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家のこと

古民家は暮らしを見直す上で多くのことを教えてくれます。日々、薪火を使い煙を立てることの必要性、澱みがなく家の隅々まで風が通り抜ける清々しさ、畑仕事や山仕事を存分にするために不可欠な土間、そして畳のありがたさ。しかし、築年数からして、ようよう建っているものが殆どで、手を入れれば更に何十年も住めるというような物件は稀ではないでしょうか。とりあえずはよくても、将来のことを考えればかえって重荷になることもしばしばだと思います。土地の湿気は否応もなく影響し、年間降水量3000ミリを超える高知の更に植林に覆われた山間部においては望むべくもないことだったのかもしれません。

暮らしに不可欠な水をどう引いてくるか、山間部では谷に沿って、もしくは水が湧き出す処に家が建っています。つまり家を朽ちさせる湿気の上にしか山の暮らしは成り立たず、更に元を辿れば、地滑りによって生まれた平らな土地から棚田は発達し、集落が形成されたという見解もあるように、豊富な水脈と脆弱な地盤という、人を生かしもすれば殺しもする大いなる矛盾の中に山の暮らしはあります。地滑り対策のために水抜き工事が至る所に施され、その一方で生活水が枯渇していく、というのは分かりやすい例ではないでしょうか。

私たちは築百年をこえる古民家を借りて暮らしています。中山間地にはよくある事だと思いますが、裏山にはこの家のお墓があり、また、土地と建物の登記名義人が貸主本人ではなく遺産分割されていない物件です。当初用意された契約書は簡易なもので一年更新となっていました。血縁の無い土地で新規に就農し、身を立てて行こうとする私としては心許なく、サインを保留したまま一年過ごし、2010年、改めて長期の契約を結んで頂くようお願いしました。そして、契約の対象となる建物、土地、その地番の明記をお願いしました。農業を生業とし、ここで一生暮らしていきたいという思い、そして長期の確約がなければ、こちらの負担で行う家の修繕や工房への改築、土地の手入れに本腰を入れることができないという事情をお話しし、改めて50年の賃貸借契約を結んで頂いたのです。家はその都度修繕すれば暮らせるという前提の話でした。

ところが、一年ほど前から白アリの被害が目に見えて進行し、大工さんに見てもらったところ、もはや修繕でどうにかなるレベルではなく、今後10年を待たず倒壊の恐れも出てくると言われたのでした。何故ここへ来てとは思いますが、暮らすことを決めなければ何も始まらなかったので、どう仕様もなかったとも思います。とにかく、敷地内のいずれの建物も50年の間に倒壊するとなれば、取り壊して建てなおすしか、私たちがここで暮らし続けることは叶いません。貸し主に相談しました。昨年末のことです。

まず、貸主において取り壊し費用を負担することは無理という答えでした。その上でどうするか行政や司法書士に相談してみるということでした。私たちは法務局に問い合わせ、弁護士相談に行きました。そして土地建物の賃貸借契約について、改めて民法と借地借家法を調べました。何が決まっていて、何は協議するしかないのか、そこをまず明確にしたいと考えたからです。そして、今後建て替えるにしても先立つものがないので、公庫の融資を当たりました。

民法第六百六条 賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。

民法第六百八条 賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を求めることが出来る。

民法第六百十一条 賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは、賃借人は、滅失した部分の割合に応じて、賃料の減額を請求することが出来る。

前項の場合において、残存する部分のみでは賃借人が賃借をした目的を達することができないときは、賃借人は、契約の解除をすることができる。

法律によって規定されている義務や権利、想定されている状況というのはやはり限定的で、協議の前提としてうまく機能しそうなものは見つかりませんでした。上記の各条文についても、私たちの場合は修繕を含めこちら負担で維持管理する契約であり、また、契約を解除する権利があってもその意志がないので、意味をなしません。倒壊する恐れがある建物の取り壊し及び適切な処理を、所有者の義務として、法律で規定されていない以上、賃貸借契約を履行する義務において、取り壊しを求めることはできません。調べれば調べるほど、お互いが権利を主張することは協議に繋がらないとしか思えず、展望を見出すことが出来ませんでした。蔵や長屋に残され、朽ちるにまかされていた家財道具の処分についても、

民法第二百四十二条「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。ただし、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。

といって処分をなお求めたとしても、いい結果を生むとはやはり思えません。法律とはどのように活用すべきものなのか、まったくもって不慣れなところですが、ただ、今回の問題が生じたとき、一方的に私たちが出て行くしかないとはならず、話し合いの余地を持てたことはひとつ、法律に拠るところが大きいでしょう。そこを踏まえた上でも、冷静に話を進めるためには、まず私自身が初心にかえり気持ちを整理することが必要だと思いました。以前、「移住について」の項で述べましたが、骨身を削り、 犠牲を払い、何代にも渡ってこの土地を形作ってきた地の人に対して、わたしはその恩恵に預かってはじめて一歩を踏み出すことができたよそ者に過ぎ ないということ。山を削り石を積み上げ田畑と屋地を構える、その石一つも積んでいない、水を引いてきたわけでもない。崩れていたものを積み直し、薮に呑まれ朽ちかけていたところを伐り開き、手入れを続けることが如何に大変といっても、あくまでそれは土台あってのことです。それをわきま えていなければ大きな間違いをしてしまうでしょう。

貸主にとって、私に家と土地を貸すとはどういうことだったのか。いつ居なくなるとも知れぬよそ者に対して覚悟を問う周囲はさておき、貸す当事者としてはむしろ、適当なところで契約が消滅することを期待するものではないかと思います。収益を得るためではなく、受け継ぐ者としての責任と負担を少しでも軽くせんがために貸すのでしょうから、厳密な契約を結び更なる責任問題を抱えることについて、こちらが先方に主体性を期待することはできないでしょう。とはいえ、同意のもと生活基盤をここに定めてきたこちらとしては、今更どこか他所へ移ることは現実的に不可能であり、曖昧なままではにっちもさっちも行かず、やはり、話を詰めなければなりません。貸してあげる貸して頂くという一方的な関係ではなく、契約においては対等であり、一対一の個としてはお互い様であり、感謝しあえる関係性を築くことができなければ協議は進まないと思うのですが、しかし、こちらから対等などというのは間違っており、ただ、相手の善意に頼るしかないというのが実情です。

一方、融資については、農業者向けの資金を当ったところ、その応募資格として認定農業者でなくてはならないという条件があり、役場へ申請に行きました。その要項には目標とすべき作付面積と農業所得が規定されており、更にいうと、農地を借りている場合は利用権の設定が必要となり、その契約を結ぶためには地権者すべての印、つまり、土地の名義変更がされていない場合は相続人すべての印をとってこなければならないということでした。名義変更を法的に義務付けることすらできない混沌とした現状で、個人が地権者すべての印を取るということは無茶な話です。

結果から言いますと、融資を断念することにしました。これまで私たちは、如何に農業経営を成り立たせるか、周りの多くが農業では食べていけないと言う中、慣例を見直すことで展望を見出そうとしてきました。経営を圧迫する高価な農業機械や資材を使わない、土壌汚染や病害、食品としての安全性など慣行が抱える根本的な問題から脱するための不耕起・無肥料栽培、価格競争から抜け出すため、量産することを目的としない商品づくりなど、より持続可能な方向を模索してきました。認定を受けるために改めるよう求められた作付け面積や農業所得は一見すると常識的に映るかもしれません。しかし、私たちの経営でその規定をクリアーするには、まず夫婦二人では人手が足りず、人を雇えばそのため桁違いに作って売りさばかなければならず、栽培方法も商品も変えなければならなくなるでしょう。これまでの経験と今後の状況を踏まえた上で、人手を確保できなければまわらない経営をするのは危険と考え、作付け面積を必要最小限にして農地を集約し、規模拡大を目指さないという方向を定めてきたのです。それを融資を受けるために覆し、どこの誰が決めたともわからない数字を達成するよう逐一指示されるとなれば、更なる借金を抱えることになり、これまで積み上げてきた農業は骨抜きにされ、私たちの人生は一体なんだったのかわからなくなるという悲惨な結末しか見えません。そもそも経営について教えを乞うたつもりはないのです。融資という言葉でわからなくなっていたのですが、つまりは債務を抱えることであり、無理な負債は身の自由を奪いうるということです。枠にはまらず、己の道を貫くとはどういう事なのか、お恥ずかしい話ですが意外なところで気付かされました。そして、ここが踏ん張りどころ、頑張ろうという気持ちが湧いてきました。こういった思いもよらない展開や身を以て知ることが面白く、楽しいと感じる自分がいることは驚きでした。なお補足ながら、住宅ローンの方向から調べてみても、借地上に建てる場合、土地の名義変更がされていない場合は融資を受けることはいずれにしても難しいということでした。

2月28日、貸主と改めて話し合いました。一対一で約二時間、静かにひとつひとつ双方の事情を踏まえ、こちらからは用意してきた答えを出し、改めてお願いし、それでもなお受け入れられなかったことも含めて概ね合意に至りました。土地の名義変更ができない理由も改めてお話し頂き、こちらも納得しました。その上で後々問題が起こらないよう、契約書を作りなおすことになりました。

土地の賃貸借契約を改めて結び、建物の取り壊しについては賃借人の負担において執り行うこと。新たな賃借料については、取り壊し費用をその累積差額により結果的に賄えるよう設定すること。残存する家財道具の処分を検討すること。貸主において司法書士に契約書の作成を依頼、その費用を負担し、三者で内容を協議することでまとまりました。

3月6日、嫁を連れ、司法書士事務所で契約内容をつめました。話を進めるうち、先方が今回のこともこれからについても誤摩化さずに向き合い、こちらの事情をしっかり受け止めてくださったことが分かり、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。結果的には、要望の殆どを呑んで下さいました。これまで幾度となくお願いするも聞き入れて頂けなかったこと、曖昧なままで腰を据えかねていたことが、ようやく解決しそうです。手入れを続けてきた裏山、そして農地の陽当たりを左右する山林もまた新たに契約に加えて頂けました。お墓についても、こちらの都合で草刈りだけはさせて頂いていたのですが、今後どうするか聞かせて頂くことができました。よそ様のお墓ですが、日々の暮らしに内在するが故にどう向き合うべきか、私たちもまた模索せざるをえなかったのです。貸主の誠意を受け、こちららも改めて、そのご家族、ご子息に対し誠意を持って向き合いたいと思うようになりました。何十年後になるか、この土地をお返しするとき、後腐れなく、片を付けてお返しできるようにしたいと決意を新たにしました。

契約書に盛り込む内容を詰めるとき、事前に弁護士相談をし、民法と借地借家法を調べておいたからこそ、指摘できたこともありました。作成する際には尚のこと、法律を充分に確認しておく必要を感じました。どうなるかわからない先のことを心配し過ぎと笑われる場面もありましたが、それでもやはり、叶えたいことがあるなら、押さえるべきことは押さえ、臆せず突き詰めるべきだと思います。感謝の気持ちを忘れず、今一度、気を引き締め直さなければと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

農地の集約〜10年目の畑を手放す〜

年が明けて、決めたことを順次進めています。

先ずはじめは、隣町にある畑、約2反を返すこと。不耕起栽培においては年を重ねることでしか、肝心となる効果を期待することはできません。そして、かける年月をより効果あるものするには尚更、畑作りを入念にする必要があります。10年間そこに注いできた労力も思い入れも軽いものではなかったのですが、しかし一方で、先行きを考えれば条件的に問題があり、できるだけ早く手放さなければならないという矛盾を抱えてきました。畑の実力が作物の品質を決めるので、作付けする以上、全精力をかけるしかないわけです。今ではほんとうに穏やかないい畑になり、いよいよこれからというところでした。将来のことを考えて決めたことではありますが、その出来具合を見ると、やはり割り切れない思いは残ります。

独立当初は雨漏りのする町営住宅に住み、条件が悪くても声をかけてもらった土地から借り受けていきました。空き家も農地も限られていて贅沢を言える立場でもなかったからです。人家の庭のような土地を借りたこともありましたし、地代と維持費用を賄えなくなって返したビニールハウスもありました。経営の方向が定まっていなかった頃の話です。

土佐町に土地つきの家がようやく見つかり、町営住宅のあった街から農村部へ。畑には片道20分かけて通うことになりました。永い年月空き家になり放棄された後の片付けや薮の伐採からはじまる新たな畑作り、消防団や地域の用事に手を取られるようになり、管理すべき土地を持て余すようになった頃から、断るべきを断り、いずれかを手放さなければ身が持たないと感じるようになりました。

そうして、依然、主軸とする畑を隣町の二つの集落に分かれてそれぞれ2反、隔年で栽培してきたところ、作年の春に一方の大半を猪に荒らされ、作付けをとりやめざるを得なくなったのです。暮らす集落以外に農地の担い手として複数の集落に属することの難しさ、今後の獣害対策を考えるにしても、農地を集約しなければ目処が立たないこともわかりました。急遽、家周りの畑を主軸に替えるため、刈り場から草を運ぶ軽トラを借金して買い、かねてより隔年から通年栽培へ試験を続けてきた結果にもある一定の自信を持てたので、ようやく手放す決心がついたのでした。この10年間にいろんな出来事があり、あらためて仕事について、進むべき方向について考えさせられました。家も土地も儘ならないものですが、住んで都と成すべく、今後も全力を傾けるでしょう。その上で満足な仕事ができるよう、経営規模をよりコンパクトにする方向に定まりました。

先日、地主さんにお伝えしたところ、快く了承して下さいました。これから順次草を刈って土地をならし、終いをつけて返します。何かを得るためには何かを捨 てなければならない。しみじみしますが、とても晴れ晴れした気持ちでもあります。これからは、管理すべき土地に追われることなく、じっくり畑仕事を楽しめ るようになるのですから。それに、振り出しに戻ったわけでもありません。家周りの畑もまた、じき10年を迎えるのです。

思えば新規就農してこのかた、いかに本業に専念できる状況を作るかを考えてきました。日々の暮らしに追われ、ともすれば本業から逸れそうになるところ、時には立ち止まって考える時間を持てるようにするには、やはりそうなるよう、ひとつひとつよく考え決めておかなければならない思います。借りている家や土地のこと、地域との関係性において解決すべき問題は思いのほか多く、一朝一夕で片付くものではありませんでした。本業においても、岐路にあるとき、必要ならば幾度でも断り、進む道を明確にしていなければ、今頃望まないところへ流され身動きが取れなくなっていたと思います。世間が言うように、拘らず流れに身を任せれば思いもよらない運が開けるというようなことは、数々の出来事を経て、少なくとも私たちにとっては違うとはっきり言えます。そもそも、その流れに実態はあるのか。確固たる意志もなく、誰も彼もが乗っかろうとして、本来そこに見出された核心を既に失なってはいないか。もしくは、お互いの足を引っ張る澱みになっていないか。用意された言い訳に便乗し、考えることをやめてしまってはならないと思います。やはり、続けるという事は大変で、いろんな問題を乗り越えなければならないわけですが、だからこそ、確かな積み重ねを感じられたとき、また進もうと思えるのかもしれません。

それからもう一つ、地域の寄合の席でお酒を飲むのをやめることにしました。返杯が果てしなく続く高知独特の慣習に呑まれ、これまで幾度も後悔してきましたが、身体が資本、40歳手前となってはこ れ以上、無為に擦り減らすわけにはいきません。日本酒を断ってビールで最後まで通したり、途中で抜けたり、お茶を挟んだり、いろいろ試行錯誤してきたのですが、 会計という役が付いて途中で抜ける事ができなくなったり、こちらから酌をして受けて廻らなければならなかったり、中途半端なことでは断れなくなったのです。年が 明け、小部落の人にまず伝えて協力をお願いしてきました。それでも、より大きい括りとなる部落の集まりや祭りとなれば、定着するまでその度に断り続けなけ ればならないとは思いますが、通すつもりです。これもまた結論を出すまで9年近くかかりました。しかし、晴れて結論が出たこと自体がよかったのです。

 

 

 

 

新年のごあいさつ

新年、明けましておめでとうございます。

独立10年目となった昨シーズン、おみくじは大吉からのはじまりでした。どんないいことがあるのかと淡い期待を持ったりもしましたが、まさに岐路、どちらを選ぶか試されているような大変な出来事の連続でした。節目の年というのは次の展望を開くために決めるべき事を決め、行動することで自らが節目とする年だったのかと、考えを新たにしました。おみくじには、

「人間の徳は その異常な努力によってではなく その日常的な行為によって測定されるべきものである」と書かれていました。

畑仕事においても、ひとつひとつ地味で目立たない積み重ねでしかいい結果を望むことはできません。如何に才能があるように映る人も、根気のいる日々の労働から逃げれば、もはや体現することはできなくなり、また、志や大義を語るばかりで日々の些細な変化や新たな発見に感動することから遠ざかってしまっては、いずれ熱を失った繰り言しか発せなくなる。そのことを肝に銘じて、これからも畑に立ち続けたいと思います。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

裏山の手入れ

 

冬から春にかけて伐り倒した木を順次片付けています。全て玉切りにして割って運び出します。枝は向きを揃えて積んでおき、風呂焚きに使います。

 

竹に浸食され、50センチを超す大径木の全てに腐れが入っていました。適宜手入れをしてこなかった植林は、今更間伐しても手遅れなのではないかと思います。ハズレ率が高ければ、一本一本値をつけるような仕事は割に合ず、皆伐して集成材やチップにするしかない。地元に新しくできた製材所も集成材専門です。そして、その一方で無垢材の値が上がっているのです。

 

 

なかなか骨の折れる仕事です。(楽しんでますけど)

工石山へ

生姜の仕込を前に、近くの工石山へ一泊のキャンプをしてきました。

15時過ぎに家を出て買い出しの後16時ごろに登山口へ。いつものように日暮れを気にしながら下山するのではなく、今晩はこの山に泊まると思うと、気持ちも見える景色も違います。山頂へは小一時間で着きました。テントを張り、寝袋も敷いて準備万端、作ってきたお弁当にビールで一杯やりました。標高は1176m、遠くに高知の街明かりが見えます。が、かなり寒かったので早々に引き揚げました。

翌日、テントを出れば目の覚めるような朝焼けが迎えてくれました。

澄んだ空気の中で淹れるコーヒは格別でした。なんでこれまでやらなかったのか。

さて、今回の山登りでショックだったのが倒木の多さでした。10月下旬、1週間ほど雨が続き地盤が緩んでいたところに来ての台風が原因だと思われます。根こそぎ倒れている木が目につきました。

直根がないことに驚きます。ごく浅くへばり付くようにしか根が張っていない。倒れている檜や杉のほとんどがこんな具合でした。

虫食いや腐れの入った木は途中で折れていました。昨シーズンに伐った裏山の大径木の全てに腐れが入っていたことを思い返すと、本当に早く伐っておいて良かったと思いました。そして、山を下り、土佐山の方へ行くと、かなり広範囲にわたって植林が崩れていたのです。

こういう光景を見ると、家の裏を植林にすることが相当危険で間違ったことなのだと再確認されます。土砂が崩れてこなくても、高く重量のある木が倒れてくればひとたまりもありません。薪を必要とする暮らしの中で、浅木の山として手入れをつづけるからこそ守られた里山だったのでしょう。やはりこれからも裏山を伐らせてもらうようにしなければと、思いを強くしました。

「まきので“食べるを考える”」に出店して

秋の穏やかな陽気の中、とてもリラックスしたイベントとなりました。

はじめてのお客様だけでなく、私たちの知らないところでこれまで懇意にして下さっていたお客様にもお会いすることができました。また、10年ぶりの懐かしい顔や、久しぶりの出店者仲間、そして、今回の出店を事前に知って下さっていて、わざわざ顔を見に来てくださった方々の嬉しいサプライズもあり、しみじみ出店してよかったと思いました。

牧野植物園のある五台山からは高知の街並みが一望できます。

大学に入るのを機に高知で暮らすようになってもうじき20年になり、其処ここに懐かしい顔が浮かび、暗中模索でひとり彷徨っていた街角が目に入ってきます。本当に自分のことを気に掛け、その言葉の通りに心配してくれていた人とそうではなかった人が、今となってはわかります。そして、それは私自身にも言えることでした。有り難いことにパートナーに恵まれ、自分たちの仕事に共感してくださる人がいることを実感できるようになり、目に映る街の景色は新しく塗り替わったように感じています。これまで気にはなっていても、自分のことに精一杯でかける言葉も見つからなかった相手とも、はじめて楽しい会話ができました。思えばお互い様だったのかもしれません。これからが楽しみです。

少しでもこうした機会に出て来れたらと思っています。

 

畑のようす~7月下旬~9月上旬

圧倒されるほどの獣害から始まった今シーズン。作付け予定地を大幅に変更することになり日程的にも体力的にもギリギリな中、向こう4年間受けることになった部落会計の仕事や伐り倒した支障木の後始末などがあり、ピクルスの仕込みと畑仕事のリズムを作るのがなかなか大変でした。地域と向き合うことのむずかしさを実感することはしばしばです。自分たちの暮らしをより良くするために何か事を動かせば、波風はどうしても立つものなのかもしれません。しかし、いずれにしても乗り越えなければならなかったことであり、今後を見直し前進させる節目の年となりました。

結果的に、ものによっては例年よりも仕込数を減らす、もしくは仕込めないものもありますが、なにとぞご了承ください。

キュウリや生姜は例年通りです。冬作はペースを持ち直すよう、人参や大根、蕪などの種蒔きを順次進めています。

軽トラ効果で敷き草をたっぷり、調子よさそうです。

 

旧別子銅山から西赤石山へ

畑では、コリンキーやキュウリの植え付けとありつくまでの水やり、果菜類の植え付けと鉢上げ、ピクルス仕事では、蕗やにんにくの芽の仕込みに一区切りがつき、直に始まるズッキーニの収穫を前に、念願の山登りをしてきました。

山で食べるご飯は最高においしい。今回はお稲荷さんを持って行くんだと朝から張り切って作ってくれました。おやつには黒棒とコーヒーを。

昨年は史跡をまわるだけで終わってしまった旧別子銅山。その営みがあった谷から見上げると圧倒的な存在感をもってそびえるのが赤石山系です。銅山越えという道が辛苦の末に通され、今では木漏れ陽の中を数十分も歩けば新居浜の街が望めます。かつて、山の木々は切り尽くされ、有毒ガスを含んだ煙に覆われ、落石や地滑り、滑落の絶えない危険な道だったはずですが、それを想像することが難しいほど、穏やかな新緑に覆われていました。

往復6時間、ふらふらになりながらも、身体に油を注すいい運動になりました。

嫁とはペースが違うので、私が先に行って立ち止まるをくり返します。それが私にとってはいい休みになり、追いつけばさて行こうとなるわけですが、それでは嫁が休めません。かといって、同じペースで歩こうとすると一歩一歩ブレーキを掛けることになるので、私の余裕がなくなる。なので、時々、意識的に長めの休みを取り、食べ物や飲み物を補給するようにしています。二人とも初心者ですから余裕は大事です。

日暮れ間近の帰りでは、調子が出てついスタスタ行ってしまい、立ち止まってもなかなか姿が見ないほど距離が開いてしまいました。ひとりで大分心細かったらしく、「泣くぞ」と言われてしまいました。まあ、そんなこんなで楽しい山登りでした。

 

 

 

春のお祭り

荒神様と氏神様のお祭りがあり、わが家もいよいよ春を迎えました。

フキノトウを食べ、種蒔きも始まりました。

 

 

畑作り〜支障木の伐採〜

3年前に始めた藪の伐採一番の難所が終わりました。この最後の一本を伐る為に、これまで時間を掛けて組上げてきた仕事の全てがあったと言っても過言ではありません。

 

牛舎脇に立っていた直径60センチ弱の杉。倒す方向が電柱を支えるワイヤーによってさらに限定されていました。なによりも牛舎や電柱、電線に倒れないようにするため、その対角側にあるワイヤーが張られた方に倒すことができたなら、あえて危険を冒す必要もなかったのですが、手前に設けられたウォータースライダーのような水路といい、事故を誘発する要素が重なっています。さらに、今回は倒す方向にロープを引っ張るための立ち木はありません。薮に呑まれ朽ちていたのです。さすがにこれは無理かもしれない、、、しかし、諦めてしまうと状況は悪いままです。その覆い被さる木によって、この先もずっと空気は淀み、露に打たれて作物はじわじわ傷み、どう仕様もない気持ちに重く暗く沈む自分を思うと、やるしかありません。大げさに聞こえるかもしれませんが、そもそも耕作放棄されていた土地です、まわりも手入れをされずひどい状態でした。薮蚊も多く居心地の悪いところで元気な作物が穫れるわけもなく、そこに通うのは苦痛でしかありません。私が借りているのは手前の畑で、奥の薮を手入れすべき責任はないのですが、地権者に掛け合って伐らせてもらうことにしたのです。しかし、最後の一本はクセが強く大径木であることに加えて、電線や民家(牛舎)の際に生えているという更に困難な状況にあったため、確実に安全に倒せる保障はありませんでした。

周りの竹を取り除き視界が広がって行くと、一筋、いけるのではないかと思える方向が見えてきました。さらに数日かけて考え、眠れない夜はじっくり布団の中でイメージを深めました。体力の回復を待ち、気持ちを固めました。

まず、電線と牛舎側に張っていた枝を届く範囲で落とし、斜めに張られたワイヤーをガードするよう、そばに生えていた木を高い位置で伐り倒しておきました。基礎に立ち上げられたブロック壁(牛舎壁の一段下、一枚目の写真で私が歩いている所)にもあたらないようにと考えると倒せる方向は本当に一筋しかありません。しかし、倒れるときは、これまでの伐採で3メートルに積み上がり斜面に張り出した竹の足場を支点として樹幹は持ち上がりつつ前方へスライドし、ブロック壁もワイヤーも越すはずなので、いけると思ったのです。隣に生えていた細い木で実証もできました。念のため、ブロック壁上面には笹の束や竹の枝葉を厚く敷きました。

チェーンソーのバーは幅40センチ。木の直径よりも短いので、切り進めるには反対の斜面下側に回り込む必要があり、切り口が胸高より上になってしまいます。危険な作業になり水平に切り進める事も難しくなります。そこで本来ならば足場を組むために段取り、まわりの竹もそれを踏まえて伐り進めていくのですが、ひとの土地ということがあって思うようにいかず、無造作に切られた株に足を掛けての不安定な作業になりました。何度も確認しながら受け口を定めました。芯切りの際に腐れが入っている事が分かりました。その範囲が定かではないので幅を控え、「つる」を厚めに残すようにしました。条件は万全ではなかったものの、一つひとつ確認しながら作業を丁寧に進めました。しかし、楔(くさび)を打ち始めたところで思いもよらぬことが起こりました。薮を避けるよう山側に反っていた木が、倒す方向に少し傾いたことで牛舎に向かって反る形になり、そこで吹いた少しの風で恐ろしいほどしなり、あろうことか、最も避けるべき方向に傾こうとしたのです。

さーっと血の気が引き、一巻の終わりかと泣きそうになりながら、必死に何度も何度も反対側の楔を打つのですが、思うように重心が移りません。急がなければ、、、蝶番(ちょうつがい)であるつるがもげれば終わりです。しかし、もげないよう、つるを厚く残していたことがかえって、楔を入れにくくしていました。次の一手をどうするか、「やるべきこと」と「やってはならないこと」、そして手順の一つでも掛け違えてはらない、やり直しはありません。民家に隣接しない山の中なら躊躇せずにやってしまえることが、ここではどうしてもためらわれます。次にやるべきことがそれなのか、確信がなければできません。

つるが厚過ぎることもまた危険であると手引書には書いてありましたが、では具体的にその機能においてどういう結果を招くから危険なのか、経験がないので分かりません。しかし、これまで同じくらいの厚さで直径50センチを超す木は無事に倒れてきました。楔が少しずつでも入るならば先ずしっかり入れるべきだとは思うものの、無理が過ぎればつるはもげるかもしれないという不安も拭えません。とにかく、少しでも入りやすいように、ロープで引っ張ることにしました。支柱とする立木は竹しかありませんが仕方がありません。伐り始めた木の下を行ったり来たりすることが絶対に危険なのはわかりますが、牛舎ばかりか、まさか家屋に倒れるなんて許されるわけもなく、嫁や家族には申し訳ないけれど、その時の私には、たとえ木の下敷きになっても仕方がない、自分が死んで詫びるしかないという思いがよぎっており、とにかく克服するために必死でした。無事に済んだとお疲れの乾杯をしたい、その一念に集中しました。

予め水に浸しておいたにもかかわらず、ヨキ(楔を打つ手斧)の柄が半ば折れて抜けてしまいました。代わりを取りに家に駆け戻り、ロープを張るために斜面を登って降りて、、、その間も風が吹き付けます。抜きようのない力みから、急速に体力を奪われ、息があがり、喉が乾き、ハンガーノックの予兆も見えてきました。水を呑み、嫁が用意してくれていたおにぎりにかぶりつき、チョコレートをむさぼり食いました。最悪の事態を考え、牛舎に声を掛けに行きました。

つるを調整しなおす場合は、追い口をさらに切り込むよりも、まず受け口を切り直すほうが先だと念頭にありました。今回は楔だけで倒す事が前提だったので、追い口が充分に深くなければならないと考え、対する受け口を浅めにしていたのです。これはあくまで私の解釈ですが、つるの位置が木の中心線よりも前にありすぎることは、例えば、取り付ける二つの蝶番を両側に離すべきところを寄せすぎて、結果ぐらつきやすくなるように、横方向からの力に対して極端に弱くなるはずなのです。つまり、楔が効かないからといって受け口をそのままに追い口を切り込むことは、つるを薄くするだけでなく更に前へ動かしてしまうことになり、横方向から吹く風(風下が牛舎)に対して絶対的に弱くする、この状況でもっとも「やってはならないこと」の一つなのです。

今回の経験で確信を深めたことは、やはり「受け口」が倒す方向を決める「起点」であるということです。一本一本条件の異なる木を倒したい方向に倒す行為においては、不確定な要素やわからないことが依然としてあります。しかし、ひとつひとつの手段においては、起点を拠りどころとして定めなければ、後で微調整をくわえることも、論理的に組み立てることもできなくなります。すべて漠然としていては、この失敗の許されない状況において次の一手を打つことができないと思い知らされたのです。ですから、切り直すときは向きが変わらないよう細心の注意を払いました。反対の斜面下側は足場が定まらないので繊細な作業は出来ません。直線を出すのがとても難しい作業になりますが、片側からバーの先端部でほんの少しずつ、目で確認できる幅だけを均等に切り進めるようにしました。少しでも傾いたタイミングを見過ごすとバーが挟まって抜けなくなります。その時点でさえ倒れていなかったら、確実性をもって駒を詰めることは、もはや不可能になります。切り残しはヨキで慎重にはつりました。しかし、木は反応しません。既に、楔を追い口に埋まるほど打ち込んでいます。時折吹く風がいやがおうもなく緊張を強います。時間がありません。日も暮れ始めています。

残るは追い口に手を加えるしかありません。深く設定していたおかげで、なお手のこが入る隙間がありました。手引書にかかれていた偏重木の伐り方、追い口を受け口に平行ではなく少し角度をつけて入れる、という方法は頭にあったものの、今回の状況に確信を持って当てはめることができずにいました。しかし、もはやその一手を入れるしかありません。谷側、真ん中、山側と3つある楔を打ち込むときにうける抵抗の違いからも木の重心が山側(牛舎側)にあることは明らかで、意図せず打ち進めれば、先に谷側のつるから裂け始めて山側に倒れてしまうところ、より強く打ち込んでいた山側にだけ入っていました。思うように楔が効き始めている証拠です。風に耐え、最後までもってほしい谷側のつるはそのままに、山側にだけ少し切り込みを入れて楔からの圧力に耐えている力を開放する、今こそ、その目的が、手引書に書かれていた方法と一致する、そう確信しました。

結果は一枚目の写真で分かるように、無事に障害物を飛び越え、牛舎にも電柱や電線にも触れることなく倒すことができたのですが本当に恐ろしい思いをしました。最後の一手を入れ、即座に木が反応して音を立てたとき、「これで牛舎には倒れない」、選択が間違いではなかったことが分かり、かく汗に温度が戻ったように感じました。

 

私は林業に携わった経験があるわけではなく、今回の伐採は明らかに身の丈を越えていました。独学でしかも一人でやるべきことではなかったと、今思い返しても冷や汗が出ます。失敗した時のことも具体的に詰めず浅はかでした。どういうつもりだと問いつめられても答えようがありません。

しかし、このような支障木はやっかいだからこそ、これまで放置されてきたはずです。本来ならば電線を張るときや水路をコールゲートにするときに伐り倒しておくべきだったのでしょうが、ではその時、だれがお金を払い、だれがリスクを負うのか。問題となった一本を伐り倒すためには、事前に竹藪を一掃し、作業ができるように後始末をつけておく必要があるはずです。安全を確保するためには重機を使う大掛かりな仕事になるかもしれません。いずれにせよ個人で負担できる額ではないでしょう。それに、作業で畑を踏み荒らされることは避けられなかったと思います。急斜面に竹を積み上げた足場も年を追う毎に弱く不安定になり、倒れた木を受け止める事ができなければ予想外の危険を生んでしまいます。なので、いずれにしても、自分で伐るしかなかったし、このタイミングしかなかったとは今でも思っています。見守るしかない嫁は心配のあまり体調を崩してしまいました。借金を背負う覚悟をしたと言います。

山間部にはこうして、誰も手をつけず放置された跡や、ゴミ、理に適っているのか疑いたくなる工事の穴が至る所にあり、何とも言えない気持ちになります。誰も正解を持ち合わせてはいないのではないでしょうか。

畑作りにおいて、陽当たりと風通しを確保できなければ、いくら土作りをしても、そこで身を立てることはできません。黙ってやらせてくれた地域の方々に感謝します。

(写真上の昨年5月の状態、下から伐り進んできたところ)