家のこと

古民家は暮らしを見直す上で多くのことを教えてくれます。日々、薪火を使い煙を立てることの必要性、澱みがなく家の隅々まで風が通り抜ける清々しさ、畑仕事や山仕事を存分にするために不可欠な土間、そして畳のありがたさ。しかし、築年数からして、ようよう建っているものが殆どで、手を入れれば更に何十年も住めるというような物件は稀ではないでしょうか。とりあえずはよくても、将来のことを考えればかえって重荷になることもしばしばだと思います。土地の湿気は否応もなく影響し、年間降水量3000ミリを超える高知の更に植林に覆われた山間部においては望むべくもないことだったのかもしれません。

暮らしに不可欠な水をどう引いてくるか、山間部では谷に沿って、もしくは水が湧き出す処に家が建っています。つまり家を朽ちさせる湿気の上にしか山の暮らしは成り立たず、更に元を辿れば、地滑りによって生まれた平らな土地から棚田は発達し、集落が形成されたという見解もあるように、豊富な水脈と脆弱な地盤という、人を生かしもすれば殺しもする大いなる矛盾の中に山の暮らしはあります。地滑り対策のために水抜き工事が至る所に施され、その一方で生活水が枯渇していく、というのは分かりやすい例ではないでしょうか。

私たちは築百年をこえる古民家を借りて暮らしています。中山間地にはよくある事だと思いますが、裏山にはこの家のお墓があり、また、土地と建物の登記名義人が貸主本人ではなく遺産分割されていない物件です。当初用意された契約書は簡易なもので一年更新となっていました。血縁の無い土地で新規に就農し、身を立てて行こうとする私としては心許なく、サインを保留したまま一年過ごし、2010年、改めて長期の契約を結んで頂くようお願いしました。そして、契約の対象となる建物、土地、その地番の明記をお願いしました。農業を生業とし、ここで一生暮らしていきたいという思い、そして長期の確約がなければ、こちらの負担で行う家の修繕や工房への改築、土地の手入れに本腰を入れることができないという事情をお話しし、改めて50年の賃貸借契約を結んで頂いたのです。家はその都度修繕すれば暮らせるという前提の話でした。

ところが、一年ほど前から白アリの被害が目に見えて進行し、大工さんに見てもらったところ、もはや修繕でどうにかするレベルではなく、今後10年を待たず倒壊の恐れも出てくると言われたのでした。何故ここへ来てとは思いますが、暮らすことを決めなければ何も始まらなかったので、どう仕様もなかったとも思います。とにかく、敷地内のいずれの建物も50年の間に倒壊するとなれば、取り壊して建てなおすしか、私たちがここで暮らし続けることは叶いません。貸し主に相談しました。昨年末のことです。

まず、貸主において修繕および取り壊し費用を負担することは無理という答えでした。その上でどうするか行政や司法書士に相談してみるということでした。私たちは法務局に問い合わせ、弁護士相談に行きました。そして土地建物の賃貸借契約について、改めて民法と借地借家法を調べました。何が決まっていて、何は協議するしかないのか、そこをまず明確にしたいと考えたからです。そして、今後建て替えるにしても先立つものがないので、公庫の融資を当たりました。

民法第六百六条 賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。

民法第六百八条 賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を求めることが出来る。

民法第六百十一条 賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは、賃借人は、滅失した部分の割合に応じて、賃料の減額を請求することが出来る。

前項の場合において、残存する部分のみでは賃借人が賃借をした目的を達することができないときは、賃借人は、契約の解除をすることができる。

法律によって規定されている義務や権利、想定されている状況というのはやはり限定的で、協議の前提としてうまく機能しそうなものは見つかりませんでした。上記の各条文についても、ない袖は振れないと言われてしまうとどうしようもなく、といって、こちらに契約を解除する権利があってもその意志がないので、意味をなしません。倒壊する恐れがある建物の取り壊し及び適切な処理を、所有者の義務として、法律で規定されていない以上、賃貸借契約を履行する義務において、取り壊しを求めることはできません。調べれば調べるほど、お互いが権利を主張することは協議に繋がらないとしか思えず、展望を見出すことが出来ませんでした。蔵や長屋に残され、朽ちるにまかされていた家財道具の処分についても、

民法第二百四十二条「不動産の所有者は、その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。ただし、権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。

といって処分をなお求めたとしても、いい結果を生むとはやはり思えません。法律とはどのように活用すべきものなのか、まったくもって不慣れなところですが、ただ、今回の問題が生じたとき、一方的に私たちが出て行くしかないとはならず、話し合いの余地を持てたことはひとつ、法律に拠るところが大きいでしょう。そこを踏まえた上でも、冷静に話を進めるためには、まず私自身が初心にかえり気持ちを整理することが必要だと思いました。以前、「移住について」の項で述べましたが、骨身を削り、 犠牲を払い、何代にも渡ってこの土地を形作ってきた地の人に対して、わたしはその恩恵に預かってはじめて一歩を踏み出すことができたよそ者に過ぎ ないということ。山を削り石を積み上げ田畑と屋地を構える、その石一つも積んでいない、水を引いてきたわけでもない。崩れていたものを積み直し、薮に呑まれ朽ちかけていたところを伐り開き、手入れを続けることが如何に大変といっても、あくまでそれは土台あってのことです。それをわきま えていなければ大きな間違いをしてしまうでしょう。

貸主にとって、私に家と土地を貸すとはどういうことだったのか。いつ居なくなるとも知れぬよそ者に対して覚悟を問う周囲はさておき、貸す当事者としてはむしろ、適当なところで契約が消滅することを期待するものではないかと思います。収益を得るためではなく、受け継ぐ者としての責任と負担を少しでも軽くせんがために貸すのでしょうから、厳密な契約を結び更なる責任問題を抱えることについて、こちらが先方に主体性を期待することはできないでしょう。とはいえ、同意のもと生活基盤をここに定めてきたこちらとしては、今更どこか他所へ移ることは現実的に不可能であり、曖昧なままではにっちもさっちも行かず、やはり、話を詰めなければなりません。貸してあげる貸して頂くという一方的な関係ではなく、契約においては対等であり、一対一の個としてはお互い様であり、感謝しあえる関係性を築くことができなければ協議は進まないと思うのですが、しかし、こちらから対等などというのは無理があり、ただ、相手の善意に頼るしかないというのが実情です。

一方、融資については、農業者向けの資金を当ったところ、その応募資格として認定農業者でなくてはならないという条件があり、役場へ申請に行きました。その要項には目標とすべき作付面積と農業所得が規定されており、更にいうと、農地を借りている場合は利用権の設定が必要となり、その契約を結ぶためには地権者すべての印、つまり、土地の名義変更がされていない場合は相続人すべての印をとってこなければならないということでした。名義変更を法的に義務付けることすらできない混沌とした現状で、個人が地権者すべての印を取るということは無茶な話です。

結果から言いますと、融資を断念することにしました。これまで私たちは、如何に農業経営を成り立たせるか、周りの多くが農業では食べていけないと言う中、慣例を見直すことで展望を見出そうとしてきました。経営を圧迫する高価な農業機械や資材を使わない、土壌汚染や病害、食品としての安全性など慣行が抱える根本的な問題から脱するための不耕起・無肥料栽培、価格競争から抜け出すため、量産することを目的としない商品づくりなど、より持続可能な方向を模索してきました。認定を受けるために改めるよう求められた作付け面積や農業所得は一見すると常識的に映るかもしれません。しかし、私たちの経営でその規定をクリアーするには、まず夫婦二人では人手が足りず、人を雇えばそのため桁違いに作って売りさばかなければならず、栽培方法も商品も変えなければならなくなるでしょう。これまでの経験と今後の状況を踏まえた上で、人手を確保できなければまわらない経営をするのは危険と考え、作付け面積を必要最小限にして農地を集約し、規模拡大を目指さないという方向を定めてきたのです。それを融資を受けるために覆し、どこの誰が決めたともわからない数字を達成するよう逐一指示されるとなれば、更なる借金を抱えることになり、これまで積み上げてきた農業経営は骨抜きにされ、私たちの人生は一体なんだったのかわからなくなるという悲惨な結末しか見えません。そもそも経営について指導を乞うたつもりはないのです。融資という言葉でわからなくなっていたのですが、つまりは債務を抱えることであり、無理な負債は身の自由を奪いうるということです。枠にはまらず、己の道を貫くとはどういう事なのか、お恥ずかしい話ですが意外なところで気付かされました。そして、ここが踏ん張りどころ、頑張ろうという気持ちが湧いてきました。こういった思いもよらない展開や身を以て知ることが面白く、楽しいと感じる自分がいることは驚きでした。なお補足ながら、住宅ローンの方向から調べてみても、借地上に建てる場合、土地の名義変更がされていない場合は融資を受けることはいずれにしても難しいということでした。

2月28日、貸主と改めて話し合いました。一対一で約二時間、静かにひとつひとつ双方の事情を踏まえ、こちらからは用意してきた答えを出し、改めてお願いし、それでもなお受け入れられなかったことも含めて概ね合意に至りました。土地の名義変更ができない理由も改めてお話し頂き、こちらも納得しました。その上で後々問題が起こらないよう、契約書を作りなおすことになりました。

土地の賃貸借契約を改めて結び、建物の取り壊しについては賃借人の負担において執り行うこと。新たな賃借料については、取り壊し費用をその累積差額により結果的に賄えるよう設定すること。残存する家財道具の処分を検討すること。貸主において司法書士に契約書の作成を依頼、その費用を負担し、三者で内容を協議することでまとまりました。

3月6日、嫁を連れ、司法書士事務所で契約内容をつめました。話を進めるうち、先方が今回のこともこれからについても誤摩化さずに向き合い、こちらの事情をしっかり受け止めてくださったことが分かり、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。結果的には、要望の殆どを呑んで下さいました。これまで幾度となくお願いするも聞き入れて頂けなかったこと、曖昧なままで腰を据えかねていたことが、ようやく解決しそうです。手入れを続けてきた裏山、そして農地の陽当たりを左右する山林もまた新たに契約に加えて頂けました。お墓についても、こちらの都合で草刈りだけはさせて頂いていたのですが、今後どうするか聞かせて頂くことができました。よそ様のお墓ですが、日々の暮らしに内在するが故にどう向き合うべきか、私たちもまた模索せざるをえなかったのです。貸主の誠意を受け、こちららも改めて、そのご家族、ご子息に対し誠意を持って向き合いたいと思うようになりました。何十年後になるか、この土地をお返しするとき、後腐れなく、片を付けてお返しできるようにしたいと決意を新たにしました。

契約書に盛り込む内容を詰めるとき、事前に弁護士相談をし、民法と借地借家法を調べておいたからこそ、指摘できたこともありました。作成する際には尚のこと、法律を充分に確認しておく必要を感じました。どうなるかわからない先のことを心配し過ぎと笑われる場面もありましたが、それでもやはり、叶えたいことがあるなら、押さえるべきことは押さえ、臆せず突き詰めるべきだと思います。感謝の気持ちを忘れず、今一度、気を引き締め直さなければと思っています。