、 体力が衰える一方で必要なお金が増える将来、自力で生きていくことは叶わないからです。

「土地に根ざしてはじめて、地に足がつき、仕事にも暮らしにも本腰を入れることができる。」時を経て、心からそう思うようになりました。仕事も暮らしも地域の今後と同一線上にある場合、そこで暮らしを立てていけるかどうか、問題があっても単純にお金では解決できないからこそ、ひとりひとり地域と真剣に向き合わざるを得なくなるのではないでしょうか。そして何より、そこに居続けるということは、自分がやってきたこと、口にしてきたことの結果を自分もかぶり、責任から逃れられないことを意味します。つまり核心は、そこに暮らすことが仮染めで覚悟あってのことでないなら、人はその土地に対して愛着は持てても、当事者意識や責任感は持ち得ないということです。都合が悪くなれば他所に移り、自分が傷つかないよう、あるいは、自分に傷がつかないよう誤摩化し てしまうでしょう。だから私ははじめに覚悟を問われたのではないでしょうか。

美しいとされる田舎の景色を形作り維持しているのは何処かの誰かではなく、そこに暮らす人々であり、土地に根ざすという確固たる価値観です。骨身を削り、犠牲を払い、何代にも渡ってこの土地を形作ってきた「地の人」に対して、わたしはその恩恵に預かってはじめて一歩を踏み出すことができた「よそ者」に過ぎないということ。山を削り石を積み上げ田畑と屋地を構える、その石一つも積んでいない、水を引いてきたわけでもない。崩れていたものを積み直し、詰まった水道を復旧したといっても、あくまでそれは土台あってのことです。それをわきま えていなければ大きな勘違いをしてしまうでしょう。

 

「移住者」

映画「祖谷物語ーおくのひとー」も衝撃的な作品でした。

観る人によって受け取り方は様々かもしれませんが、とても厳しい視線でリアルに描かれていると感じました。いずれいなくなる人間が「地域を救おう」と叫ぶことの空虚さ。自分の頭で考えずお上に従った結果、大切なものを失う象徴的な場面。

そもそも、一体だれが額面通り移住者を求め、地域おこしを真に受けるというのでしょう。旗を振る人間も、ただ追従しているだけで、言葉とは裏腹にその実、心ここにあらずとしか見えません。

いつの頃からか、「よそ者」は「移住者」という言葉に書き換えらました。かつては少なくとも一人一人を認知した上で指していたものが、そうではなくなったように感じています。少し前のことになりますが、役場で呼ばれる際、別の移住者の名前で呼ばれたことがあります。うっかりであったとしても、その職員にとっては私もその名前の人も同じ移住者でしかないという現れではないかと思うのです。それに限らず、地域の集まりで普段あまり関わりのない人に「あそこに畑を借りてるね」「あそこに野菜を出してたね」と声をかけられたことがありますが、身に覚えのないことでした。このように私のことと別の移住者のことがごちゃ混ぜになり、いったい誰のことを言ってるのかわからなくなることもしばしばです。あまり大げさにとらえるべきではないと思いますが、「移住者」とカテゴライズされることで、全く別の人と混同され、身に覚えのないことを私がしたことになる。そんなことはこの土地に移り住んできた人が数えるくらいだった頃にはなかったことです。なぜ数字を競うように移住者を呼び込もうとするのか。それは移住者という無意味な定義付けを一層厄介なものにし要らぬ諍いを生むことにならないかと危惧してしまいます。

移住者の一人である私でも、その言動に違和感を覚えたり、話が通じないと感じたり、その膨らむ数にとまどっています。価値観やとらえ方は人それぞれという以前に、街とは違い、集落は血縁によって形作られたごくプライベートな空間です。何の為にこの土地に来たのか。取り敢えずではなく真剣に自分の人生を掛けて来たのか。真面目に地域と向き合う気があるのか。内実を知れば、単純には否定も肯定もできないはずです。

今一度、「骨を埋める覚悟」を問うて欲しいと思いますし、移住者一人一人そのことを真摯に受け止めてほしい。ただ安い物件として都合がいいから来る、おためしで住む、田舎の住環境だけを求め仕事はノマドに他所でする。「土地に根ざさないこと」を土地に縛られない「自由」とし、客人としてもてなされることに安住して責任を負わず放浪することを旅とする。その土地土地の文化、地域社会に通底する価値観さえもが軽く見られ混沌とし始めていることに少なからぬ危機感を感じています。田舎 においては、そこに骨を埋める覚悟がないのなら、受けられない恩恵や厚意があると思うのです。